2015.02.18
国際化とは?
いきなり大きなタイトルを付けてしまいましたが、
学生さんたちは春休みに入り、留学したり海外旅行をする学生も多いなか、
国際化って、果たして外国の方々との交流だけなのでしょうか。
小学校での英語教育が必修化されるという議論でも感じてきたことですが、
ちょっと考えてみたいと思います。
先週も書きましたが、先週は教職課程を履修する学生たちの
沖縄研修に同行、引率してきました。
そこで、ある班と訪れた、「アメラジアンスクール イン オキナワ」で
創設から関わっておられ、ご自身は教育権・学習権保障の研究をされている
琉球大学の野入直美先生にお話を伺いました。
アメラジアン、という言葉は聞きなれない言葉かと思います。
アメリカ人(主に基地関連の軍人)の父と、アジア人(沖縄では主に日本人)の母の間に生まれた子どもたちを指す言葉です。
また、彼らは「ハーフ」という蔑称(基地内学校でも差別を受け、日本の公立校でも差別を受けることが多い)ではなく、
二つの文化を併せ持つ、という意味で「ダブル」と呼ばれ、このアメラジアンスクールでは、こうしたダブルの子どもたちのための教育・学習が創り出されています。
学校見学に際しては、正直私は最初かなり緊張をしておりました。私自身あまり接したことのない子どもたちであり、「ちがう」子どもたち、という視点で見てしまっていたのだと後から気づきます。
けれども、実際に学校である地域センターの一階に足を踏み入れると、「こんにちは、Hello!」と挨拶してくれる子ども、恥ずかしいから先生の後ろに隠れながらもこちらをじっと見ている子ども、深々とお辞儀をしてご挨拶をしてくれる子ども。。。と色々な個性を持つ、「子どもらしい」姿でした。
野入先生のお話は、さらに自分自身のこれまでの凝り固まった考え方・偏見に気づかされるものでした。
とくに、アメラジアンだからといって特別視するのではなく、外国にルーツをもつ子どもという意味では、
在日の児童生徒やブラジルからの子どもたちも一緒なのだということ、
そして、私たちの身近にも、そうした子どもたちが実はたくさんいるということ、
沖縄という遠い地域で学ぶことも大切だが、まずはそうした身近なところに目を向けて見て欲しいということ。
もっとも心に響いたのは、
「国際化、国際化、というけれど、国際化というのは、別に英語が話せるようになる、ということではない。
真の国際化というのは、 自分のお隣にいるかもしれない、外国にルーツをもつ人々、いやそれだけではなくて、自分とちがう文化や『個性』、障害などをもつ人々に、いかに関心を持って、互いに理解しようとしあえるか、ということだと思う」
という言葉でした。
私はこれまで英語教育や国際理解教育、そして平和教育に関心を持ってきたつもりでしたが、
この言葉は、自分自身の考えや行動が、まだまだ真を捉えきれていないということを自分に突きつけるものでした。
また、私自身、子ども時代は、非常に太っていたこともあり、「ふつう」の子どもではないことで色々な思いをもって生きてきたのに、そうしたことも繋げて考えていなかったことを気づかされました。
そして、自分自身は、たとえば学生一人一人に本当に心から関心を持って、彼らの思いや苦しみに寄り添い、理解しようとしているのか・・・いや出来てこなかった、ということを改めて考えます。英語教育や国際理解教育、を語るのに、上辺しか見えていなかったと大きなショックを受けました。
けれども、沖縄研修では、沖縄という自分たちにとって身近ではない場だからこそ、客観的な視点で見やすいということもあります。身近すぎる問題は、身近すぎるからこそ(当たり前のことになってしまって)見えにくいこともあります。今回、沖縄の基地問題、平和問題をはじめ、こうした教育の問題についても、そこで見えてきた論点や課題を、今度は身近な場においてもっと追求していきたいと思いました。
長くなりました。これで終わります。
ma34.