2018.06.15

基礎と応用

こんにちは、嶋村です。毎週ネタを用意するのに苦労しております。。。


この前も本を読みに鴨川に行ってきました。なんか最近人が多くて鴨川も僕が学生だった頃に比べたら汚くなった気がします。。。



閑話休題、今回は少し研究のことを書きます。


学生さんはご存知かどうかわかりませんが、研究には大きく分けて「基礎研究」と「応用研究」があります。


僕の専門は生成文法(Generative Grammar)と呼ばれる言語学の一分野です。言語学には、様々な種類の言語学があります。例えば、人と社会の関係を研究する言語学(例:地域や年齢や階級の違いと言語の多様性)や言語教育やバイリンガリズムなどを研究する言語学といった言語そのもののメカニズム探るのではない言語学もあります。このような言語学は、まあいろいろ名前はついていますが、言語学の応用分野ということでまとめて応用言語学と言ってしまっても良いのではないかと思います。それに対して僕の研究は人間言語そのものの仕組みを考えています。なので研究区分で言えば基礎研究になるのではないでしょうか。さてさて、ここでよくされる質問なんですが、「それって何の役に立つんですか」ってやつです。。。


役に立つ学問ってなんでしょう。研究において「役立つ」というのはなかなか難しい言葉だと思います。一般の人々にとって、「役立つ」とは自分の生活に直接活かすことができるかどうかによって定義されるんだと思います(商業的価値も含めて)。そういう観点からすれば、社会に貢献する言語教育なんかの方が評価されるのかも知れませんし、実際のところ僕の個人的な意見ですが、(少なくとも日本の)言語学の世界ではそうなってきているように思います。こういう「役立つ・役立たない」の議論は誤解を生み、例えば、数年前からしばしばニュースなどで取り上げられたりしていますが、文科省による国立大学を中心とした文系軽視の大学改革案に繋がったのだと思います。


さてここで誤解とは何でしょうか?僕が思うに、世間の「役立つ」と研究者の「役立つ」のズレだと思います。我々にとってある研究が役立つ場合は、それは自らの学問的興味のある分野に新たな知見を与えてくれるものを指します。それに対して、世間の役立つは上述の通りです。しかしいかなる研究も基礎なくしては成り立ちません。それに、将来なんの役に立つかはわからないまま始めた基礎的な研究の成果が我々の生活を豊かにしてくれることもあると思います。


僕が良くないと思うのは、専門家である研究者が自分が研究者であるという矜持を捨てて、世間の「役立つ」に靡くことです。日本が目指そうとしている大学のあり方は、このような流れを強制するものであって欲しくないです。すご~く個人的な意見ですが、応用の名の下に、世間を喜ばせるために似たような事ばっかりやって、それらの背後に潜むメカニズムを全く理解しようとしない輩は研究者としてどうかと思います。。。(苦笑)


我々の本分は、世の中にある様々な現象の真理を理解しようとする努力にあると思うので、基礎研究は大切だし、また日本(政治も含めて)も文化的にそのような基礎研究に対して寛容であって欲しいと思います。


ですので、高校生のみなさんには「役立つ・役立たない」で大学の学部を選ぶのではなく、自分の本当にしたいことを見極めて大学を選んで欲しいなぁと思っています。またどんな分野でも一生懸命勉強すれば、自分の将来に何らかの形で必ず生きてくると思いますよ。


という言語学の理論研究・基礎研究しかしない嶋村の言い訳でした。ではまた来週。