2018.12.04

添削の難しさ

この時期は、どうしても卒業論文の話題が多くなってしまいます。
今日は、何十本の卒業論文を指導しても頭を抱えてしまう添削について。

毎日のように次々と送られてくる卒業論文。
中には、「Ver.10」と記されているものもあります。
10回目の提出ということですね。

提出初回は、論文全体の流れがおかしくないか、論理性があるかなどをみます。
ここでは、細かい文法はあまりチェックせず、「主語と述語があってないよ」
「『を』ではなくて『は』だよね」「以降、同様だから自分で修正してね」
などなど、大まかな、そしてできるだけ執筆者本人が気づいて修正するように
助言します。

次のステップでは、出てきた結果の解釈に論理性があるかをしっかりみます。
例えば、何かと何かに相関があった場合、その関係性を説明できる根拠があるか、
ただ単に、関係があったという事実を重要視していないかを話し合います。
多くの場合、関係があったという「事実」を重要視しており、その関係性が
なぜ生じるのかを考察できません。これでは、研究とは呼べなくなってしまいます。

この段階を経て、大詰めに入っていくわけですが、執筆者の学生も疲労と焦りが
蓄積されていく時期にもなります。文章の「て・に・を・は」が乱れに乱れ、
同じことばの乱用が始まります。きっと、疲れもピークで、文字が目に入って
いないのかもしれません。「考えられる」「考えられる」「考えれる」と、
何十回も「考えられる」が使われていたりします。
これをどんどん添削していくと、紙面はもうまっかっか(赤字ばかり)。

これでは、誰の論文かわからなくなってしまうので、「これではいかん」と
思いなおし、最初から添削のやり直し。また、初回のころの添削方法に戻り、
できるだけ自分でおかしさを見つけて修正するように助言します。

そんなこんなで、気づけば「Ver.10」。
そろそろ仕上がりそうな数名。
執筆者のためにも私のためにも「Ver.15」あたりでの提出を目指します。