2019.01.22

責任について

組織に関する勉強会をしていることを前に書きました。
今は、公式組織における「責任」について読み進めています。
考えもしなかったような発想が次々と出てきて、頭がパンク状態ですが、私にとって得体のしれない「組織」の輪郭が少しずつですが、形になってきているような気がします。まだまだ分からないことだらけですが。

「責任」
そもそも、古代ローマにおける「責任」は、法廷において自分の行為について説明、弁明することを指していました。今は、失敗に対して保障する義務という理解が一般的です。すなわち、決められている規範にそって間違いなく、行為することを義務とする。これが前提条件となっているわけです。

ひとは、不確実・不十分な情報をもとに行為することがほとんどです。そもそも、真に確実な情報など存在しないということもできます。井戸端会議で得た情報に基づき、スーパーを選ぶ。知らない土地で、地元の人が勧めるホテルに泊まる・レストランを選ぶ、などなど、数えだしたらきりがありません。このような場合、不確実・不十分な情報が、真実か否かはわからないにも関わらず、決定(それにもとづいた行為)が意味を持ち始めます。これを、「不確実性の吸収」と呼びます。なるほどですね。

病気にかかったとします。患者はいくつかある治療法の選択・決定に悩むのは当然のことです。自分でもあれこれ調べますが、それは、不確実・不十分な情報に他なりません。また、医師からの情報や説明も確実な情報とは言えず、不確実さ・不十分さが残ります。しかし、「医師の勧め」が、最終的な決定に際し影響を及ぼすことは間違いありません。「医師の勧め」により最終的な決定をする。不確実・不十分な情報と決定(見かけ上の確実な情報と言い換えられるかもしれません)の狭間を埋める「医師の勧め」、これが「責任」ということになります。

このようにシステマティックに展開されている「ルーマンの公式組織の機能」の読解会。
まったく、専門外の私にとっては、脳の眠っている領域に刺激を与えてくれるようで、わくわくします。
難しいけど、チャレンジしてみたい。いつまでもそんな姿勢を大切にしていきたいと思います。