リレーコラム

2014年08月01日

産業社会学部 准教授
景井 充

産業社会学部京北プロジェクトは何を目指しているか

1.はじめに ―― 産業社会学部であればこそ
以下、紙幅の都合もありますので、京北プロジェクトの活動の、ここではとりわけ理念的な趣旨を中心にご紹介しますが、産業社会学部では、京北プロジェクトの他にもたくさんのプロジェクトが継続的活動を展開していることを、まずはご承知おきいただきたいと思います。たとえば地域づくり系でいいますと、「時は今だプロジェクト」は、地域の自立と持続可能性を可能とする手立ての一つとして小水力発電の導入を発意・構想した岐阜県上石津町(時村)で、地域研究の蓄積を作りつつ、その実現に向けたプロジェクトを推進しています。大学院では、中山間地域に集約的に現象している今日的社会問題群 ―― 少子化・高齢化・人口減少・産業の衰退・地域間格差の増幅等々、一言でいえば地方地域社会の衰亡の危機 ―― を押さえた上で、むしろ中山間地域にこそ未来社会の可能性を拓く可能性が宿っていると見立て、「フロンティア・デザイン」と銘打って、近未来の日本社会の構想づくりに取り組んでいます。これら二つのプロジェクト以外にも、スポーツによる地域づくりプロジェクトなど、ゼミ活動や企画研究また自主ゼミといった多様な活動形態でさまざまな活動が展開されています。2013年度から2014年度にかけて、こうしたプロジェクトや活動に関する集約を学部内で行ったところ、35件にものぼるプロジェクトや活動が進行中ないし構想中であることが、ひとまず把握できました。実際の数がこれを上回っていることは間違いありません。そもそも“社会問題学部”の性格を強く持ち、したがって学習・研究活動が本質的に学内外にわたって展開し社会的なものとならざるを得ない産業社会学部の教学的アイデンティティを、とてもよく現していると思います。したがって、「りつまめ納豆」で思いもよらず目立つ存在になってしまっていますが、京北プロジェクトが産業社会学部におけるさまざまなプロジェクトや活動の一つに過ぎないことを、まずはお伝えしておきたいと思います。京北プロジェクトは、産業社会学部のユニークな教学的特性や半世紀に及ぶ歴史的蓄積、そして自由な“コトおこしの気風”がなければ、決して誕生することはなかったと思います。
2.京北プロジェクト ―― 地域振興活動として
そのうえでここでは、そうはいっても地域づくりや経済分野の専門家でもない門外漢(私の専門は草創期フランス社会学の社会思想史的研究です)がそのようなプロジェクトに取り組むからには何か期するところがあってのことであろうというご推察にお応えして、京北プロジェクトの日々の活動を続けながら考えてきている教学的テーマについて、今回はご紹介させていただきたいと思います。
  京北プロジェクトは、2008年2月にNPO法人フロンティア協会(京都市右京区)との間に教学的包括協定を取り結び、地域貢献と教学開発を併せて目的とする学部の正式な取り組みとして発足しました。以来、幸い現在まで活動を発展させつつ継続することができています。「りつまめ納豆」で思いの外知名度が高くなってしまいましたが、実際、一般市場に立命館発の商品がこれだけ長期間かつ広範囲で販売されるのは初のようですし、京都市内を中心にお陰様で月販1万1千~2千パック程度の販売数を安定して記録し続けておりまして、皆さんにコンスタントに購入して頂いているのは大変に有難いことだと思っております。幸い事故もなく現在に至っておりまして、昨年の夏から、台湾に輸出されるという幸運に恵まれたりもしています。
ところで、この間の活動を通じてまざまざと痛感させられていることは、京都の老舗の商いの実力です。大規模化と価格競争の世界とは違う、長い時間をかけて蓄積されてきた(「りつまめ納豆」の製造元森口加工食品(京都市北区)は明治10年創業で、納豆業界の中では本邦屈指の老舗)モノづくりの卓抜な技術(「りつまめ納豆」は昨年、全国納豆工業組合連合会の鑑評会で、準優勝にあたる農林水産省食料産業局長を受賞)にも、信頼関係によって創り上げられた仲買や小売店との篤い関係にも、感動を禁じ得ません。日々の暮らしを支える、老舗ならではのモノづくりの営みの力量と貴さを感じずにはいられません。学生たちにも、せっかく京都で学んでいるのですから、そうした老舗のモノ作りの営みの実力と素晴らしさを感じ取り学んでもらえればと思っています。
とはいえ、京北プロジェクトは「りつまめ納豆」を作って販売することを最終目標としてきたわけではもちろんありません。他の中山間地域と同じようにさまざまな地域課題を抱えている京都市右京区京北地域(旧京北町)の地域活性化・地域振興を目指し、農商工連携という形の公益的な地域資産を地元にこしらえることを、最終目標のひとつとしてきています。ご他聞に漏れず、あの平成の大合併で京都市の一部になって以来、京北も“着実な”人口減少にさらされていますし、長年月にわたって基幹産業であり続けてきた林業(京北は一級の銘木「北山杉」の産地)は危機的状況に、農業もまた将来展望を持つことの非常に難しい状況にあります。京北プロジェクトは、そうした状況にある京北の地に関わらせていただき、地域の歴史的・文化的資源を活かした事業活動の創造に取り組むなかで、地域社会の存続を可能とする殖産興業的方策を、今日的な形で実践的に探究し続けたいと考えています。
本年度は、造り酒屋とのコラボで日本酒造りを始めましたし、立命館生協と連携して地産地消・食育をテーマとする活動 ―― 名付けて“食の里親プロジェクト” ―― を本格化させました(衣笠キャンパスの以学館前と西広場で週2回開催している「京北マルシェ」はその取り組みの一部です)。はたまた、納豆をお餅に挟んだ納豆餅 ―― 起源は“花びら餅”との説があります ―― は京北の由緒正しきソウルフードですが、学生たちとその現代的商品化に取り組んでいます。最もスケールの大きなプロジェクトとしては、廃校になった旧小学校の校舎をグリーンツーリズムの拠点を中心とする地域創造の複合施設として再活用する構想作りに、学生たちと取り掛かりました。さらに、来年度は多目的な利用を可能とする里山作りを始める予定です。こうして並べてみるといろいろなことをバラバラにプロジェクト化しているようにも見えますが、もちろんそんなことはありませんで、一貫したテーマがあります。それは、私の言葉で言いますと「富を生む公共財を創造する」ということです。もちろん「富」にもさまざまな形があるわけですが、社会の再設計や公共圏の再構築というかなりラディカルな変革が求められ、また試みられている我が国の今日的状況の中で、新しい形の公益的事業を作り出すことはできないかというのが、京北プロジェクト主宰者としての、根底的な課題意識としてあるものです。
3.京北プロジェクト ―― 大学教育の開発活動として
  そうした課題意識を持ちつつ活動に取り組むなかで、また併せて、それ以上に大学教育の側面から考えていることは、いわゆるユニバーサル段階を迎えたと言われている我が国の大学において、その教育活動の中で学生たちに何を教えるのか、何を訓練するのかということです。「<教育>から<学習>への転換」という世界的な動向の中で、新たな<学習>を誘導する仕掛けとしてPBLや反転授業などが盛んに議論され実践的に研究されてもいるわけですが、問題の中心はそうした技法の如何にあるわけではもちろんなくて、それをいかなる知的・精神的能力の開発/解発機会を提供するものとして用いるのか、ということにあります。「<教育>から<学習>への転換」と言っても、旧来型の注入主義的教育の枠組みや文化の中でその転換を図ったところで、単なる重点を置くポイントの移動にしかならず、例えば「先生に言われる前にちゃんと掃除しておくように」といった初等・中等教育の“いい子養成型”教育パターンをむしろ強化するだけで終わること確実です。端的に言えば、「大学教育の中等教育化」を招来することになる危険性が高いと思います。そこから生まれてくるのは、逆説的な「成果」としての「“有能な”指示待ち人間」の大群でしょう。大学教育改革は依然として精力的に進められていますが、その実態において実は予定調和化が強化されるという事態が進行すれば、今日および将来における歴史的・社会的世界のありようからの乖離をむしろ拡大してしまう恐れが多分にあります。
  大学教育のいわゆる「質保証」をめぐって文科省とその周辺から出される文書において、二つの異なる方向性を看て取ることができます。上述のように高等教育を初等・中等教育化し、知性を既知の情報の中に囲い込む方向性(象徴的にはシラバス通りの講義の徹底)が推し進められている一方で、平成24年3月26日付で中教審大学分科会大学教育部会が出した答申文書のタイトル「予測困難な時代において生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」が示しているような、知識量とは異なる次元の主体的知性のありかたを志向する方向も提起されています。中教審の答申文書が結論において示す二つの方向性の双方あるいはいずれが妥当なものかということは別にして、グローバル状況下での今後の日本社会の不透明化・不安定化への認識がその出発点にあり、大学教育を含めて従来の教育活動のあり方では、そうした状況に対応しつつ昨日とは異なる明日を切り拓いていくことは不可能だ、という認識があることは確かです。そしてそうした能力が、予定調和型の教育活動の中で育成されると考えることは、なんとしても難しいのではないかと、自分自身の被教育経験・学習経験も踏まえて、思うわけです。
人口減少に拍車をかけられて、大学教育のユニバーサル化すなわちいわゆる“大衆化”は今後一層その度を加えていくでしょう。上述のような初等・中等教育によって<近代化>に成功した我が国では、その“成功体験”への「自負」と「自信」から、大学教育においてもそのやり方 ―― 管理教育化への危険を孕んだやり方 ―― を繰り返す保守的傾向が支配的となるものと思われます。実際、大学教育の「質保証」をめぐって展開している状況は、その方向にあります。しかし、グローバル化と保守化が同時に進行する錯綜した社会的状況のもと、私たちの目の前にいる学生たちが、不透明化・不安定化の度を増す社会・経済的状況の真っ只中で彼ら自身の未来を切り拓いていく上で重要なのは、予定されている既知かつ抽象的な「正解」に効率よくたどり着く予定調和的知性ではあり得ません。さらには現存の社会的秩序への同調を顕在的・潜在的な前提とする知性、つまりは適応主義的な、その限りで主体的な知性や態度でもあり得ません。彼らにこれから必要となるのは、現存の社会的世界の内側から、その諸々の経緯や制約を踏まえた上で、<状況的な正解>すなわち「ローカルな最適解」を生み出すことで新たな社会的世界を創造していくことのできるような、<内破型>の知性であると、私は考えています。この<内破型>の知性は、従来のように学術知を教えれば獲得できるという性質のものではありませんし、学生たちの自主的な諸活動に任せていても、その獲得は実現しないでしょう。社会的次元においてイノベーションを起動することのできる知性の獲得には、指導者による意図的・計画的なトレーニングが絶対に必要です。
「<教育>から<学習>への転換」という言葉を本邦において空語にしないためには、<学習>はそうした新たな内実を持つべきものだと私は思っています。そして、学生たちのそうしたイノベーティブな知性の訓練の場として京北での活動が役立つことができれば嬉しいことだと、考えているところです。例えば、法学部の学部創りと産社の学部創りとに上下優劣はなく、それぞれの「最適解」をそれぞれの学部で見出すしかないのであって、それは世の中一般でも同様なのだと、学生にはよく言います。大小さまざまな“状況”に即した「最適解」を生み出す当事者性や当事者能力を、学生たちに獲得して欲しいと願っているところです。自身は安全な場所にいて批判的言説を弄ぶ評論家的局外者には、現実世界に変革を起こし、新しい社会と歴史を創ることはできません。京北プロジェクトでは、プロジェクト活動を自分たちで推進していくことを通じて、「最適解」を生み出すための社会的認識能力や洞察力、そして現実化能力を培ってほしいと念願しています。こうした問題意識に即して言えば、京北プロジェクトは、実に不遜にも、高等教育活動の開発の試みでもあるということになりましょう。
4.大学の“大衆化”を意味あるものとするために ―― 本学のポテンシャル
  約言しますと、京北プロジェクトは、単なる弱者救済的な対応ではなく、むしろ創造的な未来志向のオルタナティブを要請している“現場”のひとつとして中山間地域京北を捉え、京北の未来を創造する地域振興・地域活性化の取り組みと、学生たちの創造的な知性と精神を開発/解発し得る高等教育活動の実践的開発の試行とを重ね合わせる形で、活動を続けていると、そういうことになろうかと思います。中山間地域をはじめとして日本社会全体が様々な次元や領域で創造的な再設計を必要としており、現在私たちの目の前にいる学生たちはほとんど運命的にそれをやり遂げざるを得ません。したがってそれを可能とする知性と精神を形作るために新たな訓練手法が必要で、そうした訓練の機会を提供する営みは大学教育しか引き受け実践することはできないと、私は思います。そしてそのために、大学自身もまた内発的イノベーションを果たして自己変革・自己成長を遂げねばならないと、考えているわけです。
  大学へのアクセスがユニバーサル段階を迎えたことを大学の危機と捉える論者もいますが、私はそうは考えません。大学が広く国民の共有財となることは非常に有意義だと思います。そのうえで、ユニバーサル段階に相応しい大学教育を創造する労を大学は厭うてはならないと、私は思います。立命館大学の人材養成の伝統は<優秀な現場人> ―― もとより“現場”は多種・多次元ですが ―― を多数輩出してきたことにあると、10年余りこの大学で仕事をしてみて、私は強く感じるとともに共鳴しています。この伝統は、上述のような同時代的・歴史的状況に際会している我が国の今日的状況において、ユニバーサル段階における大学教育を開発するうえで絶好の“基盤”であり“資産”であるのではないかと思うのです。そして本学でその範を具体的に示すことができれば、大学教育全体の未来へ貢献するところ、必ずや大なるものがありましょう。
  産業社会学部京北プロジェクトは、「りつまめ納豆」でやや目立っていますが、まだまだ不完全で規模も小さな活動です。とはいえ、上述のような二重の問題意識を持ちながら、今後も具体的な活動を展開しつつ、着実に“模索”を続けていきたいと考えています。本稿がサービスラーニングセンターのコラムに相応しいものかどうかとても心許ないのですが、「サービスラーニングにおける“ラーニング”とは何か?」という本質的な問題へ何らかの形で答えばねばならないという真摯な課題意識が、本センターの活動に真摯に取り組まれている教職員の皆さんの頭を領しているがゆえに、私どもの京北プロジェクトに関心を寄せて下さったのであろうと勝手に推測して、京北プロジェクトに取り組みながら形作ってきた問題意識と取組みの様子を、若干ご紹介させていただきました。