コラム

Column

冒険的なサービスラーニングへ

シチズンシップ共育企画 代表 川中 大輔
■「希望」としてのサービスラーニング
 2001年、21世紀最初の年は、私にとって「サービスラーニング」という概念と出会う一年となりました。私が副理事長を務めていた教育NPOが、JUCEE(日米コミュニティ・エクスチェンジ)主催「NPOP(NPOパスファインダー・プログラム)」を通じて、Center for Service-Learning Opportunities in Educationのスーザン・ストレートさんをインターンとして受け入れることとなったのです。また、2001年は日本が国連で提案して定められた「ボランティア国際年(International Year of Volunteers)」だったのですが、そのことを記念して、内外学生センターから刊行された『大学とボランティア』にサービスラーニングに関する論文(佐々木, 2001)が収められており、同書を通じて理論的な理解も深める手がかりを得ました。
 スーザンと共に活動しながら、私は「サービスラーニング」という概念に教育改革の希望を見いだしていくこととなります。当時、私は自らが取り組む実践の深化を目指し、野外教育や不登校児童支援、NPOという社会組織、そして市民社会といったテーマへの関心が醸成されていき、そのアカデミックな探究により実践が深化していく、そのような実践と理論の往還の手応えを感じていたのでした。加えて、多くのチェンジメーカーとの交流を通じて、様々な社会問題への関心へも喚起され、そうした問題を解決し、新たな社会の創造過程に自らも参与しうる気づきも得ていました。
 活動と学習を統合することで「学びからの逃走」(佐藤, 2000)に対抗でき、その活動が公共的なものであれば、21世紀社会の重要な課題である「市民社会の創造」も実現する。日本でボランティア学習(興梠, 2003)と呼ばれていた動きの可能性を世界的な潮流の中で捉え直せたことは、その後の普及への意志を固くする上で励みとなりました*i)
■サービスラーニングへの「失望」?
 2001年から約10年後、2012年から2年間、私はご縁をいただいて立命館大学の教員として、高等教育でのサービスラーニングの実践に関わることとなりました。
 実践の深まりと瑞々しい学びとが一体となった「SERVICE-LEARNING」では、学習者は自らがプログラムの生成者でもありました。しかし、正課科目として展開されているプロジェクトでは、学習者がプログラムの消費者となって、予定調和的な学びを獲得し、それ故に実践に深まりももたらせていない「service learning」となっているケースも見られました*ii)
 2003年にシチズンシップ共育企画を設立し、ノンフォーマル教育を舞台にサービスラーニングに取り組んできた私にとっては、フォーマル化の逆生産性(イリイチ, 2005)に直面することになりました。サービスラーニングに胚胎している可能性を削いでいる原因を探っていく営みが始まり、私は2つの問題に気づくこととなります。
■「PDCAサイクル」から「EIAHE’プロセス」へ
 その一つは、サンドイッチ型のプログラム設計(事前学習・実践体験・事後学習)です。マネジメントの基本として示されるPDCA(Plan-Do-Check-Action)サイクルの考え方に近く、世間一般でも理解されやすいため、広範に普及している型です。しかし、このサンドイッチ型のプログラムには、多くの問題を指摘することが可能です。その幾つかを挙げてみましょう。
 事前学習の段階で言えば、多くの学習者が実践体験を持たないため、興味関心や問題意識が現場に根ざして耕されておらず、動機づけに課題を負うことになります。実践体験段階でも、大学を「離れて」現場へ配置(placement)されるため、能動的な学習者を除けば、活動中のフレッシュな問題意識からシームレスにアカデミックな探究へと接続されません。立命館大学の「シチズンシップ・スタディーズⅠ」(地域活性化ボランティア)では、実践体験段階での分離への対策としてコアタイムが設けられていますが、その機能の仕方はプロジェクトごとに違いがあり、今後一層の改善が求められています。事後学習の段階では、現場を「離れて」大学に戻ってくるため(そして現場に再び戻らない想定)、省察を通じた気づきや学びは、現場での活動にフィードバックされにくく、また、学習者にとっても自らの気づきや学びの確からしさの検証が難しくなります。



 デューイ(1975)は「思考と呼ばれる発展的経験の最初の段階は経験である」と述べています。体験学習の循環過程を示したEIAHE'プロセス(Experience-Identify-Analyze-Hypothesize-Experience)においても、その最初に来るのは「E」です(津村・山口編, 2005)。こうした経験学習論に立脚して検討すれば、「思考」を先行させるサンドイッチ型の設計に難があることがより明らかとなります。大学と現場の連携(partnership)をより強くする流れを描いてみると、図1のように活動と学習が常に同時に取り組まれ、行き来する型になります。ここで重要なことは、まず実践体験に取り組み、その中で生じた問題意識に沿って学習活動を学習者と教員が共に組み立てるところにあります。プログラムの早い段階で、活動と学習の往還を体験することで、リアリティをもってサービスラーニングの価値を獲得できるからです。
 もちろん、このような予測不可能な「冒険性」を有するサービスラーニングをフォーマル教育で展開することは容易ではありません。教育目標や授業計画の事前設計で困難を伴うことから、教学的な位置づけでの課題が生じることでしょうし、学習課題が担当教員の専門分野に限られないため、実践体験のみならず、学習段階に置いても、学内外の専門家との連携も必要となり、コーディネートを支援する体制面での課題も生じてきます。しかし、サービスラーニングのポテンシャルを顕現させるためには、実現可能な方法を探っていかなければならないでしょう。
■正課/正課外の「分離」から「連動」へ
 正課外教育は単位認定を行わないことから当然に自由度が高く、正課教育では困難を伴う柔軟な展開も可能です。この特性を活かして、正課教育の限界を乗り越えていくことが求められるのですが、正課教育と正課外教育が分離し、連動性が低いことが一般的です。これが二つ目の問題です。
 正課/正課外それぞれの特性を踏まえた連動には、どのようなものが考えられるでしょうか。例えば、期間限定的な正課外教育活動への参加を導入と位置づけ、本格的な実践を伴う正課教育のプログラムへ誘うという連動も考えられるでしょう。また、有期性を伴う正課教育のプログラムを導入と位置づけ、そこで彫琢された問題意識を「ばね」にして、学生が自主的に取り組む活動を支援する正課外教育を展開する連動も考えられるでしょう。
 1940年にアメリカにおいて、シティズンシップ教育の効果的なプログラム発達に向けてまとめられた“Learning the Ways of Democracy”(合衆国国家教育協会ほか, 1949)では、社会活動への学生の参加には次の四つの型があるとしています。
 (1)大人によって企画され指導された遠足や旅行、調査によって社会の状態や問題を直接的に知る
 (2)大人の指導のもとに行われる社会活動に学生が参加して行動する
 (3)学生が大人と責任をわかち合いつつ企画し実行する
 (4)学生がイニシアティブをとり、大人の意見を利用して実行し、その責任全部も学生が負う
 この内、デモクラシー教育としての要件を充たしているものは、どのような活動を行うのかという意思決定への参画過程を伴っている後者の2つであり、前者の2つはその導入的/予備的なものと位置づけられています。正課教育から正課外教育への橋渡しは、シティズンシップの涵養の面からも、その必要性を確認できます。サービスラーニングが他のプロジェクト型の教育実践と異なるのは、その核にシティズンシップの次元が強く位置づいていることであり(ファーコ, 2013)、その次元から求められる正課/正課外の連動を描くことが肝要と言えるでしょう。
■改めて、サービスラーニングへの「希望」
 冒頭で2001年に「サービスラーニング」という概念と出会ったと記しました。しかし、その学びの経験は1991年に遡ることができます。私の通った小学校は、日本のデューイとも称された及川平治によって据えられた教育哲学を大正時代から実践しており、実際、私が5年生の時に受けた環境教育のプログラムは見事なまでにサービスラーニングの取組となっていたのです。まず川の水を汲み取りにいく体験から始まり、その科学的分析や水質汚濁の歴史的学習などへ進み、対策としての廃油石?運動の実践へと展開されていきました。この経験が今の私の生き方に大きな影響をもたらしています。ですから、サービスラーニングへの希望を失うことはありません。どのような教育実践も完璧なものはなく、常に何かしらの問題は伴います。本稿でも2つの問題を指摘しましたが、そうした問題を前にして嘆くのではなく、果敢に解決していくことを大切にすべきでしょう。
 小学校5年生の時に、心が揺さぶられた本の一節を最後に紹介します。これからもフォーマル教育/ノンフォーマル教育の両方でのサービスラーニングの取組を通じて、この気づきを学習者と分かち合っていきたい。そう希っています。
 「わたしたち人間は、問題を作りだした原因であると同時に、事態を好転させていく主役にもなるのです。」(THE EARTH-WORKS GROUP編, 1990)

【参考文献】
 デューイ,ジョン 1975 『民主主義と教育(上)』(松野安男訳)岩波文庫
 ファーコ,アンドリュー 2013 「サービスラーニング:学習資源としてのコミュニティ」(荻野亮吾訳)、OECD教育研究革新センター編『学習の本質』(立田慶裕・平沢安政監訳)明石書店
 合衆国国家教育協会・アメリカ学校管理者協会・教育政策委員会 1949 『デモクラシーの教え方・学び方』(並河亮訳)リスナー社
 イリイチ,イバン 2005 『生きる意味』(デイビッド・ケイリー編, 高島和哉訳)藤原書店
 ジャコビー,バーバラ 2009 「こんにちの高等教育におけるサービスラーニング」(山田一隆訳)、桜井政成・津止正敏編『ボランティア教育の新地平』ミネルヴァ書房
 興梠寛 2003 『希望への力』光生館
 佐藤学 2000 『「学び」から逃走する子どもたち』岩波書店
 佐々木正道 2001 「アメリカ:サービスラーニングへの取り組み」、内外学生センター編『大学とボランティア』内外学生センター
 THE EARTH-WORKS GROUP編 1990 『地球を救うかんたんな50の方法』(竹内均監修・土屋京子訳)講談社  津村俊充・山口真人編 2005 『人間関係トレーニング(第2版)』ナカニシヤ出版


  1. 2011年11月には、シンポジウム「教育改革におけるサービスラーニングの役割」をキャンパスプラザ京都で開催し、こうした考えを世に問うことにしました余談ですが、この時にコーディネーターをお願いしたのが、大学コンソーシアム京都にて「NPOスクール」をプロデュースされていた山口洋典さんでした。
  2. サービスとラーニングの結びつき方によるサービスラーニングの類型化については、シグモンの議論を踏まえたジャコビー(2009)参照。
ボランティア|サービス・ラーニング|VSL研究会
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