コラム

今しかできないこと

 初めて、このコラムを担当します。4月から学生サポートルームで勤務し始めて、久しぶりに大学という場所に足を踏み入れました。いろんな方に話をうかがいながらよく考えるのは、「自分が大学生の時はどうだったかな」ということです。
 単位は必要最低限、取っていました。仲の良い友達もいたし、人間関係の距離感に悩んだりもしました。将来の夢も漠然とありました。それでも結局何をしていたかと問われると、「旅に出ていた」としか言いようがありません。実際に旅に出ていたのは1年間のうち2ヶ月程なのですが、旅が1年の基準で、今でも旅の印象が強いのです。

 貧乏旅行をする、というよりも、なるべくお金をかけない旅行を計画したら結果的に貧乏旅行になってしまうサークルに入っていました。どこを旅したのかと聞かれると、富良野やら屋久島やら、いわゆる観光地の名前はいくらでも出てくるのですが、日常生活の中でふと思い出すのはそういった観光地ではなく、名もない交差点や上り坂、静かな砂浜、薄暗いトンネル、ちょっと寂れたスーパーの風景です。いつどこで目にした風景なのかも分からないのですが、その時の天気、風の具合と一緒に、その頃考えていたことを思い出します。
 いろんな人に出会いました。汚さを見かねて泊めてくれた民宿のおばさん、双子の息子の区別がつかないおじさん、結局「めんこい」しか聞き取れなかった東北弁の家族、トラックの荷台に乗せてくれたおじいさん、夜の屋久島に分け入って行った高校生の男の子。今頃どうしているかな、と思います。民宿は津波で壊れたけど、おばさんは元気なようだし、トラックのおじいさんは今でも絶品炒め物を作っているだろうか。あの高校生は、どんな大人になっただろうか…。
 私の記憶にあるあの道を、今も誰かが通っている。ちょっとだけ知り合ったあの人たちが、今もどこかで暮らしている。そう考えることが、私の思考の地平をさっと遠くまで広げてくれて、遠い土地に名も知らない自分の仲間がいるようで、嬉しくなります。今でも旅に出たい気持ちはあるのですが、時間的な余裕と体力と、それに気恥ずかしさが加わってしまい、なかなかあんな旅行をすることはできません。あの時、大学生の時期にしかできないことをしていたのだな、としみじみと思います。

 過去のことを振り返って足が止まり、先のことを考えて足がすくむこともあると思います。そんな時、今しかできないことを思い切りやってみる、というのも一つの在り方かもしれません。今しかできないことにどんな意味があるのかは、おそらく、後からじわじわと分かってくるのだと思います。

学生サポートルーム カウンセラー