コラム

はじめの挨拶にかえまして ~妖怪・歴史・街のイメージの更新について~

 お盆のシーズンになると、京都の京福電鉄(いわゆる嵐電)には「妖怪電車」なる妖怪を乗せた電車が走り、私にとってはそれは夏を実感させるものになります。水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』を子どもの頃見て育った世代の特徴なのか、個人的な興味関心なのか、「妖怪」という言葉は、常に何か私を引き付けるものがあるようです。
 今年の4月からOICに来させていただくようになって、茨木駅に降りることが多くなると、朝の出勤のあわただしさの中でも、頭の片隅には「茨木童子のいた地に降り立った」との思いがあります。かの有名な京都大江山の鬼、酒呑童子(しゅてんどうじ)の一番の子分。頼光四天王の一人、渡辺綱に片腕を切り落とされた、あの茨木童子です(皆さんも当然ご存知のことと思います)。確か、どこかの橋の欄干には茨木童子の石像がありましたし、茨木市の飛び出し坊や(子どもに、車の注意喚起をする看板)は、通常、道路に飛び出そうとしている子どもの絵ですが、茨木市で飛び出そうとしているのは、茨木童子です。茨木童子が飛び出してきたら、むしろ車が壊れます。

 歴史、特に幕末が好きな人は、先斗町のあたりを歩いているときに、幕末期に不逞浪士たちが徘徊しているのをイメージしたりしませんか?それを取り締まる新撰組のイメージとか…(私はします)。熱狂的な阪神タイガースのファンは、阪神甲子園球場に聖地の神々しさを感じませんか?打者の特徴に合わせて獲物を狙うようにするすると守備位置を換え、打者の打った白球が舞い上がると、獣のような俊敏さで走り、即座に落下点に入り、フライを何事もなくキャッチする外野手に、神を称える舞のような優雅さを感じたりしませんか?

 何気ない街の風景でも、私たちがそこから感じ取っているものは、当然ですが、お互い全く違うのでしょう。人がそれまで得てきた知識、興味、経験、思い入れ、そういったものが、街に投影されていろどりを与え、街は「その人だけの街」へと変貌していきます。妖怪好きにとっては、茨木は「茨木童子のいた地」であり、戦国時代好きにとっては「豊臣秀頼の忠臣、片桐且元が治めた地」かもしれないし、スイーツ好きにとっては「ハワイアンパンケーキの名店○○がある地」かもしれません。その他にも、好きなあの子が住んでいたり、交通違反で警察に取り締まられたり、ポケモンGoでレアポケモンをゲットできるスポットがあったり。そうやって、街のイメージは複合的に積み重なっていきます。OICに来させてもらうようになって、私の中の茨木のイメージは茨木童子がいるだけではなくなり、「私が働いている地」へと更新されました。この茨木という土地が私にとって良いイメージのままであるような未来を期待したいと思います。

*このコラムは2018年5月に執筆されたものです。
 この度、大阪北部の地震により被災された皆様に、心からのお見舞いを申し上げます。

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