コラム

チンパンジーの話

 いまさら言うまでもないことだけれど、チンパンジーはとても賢い動物である。日本ではチンパンジーをはじめサルの研究が伝統的に盛んなためもあり、私はそれらに興味をもってきた。類人猿の研究はそれ自体について明らかにすることだけではなく、人間について理解を深めるのに役立つと考えられている。それは、人間と似ているが違いもあるものと比べることで、人間を相対化してとらえることができるからだろう。そこで、チンパンジーについての知見をいくつか紹介しよう。  
 こんな研究がある。人が「水差しの水をコップに注ぐ」という動作をして見せたとき、どこに注目するのかを調べたところ、チンパンジーは水差しからコップに水を注ぐ「手の動き」を注視する傾向が強かった。同じ動作を人間に見せたところ、手の動きにも目を向けるが、それ以上に注目するのは水差しの水をコップに注いでいる人の「顔」だったという。この傾向は幼児にも認められた。つまり、人間は小さいころから人の顔を観察することでさまざまな情報を得ようとする傾向あるいは能力があるらしいのである。  
人間はどのようにして人の顔に注目するようになるのかを示唆する次のような指摘がある。チンパンジーは、赤ん坊のとき、母親と長時間くっついて過ごす。こうして母子の愛着関係が形成される。しかし、赤ん坊は母親のおなかのあたりにしがみついていることが多く、母子が顔と顔を向き合わせることはほとんどない。これに対し、人間は赤ん坊のとき、母親と顔が向き合う機会をとても多く持つ。それは授乳のときだけではない。母親は、着替えさせるときやおむつを替えるとき、あるいはあやすときや寝かしつけるとき、赤ん坊に自分の顔を見せ、赤ん坊の顔を見る。そのような機会が生まれるのは、人間が赤ん坊を仰向けに寝かせた形でいろいろ働きかける習性があるためである。人間は赤ん坊を仰向けに寝かせる唯一の動物なのだそうである。  
 赤ん坊を仰向けに寝かせるという、われわれにとって当たり前のおこないが、顔と顔を向き合わせ、見つめ合うという人間行動の基盤になっているというのは興味深い。そうすると、ではなぜ、そしていつごろから、人間は赤ん坊を仰向けに寝かせるようになったのだろうかという疑問が生じる。赤ん坊をこのような姿勢にして赤ん坊と関わるためには、いろいろな意味でゆとり(つまり、ゆったりとした時間が持てるような状況)が不可欠だろうという気がする。このような点についての解明は、人類学がいつか成し遂げてくれるかもしれない。目下、人類学は日進月歩のようで、研究手法の進歩によって、これまでの説が確かな説得力を持って次々と覆されつつあるようだから。
 もう一つチンパンジーの研究について紹介しよう。チンパンジーは学習能力が高く、課題に正しく反応したらおいしい食べ物を一口もらえるという条件下で、かなり高度なことまで理解できるようになるという事実がある。たとえば、1から10までの序数を覚えることができるが、これについて驚異的な能力を持つことが明らかになった。訓練を受けたチンパンジーは、大型テレビほどの画面に1から10までの数字がランダムに提示されると、それを瞬時に記憶し、数字が消えた後も、1、2、3…という順に「さっき数字が提示されていた場所」を正確に指させるのである。しかも、ランダムな数字配列を提示される時間が1秒未満というごく短い時間であっても、この課題をいとも簡単にやってのけるのだという。ちなみに、比較対象となった某有名大学の学生は誰一人この課題をクリアできなかったそうである。  
 上記のことから分かるのは、チンパンジーが視覚情報を処理する高い能力をもっているということである。これに関わって、次のような研究もある。チンパンジーとよく似たサルにボノボというのがいる。チンパンジーより小柄なのでピグミー・チンパンジーとも呼ばれている。ボノボに言語を学習させた有名な研究では、絵文字をたくさん用意し、それを学習させた。すると、ボノボは複数の絵文字を次々に指さして「文」を構成し、さまざまな要求を「言葉」で表現できるようになった。感情に関わる文さえ作ることができた。一方、簡単な英語なら耳で聞いて理解でき、たとえば、“What kind of food do you like?”と聞かれると、“banana”を意味する絵文字を指さすことができた。しかし、人間とは声帯の構造がまったく違うので音声言語を使える(つまり言葉を「話す」)ようになることは期待できないのだという。そこにボノボの限界がある。  
 最後にチンパンジーの話をもう一つ。あるチンパンジーが腰痛になり、寝たきり生活を余儀なくされた。しかし、気分的には少しも落ち込まず、明るく(?)過ごしたらしい。人間なら、こんなとき「こんな生活がこの先もずっと続いたら自分はどうなってしまうのだろうか」などと思い悩み、落ち込むのが普通ではなかろうか。では、チンパンジーが寝た切り生活になっても落ち込まなかったのはなぜか。それは、「将来の自分について考える能力」をそもそも持っていないからであるらしい。逆に言えば、人間はいろいろなことを考える能力を持つがゆえにいろいろと悩みも生じるのである。  
あれこれ思い悩むことがあったら、チンパンジーのことを考えてみるのもいいのではないか。人間である自分という存在をちょっと相対化して見直すきっかけになるかもしれないからである。  
 What kind of worry do you have?

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