京都電灯と愛宕山鉄道株式会社く

打ち出の会・広報 田中 悟


■歴史的経緯

「電気事業の世界史は1870年代に遡る。そのころ欧米で発電機が実用化され、白熱電球も実用 化された。日本の電気事業は1886年の東京電灯の開業に始まるが、当初の発電力は数十kwという ものであった。90年代は主要都市に電灯会社が設立された。この頃の電気事業は火力発電主とす る電灯供給事業であった。しかし、ガス燈、石油燈にとって代わるものではなかった。それに代替 しうるようになるのは、20世紀に入ってからで、電球の改良と水力発電による発電コストの低下 によって電灯料金を低下させうるように」なった(引用:平凡社大百科辞典P.280)。

■電灯の流れ

電灯
明治−石油燈(GE製アルミニウム燈)
大正−炭素線電球⇒タングステン電球(太陽光に近いので大流行)

■発電所の流れ

旧来の発電所は水力発電が重視されていた。前回、見学した琵琶湖疎水も水力電力を京都に供給していた。 そのような背景からここ清滝にも発電所があった。この当時、発電は各地域、各地方ごとに自給自足してい たので、その後、電力会社が(M&A)され、現在に至る。電気鉄道事業は交通事業としての性格を帯びるにつけ、 民間に払い下げられた(現京阪電車)

■発電−電気供給−参拝のための電車−交通機関としての今日

明治−水力発電が主流(官民が一体となって外債を借り受け建設)
電柱は京都市 電力は公社
大正−火力発電を導入
大正15年 免許
昭和2年設立
昭和4年開通
愛宕山鉄道株式会社設立
「山城第一の高峰愛宕山は嶽だけとして京洛の西北に聳え、山頂の愛宕神社はひろく国民廼信仰を得て参詣者 引きも切らない」と京都事業百年史に記されるように参拝客のアシとしての需要を期待し設立したことが伺える。 設立後は水害などで無配当を続けるが、12年に比叡山開創記念法の執行により多額の配当を支払う。
CF.嵐山線−遊覧を主とする一電鉄
その後、交通機関として複線工事を行い、交通機関の大動脈となる(鋼索線は本邦初)。



Top Pageに戻る