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タイトル
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| 「イラク日本人人質問題緊急アンケート調査」の結果報告 | 安斎育郎 | 2004年4月14日 |
| イラク日本人誘拐についての国際平和ミュージアム館長見解 | 安斎育郎 | 2004年4月14日 |
| 「世界社会フォーラム」に参加して | 藤田明史(OB) | 2004年2月25日 |
| 「イラク-アメリカ危機についての館長声明」 | 安斎育郎 | 2003年3月19日 |
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「イラク日本人人質問題緊急アンケート調査」の結果報告 2004年4月14日 4月13日の「平和学」の講義において、イラク日本人人質問題に関しての学生の意識を問う以下のアンケートを実施した。ここに、その結果を掲載する。 ◇設問1:回答者についての質問 ◇設問2:いずれかの項目を選んでください ◇設問3:あなたは今回の事件についてどんな行動をとりましたか?(複数回答可) |
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「イラク日本人誘拐についての国際平和ミュージアム館長見解 2004年4月14日 (1)イラクでの日本人誘拐事件の事実関係 (2)イラクへの渡航に伴う危険性の判断 (3)脅迫的誘拐犯の意図とその影響 (4)事態の根本原因 以上 |
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「世界社会フォーラム」に参加して 2004年1月26日 私は、2004年1月16日から21日までインドのムンバイで開かれたWorld Social Forum(世界社会フォーラム、以下WSF)に、日本原水協代表団に加わって参加しました。合言葉は”Another World is Possible.”(「もう一つの世界は可能だ」)。様々な思念が渦巻いて整理して書くことはとうていできませんが、とくに強く感じたことを忘れないうちに記しておきます。 まず、既存の言葉や概念では把握できない何か――しかも世界の未来にとって第一級の重要性をもつもの――がここで確かに起こっていると強く感じました。何しろアジア・アフリカを主体に世界から集まった10数万の人々(もちろんインド人が大きな割合を占める)が、スラムに隣接する広い会場(工場か倉庫群の跡地のような場所)の埃と喧騒の中で、必死になって議論し、踊り、行進し、自分を表現しようとしたのですから。そのエネルギーは生半可な総括を拒否するものであり、これからじっくり自分の生き方と重ね合わせてそれを表現する的確な言葉を見つけ出さねばなりません。しかし同時にそれは、いま少しでも表現しておかないとすぐに分らなくなってしまう何かでもあります。 私は日本原水協が主宰する行事(被爆者の証言と原水爆禁止の署名集め)に参加するとともに、時間と体力の許す限りいくつかのワークショップにも出てみました。 深く印象に残ったのは”Make Tibet a Zone of Peace”(「チベットを平和地帯に」)と”Moving towards Peace in Kashmir”(「カシミールにおける平和に向かって」)です。仮設テントの会場に前者には約百人、後者には約二百人が参加していました(発言は英語とヒンドゥー語)。「チベットを平和地帯に」では、チベットの中国からの自立(autonomy)が主張され、とくに女性の活動家が目立ちました。パネラーの一人であるチベットの知識人(男性)のスピーチに、仏教学者としてガルトゥングの名が出てきたのには驚きました。若い中国人のインドへの留学生(女性)が、「私たちはチベットに巨額の資本を投下し、チベットの人たちを愛しているのだ」と発言しましたが、やや公式的でした。 カシミール紛争をめぐるワークショップでは、パキスタンからのスピーカーとして物理学者のP.フードボーイが招待されていたのには驚きました(私はピースデポの「印パ速報」に彼の論稿を掲載したことがあり、また横浜の集会でも彼に会いました)。フードボーイは、カシミールをめぐって印パ間に戦争が起こればそれは必然的に核戦争につながり(今まで4回その危険があった)、したがってカシミール紛争は何としても解決されなければならない、そのためには、心理的にいかに困難であっても、お互いが相手を認め合い共存するほかないことを理性的かつ情熱的に主張しました。会場のざわめきで発言が中断されましたが、司会者がここは議論の場だと発言を続けるよう促す場面もありました。発言が終わると彼は数人に守られるように会場を出て行きましたが、まさに命懸けで発言しているように私には思えました。インド人の発言も、ヒンドゥーおよびイスラム原理主義的な心情に訴える印パ両政府の政策を批判し、民衆レベルの対話を呼びかけるきわめて理性的なものでした。カシミール問題のような政治的にきわめて微妙な問題がワークショップのテーマとして取り上げられ、民衆レベルで活発に討論されている事実に、私はここにこそWSFの意義があると思いました。それを可能にしたのは、多くの国の人々がカシミール紛争に関心をもちワークショップに参加したからであり、このことをフードボーイも指摘していました。開会式でスピーチを行なったインド人女性作家アルンダティ・ロイをはじめ(彼女は、「アメリカのブッシュもわれわれとは正反対の方向に『もう一つの世界は可能だ』と考えている。批判だけではなく、われわれは行動を起こさなければならない。アメリカの製品をわれわれの生活から締め出そう」との趣旨の発言をしました)、ここで述べたような民衆の立場に立つまったく新しい知識人が力強く出現し始めていることに、私は強烈な印象を受けました。 「もう一つの世界は可能だ」と感性的に確信することはとても重要でまた絶対に必要なことです。それがなければ何事も始まりません(英語の表現としてはAnotherと言ったところが素晴らしい。これだと誰にでも分ります。並みの知識人であればAlternativeという言葉を使いたいところでしょう)。しかし、次の段階として、ブッシュのとは異なった、われわれが希求する「もう一つの世界」はいかにして実現可能か、という課題が出てくるでしょう。こうした問題の解決の筋道を理論化することがまさに知識人――もし知識人というものが存在するのであれば――に与えられた課題です。われわれの平和学もそれに実質的に貢献するものでありたいと思います(それ以外に平和学の存在意義があるでしょうか)。最終日にはムンバイの中心街を4キロほど行進しました。私はこのような大規模なデモは初めての経験で、感動しました。通りの両側の窓から住民が顔をだして行進を眺め、中には手を振る人もいました。原水協の横断幕を見たどこかの国のテレビ局に私はインタビューを受けました。歩きながらいくつかの質問に答えたあと、私は”The future is ours, not theirs!”(「未来はわれわれのものだ、彼らには未来はない」)と大声で叫んでいました。日本被団協の小西さんが、後ろを歩くインドの女性のグループに合わせて、”Koizumi, Down! Down!”とやり始めると、彼女らもつられて”Koizumi, Down! Down!”とやり始めました。 今回のWSFへの参加が私にとって心に残るものになったのは、行きと帰りの飛行機でたまたま隣り合わせた被爆者の75歳のおばあさんと、じっくり話し合うことができたからです。私には貴重な経験でした。75歳にもかかわらず、とても元気で好奇心が旺盛であり、皆がバスで帰ったあとも二人で残って、メーンステージで行なわれたローマのスパルタクスの反乱を題材にした劇を遅くまで見たりしました。ホテルまでタクシーで帰りましたが、低い目線で見る町の光景はすさまじいものでした。私が強く感じたのは被爆者とWSFに集まった政治的・経済的・文化的に抑圧された世界の人々とは何の抵抗もなく連帯し合えるということです(「被爆者の証言」への人々の敏感な反応、3000筆以上の署名が集まったことにもそれが表れていると思います)。それは”Expendables” (この言葉は被爆者の証言集会で誰かから発せられました。「棄民」とでも訳すのでしょうか)としての連帯です。そうした抑圧・搾取された人々が立ち上がり、異議をとなえ、さらに人間として生きる権利を積極的に主張することの中に、未来につながる希望があると私は思いました。 |
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「イラク−アメリカ危機」についての館長声明
「イラク−アメリカ危機」(あえてそう呼ぶ)で、世界史が逆流している。 |
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