常総市の伝統方言を構成する音は基本的には東京や埼玉などの関東地方のそれと同じです。東北地方に典型的な前鼻音(軽い「ん」が前に置かれるように発音する濁音、~b, ~dなど)はありません。その一方で、音の変化には東北地方の方言と共通の特徴があります。語中のカ行音とタ行音が有声化して濁音で発音される(「頭」が「あだま」、「書く」が「かぐ」と発音される)点や「ジビズブ」が無声化によって「チピツプ」になる(「座布団」が「ざぷとん」、「わずか」が「わつか」と発音される)点は、東北地方の方言と共通しています。
「座布団」が「ざぷとん」になる点で東北地方の方言と共通していると前の段落に書きましたが、正確にいうと常総市の伝統方言と東北方言では少し違う点があります。東北地方の方言では「座布団」が無声化した語形は「ざんぷとん」です(前鼻音の前半部分は上付きの「ん」で表すことにします)。関東の方言の濁音に対応する東北方言の音は前鼻音(この場合「んぶ」)です。「ぶ」の部分は無声化で「ぷ」になるのですが、その前にある「ん」が残っています。これに対し、常総市の伝統方言は前鼻音がないため、「ん」が前にない「ぷ」を含む「ざぷとん」になるわけです。
「ざんぷとん」か「ざぷとん」か、という発音の違いは、「ぷ」の前に「ん」があるかどうかの違いですから、小さな違いに思えるかもしれません。しかし、方言の音の体系全体から見ると小さな違いとはいえません。
日本語のハ行音(ha, hi, hu, he, ho)は、上代(奈良時代以前)のパ行音(pa, pi, pu, pe, po)に由来します。つまり、pがhになる変化を通して生じたのがハ行音なのです。pを排除する規則は歴史的な変化を引き起こしただけではありません。現代語においても「ん」と「っ」の後ろ以外の位置のpは排除される傾向にあります。pを含む単語はごく少数です。和語にはほとんどありませんし、漢語では、「散歩」[sampo]のように「ん」の後ろや「切符」[kippu]のように「っ」の後ろにだけ現れます。外来語の場合は「パスタ」「スパゲッティ」のようにpを含む単語がありますが、外来語は言語体系の中では周辺的な位置づけの単語ですので、pが排除される傾向は現在もあると言えます。
pを排除する傾向があるのは、常総市の伝統方言も同様です。それにも関らず、無声化でbから生じたpはそのまま残ります。「座布団」は「ざぷとん」とはなっても「ざふとん」とはなりません。東北方言のように前鼻音があるならば「『ざんぷとん』は『ぷ』のまえに『ん』があるから『ぷ』が『ふ』にならない」ということもできるかもしれません。しかし、常総市の伝統方言のように前鼻音がない方言の場合、このような説明はできそうにありません。常総市の伝統方言で「ざぷとん」の「ぷ」が「ふ」にならないことを説明するためには、pを排除する規則は無声化が適用される前の段階でだけ有効であるというふうに規則の間に順序付けがあることにしなければなりません。
ある規則が、それより後で適用されうる規則の結果にだけ適用されない現象は、現代の言語学では音韻的不透明性の一種とみなされています。音韻的不透明性は読んで字の如く文法を複雑にします。「ざぷとん」に見られる複雑な音韻現象の相互作用は、常総市の伝統方言が関東的な文法特徴と東北的な文法特徴をあわせもっていることによって生じているものと考えられます(この地方の方言で見られる音韻的不透明性の言語学的な意義については拙論Sasaki 2008で展開しております)。