図2.名詞形態法における伝統方言形式の継承
伝統方言の文法形式を自分でも使うとする生徒が全体に占める割合は多くありません。図1を見ると「褒めさせる」「上げさせる」「来(こ)ない」「降るだろう」「降らないだろう」といった標準語の形式のほうが伝統方言の形式よりも使用される傾向にあることがわかります。
「自分でも使う」を選択した生徒の割合は、伝統方言の文法項目全体で平均すると9.4%に留まります。品詞の区別に着目すると、動詞の形態法のほうが名詞の形態法よりも残存する傾向があります。以下に、使役接尾辞、カ行変格活用未然形、推量および否定推量の助動詞の伝統方言の形式について「自分でも使う」を選択した生徒の割合を示します。
褒(ほ)めらせる | 7.8% |
上(あ)げらせる | 8.7% |
来(き)ない | 8.3% |
(雨が)降っぺ | 25.9% |
(雨が)降んべ | 10.1% |
(雨が)降るべ | 25.1% |
(雨は)降らめえ | 13.8% |
(雨は)降るめえ | 2.5% |
平均 | 12.8% |
爺(ぢい)こと 起すべか | 9.5% |
銭はみんな、おめえげ やっておくべ | 1.6% |
おとっつぁらがにゃ 分かるもんかよ、そんなこと | 0.9% |
鬼怒川さ 行くつもりになったんでがすね | 12.9% |
そんぢや爺(ぢい)が 砂糖でも嘗めろ | 6.6% |
此の側(そば)な 小屋 | 4.4% |
平均 | 6.0% |
平均を見ると、伝統方言の形式について「自分でも使う」を選択した割合が、動詞形態法のほうが名詞形態法よりも2倍近く高いことがわかります。推量および否定推量の助動詞に関しては、前に来る動詞の形態が異なる形式を質問項目に含めました。「べ」の三つの項目はいずれも常総市の伝統方言にある形式です。一方、「めえ」の場合、「降らめえ」は伝統方言の形式ですが、「降るめえ」は「めえ」を使っているものの動詞の終止形を使っており古典語に近い形式です。表1では、「来(き)ない」の場合を除くと、接尾辞や助動詞といった付属形式が伝統方言と同形のものをすべて含めましたが、動詞の活用に関して伝統方言的ではない「降るめえ」を除くと、平均値は15.3%になります。
伝統方言の文法形式に関する知識を持っている生徒の割合は、伝統方言を自分で使っている生徒の割合よりも高く、平均で50.3%になります。伝統方言の形式について「自分でも使う」と「聞いたことがある」のいずれかを選択した生徒を伝統方言に関する知識を持っている生徒とみなし、「自分でも使う」と「聞いたことがある」の割合を足した数値を示したのが、以下の表です。ここでも動詞の形態法のほうが名詞の形態法よりも残存する傾向が見られます。ただし、動詞形態法と名詞形態法の知識の差は、上の表に示した使用の差に比べると、大きくありません。
褒(ほ)めらせる | 25.4% |
上(あ)げらせる | 35.9% |
来(き)ない | 51.8% |
(雨が)降っぺ | 85.2% |
(雨が)降んべ | 69.7% |
(雨が)降るべ | 85.1% |
(雨は)降らめえ | 73.0% |
(雨は)降るめえ | 37.2% |
平均 | 57.9% |
爺(ぢい)こと 起すべか | 50.8% |
銭はみんな、おめえげ やっておくべ | 31.6% |
おとっつぁらがにゃ 分かるもんかよ、そんなこと | 28.2% |
鬼怒川さ 行くつもりになったんでがすね | 77.9% |
そんぢや爺(ぢい)が 砂糖でも嘗めろ | 37.9% |
此の側(そば)な 小屋 | 29.6% |
平均 | 42.7% |
表1から表4のデータからわかることは、調査に協力した生徒の半数近くが伝統方言に関する知識を持っているけれども、自分自身で伝統方言の文法項目を使う生徒は1割程度に留まるということです。次に、動詞と名詞の形態法の詳細について述べます。
使役接尾辞/rase/は、使用する生徒の割合も知識を持っている生徒の割合も他の動詞形態法と比べて低くなっています。「褒(ほ)めらせる」を使う生徒の割合が7.8%、この語形を知っている生徒の割合が25.4%です。「上(あ)げらせる」を使う生徒の割合は8.7%、この語形を知っている生徒の割合は35.9%です。
カ行変格活用動詞の未然形も使用する生徒は8.3%と少ないのですが、「来(き)ない」という語形の知識を持っている生徒は51.8%であり、使役接尾辞/rase/を含む語形を知っている生徒の割合が高いことがわかります。
使用する生徒の割合も知識を持っている生徒の割合も高いのが推量の助動詞と否定推量の助動詞です。推量の助動詞の場合、「降んべ」が使用している生徒の割合と知識を持っている生徒の割合が低めですが、「降っぺ」と「降るべ」は使用、知識ともに高い割合になっています。なお、「降んべ」の使用と知識の割合が低めというのは「降っぺ」や「降るべ」と比べた場合であり、「降んべ」は他の文法項目と比べれば、使用、知識とも高い割合を示す項目です。
否定推量の助動詞「めえ」の付属した語形については、表1と表3のデータから、学校で学ぶ古典に出てくる形式に近い語形よりも伝統方言の語形のほうが、使用する生徒と知識を持っている生徒の割合が高いことがわかります。使用する生徒の割合に関しては、「降らめえ」は13.8%ですが、「降るめえ」は2.5%に過ぎません。知識を持っている生徒の割合も同様で、「降らめえ」は73.0%ですが、「降るめえ」は37.2%に過ぎません。学校教育で教わる「降るまい」に近い語形である「降るめえ」よりも「降らめえ」の割合が高いことは、この要素に関して伝統方言が継承されていることを示すものです。
格助詞の中で最も勢力があるのは、「さ」です。「鬼怒川さ 行くつもりになったんでがすね」という例文に関して「自分でも使う」を選択した生徒が12.9%いました。この割合は、否定推量の助動詞の伝統方言形式「降らめえ」を「自分でも使う」とした生徒の割合と同じです。知識を持っている生徒の割合も高く、77.9%でした。知識を持っている学生の割合に関しては、「さ」のほうが「降らめえ」よりも高くなっています。
次に勢力がある格助詞は「こと(ごど)」です。「爺(ぢい)こと 起すべか」という例文に関して「自分でも使う」とした生徒が9.5%いました。格助詞に関して、10%前後の生徒が「自分でも使う」としたのは、前述の「さ」とこの「こと(ごど)」だけです。「こと(ごど)」を知識として持っている学生の割合も「さ」に次いで高く、50.8%でした。「さ」と「こと(ごど)」については半数以上の生徒が知識を持っていることになります。「さ」と「こと(ごど)」は関東地方から東北地方にかけて広くつかわれている格助詞です。
「さ」と「こと(ごど)」以外の格助詞は、使用する生徒の割合も知識を持っている生徒の割合も低いのですが、「さ」と「こと(ごど)」の場合と異なり、使用と知識で順位が入れ替わる場合があります。使用する学生の割合に関しては、以下に示すように連体修飾格助詞が高い位置付けになります。
一方、知識を持っている学生の割合では、「な」が順位を下げ最下位になっています。
「さ」と「こと(ごど)」以外の格助詞は、その分布が限られています。「が」「な」「げ」「がに」のうち最も広く分布する格助詞は連体修飾格助詞「が」ですが、『方言文法全国地図』をみると東日本では関東から東北地方の南部(福島県)まで点在しているだけです。受け手を表す格助詞「げ」の分布はさらに限られており、関東地方では八丈島のほか、千葉県と埼玉県の一部そして茨城県の南西部で使われているだけです。経験者を表す格助詞「がに」と連体修飾格助詞「な」については、『方言文法全国地図』では扱われていませんが、使用されている地域はさらに限定されると思います。管見の及ぶ範囲では「がに」が使われている地域は茨城県南西部と埼玉県の東部です。
使用されている地域が限定されるということは、それだけその文法項目が常総市の伝統方言に独自性を与える要素になっているということでもあります。このような独自性の高い文法項目が衰退していっていることがわかります。
なお、格助詞に関する質問項目には3項目ほど宮島達夫氏が1999年に行った調査と同じ項目があります。「げ」「さ」「がに」に関する項目です。宮島氏の論考には、「自分でも使う」と「自分では使わないが聞いたことはある」を選択した方の割合が、出身地ごとに示されています。宮島氏の調査に協力した大学生のデータと今回のアンケート調査で得たデータを比べてみるとこの10年間の継承状況の変化がわかると思います。以下に、地元(当時の行政単位で、結城郡、猿島郡、水海道市、下妻市、岩井市)とそれ以外の茨城出身の学生のデータを宮島氏の論考から抜き出して示します。なお、ここで地元出身の学生のデータだけでなくそれ以外の茨城出身の学生のデータを示すのは、地元出身の学生が6名と非常に少ないためです。それ以外の茨城出身の学生は87名です。
表5.1999年調査における伝統方言を知っている割合
(名詞形態法、宮島(2000)より)
地元 | 茨城 | |
銭はみんな、おめえげ やっておくべ | 17% | 59% |
おとっつぁらがにゃ 分かるもんかよ、そんなこと | 50% | 39% |
鬼怒川さ 行くつもりになったんでがすね | 83% | 97% |
表4のデータと比べて見ましょう。「がに」と「さ」については、1999年の20歳前後の方のほうが伝統方言の知識を持っている割合が高かったことがわかります。「げ」に関しては、地元の方に関しては1999年の20歳前後の方のほうが伝統方言の知識を持っている割合が低いのですが、それ以外の茨城県出身者のデータをみると1999年の20歳前後の方のほうが知識を持っている割合が高かったことになります。「げ」に関してだけ、10年後の今日のほうが地元の方が伝統方言の知識を持っている割合が高くなっているのがどのような事情によるものかは不明ですが、全体的にみると、この10年間で伝統方言の文法項目に関する知識を持っている若い世代の割合が低下していることがわかります。