常総市は、2006年に石下町と水海道市が合併してできた自治体です。常総市の北部を構成する旧石下町を中心とする地域を舞台とした小説に『土』があります。『土』は長塚節の小説で、1910年に朝日新聞に掲載されました。この小説の会話部分では当時のこの地方の方言が使われています。ここで伝統方言という場合、『土』の会話部分に現れるような言葉を指すものとします。後で詳しく述べますが、アンケート調査でも『土』の会話部分の表現が使われています。
常総市の伝統方言がいつ頃形成され『土』の会話部分に現れるような言葉になったのかはまだ明らかにはなっていません。今後の文献学的な調査の進展が待たれるところです。伝統方言は決して過去のものではありません。現在も老年層には継承されています。私は1990年代の前半から石下町や水海道市の調査を行っていますが、現在80歳以上の年齢の方の中には『土』に現れる方言の特徴を色濃く残した言葉を使っていらっしゃる方がいることを確認しています。ここで、「『土』に現れる方言を使っている」と言うのを避けたのは、使っている語彙(単語)などに関しては、20世紀初頭の方言とは異なっている場合があるためです。しかし、私がこれまで調査で会ってきた80歳以上の方の言葉は、文法的に見ると『土』に現れる方言の特徴をほぼ受け継いでいます。
では、常総市の伝統方言はどんな特徴をもっているのでしょうか。文法的な特徴に焦点を当てて概観したいと思います。
常総市の伝統方言は推量の助動詞が「べ」(あるいはその音声的な変異形、古典語の「べし」と同系)である点などで東日本的な特徴を示す方言といえます。ちなみに標準語の推量の助動詞「だろう」は東日本の「だべ(または、だっぺ、など)」と西日本の「やろう」が混ざってできたものです。
名詞に付属する要素に関しては、東北地方や九州といった日本の周辺部で話されている方言との共通点があります。「さま」に由来する方向を表す格助詞「さ」が使われている点では、東北地方の方言と連続性があります。ちなみに「さま」に由来する方向を表す格助詞は、九州地方でも「さみゃー」「さん」などのかたちで使われています(小林 2004)。また、常総市の伝統方言で使われている「げ」は受け手を表す格助詞です。「げ」は古典語の「がり」に遡るといわれています(森下 1971)。「がり」に遡る格助詞は、主に九州地方や琉球列島の方言に分布しています。八丈島の方言や山形県の一部の方言でも「がり」に由来する格助詞が使われています。
連体修飾格助詞が複数ある点も常総市の伝統方言の特徴です。標準語では連体修飾格助詞は「の」一つしかありません。一方、常総市の伝統方言には、「が」、「の」、「な」の三つの連体修飾格助詞が存在します。標準語では、同じように「の」で表される「私/僕のもの」、「机の脚」、「前のもの」が「俺がもの」「机の脚」「前なもの」と常総市の伝統方言では区別されます。「が」と「の」という二つの連体修飾格助詞が存在する方言は琉球列島等の南日本に広く分布しています。連体修飾格における「が」と「の」の区別は古典語にもあったものです。
これまで紹介した文法特徴は古典語にもあった要素を使ったものです。その中には「が」と「の」のように古い段階からあった要素(そして区別)を引き継いだものもある一方で、「さ」や「げ」のように古くからあった要素を別なカテゴリーに発展させたものもあります。一方、この地域の方言で独自に発展させた要素もあります。能力や感情の持ち主(経験者)を表す名詞に付く格助詞「がに」です。「がに」は連体修飾格の「が」と場所を表す格助詞「に」が合わさってできた格助詞です。後で詳しく述べますが、経験者を表すのに特化した格形式があるという特徴は非常に珍しいものです。「がに」がいつ頃からこの地方の方言にあったのかはわかりませんが、『土』の中ではすでに使われていますし、私の調査に協力してくださった老年層の方も使っていました。
オーストラリアの言語学者Barry Blakeは、人間言語のさまざまな格(日本語で言えば格助詞で表されるカテゴリー)を扱った著書(Blake 1994)において、連体修飾格は一つの言語に一つであることが多いと述べています。現在の日本語標準語は「の」という一つの連体修飾格助詞だけを持っているわけですが、このような状態の言語が多いということです。別な見方とすると、古典語や常総市の伝統方言のように複数の連体修飾格のある言語は珍しいということになります。ただ、古典語や南日本の方言のように二つの連体修飾格助詞がある体系は他にもあります。皆さんが学校で習っている英語がそうです。「's」(サクソン属格)を使った連体修飾表現(例:yesterday's newspaper(昨日の新聞))と「of」(ノルマン属格)を使った連体修飾表現(the king of England(イングランドの王))があります。これに対し、常総市の伝統方言のように生き物名詞に付く連体修飾格(「が」、例:俺がもの)ともの名詞に付く連体修飾格(「の」、例:机の脚)と場所名詞に付く連体修飾格(「な」、例:前なもの)と三つの連体修飾格を区別する言語体系はあまり見当たりません。
常総市の伝統方言に見られる三つの連体修飾格の使い分けは言語類型論の観点から見て珍しい現象ということができそうです。言語類型論の観点から見て珍しい特徴は他にもあります。格助詞「げ」と格助詞「がに」の対立のあり方です。
格助詞「げ」は受け手を表す要素で、文法的に見ると間接目的語をマークする要素です。「I gave the pocket money to my grandchild(孫に小遣いをやった)」の「to my grandchild(孫に)」に対応する要素です。
格助詞「がに」は経験者を表し、文法的に見ると斜格主語をマークする要素です。間接目的語は英語の授業などで聞いたことがあると思いますが、斜格主語という言葉はなじみがないかもしれません。その言語の普通の主語とは異なるかたちをした主語を指す文法用語です。日本語で言えば、「僕には英語がわかる」の「僕に」に対応する要素です。形の上では普通の主語(〜が)とは異なり「〜に」となっています。しかし、さまざまな文法特徴を調べてみると主語と同じような特徴を持っていることがわかる要素です。例えば「僕には自分の体重がわからない。(身体検査を欠席したから)」のような例文をみると、文中の「自分」と同じものを指すことができる点などで、文頭の「僕に(は)」が主語と共通の特性を持っていることがわかります。「斜格主語とは何か」という問題を書き出すと長くなりますので、ここではこれ以上展開しません。興味のある方は、次の2冊をご参照ください(佐々木他 2006、角田 2009)。英語で斜格主語的な表現というと「It seems funny to me(僕にはおかしく思える)」の「to me」になります。
間接目的語と斜格主語の例として上で示した例文を見ると、両者が同じ形式になっていることがわかります。標準語を見ると間接目的語も斜格主語も「〜に」というかたちになっています。英語でも両者は「to 〜」で共通のかたちになっています。実は、多くの言語で斜格主語はこのように間接目的語と同じかたちをとります(属格(日本語でいえば「の」)のかたちをとる場合もありますが、ここでは議論を複雑にしないために取り上げません)。そんなわけで斜格主語を間接目的語と結びつけて考える分析もあります。
ところが、常総市の伝統方言では斜格主語は間接目的語とは異なるかたちをとります。斜格主語は「〜がに(俺がに英語わかる)」、間接目的語は「〜げ(孫げ小遣えやる)」で別のかたちになっています。常総市の伝統方言のように斜格主語と間接目的語が別々のかたちをしていて、斜格主語固有の格形式がある言語は、世界の言語の中で皆無ではありませんが、非常に珍しいのです。管見の及ぶ範囲では、常総市の伝統方言のほかには、コーカサスで話されているゴドベリ語(Kibrik 1996)とアンディ語(Comrie 1981)そしてインドで話されているボジュプリ語(Verma 1990)があるぐらいです。なお、ゴドベリ語・アンディ語・ボジュプリ語はいずれも能格型の言語であり、対格型の言語で斜格主語専用の格形式を持っている言語は、管見の及ぶ範囲ではこの地方の伝統方言以外にはありません(埼玉県の東部の方言にも同様の格助詞がありますが、常総市の伝統方言と同じ「がに」であり、明らかに地域的に連続した文法特徴です。「能格型」「対格型」という用語については下の段落の説明をご参照ください)。
常総市の伝統方言には、言語類型論的に見て珍しい特徴があるだけでなく、ごくありふれた特徴もあります。主語と直接目的語の表し方がそれです。標準語では、主語が「〜が」のかたちで、直接目的語が「〜を」のかたちで表されます。一方、常総市の伝統方言では、主語は名詞そのもの、つまり何も付かないかたちで表され、直接目的語は、生き物名詞の場合は「〜ごど」が付くかたちで、もの名詞などの場合は何も付かないかたちで表されます(常総市の伝統方言では「が」は連体修飾格として使われています)。常総市の伝統方言は、主語と直接目的語のかたちが標準語と異なりますが、主語と直接目的語の区別のパターンは標準語と同じです。主語と目的語を区別するパターンは五つあります。自動詞文の主語をS、他動詞文の主語をA、他動詞文の直接目的語をOとします。主語と直接目的語の区別のパターンは代名詞と名詞で異なる場合があります。ここでは名詞について考えてみることにしましょう。World Atlas of Language Structuresというデータベースによると、中立型(S, A, Oを区別しない)が最も多く、190言語中98言語がこのパターンであるそうです。次に多いのが、「S=A≠O」の対格型(SとAを同じかたちにしてOを別のかたちにする)です。190言語中52言語あります。標準語はこのパターンです。常総市の伝統方言も生き物名詞に関しては、このパターンです。もの名詞の場合は中立型ですので、中立型と対格型という最もありふれたパターンが共存しているといえます。主語と直接目的語を区別するパターンにはこのほかに能格型(A≠S=O、自動詞主語と直接目的語が同じかたちで他動詞主語が別のかたち)、3項型(S, A, Oがすべて別のかたち)、活格型(SがAと同じかたちとOと同じかたちに分裂する)があります。これら三つのパターンは中立型や対格型に比べると少数派です。能格型が190言語中32言語、3項型が190言語中4言語、活格型が190言語中4言語といった具合です。
常総市の伝統方言を構成する音は基本的には東京や埼玉などの関東地方のそれと同じです。東北地方に典型的な前鼻音(軽い「ん」が前に置かれるように発音する濁音、~b, ~dなど)はありません。その一方で、音の変化には東北地方の方言と共通の特徴があります。語中のカ行音とタ行音が有声化して濁音で発音される(「頭」が「あだま」、「書く」が「かぐ」と発音される)点や「ジビズブ」が無声化によって「チピツプ」になる(「座布団」が「ざぷとん」、「わずか」が「わつか」と発音される)点は、東北地方の方言と共通しています。
「座布団」が「ざぷとん」になる点で東北地方の方言と共通していると前の段落に書きましたが、正確にいうと常総市の伝統方言と東北方言では少し違う点があります。東北地方の方言では「座布団」が無声化した語形は「ざんぷとん」です(前鼻音の前半部分は上付きの「ん」で表すことにします)。関東の方言の濁音に対応する東北方言の音は前鼻音(この場合「んぶ」)です。「ぶ」の部分は無声化で「ぷ」になるのですが、その前にある「ん」が残っています。これに対し、常総市の伝統方言は前鼻音がないため、「ん」が前にない「ぷ」を含む「ざぷとん」になるわけです。
「ざんぷとん」か「ざぷとん」か、という発音の違いは、「ぷ」の前に「ん」があるかどうかの違いですから、小さな違いに思えるかもしれません。しかし、方言の音の体系全体から見ると小さな違いとはいえません。
日本語のハ行音(ha, hi, hu, he, ho)は、上代(奈良時代以前)のパ行音(pa, pi, pu, pe, po)に由来します。つまり、pがhになる変化を通して生じたのがハ行音なのです。pを排除する規則は歴史的な変化を引き起こしただけではありません。現代語においても「ん」と「っ」の後ろ以外の位置のpは排除される傾向にあります。pを含む単語はごく少数です。和語にはほとんどありませんし、漢語では、「散歩」[sampo]のように「ん」の後ろや「切符」[kippu]のように「っ」の後ろにだけ現れます。外来語の場合は「パスタ」「スパゲッティ」のようにpを含む単語がありますが、外来語は言語体系の中では周辺的な位置づけの単語ですので、pが排除される傾向は現在もあると言えます。
pを排除する傾向があるのは、常総市の伝統方言も同様です。それにも関らず、無声化でbから生じたpはそのまま残ります。「座布団」は「ざぷとん」とはなっても「ざふとん」とはなりません。東北方言のように前鼻音があるならば「『ざんぷとん』は『ぷ』のまえに『ん』があるから『ぷ』が『ふ』にならない」ということもできるかもしれません。しかし、常総市の伝統方言のように前鼻音がない方言の場合、このような説明はできそうにありません。常総市の伝統方言で「ざぷとん」の「ぷ」が「ふ」にならないことを説明するためには、pを排除する規則は無声化が適用される前の段階でだけ有効であるというふうに規則の間に順序付けがあることにしなければなりません。
ある規則が、それより後で適用されうる規則の結果にだけ適用されない現象は、現代の言語学では音韻的不透明性の一種とみなされています。音韻的不透明性は読んで字の如く文法を複雑にします。「ざぷとん」に見られる複雑な音韻現象の相互作用は、常総市の伝統方言が関東的な文法特徴と東北的な文法特徴をあわせもっていることによって生じているものと考えられます(この地方の方言で見られる音韻的不透明性の言語学的な意義については拙論Sasaki 2008で展開しております)。
常総市の伝統方言の現代における継承についてはこれまでにも調査が行われています。1999年9月から10月にかけて宮島達夫氏が伝統方言の継承に関する調査を行っています。この調査は、1999年時点の長塚節研究会の会員、水海道第一高校同窓会の会員、水海道第一高校教職員、そして茨城大学・筑波大学・秋田大学の学生を対象に『土』に現れる常総市の伝統方言の知識を質問するものでした。調査結果を示した論考(宮島 2000)によると、調査に協力した方の年齢は、大学生が20歳前後であったほかは30歳代以上がほとんどで、調査に協力した長塚節研究会の会員、水海道第一高校同窓会の会員、水海道第一高校教職員の年齢構成は次の通りでした。長塚節研究会の会員(70代から80代:10名、50代から60代:5名、20代から40代:2名、年齢不明:1名)、水海道第一高校同窓会の会員(70代から80代:11名、50代から60代:23名、30代から40代:2名、年齢不明:4名)、水海道第一高校教職員(70代から80代:0名、50代から60代:9名、30代から40代17名、不明:4名)。宮島氏が行った調査は、これらの方々に、『土』に出てくるさまざまな表現について「1.自分でも使う、2.自分では使わないが聞いたことはある、3.聞いたことがない」のいずれかを選択してもらうものでした。各項目について「1.自分でも使う、2.自分では使わないが聞いたことはある」と答えた方の平均は、70代から80代で61.2%、50代から60代で50.3%、30代から40代で32.9%となっており、若い年代に行くほど伝統方言の表現を知っている割合が低くなっていることがわかります。世代間では、50代から60代と30代から40代の間に大きな断層があります。こうした調査結果を受け、宮島氏は「「方言の消滅が近頃になって加速しているようである」と述べています。なお、20歳前後の学生たちの場合は、30代から40代よりもさらに伝統方言を知っている割合が低くなっています。
宮島氏が調査を行った時点から10年たった今日の伝統方言の継承状況を調べるのが、今回のアンケートの目的です。アンケート調査の項目が完全に同じではありませんので、宮島氏の調査結果と今回の調査結果を単純に比較することができませんが、この10年間に常総市で話されている言葉がこうむった変化を知る手がかりになるのではないかと考えています。
なお、10年前に宮島氏が行った調査と今回の調査では、調査対象者の年齢にも違いがあります。宮島氏の行った調査は、20代から80代の方が調査対象になっています。今回の調査では常総市内の中学校に通う中学生にアンケートに答えてもらいましたので、調査対象者の年齢は10代前半です。常総市の伝統方言の特徴の中には古典語から受け継いだものが含まれるため、中学校と高校で古典を学んだあとでは、古典語の知識が判断を左右する可能性があります。今回の調査では調査対象を中学生にすることにより、古典語の知識の干渉を排除できたのではないかと考えています。
文法に関しては、以下の項目に関して、「自分でも使う・聞いたことがある・聞いたことがない」のいずれかを選択してもらうかたちにしました。
褒(ほ)めらせる、褒(ほ)めさせる、上(あ)げらせる、上(あ)げさせる、来(き)ない、来(こ)ない、(雨が)降っぺ、(雨が)降んべ、(雨が)降るべ、(雨が)降るだろう、(雨は)降らめえ、(雨は)降るめえ、(雨は)降らないだろう「褒(ほ)めらせる、褒(ほ)めさせる、上(あ)げらせる、上(あ)げさせる」は、使役動詞が伝統方言と同じように形成されるかどうかを調べるための項目です。動詞語根と使役接尾辞を組み合わせて使役動詞を作る点では、常総市の伝統方言は標準語と同じです。しかし、そこで用いられる使役接尾辞は、標準語とおなじ/sase/ではなく/rase/です。/sase/と/rase/の違いは、一段動詞や変格動詞から作った使役動詞に現れます。「褒(ほ)めらせる」が使われるのであれば、常総市の伝統方言と同様に/rase/を使役接尾辞として使っていることになり、「褒(ほ)めさせる」が使われるのであれば、標準語と同様に/sase/を使っていることになります。爺(ぢい)こと 起すべか(=「お爺さんを起こそうか」)
銭はみんな、おめえげ やっておくべ(土)
おとっつぁらがにゃ 分かるもんかよ、そんなこと(土)
鬼怒川さ 行くつもりになったんでがすね(土)
そんぢや爺(ぢい)が 砂糖でも嘗めろ(=「それでは、お爺さんの砂糖でもなめろ」)
此の側(そば)な 小屋(=「このそばの小屋」)
「来(き)ない、来(こ)ない」はカ行変格活用が伝統方言と同様の活用をするかどうかを調べるための項目です。常総市の伝統方言では、カ行変格活用動詞の未然形が、一段活用動詞と同様に、連用形と同形です。「来(き)ない」が使われるのであれば、常総市の伝統方言と同じ活用ということになります。一方、「来(こ)ない」が使われるのであれば、標準語と同じ活用になっていることになります。
「(雨が)降っぺ、(雨が)降んべ、(雨が)降るべ、(雨が)降るだろう」は推量の助動詞を調べるための項目です。すでに述べたように常総市の伝統方言では推量の助動詞に古典語の「べし」と同系の要素が用いられます。「(雨が)降っぺ、(雨が)降んべ、(雨が)降るべ」のいずれかが使われるようであれば、常総市の伝統方言が継承されていることになります。一方、「(雨が)降るだろう」が使われるようであれば、標準語と同じ形式に置き換えられたことになります。
「(雨は)降らめえ、(雨は)降るめえ、(雨は)降らないだろう」は、否定推量の助動詞を調べるための項目です。常総市の伝統方言では未然形に「めえ」が接続しました。一方、古典語は「めえ」の前身である「まい」を使って否定推量を表していましたが、動詞の終止形に接続していましたので、動詞との組み合わせが常総市の伝統方言とは異なります。標準語では動詞の未然形に「ないだろう」が接続します。
残りの六つの例文はいずれも『土』から引用したもので、格助詞の用法を調べるための項目です。「爺(ぢい)こと 起すべか」が許容されるのであれば、伝統方言と同様に直接目的語が「こと(ごど)」で表わされることになります。「銭はみんな、おめえげ やっておくべ」は間接目的語が「げ」で表わされるかを調べるための項目です。「おとっつぁらがにゃ 分かるもんかよ、そんなこと」は、斜格主語が「がに」で表わされるか確認するための項目です。「鬼怒川さ 行くつもりになったんでがすね」は方向を表わす際に「さ」が用いられるかを確認するための項目です。「そんぢや爺(ぢい)が 砂糖でも嘗めろ」は生き物の連体修飾要素を表わすのに「が」が用いられるかを確認するための項目です。「此の側(そば)な 小屋」は場所名詞の連体修飾要素が「な」で表わされるか確認するための項目です。
発音に関しては、「座布団(ざぷとん)、僅か(わつか)、殆ど(ほどんと)」について「自分もそのように発音する・自分ではそう発音しないが、そのような発音を聞いたことがある・そのような発音は聞いたことがない」のいずれかを選択してもらうかたちにしました。「座布団(ざぷとん)」と「僅か(わつか)」は伝統方言と同様に無声化を被った形式が用いられるかどうかを確認するための項目です。「殆ど(ほどんと)」は母音間の有声化(カ行音とタ行音がそれぞれガ行音とダ行音になる現象)について調べるための項目です。
語彙に関しては、「ちく(=嘘)、かしき(=炊事)、せえる(=入れる)、いがい〜えがい(=大きい)」の4項目に関して「自分でも使う・聞いたことがある・聞いたことがない」のいずれかを選択してもらうかたちにしました。
図2.名詞形態法における伝統方言形式の継承
伝統方言の文法形式を自分でも使うとする生徒が全体に占める割合は多くありません。図1を見ると「褒めさせる」「上げさせる」「来(こ)ない」「降るだろう」「降らないだろう」といった標準語の形式のほうが伝統方言の形式よりも使用される傾向にあることがわかります。
「自分でも使う」を選択した生徒の割合は、伝統方言の文法項目全体で平均すると9.4%に留まります。品詞の区別に着目すると、動詞の形態法のほうが名詞の形態法よりも残存する傾向があります。以下に、使役接尾辞、カ行変格活用未然形、推量および否定推量の助動詞の伝統方言の形式について「自分でも使う」を選択した生徒の割合を示します。
褒(ほ)めらせる | 7.8% |
上(あ)げらせる | 8.7% |
来(き)ない | 8.3% |
(雨が)降っぺ | 25.9% |
(雨が)降んべ | 10.1% |
(雨が)降るべ | 25.1% |
(雨は)降らめえ | 13.8% |
(雨は)降るめえ | 2.5% |
平均 | 12.8% |
爺(ぢい)こと 起すべか | 9.5% |
銭はみんな、おめえげ やっておくべ | 1.6% |
おとっつぁらがにゃ 分かるもんかよ、そんなこと | 0.9% |
鬼怒川さ 行くつもりになったんでがすね | 12.9% |
そんぢや爺(ぢい)が 砂糖でも嘗めろ | 6.6% |
此の側(そば)な 小屋 | 4.4% |
平均 | 6.0% |
平均を見ると、伝統方言の形式について「自分でも使う」を選択した割合が、動詞形態法のほうが名詞形態法よりも2倍近く高いことがわかります。推量および否定推量の助動詞に関しては、前に来る動詞の形態が異なる形式を質問項目に含めました。「べ」の三つの項目はいずれも常総市の伝統方言にある形式です。一方、「めえ」の場合、「降らめえ」は伝統方言の形式ですが、「降るめえ」は「めえ」を使っているものの動詞の終止形を使っており古典語に近い形式です。表1では、「来(き)ない」の場合を除くと、接尾辞や助動詞といった付属形式が伝統方言と同形のものをすべて含めましたが、動詞の活用に関して伝統方言的ではない「降るめえ」を除くと、平均値は15.3%になります。
伝統方言の文法形式に関する知識を持っている生徒の割合は、伝統方言を自分で使っている生徒の割合よりも高く、平均で50.3%になります。伝統方言の形式について「自分でも使う」と「聞いたことがある」のいずれかを選択した生徒を伝統方言に関する知識を持っている生徒とみなし、「自分でも使う」と「聞いたことがある」の割合を足した数値を示したのが、以下の表です。ここでも動詞の形態法のほうが名詞の形態法よりも残存する傾向が見られます。ただし、動詞形態法と名詞形態法の知識の差は、上の表に示した使用の差に比べると、大きくありません。
褒(ほ)めらせる | 25.4% |
上(あ)げらせる | 35.9% |
来(き)ない | 51.8% |
(雨が)降っぺ | 85.2% |
(雨が)降んべ | 69.7% |
(雨が)降るべ | 85.1% |
(雨は)降らめえ | 73.0% |
(雨は)降るめえ | 37.2% |
平均 | 57.9% |
爺(ぢい)こと 起すべか | 50.8% |
銭はみんな、おめえげ やっておくべ | 31.6% |
おとっつぁらがにゃ 分かるもんかよ、そんなこと | 28.2% |
鬼怒川さ 行くつもりになったんでがすね | 77.9% |
そんぢや爺(ぢい)が 砂糖でも嘗めろ | 37.9% |
此の側(そば)な 小屋 | 29.6% |
平均 | 42.7% |
表1から表4のデータからわかることは、調査に協力した生徒の半数近くが伝統方言に関する知識を持っているけれども、自分自身で伝統方言の文法項目を使う生徒は1割程度に留まるということです。次に、動詞と名詞の形態法の詳細について述べます。
使役接尾辞/rase/は、使用する生徒の割合も知識を持っている生徒の割合も他の動詞形態法と比べて低くなっています。「褒(ほ)めらせる」を使う生徒の割合が7.8%、この語形を知っている生徒の割合が25.4%です。「上(あ)げらせる」を使う生徒の割合は8.7%、この語形を知っている生徒の割合は35.9%です。
カ行変格活用動詞の未然形も使用する生徒は8.3%と少ないのですが、「来(き)ない」という語形の知識を持っている生徒は51.8%であり、使役接尾辞/rase/を含む語形を知っている生徒の割合が高いことがわかります。
使用する生徒の割合も知識を持っている生徒の割合も高いのが推量の助動詞と否定推量の助動詞です。推量の助動詞の場合、「降んべ」が使用している生徒の割合と知識を持っている生徒の割合が低めですが、「降っぺ」と「降るべ」は使用、知識ともに高い割合になっています。なお、「降んべ」の使用と知識の割合が低めというのは「降っぺ」や「降るべ」と比べた場合であり、「降んべ」は他の文法項目と比べれば、使用、知識とも高い割合を示す項目です。
否定推量の助動詞「めえ」の付属した語形については、表1と表3のデータから、学校で学ぶ古典に出てくる形式に近い語形よりも伝統方言の語形のほうが、使用する生徒と知識を持っている生徒の割合が高いことがわかります。使用する生徒の割合に関しては、「降らめえ」は13.8%ですが、「降るめえ」は2.5%に過ぎません。知識を持っている生徒の割合も同様で、「降らめえ」は73.0%ですが、「降るめえ」は37.2%に過ぎません。学校教育で教わる「降るまい」に近い語形である「降るめえ」よりも「降らめえ」の割合が高いことは、この要素に関して伝統方言が継承されていることを示すものです。
格助詞の中で最も勢力があるのは、「さ」です。「鬼怒川さ 行くつもりになったんでがすね」という例文に関して「自分でも使う」を選択した生徒が12.9%いました。この割合は、否定推量の助動詞の伝統方言形式「降らめえ」を「自分でも使う」とした生徒の割合と同じです。知識を持っている生徒の割合も高く、77.9%でした。知識を持っている学生の割合に関しては、「さ」のほうが「降らめえ」よりも高くなっています。
次に勢力がある格助詞は「こと(ごど)」です。「爺(ぢい)こと 起すべか」という例文に関して「自分でも使う」とした生徒が9.5%いました。格助詞に関して、10%前後の生徒が「自分でも使う」としたのは、前述の「さ」とこの「こと(ごど)」だけです。「こと(ごど)」を知識として持っている学生の割合も「さ」に次いで高く、50.8%でした。「さ」と「こと(ごど)」については半数以上の生徒が知識を持っていることになります。「さ」と「こと(ごど)」は関東地方から東北地方にかけて広くつかわれている格助詞です。
「さ」と「こと(ごど)」以外の格助詞は、使用する生徒の割合も知識を持っている生徒の割合も低いのですが、「さ」と「こと(ごど)」の場合と異なり、使用と知識で順位が入れ替わる場合があります。使用する学生の割合に関しては、以下に示すように連体修飾格助詞が高い位置付けになります。
一方、知識を持っている学生の割合では、「な」が順位を下げ最下位になっています。
「さ」と「こと(ごど)」以外の格助詞は、その分布が限られています。「が」「な」「げ」「がに」のうち最も広く分布する格助詞は連体修飾格助詞「が」ですが、『方言文法全国地図』をみると東日本では関東から東北地方の南部(福島県)まで点在しているだけです。受け手を表す格助詞「げ」の分布はさらに限られており、関東地方では八丈島のほか、千葉県と埼玉県の一部そして茨城県の南西部で使われているだけです。経験者を表す格助詞「がに」と連体修飾格助詞「な」については、『方言文法全国地図』では扱われていませんが、使用されている地域はさらに限定されると思います。管見の及ぶ範囲では「がに」が使われている地域は茨城県南西部と埼玉県の東部です。
使用されている地域が限定されるということは、それだけその文法項目が常総市の伝統方言に独自性を与える要素になっているということでもあります。このような独自性の高い文法項目が衰退していっていることがわかります。
なお、格助詞に関する質問項目には3項目ほど宮島達夫氏が1999年に行った調査と同じ項目があります。「げ」「さ」「がに」に関する項目です。宮島氏の論考には、「自分でも使う」と「自分では使わないが聞いたことはある」を選択した方の割合が、出身地ごとに示されています。宮島氏の調査に協力した大学生のデータと今回のアンケート調査で得たデータを比べてみるとこの10年間の継承状況の変化がわかると思います。以下に、地元(当時の行政単位で、結城郡、猿島郡、水海道市、下妻市、岩井市)とそれ以外の茨城出身の学生のデータを宮島氏の論考から抜き出して示します。なお、ここで地元出身の学生のデータだけでなくそれ以外の茨城出身の学生のデータを示すのは、地元出身の学生が6名と非常に少ないためです。それ以外の茨城出身の学生は87名です。
表5.1999年調査における伝統方言を知っている割合
(名詞形態法、宮島(2000)より)
地元 | 茨城 | |
銭はみんな、おめえげ やっておくべ | 17% | 59% |
おとっつぁらがにゃ 分かるもんかよ、そんなこと | 50% | 39% |
鬼怒川さ 行くつもりになったんでがすね | 83% | 97% |
表4のデータと比べて見ましょう。「がに」と「さ」については、1999年の20歳前後の方のほうが伝統方言の知識を持っている割合が高かったことがわかります。「げ」に関しては、地元の方に関しては1999年の20歳前後の方のほうが伝統方言の知識を持っている割合が低いのですが、それ以外の茨城県出身者のデータをみると1999年の20歳前後の方のほうが知識を持っている割合が高かったことになります。「げ」に関してだけ、10年後の今日のほうが地元の方が伝統方言の知識を持っている割合が高くなっているのがどのような事情によるものかは不明ですが、全体的にみると、この10年間で伝統方言の文法項目に関する知識を持っている若い世代の割合が低下していることがわかります。
「自分もそのように発音する」を選択した生徒の割合を示したものが、表6です。平均が7.4%となっています。この数値が使用するかたちでの伝統方言の継承の割合を表していることになります。名詞形態法(格助詞)に比べると伝統方言の形式が継承される割合が高くなっていますが、動詞形態法と比べると低くなっています。
座布団(ざぷとん) | 10.1% |
僅か(わつか) | 1.0% |
殆ど(ほどんと) | 11.1% |
平均 | 7.4% |
「自分もそのように発音する」と「自分ではそう発音しないが、そのような発音を聞いたことがある」を選択した生徒は伝統方言の発音の知識を持っているものと考えられます。伝統方言の発音の知識を持っている生徒の割合を示したものが表7です。平均が47.8%となっており、知識の面でも発音は、名詞形態法(格助詞)に比べると伝統方言の形式が継承される割合が高くなっていますが、動詞形態法と比べると低くなっています。
座布団(ざぷとん) | 66.1% |
僅か(わつか) | 24.4% |
殆ど(ほどんと) | 52.8% |
平均 | 47.8% |
使用・知識の両面で、無声化の用例の中に継承の度合の差が見られます。「ぶ」が「ぷ」になる「座布団(ざぷとん)」が「ず」が「つ」になる「僅か」よりも継承される割合が高いことが、表6と表7の両方からわかります。調査に使った用例が少ないため、確定的なことはいえませんが、二つの可能性があります。
一つの可能性は、調音点の違いによるものです。「ぶ」が「ぷ」になる無声化では、子音を発音するのに唇を使います。一方、「ず」が「つ」になる無声化では、子音を発音するのに舌を使います。このように「座布団」と「僅か」では無声化が生じる子音を発音する場所が異なります。舌を使って発音する子音は「つ、す、ず」などに含まれ、和語・漢語・外来語すべてで見られます。一方、唇を使って発音する子音は「ぶ」に含まれる/b/は、和語・漢語・外来語すべてで見られますが、/p/は外来語ではよく見られるものの、和語ではほとんど現れず、漢語では分布が偏っています(上の2.3節をご参照下さい)。和語の場合に典型的ですが、/p/は有声と無声の子音の対応関係の中で隙間のようになっていることになります。
唇 | 舌先 | 軟口蓋(口の奥) | |
有声 | b | d, z | g |
無声 | <p> | t, s | k |
唇を使って発音する子音を無声化した場合、隙間を埋めるだけですので、同じ音形の語形が生じる可能性は低くなります。このように、舌先を使って発音する子音を無声化する場合に比べて言葉の体系に対する負担が少ないために、唇で発音する子音の無声化がより残存しやすかったと考えることもできるかと思います。ただし、このような説明を行った場合、無声化で生じた[p]がpを排除する傾向からどのようにして逃れたのかということも説明する必要が出ます。
もう一つの可能性は、「座布団」と「僅か」の文法的な違いです。「座布団」は「座」と「布団」をあわせてできた複合語です。一方、「僅か」はそれ以上分解できない語形です。「座布団」で生じる無声化は「座」と「布団」の境界で生じます。このように形態素(単語をさらに分解した意味を持つ単位)を合わせたときにだけ生じる音の変化を言語学の世界では循環的(cyclic)な音韻現象と呼んでいます。伝統方言の段階では、一般性のあった音韻現象である無声化が、現代の方言では循環的な音韻現象として残ったという見方もできるかもしれません。
ちく(=嘘) | 10.1% |
かしき(=炊事) | 2.2% |
せえる(=入れる) | 0.9% |
いがい〜えがい(=大きい) | 10.1% |
平均 | 5.8% |
四つの語彙に関して「自分でも使う」と「聞いたことがある」を選択した生徒の割合を示したものが表9です。表8で低い割合を示した項目は、ここでも低い割合になっています。知識を持っている生徒の割合は平均で31.5%であり、これは、文法、音韻と比べても低い割合です。伝統方言の語彙が知識としても継承される度合が低いことがわかります。
ちく(=嘘) | 32.4% |
かしき(=炊事) | 16.9% |
せえる(=入れる) | 14.8% |
いがい〜えがい(=大きい) | 61.9% |
平均 | 31.5% |
語彙に関する質問項目には3項目ほど宮島達夫氏が1999年に行った調査と同じ項目があります。「ちく」「かしき」「せえる」です。宮島氏の調査で学生が、「自分でも使う」と「自分では使わないが聞いたことはある」を選択した割合を表10に示します。
地元 | 茨城 | |
ちく(=嘘) | 33% | 20% |
かしき(=炊事) | 17% | 6% |
せえる(=入れる) | 17% | 17% |
表9のデータと比べてみましょう。全ての語彙に関して、今回の調査のほうが若干低い割合になっています。しかし、名詞形態法に比べるとこの10年間の変化はそれほど大きくはなく、ほぼ横ばい状態であるとみてよいでしょう。
個々の質問項目についてみると、広い地域で使われている形態法や音韻現象は残存する傾向にあり、地域的な分布が狭い形態法は衰退する傾向にあります。前者の例としては、推量の助動詞「べ」、否定推量の助動詞「めえ」、直接目的語を表す格助詞「こと(ごど)」、行き先を表す格助詞「さ」、そして、無声化と有声化が挙げられます。後者の例としては、経験者を表す格助詞「がに」、受け手を表す格助詞「げ」、連体修飾格助詞の「が」と「な」が挙げられます。
伝統方言の語形について「自分でも使う」あるいは「自分でもそのように発音する」と回答した生徒の割合は、動詞形態法で12.8%(「降るめえ」を除けば、15.3%)、名詞形態法(格助詞)で6.0%、音韻(発音)で7.4%、語彙で5.8%でした。一方、伝統方言の知識を持っている生徒は約半数です。生え抜きの生徒がほとんどであることを考えると、この知識は、親や祖父母の発話から得たものと考えられます。しかし、自分で使う生徒の割合が10%前後であるため、次の世代への継承が困難な状況になっているものと思われます。
ユネスコは、言語の危機の度合いを認定するする基準として以下に挙げる九つの基準を挙げています(UNESCO Ad Hoc Expert Group on Endangered Languages (2003)):世代間の言語の継承、話者数、全人口に占める話者の割合、言語使用領域の変化、新しい言語使用領域やメディアへの対応、言語教育や文学への利用可能性、政府などの当該言語に対する姿勢、地域共同体の構成員が自分自身の言語に対して取っている態度、記録の量と質。
ユネスコが、言語の危機の度合の基準として一番目に挙げている「世代間の言語の継承」に関して、常総市の方言は非常に困難な状況に直面していると言えます。ユネスコが認定している言語の危機の度合には、危険な状態(unsafe)、確定的な危機状態(definitely endangered)、厳しい危機状態(severely endangered)、致命的な危機状態(critically endangered)、消滅(extinct)の5段階があります。今回のアンケートでは、「世代間の言語の継承」以外の基準に関して調査していませんので、正確な位置づけは困難ですが、「消滅」ではないものの危機的な状況にあることは確かだと思います。
伝統方言は衰退し危機的な状況にあるわけですが、そのことは標準語と全く同じ体系になっていくことを意味するわけではありません。「降るめえ」よりも「降らめえ」が圧倒的に優位であることからうかがい知ることができるように、標準語(あるいは学校で習う古典語)ではなく伝統方言から継承している部分があります。
実は、現在日本各地で使っている人たちには方言とは認識されていない地域的な日本語のヴァリエーションが話されています。ネオ方言(真田 1990)や変容方言(佐藤 1996)と呼ばれる地域的な言語変種です。これらの地域的言語変種は、標準語とその地域の方言の両方から文法や語彙を受け継いだ地域的な言語変種です。常総市で話される言葉もこうした言語変種になっていくものと考えられます。
2節でも述べたように、常総市の伝統方言には、人間言語についての理解を含める上で貢献するところが大であると思われる文法特徴があります。常総市の伝統方言には、「〜がに」という斜格主語固有の格助詞があります。斜格主語固有の格形式を持つ言語は世界の言語の中でも極めて珍しく、人間言語が文法的意味をどのように形の上で区別できるのかという問題を考える上で非常に貴重なデータを常総市の伝統方言は我々に与えてくれます。残念ながら、「〜がに」をはじめとする伝統方言の文法項目は継承が困難な状況にあることが今回の調査でわかりました。
この地域の言葉は、どのような言語体系に変化していくのでしょうか。この調査報告は、少ない質問項目に基づくものであるため、大雑把な分析になっていると思います。将来の変化を予測することは困難ですし、現在の体系を描くものとしても不十分なものだと思います。今後さらに調査を進めてこの地方の言葉の現状について理解を深めたいと思います。