『科学主義工業』解題 第5章


5.戦時と戦後のつながりの観点がら

『科学主義工業』は1945(昭和20)年2月号(第9巻第2号)まで、毎月欠号することなく発行が続けられたが、3月号は戦災で原稿が消失し発行されなかった(「社告」『科学主義工業』昭和20年4・5月号、2ページ)。そして同年4・5月合併号を最後に発行は停止した(前掲、佐々木「解説」、3ページ)。

戦後になって、1946年2月に、科学社の発行で『科学主義工業』の後継雑誌として『科学主義』が創刊された。この雑誌は2年間でわずか9号しか発行されずに停止してしまったが、1946年の一時期には、この雑誌に、大河内一男、中山伊知郎、岡邦雄、青山道夫、新居格、玉城肇、武谷三男、飛鳥田一雄、中林貞男ら、戦後に各界で功績のあった蒼々たる顔ぶれが論説を寄せている。これらの人々のなかには、戦時期に戦争協力の論調で『科学主義工業』に論説を寄せていた人もいる。

たとえば、『科学主義』創刊号の巻頭には、かつて、興亜院経済部第一課長、大日本産業報国会常務埋事を歴任した毛里英於菟の執筆による「敗戦革命の諸問題」という時論が配置されている。そこで毛里は、敗戦の意義を強調し、「日本の中に於ける旧き権威と価値を否定すると共に、現代世界に於ける最も高次の権威乃至価値を明確に把握することによって、世界に対して反動性を内包せざる革命を遂行し得るものと考へる」とのべ、日本の民主化を唱導している。そして、民主化を推し進める力として、協同組合運動を重視した。また、「戦時及戦後、食糧を通じて、購買力が農村に吸収せられつつあることについて、従来の金融資本主義的乃至は都会中心の金融資本主義の金融政策乃至財政政策の従来的な思想及性格を訂正することを要望する」とし、そのような政策によって「農村革命」を達成して、「農村資本が工業に対する主導的な立場、少くともその従属的な立場から脱却」することを展望している。戦争を通じて農村に購買力が集まったことに、農村民主化と、それに通じての日本の経済民主化の原動力をみていることは注目される。

このように、雑誌『科学主義工業』と『科学主義』をひとつのつながったものととらえ、彼らの論説を追うことによって、戦時と戦後の断絶面と継続面の考察に新しい光が当てられることになるだろう。そのさいに、先にのべたような、戦前(平時)と戦時の断絶面と継続面にも目を配ることを忘れてはならないと思われる。『科学主義工業』は、戦前(平時)ー戦時ー戦後を見通す大きな視野と、各時代における断絶面と継続面を微細に検討するミクロの視座の両方をそなえて、繰り返し読まれるべき雑誌であると私は考える。

[追記]
本解題を書くにあたり、国立国会図書館、中央大学図書館、大原社会問題研究所協調会文庫の所蔵する『科学主義工業』誌、一橋大学大学付属図書館の所蔵する『科学主義工業』誌、『科学主義』誌を閲覧させていただきました。閲覧にあたっては中央大学社会科学研究所の協力を受けました。また、鎌谷親善氏には、個人的に所蔵されている雑誌を拝見させていただきました。お世話になったみなさんにこの場をかりてお礼を申し上げます。


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