「アジア.太平洋時代の創造」 要約

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私は、2000年4月から2004年3月の間、立命館アジア太平洋大学の学長をつとめていました。このこともあって、「アジア太平洋」とか、「アジア太平洋の時代」というコンセプトの意味や、今それを強調することの意義について問われることが多くあります。また、大学名にそのようなコンセプトを使ったいきさつについて問われることもありました。本書は、大学の責任者としてこのような問いに応えることを意識して、私自身がこの間考えてきたこと、発言してきたことの一端をまとめてみたものです。

「アジア太平洋」、「アジア太平洋の時代」というコンセプトを考える際、私は、以下のような3つの現点を前提としておくことが大切であると考えています。
第一. ネットワークの現点
第二. 文明史的な長期の現点
第三. 「時代を創造する」という政策的、戦略的現点

アジア、あるいはアジア太平洋といった場合、まず直観的に思い浮かべるのは、その内容の多様性です。この地域は周知のように、自然生態的にみても、文化的、民族的、宗教的にみても、社会体制制度の面からみても、実に多様なものを内包しています。その多様性は地球上の他のどの大陸、地域にくらべても際立ったものです。したがって、この点に着目すれば、アジア、ましてアジア太平洋という地域を、何か単一の統一体としてとらえることは不可能とさえ思われるのでしょう。事実、その点を強調する考えも存在します。
しかし、この間の経済社会のグローバリゼーションや情報ネットワークの発展、さらにそれらを背景としたASEANやAPECなどの政治的、経済政策の動きをみると、この地域の一体化は、急速に強まってきているということができます。一方では、際立った地域的多様性を特徴としながらも、他方でさまざまな社会的ネットワークによって地域相互間のつながりが強まってきているという現点をもつことが、「アジア太平洋」や、「アジア太平洋の時代」というコンセプトを理解する上で重要です。

第二に、これらのコンセプトを理解する上で重要なのは、人類文明の発揮から始まる長期スパンでの文明史的な視野をもつことです。1980年代以来いわれてきた「アジア太平洋の時代」の到来という見方は、どちらかといえば、1980年代以降のアジアの経済成長を背景においたものでした。しかし、それは、一つの直接的な背景でありますが、これには、より深い人類文明史的な背景があるというのが私の考えです。古代文明発祥以来の文明進化の長い歴史の中で、「アジア太平洋の時代」という時代は、一つの画期的な意義をもつ、あるいは、もちうるということです。そして、その最大のエッセンスは、古代文明発祥以来のアジアでの諸文明の蓄積と、とくに15世紀以降、ヨーロッパおよびアメリカを舞台として展開されてきた近代文明との結合、融合、いわば新たな「東西文明の融合」です。
「アジア太平洋」というコンセプトは、確かにそれ自体は地域概念です。したがって、このコンセプトを耳にすると、この地域は地球上のどこからどこまでを含むのか、中南米は入るのか、アラカン山脈を越えた西南アジアはどうかといった地理学的な論議が出てきます。
しかし、このコンセプトの理解にとって、そのような地理学的な理解もさることながら、より重要なことは、これが含んでいる文明史的な意味、つまり「東西文明の融合」と、そこから生れる新たな文明の可能性です。このコンセプトはまず、このようなダイナミックな脈絡で理解しなければならないというのが、私の理解です。

第三に、「アジア太平洋」および、「アジア太平洋の時代」というコンセプトの理解にとって重要なことは、これを「政策的、戦略的」な理解をもって理解することです。つまりこれを単に歴史の流れとして捉えるのではなくて、そのような時代を積極的に創造し、招来させるという「政策的、戦略的」な視角から捉えることです。くわしくは、私たちが、とくにアジア太平洋地域に住むものが意識的に努力を重ねることなくして、人類文明史に残るような「アジア太平洋の時代」は到来しないということです。

以上、3つの視点からの「アジア太平洋」および「アジア太平洋の時代」についての具体的な理解は本文で展開してあるとおりです。

もとよりこのような理解は、あくまでも私個人のものです。この点については、立命館アジア太平洋大学の構成員を含めて、多くの論議があると考えます。むしろ、これらのコンセプトの理解を学問的にも政策的にも深めていくための一つの素材にしていただければ幸いです。

私は、このささやかな本を、とくに若い学生諸君に読んでいただきたいと思いつつ、作成しました。忌憚のないご意見をお聞かせいただきたいと願っています。
本書を構成する各章は、それぞれ独立して話されたり、書かれたりしたものです。したがって、重複している部分があったり、調子の異なるところがありますが、お許しいただきたいと思います。