『ドラッカー再発見――もう一つの読み方』要約

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 本書は、「マネジメントの発明見者」といわれ、20世紀の「知の巨人」といわれた、ピーター・F・ドラッカーはその数々の著書、論文をとおして、私たちに幾多の「慧眼」を残した。本書は、そのいくつかを現実の問題に即してあきらかにしてみようとするものである。
 ドラッカーは、1939年刊行の処女作『経済人の終わり』から65年余の著述作活動のなかで30冊を超える著作を刊行した。それらは、周知のように、企業経営論、組織管理論にとどまらず、広く産業社会論、現代文明論に及んだ。しかし今振り返ってみると、「マネジメントの発明者」として知られる企業経営論、組織管理論の世界も、実は、彼の産業社会論、現代文明論の土台があって構築されたものであることがわかる。彼自身、自らを「社会生態学者」と呼ぶことを好んだといわれるが、それはこのような重層的な彼の著述活動の特質を自ら表現したかったからであろう。
ドラッカーは、それらの数多くの著作をとおして、さまざまな社会事象に数々の明晰かつ深い洞察を残した。それらについては、これまで多くの論者が種々の関心から取り上げ、紹介し、論評してきた。ある意味では、ドラッカーはもはや論じ尽されてきた感がしないでもない。生前、彼の著作が刊行されるたびに、数多くの論評が書評面を飾った。
 しかし、これまでの多くのドラッカー論を振り返ってみると、彼の深い洞察に充ちた叙述をそれ自体として、原理的、一般的な正鵠さを論評、評価する種類のものが多かったように思われる。
 これに対して、ドラッカーの様々な洞察を、一般論としてではなく、今日私たちが直面している現実の問題に照らしてその洞察の正鵠さ、先見性を確認する作業は、それほど多くないように思われる。
 本書は、今日私たちが社会的に直面しているいくつかの現実的な問題に照らして、ドラッカーがいかに先見的な考察を私たちに残したのか、いわば「ドラッカーの歴史的慧眼」を発掘してみようとする試みである。
 ここで取り上げるテーマは、以下の四つである。

 1.「21世紀文明」とドラッカー
 2.GMとドラッカー 
 3.GEとドラッカー
 4.大学にイノベーションとドラッカー

 は、今日展開しつつある21世紀が20世紀とは異なる、新しい固有の文明を構築するとするならば、どのようなディメンジョンの基本課題を解決しなければならないか、という問いを前提として、そのような「21世紀文明」の基本的課題についてドラッカーがいかに先進的にそれらの課題について将来を洞察していたかをあきらかにするものである。実は、このテーマにはもう一つの伏線がある。それは、ここで問題とする「21世紀文明」とは、私の理解では、具体的には「アジア太平洋文明」であろうということである。そうであるとすれば、この到来しつつある「アジア太平洋文明」についてドラッカーが実際にどのような基本課題を提起し、それらの解決のために、「アジア太平洋文明」はどのように貢献できるのかという問題である。
 1が文明論レベルでのドラッカー論であったとすれば、2と3は企業論レベルでのドラッカー論である。
 は、20世紀の合衆国企業を代表してきたGM(ゼネラル・モーターズ)の、今日の窮状とドラッカーの関係を問うものである。GMは自他ともに認める、20世紀の米国を代表する企業であった。少なくとも1970年代まではそうであった。しかし、このGEが、1980年代以来、病んでいる。とくに21世紀に入ってからの窮状は、1970年代までのGMを知る者には信じがたい状況である。2007年には3873200万ドル(約41000億円)という過去最大の赤字を計上し、これでここ3年連続の赤字に陥った。また、この年、GMは、史上はじめて自動車生産世界ナンバー1の座をトヨタに譲った。しかし、GMがこのような状況に陥る危険を早くから警告していたのは、ドラッカーであった。
 ドラッカーは、だれよりもGMの内情を知る人物であった。しかも、GMの今日を築いた、かのアルフレッド・P・スローンと格別に親しい関係にあった。彼の最初の経営書である1946年刊行の『企業とは何か』は、内部調査にもとづいてGMの組織の実情を本格的にあきらかにしたはじめての書であったが、このGMの内部調査を支援したのは、スローン自身であった。そのドラッカーの最初の経営書そのものが、GMの将来に警告を発し、改革の実行を提案していた。
 しかし、GMは1980年代以来、繰りかえし経営の困難に直面しながら、今日に至るまで、GMはドラッカーの勧める改革を実行することなくやってきている。世界の自動車市場のパラダイムも、グローバリゼーションと資源・エネルギー環境の変化、消費者の価値観の変容のなかで大きく転換してきている。それにもかかわらず、GMは、なぜ決定的な改革を断行できないのか。2は、ドラッカーの警告との関係で、この問題を考える。
 は、同じく20世紀の合衆国を代表する企業、GE(ゼネラル・エレクトリック)とドラッカーの関係を問うものである。ドラッカーの生涯を振り返ると、彼が経営コンサルタントを務めた数々の著名企業のなかでも、とくにGEとは深い関係があった。彼は、『企業とは何か』を著わした直後の1950年代と、ウェルチは会長に就任した1980年代前半の、二回にわたり請われてGEのコンサルタントを務めた。
 とくに1950年代のコンサルタントの時期には、GEは以後世界に多くの企業がモデルとした、精緻な事業部制組織を構築した。他方ドラッカーの方は、GEでの経験をもとに、のちに「マネジメントの発明者」として社会的地位を不動のものにする名著『現代の経営』を刊行した(1954年)。また1980年代には、ウェルチの事業戦略を親しく指南したといわれる。 このようなドラッカーとGEの緊密な関係のなかで、ドラッカーはとくに1980年代ウェルチの企業改革のなかで、何を期待したのであろうか。また、ウェルチとGEは、そのドラッカーの期待にどのように応え得たのであろうか。3は、1988年著されたドラッカーの論文「情報が組織を変える」(『ハーバード・ビジネス・レヴュー』誌掲載。この論文は、当初「未来型組織の構想」という題で『DIAMONDハーバード・ビジネス』誌上に紹介された)をとおしてこの問題を考える。
 は、私自身が実践的に経験してきた大学論、具体的には大学イノベーション論のなかでのドラッカー論である。
 ドラッカーは早くから企業活動の最も基本的な機能としてマーケティングとイノベーションを上げたことは有名である。このイノベーションについて、はじめてそれ自体を課題として世に問うた名著が1988年刊行の『イノベーションと企業家精神』である。
  この著作のなかで、私のような大学の管理運営に携わったものには、有名な「イノベーションのための七つの機会」もさることながら、実践的には、企業とはことなる公的機関におけるイノベーションの固有の難しさと不可欠さを説いた、同書第14章「公的機関における企業家精神」が大いに励ましとなった。
 このようなドラッカーの励ましを背景に、私自身が関わった大学のイノベーションについては、別の拙著で触れたことがある(『大学のイノベーション――経営学と企業改革から学んだこと』2,007年、東信堂、を参照)。そのような経験をドラッカーのいう「イノベーションの原理」という視点から、もう一度分析し、私なりにイノベーション実践のいくつかの原則を抽出してみる。これが4の課題である。
 一般によくみられる、ドラッカー自身の著作内容そのものの理解や評価を中心としたドラッカー論からすれば、本書のようなドラッカー論は、いささか奇異な、例外的なものと見られるかもしれない。しかし、ドラッカーを論ずる際、原理論的なドラッカー論と同時に、私のような、いわば歴史論的なドラッカー論があっても許されるのではないか、という思いから本書を刊行する決断をした。これが、ドラッカーの「もう一つの読み方」となればというのが、本書に込めた著者の気持ちである。
 本書のようなドラッカー論を考えた場合、私の勉強不足で気がつかなかった点が多々残されているであろうことを覚悟している。読者の方々のご指摘、ご教示を賜ればこの上なき幸いである。

目   次

第1章                          21世紀文明」とドラッカー

    ――来るべき「アジア太平洋文明」の果たすべき役割は何か――

はじめに――ドラッカーにおけるもう一つの「断絶」
1.「21世紀文明」の基本課題と「アジア太平洋文明」
2.「アジア太平洋文明」とドラッカー
3.「環境革命」とドラッカー
(1)「地球環境問題」の認識
  ――ローマ・クラブ「人類の危機」レポート『成長の限界』の衝撃
(2)ドラッカーの「地球環境問題」
  ――『企業とは何か』(1946年)第W章、「環境十字軍の救済」(1972年),および『新しい現実』(1989年)第9章 
(3)「持続可能な開発」を求めて
(4)「アジア太平洋文明」の挑戦
4.「知識革命」とドラッカー
(1)「知識の時代」
  ――ドラッカー『断絶の時代』(1968年)の問題提起
(2)ポスト資本主義社会としての「知識社会」
  ――ドラッカー『ポスト資本主義社会』(1993年)の問題提起
(3)「知識」をいかにして創造するか@
  ――ドラッカー『イノベーションと企業家精神』(1985年)が提起したこと
(4)「知識」をいかにして創造するかA
  ――野中郁次郎著『知識創造の経営』(1990年)が拓いたもの
5.「非営利組織革命」とドラッカー
(1)「非営利組織」とは何か
(2)「非営利組織」のマネジメント
  ――ドラッカー『非営利組織の経営』(1990年)の問題提起
(3)合衆国ジョンズ・ホプキンス大学非営利セクター国際比較プロジェクトによる実態調査(1990年)
(4)「リオ地球サミット(環境と開発に関する国連会議:UNCED)」(1992年)が果たした役割
6.「思考様式革命」とドラッカー
(1)「新しい世界観」
  ――ドラッカー『変貌する産業社会』(1957)の問題提起
(2)「機械論的」思考から「生命論的」思考へ
(3)「自他分離的思考」から「自他非分離的思考」へ
(4)上田惇生著『ドラッカー入門』(2006年)におけるドラッカー再発見
  ――ドラッカーの「ポストモダンのための方法論」

 

第2章                           GMとドラッカー

――スローンはなぜドラッカー『企業とは何か』を無視したのか。その結果は――

はじめに
1.20世紀企業改革の雄としてのGM――スローンの功績
(1)GMの設立と経営危機――創立者デュラントの退陣
(2)事業部制の導入

(3)スローン『組織についての考察』の考え方――事業部制の原理と実践
2.GMの事業部制からドラッカーはなにを学んだか
  ――ドラッカー『企業とは何か』(1946年)があきらかにしたこと
(1)事業部制の評価
(2)従業員関係のあり方
(3)企業の社会的責任について
3.『企業とは何か』とスローン  
  ――なぜスローンは『企業とは何か』を評価しなかったのか
(1)経営政策(マネジメント)についての考え方
(2)従業員関係、従業員政策についての提言
(3)大企業の社会的責任について
4.ドラッカーの警告とGM
  ――GMの窮状をもたらしたものは何か
(1)1970年代以降のGMの窮状
(2)GM窮状の背景
(3)ドラッカーの警告
   『企業とは何か』での2回の警告 
   論文「企業永続の理論」(1994年)での警告
(4)ドラッカーとスローン
5.GMはなぜ企業改革を断行できないのか
(1)1990年代はじめの危機で企業改革をできなかったGM――GE、IBMとの対比
(2)なぜGMは企業改革を断行できないのか――スローンの呪縛

 

第3章                           GEとドラッカー

 ――GEの経営改革に果たしたドラッカーの役割と、ドラッカーが得たもの――

はじめに
1.組織改革史におけるGEの貢献
2.1950年代GEの組織改革とドラッカー
3.GEへのドラッカーの新たな期待
  ――論文「未来型組織の構想」(1988年)の意味するもの
4.ウェルチ時代、GEはどう変わったか
   ――ウェルチの企業改革
(1)1980年代の改革
(2)1990年代の改革
5.ウェルチの改革成果とドラッカーの「情報化組織」構想
   ――ドラッカーの期待はどのように応えられたか
(1)「共有化された価値にもとづく組織」と「情報ベース型組織」
(2)「脱指揮・統制型組織」をめざして
  ――「リーダーシップ・エンジン装備組織」の可能性

 

第4章       大学のイノベーションとドラッカー

    ――ドラッカー『イノベーションと企業家精神』が提起したもの――

はじめに
1.公的機関におけるイノベーションの必要と難しさ
   ――ドラッカー『イノベーションと企業家精神』(1985年)が教えてくれたこと
2.私が関わった三つの大学イノベーション
3.ドラッカー「イノベーションのための七つの機会」と大学のイノベーション
   ――「ニーズを見つける」
(1)ドラッカー「イノベーションのための七つの機会」
(2)「ニーズを見つける」
4.ドラッカー「イノベーションの原理」と大学のイノベーション
(1)ドラッカー「イノベーションの原理」
(2)「イノベーションの原理」と大学のイノベーション
5.イノベーション実現の条件
   ――私の経験から
(1)ニーズの発見
(2)明快なイノベーション・コンセプト
(3)組織の共感、社会の共感
(4)恵まれたイノベーション実現の裏づけ
(5)イノベーション実現への執念
(6)イノベーション実現の条件――私の経験から