「大学のイノベーション−−私が経営学と企業改革から学んだこと」 要約
本書は、ひとりの大学 教員が、自分の専門としてすすめてきた研究と、たまたま担うことになったさまざまな大学行政の仕事をどのように結び付けてきたのかを、いわば「自分史」風に
綴ってみたものである。したがって、これは、半分は私の研究史であり、半分はこの間に担った私の大学行政の経験史である。 私は機会に恵まれて、本務校である学校法人立命館と立命館大学で、都合14年間ほど、さまざまな全学的な大学行政の役職を務めさせていただいた。 1988年4月〜1990年3月の教学部長をかわきりに、さらに19994年4月〜2004年3月までの11年間、学校法人立命館の副総長を務めた。 この間とくに、1997年から7年間は立命館アジア太平洋大学(APU)創設の仕事を担当することになった(1997年1月〜2000年3月までは学長予定者として、2000年4月から4年間は学長として)。 ひとりの大学教員の生活として、教育研究の本来的な日常的営みと、大学行政の役職という組織の責任を担う仕事を長期に連続的に両立させることはかなり無理のあることで、とくに研究のほうは事実上頓挫させざるをえないものであった。 このような状況のなかで、私にとって救いであったのは、私自身の研究上の関心が企業の組織や戦略といった具体的な企業経営の問題にあったことである。私はもともと経済学の出身であるが、1979〜80年ごろ米国ハーバード大学とニューヨーク大学で留学生活を送ったのを契機に、研究の関心を企業経営の問題に大きくシフトさせてきていた。 そこでたまたま大学行政の役職を担うようになったとき、これでしばらく研究は頓挫せざるをえないであろうが、しかし自分の専門は企業経営論なのだから、経営の分野は違うが、大学行政の務めからなにか実践的な知見がえられるのではないかと考えた。また逆に、ささやかだが、自分の経営論についての知 識が大学行政の実践に生かせるのではないかと考えた。こうして一教員の行政役職を前向きに、また少々貧欲に受け止めた。 こうしてともかく副総長時代11年が過ぎ、2004年3月定年を迎えた。最終盤、最大の難関であったAPU創設も、4年目、たくさんの留学生を含む第一期の卒業生が社会から格別の歓迎を受けて立派に社会への船出を果たした。 私自身の研究活動との関係で今振り返ってみると、当初思い描いていた研究と大学行政との間の相互作用は、社会的に評価されるようなものはさしてないが、 自分自身の心の中では、それなりに納得できるものがあったように思っている。本書は、いわばその報告書のようなものである。 本書のテーマは、「『大学のイノベーション』を進めるうえで、私が経営学と企業改革から学んだもの」となっている。これだけをみると、一方的に大学行政の 実践で研究上の知識や成果が役立ったことだけを問題にしているようにみえる。しかし、イノベーションの実践のなかで自分がこれまでに身につけた経営学や企 業改革の知識の有効さを確認する作業は、実は同時に経営学や企業改革についての私の理解を飛躍的に深めてくれるものとなった。その意味で、私にとって大学 行政の実践と研究は大切な相互作用を果たしてくれることになったと、自信をもっていうことができる。 経営学や企業改革についての私の研究の特徴は、一般的なものというよりはむしろ個別的、具体的なものである。 経営学では、近代組織論の開祖といわれるチェスター・バーナードや、「マネジメント」概念の確立者といわれるピーター・ドラッカーの理論の研究に集中 している。バーナードについては、主著『経営者の役割』に著された組織理論の要である「組織存続」の条件や「権限」の理論が関心の中心であった。ドラッ カーについていえば、とくに「イノベーション」の理論に大いに興味をもった。 企業改革についていえば、アメリカを代表する企業、GE(General Electric)やIBM(International Business Machine)といった個別企業の企業改革の、とくに歴史研究に関わってきた。 これらの先駆的経営学者や企業改革の先駆企業のいわばケース・スタディーをとおしてえてきた知見が、私の関わった大学行政、大学のイノベーションのいろいろな局面で陽に陰に私に力を授けてくれたように思う。 本書は、このような私のこの間の研究と、大学行政経験との関わりを少し丁寧に辿ってみようとするもである。 本書でのべることについては、あらかじめ二つのことをお断りしておかなければならい。第一は、ここであきらかにする「『大学のイノベーション』のなか で、経営学と企業改革から学んだもの」はあくまで私個人の経験であり、思いであるということである。関わった大学行政や大学のイノベーションは主として私の本務校立命館のものである。その成果の社会的評価は客観的に存在する。私自身はその過程に関わったものとして、その成果に満足し大いに誇りをもつものである。しかし、本書であきらかにすることは、あくまでも一経営学徒として私自身のまとめである。それは、責任ある組織主体としての立命館のものではないこと を予めおことわりしておかなければならい。 第二は、私が大学行政との関わりのなかでえた教訓は、必ずしも経営学や企業改革理論の世界で一般性を持ちうるもかどうかは定かでないということである。 そのような学術的な検証が十分できているとはいえないことを自覚している。しかし、実践の中でえた教訓を関わった本人の責任で記録しておくことは、それに 幾分個人的な偏りがあったとしても、それぞれの分野の理論的な発展にとって意味のないことでもなかろうというのが私の気持ちである。 本書の各章は、もともと、それぞれ独立の機会に公表してものをベースにしている。各章間でいくらか説明が重複しているところがあるのはそのためである。しかし、その分、それぞれの章を独立に読んでいただいても、趣旨が理解いただけるようになっている。 T.大学組織にいかにして「イノベーション体質」を根付かせるか −−P.F.ドラッカーの「イノベーション論」から学ぶ 1.ドラッカーさんとの直接の出会い−−APUへの支援メッセージ 2.著作を通してのドラッカーさんとの三回の出会い (1) 『新しい社会と新しい経営』(1950年)との出会い (2) 『断絶の時代』(1969年)との出会い (3) 『イノベーションと起業家精神』(1985年)との出会い (4) 「公的サービス機関の起業家精神」について 3.私が関わった三つのイノベーション 4.「京都・大学センター」の設立 5.BKCの新展開 6.APU創設 7.大学組織にいかにして「イノベーション体質」を根付かせるか (1) 大課題の提起はトップダウンの役割 (2) 大課題への挑戦には「大義」が必要 (3) 達成感の蓄積がつぎのエネルギーを生む (4) イノベーションは継続しなければならない U.「イノベーションを継続できる組織」をいかに構築するか −−J.ウェルチとJ.R.イメルトのGE改革から学ぶ 1.GEへの関心、ウェルチへの関心 2.ウェルチ時代、GEはどう変わったか 3.ウェルチの経営改革 (1) 1980年代の改革 (2) 1990年代の改革 (3) ドラッカーの「未来型組織の構想」とウェルチ改革 4.ウェルチのGE改革からなにを学ぶか −−リーダーシップの重要性 (1) 日本的経営手法との親近性 (2) 成否を決める組織体質:「リーダーシップ・エンジン」装備組織 (3) 「リーダーシップ・エンジン」装備組織をいかにして構築するか −−ノエル・M・ティシー定式化 5.進化するGE改革−−2000年代、ウェルチ改革からイメルト改革へ V.「組織文化の改革」をいかにすすめるか −−L.V.ガースナーとS.J.パルミサーノのIBM改革から学ぶ 1.IBMへの関心 2.戦後IBMの成長−−1950〜1970年代 (1) コンピューターの「世代」交代とガリヴァの形成 (2) 売上高・純利益・売上高純利益率 3.ダウンサイジング、オープン・システム化のなかのIBM−−1980年代 (1) 急潮化するダウンサイジングとオープン・システム化 (2) IBMの挑戦 4.エクセレント・カンパニーIBMの危機 (1) 危機に立つIBM (2) 会長交代 5.ガースナーの経営改革 (1) ガースナーの基本方針と危機回避のための決断 (2) 事業モデルの転換 (3) 企業文化革命 6.進化するIBM改革−−ガースナー改革からパルミサーノ改革へ 7.IBM改革からなにを学ぶか (1) 環境変化の怖さ (2) 「組織文化」の正機能と逆機能 −−「組織文化の革命」をいかにすすめるか (3) 「バリューズ・ベースト・マネジメント(価値観共有)」戦略の重要性 W.「組織の存続」はいかにして確保されるのか −−Ch.バーナードと野中郁次郎氏の組織理論から学ぶ 1.バーナードへの関心 (1) 理論的関心 (2) 実践的関心 (3) バーナード理論の実践的骨組み 2.「組織の存続」をめぐるバーナード組織理論の骨組み (1) 「組織の有効性と能率」の実現 (2) 「権限受容」による権限の実現 (3) 「権限受容」を実現する経営者のリーダ一シップ能力 3.バーナードと野中郁次郎氏の組織理論から学ぶ(1) −−いかにして「組織の有効性と能率」を同時に実現するか (1) 「組織の有効性と能率」−−バーナード以降の理論状況 (2) 野中郁次郎氏の「組織的知識創造」論と「組織存続」論の新展開 4.バーナードと野中郁次郎氏の組織理論から学ぶ(2) −−いかにして「権限」を実現(発揮)するか (1) トップダウンと大学・学校組織の特殊性 (2) 野中郁次郎氏の「ミドル・アップ・ダウン」論が意味するもの (3) バーナードの「権限受容」説と合意形成における新しいトップダウンの 考え方 −−トップの管理力量とトップダウンとボトムアップの一体化 X.「オンリー・ワン」をめざして −−立命館アジア太平洋大学(APU)創設で、大分県「一村一品」 運動から学ぶ はじめに 1.大分県「一村一品」運動 (1) 歴史 (2) 運動の「三原則」 2.APU創設−−究極の大分県「一村一品」運動 (1) わが国初の本格的国際大学APU アジア太平洋地域の人材養成拠点 日本初の「国際スタンダード」の大学創造 (2) いかにして「国際スタンダード」の大学をつくるか (3) APUの試み 「国内学生50%・国際学生(留学生)50%」 英語・日本語二言語による教育システム 外国出身の教員比率50% (4) APUがつくり出しつつある大学革新の萌芽 日本学生、教職員への新しい刺激 産学官協力・連携の促進 3.APU創設が大分県「一村一品」運動から学んだもの (1) 究極の大分県「一村一品」運動としてのAPU (2) APU創設が大分県「一村一品」運動から学んだもの 技術革新 マーケティング 4.大分県「一村一品」運動の新展開 (1) 「一村一品」運動のグローバル化とAPU (2) 「一村一品」運動の新領域を求めて Y.「逆転の発想」がイノベーションを生む −−「トヨタ生産方式」から学ぶ はじめに 1.「トヨタ生産方式」の要諦とその開発 (1) 「トヨタ生産方式」の要諦と「逆転の発想」 「ジャスト・イン・タイム」 「生産の平準化」「生産の小ロット化」、そして「段取り替え時間の短縮」 「自働化」 (2) 「トヨタ生産方式」の開発 2.立命館アジア太平洋大学(APU)と「逆転の発想」 −−「留学生受入れを牽引力とする大学」を創設する (1) APU発想 (2) 「逆転の発想」−−「留学生受入れを牽引力とする大学」の創設 |