立命館大学 宮脇研究室

ロシア兵捕虜関係文献資料

 

 ― 『海南新聞』 (「俘虜彙聞」ほか) ―

ロシア兵捕虜が最初の収容所―松山収容所―にきた1904年3月。

ポーツマス講和条約が発効し捕虜が帰国しはじめる1905年11月。

愛媛県で発行されていた新聞『海南新聞』(1876年―1941年)は、この間、21ヶ月にわたり、

ロシア兵捕虜について「俘虜彙聞」のコーナーをつくって細かく報道した。

このホームページでは、「俘虜彙聞」のコーナーや他の捕虜関係の記事を

ワープロソフトで入力しなおしたものを、ここに提供したい。

 

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本データをHPで公開する背景

 愛媛県の地元紙である『海南新聞』『愛媛新報』は、捕虜の動静について細かく描写している。『海南新聞』のマイクロを閲覧することができるのは、国立国会図書館、愛媛県立図書館、愛媛大学図書館、松山大学図書館などである。しかし1904年3月に捕虜収容所が松山に設置されて以来、同紙上では捕虜関係の記事が膨大に続き、記録や分析に際してはデジタルデータ化が必要であった。そのため、研究上の理由で『海南新聞』の「俘虜彙聞」のコーナーのデジタル化をすすめた。

 おりしも第一次世界大戦の際のドイツ兵捕虜について地元新聞記事を同様に入力した例を見聞し、ロシア兵捕虜についてもデータ化することによって、一般・研究者の利用を通じて、この研究の向上に貢献することができればと願い、本データを公開することとした。

 なお本データの公開にあたっては、後継紙である愛媛新聞社より快諾をえた。この場を借りてお礼申し上げたい。

 

閲覧利用者の方々へお願いと注意

・新聞(原文)の誤記について

 当時の新聞には一般的に誤記(人名、地名、階級名、その他一般的な誤字)が多数見受けられる。

 このHPで提供する入力データは、こうした誤記も含めて100%忠実に文章を復元することを基調としている。例えば正しくは「小笠原大尉」のはずが「小笠村大尉」と記載されている例があるが、本データでは誤記のまま入力している。

 

・日本人・ロシア人などの人名表記について

 本データで登場する日本人の人名部分については、利用者の便宜を考えて青字とし、ロシア軍将兵の氏名は、赤字で表記した。

 また一切の人名表記は、他の表記と同様、新聞に掲載されたままとしている。

 『海南新聞』と『愛媛新報』の間では同一人物の表記に違いがみられる。例えば、前者ではエヅソフ中佐とされる人物が後者ではエドソーフ中佐と表記されている。ただしいずれの場合も、ロシア語(あるいはポーランド語など)の発音に忠実な表記とは異なることを申し添えたい。

またAdobeの検索機能でキーワードを入力する際に利用者に注意していただきたいことは、たとえ同一のロシア人であるにもかかわらず、人名表記が日によって変遷していることである(たとえば、砲兵中尉のシチェゴリコフを、スチェゴリコーフ、シュチヱゴリコーフ、シユチエゴリコーフ、と日によって表記が異なる)。複数のパターンで入力してチェックすることをお薦めしたい。

 

その他の表記

原則として旧漢字の字体は用いず常用漢字等におきかえた。

「子」(ルビ=ネ)のような変体仮名は原文通りとした。

仮名遣いは、本文中に特記している箇所を除き、ひらがな・カタカナともに原文通りとした。また、例えば「」(ルビ=コト)のような合字は、そのまま表記している。

ただし、原資料の中で大きなフォントで強調表現されている部分については、原則として下線をつけた。

判読不明であった文字の部分については、安易な推測をさけ、●とした。今後、判明した文字があれば、順次訂正版をアップロードしたい。

原文の強調ルビの部分ついては、本データでは太字で表記した。

 

・データ化した範囲について

データ作成作業(ワードでの再入力)は、万全の注意をもって実施した。

しかし、①新聞発行日であるにもかかわらず資料散逸のため入手できなかったものが存在する。特に明治37年4月のデータは未収集である。また②俘虜彙聞のコーナー以外の俘虜関係記事(特にロシア側での日本人捕虜について)を入力しきれていない。

①については、データ中に「(コピーなし)」と表記した。今後、判明したものについては順次訂正版をアップロードしたい。

②「俘虜彙聞」以外の記事については、左から2列目の列に水色で編かけをした。

 

・論文等で利用する際の責任の所在

本データは、原紙あるいはマイクロ化された『海南新聞』を再入力したものであり、その内容の正確さには自信を有している。

しかし、あくまでも論文等での利用に際しては、利用者の責で行い、本データ作成者は一切の責任を負わない。

また、原紙あるいはマイクロ資料で『海南新聞』を確認しないにもかかわらず、本データのみからの直接の引用を行うことはお避け下さい。

一般論として、引用等に用いる場合は、必ず原史料あるいはその複製物を直接見ていただいたきたい。

 

・脚注について

利用者の便宜を図るため、本データ作成者は脚注をつけている。脚注で引用した史料は、異なる日付の、『海南新聞』のほか、『愛媛新報』(1888年-1940年)の「俘虜雑聞」のコーナー、『松山水曜会記事』(『水曜会記事』と略記)、『明治三十七八年戦役俘虜取扱顛末』(『俘虜取扱顛末』と略記)、『松山俘虜収容所病室衛生業務報告 : 附松山俘虜収容所病室規定』(『衛生業務報告』と略記)、松山俘虜収容所編『松山収容露國俘虜』松山俘虜収容所、などである。

 

「俘虜彙聞」ほかのデータ (PDFファイルです)

1904年3月20日から12月25日まで(ver.2005-10-20)

1905年1月から11月22日まで(ver.2005-10-20)

  なお、1905年10月21日より『海南新聞』では、ポーツマス講和条約発効により、ロシア軍将兵が捕虜の身分から露國軍人の身分に復したことにより、「俘虜彙聞」のコーナー名を「昨敵今友」にあらためている。

 

■ このテーマに関連する推奨文献(二次文献)

才神時雄『松山収容所』(中央公論社、1969年)

才神時雄『ロシア人捕虜の記録』(新時代社、1973年)

鈴木敏夫『日露戦争裏面史』(私家版)、2003

松山大学編『マツヤマの記憶』(成文社、2004年)

宮脇 昇『ロシア兵捕虜の歩いたマツヤマ』(愛媛新聞社、2005年)

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●本データについてのお問い合わせは

e-mail miyawaki@sps.ritsumei.ac.jp

603-8577 京都市北区等持院北町 立命館大学政策科学部 宮脇研究室

 

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