『聖エウテュミオス伝』(第6〜8章)

凡例

  1. 原本(P. Karlin-Hayter (ed.), Vita Euthymii Patriarchae CP., Bruxelles, 1970)のページ数を黄字で示しています(原本の偶数ページは英訳なので、奇数ページのみです)。
  2. は最小限のものに限定してあります。
  3. この試訳の無断引用等は堅くお断りいたします

(35)6 修道院の奉献とそこへ主の与えられたものについて

 聖堂が建立されてそこでの聖別式が終了しても、父は堂から満足して出てこようとはせず、皇帝と食事を共にもせず、40日が経つまで堂から出ないと言った。そしてそれを実行した。皇帝は全てのことについて多いに喜び、父の祈りに助けられて宮廷に戻った。一方名高き総主教ステファノスは3日間共に儀礼を行うべく(父の元にとどまり、それから彼に)*1別れを告げて自らも戻っていった。この日々のあいだ、我らの全き至福の父エウテュミオスが示した苦闘は、全てを述べたり書いたりするのが困難なほどである。というのも彼は聖職者から毎日受ける祝福と、週に2回与えられる水の他には、ワインも油も受けとらず、果物や豆類さえもとらなかったのである。また彼は横になって寝ようともしなかった。かくして40日が過ぎ、早朝の賛歌が終了すると、いつものような彼の祈りの声が聞こえてくる前に、心の深みと大いなる悔悟ゆえに、涙を流して叫び、言った言葉が全ての人々に聞こえたのである。「あなたに感謝します、人々を愛する主、善なる贈り物の多くの提供者、慈悲の心にあふれる慈悲深き方よ!私は全ての人々の中でも価値のない、取るに足らない人間ですが、神の無限の憐れみを私の卑小さや無価値さに対してこれほどまで豊かに受け取っている私は誰なのでしょうか?あなたが限りなく与えて下さるものの波を立たせて下さい。あなたの限りなき贈り物を奪い去って下さい。あなたの大いなる憐れみがここに豊かに(37)あり、越えていかない限りは。これからの私の生涯の中に、何か善行を残して下さい。私の行動ゆえではなくあなたの憐れみゆえに、罪から私を救って下さい。そして新たに作られた囲みであなたの理論上の羊たちを取り囲んで防備し、しっかりと見守って下さい、血を好む野獣があなたのこの小さな牧場で場所を得ず、あなたの強き右手によって石を投げて追い払われて、見守られていたものたちが無傷のままであるように。そしてこの卑小な私が従ってきた、伝えられたことによって、あなたの万能の守護となる錨を....*2
 ....それから主はこれらのことを尋ねると許しを授け、これらのことについてこのように言った。「人々は考える、すなわち自分たちが考えていることや自分たちの生命、またそれを分け隔てているものを知ろうとする、ちょうど呼吸をするのが造物主の手によるものではなく自分たちでできると考えるように、33年の期間にわたって。人々はどこからか、私の知らない考えを持つようになっているのだ。言葉の続きを『求めよ、そうすれば見つけることができるだろう』*3。そしてその智慧に感嘆するだろう。ザウーツェスはこのことに立腹し、父の言うことを広めないよう誓って、いらだっていた。
 このように、新たに建てられたプサマティア修道院では繁栄が続き、全くの静寂な暮らしが保たれていたので、この悪魔であり善きことの敵は多くの点で善きことがあふれ、また高みに達することをよしとせず、その悪意によってそれをひっくり返し、破壊することに夢中になっていた。つまり活気の代わりに無気力を入り込ませ、また静寂の代わりに混乱と騒動を引き起こそうとしたのである。それは試練の形をとった。高貴なる皇后テオファノは宮殿に父を招き、彼女に取りついている苦悩を彼に示し、そしてこう言った。「私はここから立ち去りたいと思っていて、そのことを皇帝陛下にも伝えました。というのも私の最愛の子供*4が奪われてしまって、私にはもはやここにとどまって心に苦痛を与える必要はありませんし、ブラケルナイの聖なる棺の聖域に我が身を置くことのほかに、私には願いはありませんから。皇帝陛下に離縁状を渡すつもりです。それだけが私にとって望ましいことなのです。」父は彼女にこう言った。「娘よ、そのようなことを言おうと考えてはいけません。というのもあなたには陛下を残して去ることは許されてはおりませんし、それに(39)あなたが姦通の罪を負うことになってしまいます。使徒の言葉を聞いたことがないのですか、『夫は自らの体を支配していない。それは妻がしている。同様に、妻も自らの体を支配していない。それは夫がしている』*5というのを?だからもし自らの妻と離れようとする夫に罪があるのなら、全く同じように自らの夫と離れようとする妻にも、夫と同じ罪が降りかかるのです。あなたは完全に、若い頃からのあなたの夫に関する姦通の動機となるおつもりなのですか?なりません、娘よ。私はあなたに忠告しておきます。もし本当に永遠の善にあこがれているのであれば、苦しみに誠実に耐え、あなたの夫に罪を負わせないようにしなさい。キリストの畏れ多き裁きの場での陛下に対する判断で、あなたは報われるでしょうから。」彼女は彼の忠告に従い、もはやそのようなことを言わないことに同意して、祈りを受けたのであった。

7 皇帝に対して述べられた父の言葉について

 父が皇帝のところに参上すると、皇帝は会ってこう言った。「父よ、アウグスタが我々を見捨て、ここから去ろうと望んでいることをご存知ですか?」父はこう答えた。「何が原因なのですか?」「彼女の子供が亡くなってから、そのことを心の中で考えていたのです。」父はこう言った。「彼女の子供などといってはなりません。あなた方の子供です。お話の口ぶりから、陛下がアウグスタに対して不快感を抱き、離れようとしていることが分かります。ですが、アウグスタが陛下を見捨てようとしているという、陛下のお考えは正しくありません。というのもアウグスタは私に、それは彼女によって述べられた試練の行為であると言ったからです。もしそうするなら〜それは不可能ですが〜、陛下の治世は姦通の非難に対して責任を持つということを無視するのですか?」皇帝はこう言った。「朕は自ら進んで彼女を拒否しているのではありません。法や教会法が朕を他の方向へ向けて満足しているのです。」父は皇帝に対してこう言った。「陛下が生きている限り、アウグスタは他の男と一緒になることはできませんし、同じように陛下も他の女と一緒になることはできないのです。」これに対して皇帝は少し何かにとりつかれたふうにこう答えた。「朕が思うに、(41)聖なるあなたは彼女から朕が被った悪事のことを知らないようです。というのも彼女は朕の死んだ父のところに赴いて、朕がザウーツェスの娘のゾエのところに言ってるという作り話を朕と結びつけたのです。それで父帝は朕に対して....(亡失)....一言も話させることなく押さえつけ、すぐに朕の髪の毛をつかんで地面に投げつけ、拳と罵詈雑言を投げ掛けて血でまみれさせ、そして彼女に対しても、何の罪も犯していないのに、彼女が望んでもいない男と結婚させるよう命じたのです。朕は彼女のことを決して忘れないでしょう、朕が憐れみの心を持つようになる『運命の日』*6が来るまで。」父は皇帝の言葉に態度を変えて皇帝にこう言った。「陛下の心の中はかくも不敬虔なるものに完全に制圧されているのですか?『汝の貯水池と汝のため池から水を飲みなさい。汝の泉は汝自身の水としなさい。そして汝は若い頃からの妻を楽しみなさい』*7という言葉を知らないのですか?」皇帝はこう言った。「それら全てを、聖なるあなたと同じようによく知っています。」彼はこう言った。「それゆえに、より際立った責任を陛下は負っているのです。*8」皇帝はこう言った。「全ての元老院議員が、朕自らが望んで結婚したのではなく、父帝を恐れ、そして存分に苦しめられてのことということを知っているのです!」これを聞いて父は怒り、心を完全に傷つけられてこう言った。「息子よ、私は陛下から神が去っていかぬように、そしてさらには人々から批判を受けぬように、陛下の魂の安寧を気にかけてきました。そしてそれゆえ、私はそのような大いなる災いから陛下を救い出すというよき望みを持って反対し、そして勧告を行っているのです。ですがそのようなことにこだわり続けて陛下の心の中にそれがあり続けるのであれば、陛下が後悔してご自身を断罪するまで、私はここにはもう参上いたしませんし、陛下が私から何らかの話を聞くこともあり得ないことを、陛下にお知らせしておきます。」
 このように率直に言って宮廷から立ち去り、再びテオファノのところへ赴いて彼女にこう言った。「娘よ、私はあなたに知らせておきたい、あなたが神の許に赴く時が近いことを、そして死の試練で試されねばならぬことを。いかなる試練を受けるにせよ、あなたはそれに応じたものを受け取ることができるでしょう。というのも、争いと試練の時があなたに近づいていて、もしあなたが永遠の生を望むのであれば、軽く考えたり卑屈になったりせずに起きることに感謝の念を持ち、正直に振る舞って下さい。そうすれば神はあなたにとって聖なる守護者となるでしょう。そして最後に、娘よ、お元気で。(43)ここで私と会うことはもうないでしょうから。」この言葉に彼女は涙を流してこう言った。「あなたはまたご自分自身を閉じこめて、会えなくなるようにするおつもりではないですよね?」というのも彼はしばしば静寂を愛する父となり、3〜4ヶ月あるいはまる一年のあいだ、自ら独房にこもり、扉は開けていたものの企図していた期間が過ぎるまでは決してそこから出ようとはしなかったからである。「というのもご存知のように、」彼女は言った。「父よ、聖なるあなたがいなければ、私には目線を伸ばすところは他にはありませんし、心の苦しみを示すことも、救いを受け取ることもできないのです。」だが彼はいつものように話をして宮廷から退出した。一方皇帝は父からの遠慮のない物言いによって心をかたくなにし、いつものように毎日彼に使いを送ることをしなくなり、そしていくばくかはザウーツェスの中傷にもよるのであるが、彼に対して態度を変えて不快感を示すようになった。
 その後すぐに、非常に祝福された総主教ステファノスが7年間その首位聖職者の地位を全うして、この世を去った。それからの、自らの息のかかった人物を総主教につけようとするザウーツェスとの争いは恐ろしいものであった。というのも、彼は皇帝が父エウテュミオスをお気に入りということで教会に指名しないか恐れていたのである。それで彼に対して非常に大きな怒りを覚え、そして皇帝の昼食の際に慣習に従ってやってくる役者たちに、彼に関する悪口を言うようけしかけた。彼らのうちに第一人者であるティトレバキオスなる者は、彼から多くのことを約束されたにもかかわらず、そのような悪しき企みに与しようとはしなかった。だが他の、ランプディオスなる哀れな男はこう言った。「奴の名前が全ての人々によって忌まわしく、呪われたものと考えられるように、私がいたしましょう。」それで彼に対して彼はこう言った。「ランプディオスよ、おまえの方策を私に見せてみろ。」それで昼食のあいだ、このランプディオスは非難の余地などない我らの父に対して、その怒りに充ちた心から恐ろしくたくさんの、恥ずべき罵詈雑言をまくしたてたので、皇帝と共に食事をとっていた人々は赤面し、また皇帝自身も(45)怒って彼を外へ追い出した。昼食が済むとランプディオスは約束の支払いを要求してきた。それで彼は彼に、ユダのように30枚の銀を渡した。そしてこれによって、ユダが絞殺されたように、彼もまた破滅的な死にいたることになったのである。すなわち彼は他の者たちと共に宮廷から退出して、いわゆる象牙門までやって来たのであるが〜そこには聖なる殉教者アテノゲネスに捧げられた礼拝堂がある〜、突然体中を揺すらせて地に崩れ落ちた。そしてすぐに上から自ら後と汚物を流れ出させて、哀れむべき、そして恐怖に充たされた宿命のもと、すぐに宮廷で息絶えたのである。それで全ての人々に、父に対する偽りの中傷が、ランプディオスのこのような破滅の要因であることが示されたのである。
 11月になって、名高き皇后テオファノはブラケルナイの聖母の教会で病に臥せり、父なるエウテュミオスを呼び寄せ、彼女に関する全てのことを結びつけた。それで涙を流し、心からの同情心を持って彼女にこう言った。「我が主にして貴き女性であるテオファノ様、これが最後のお別れです。この世では卑小なる我々の姿はもはや見ることはできません。ですがもし率直さをお望みなら、いとも小さき我々を記憶しておいて下さい。」それでこの貴き皇后は彼女の小箱をとって、碧玉石がはめ込まれた聖具を、その上にかけられていたベール〜それは黄金の糸で父の名前によって飾られていた〜とともに彼に渡した。またこれらと共に、教会において彼女の頭と両肩を覆っていたベールをも、それを捧げ物ということにして渡した。後に皇帝はこの聖具を乞うて見事に飾り付け、再び父に贈った。こうして11月の10日にこの高貴なる皇后は地上から天上へ場所をかえ、神の許へ旅立ったのである。それからすぐにザウーツェスの娘のゾエの夫であるテオドロス=グズニアテスもこの世を去った。噂ではアウグスタの死にも、彼女の夫の死にも、彼女に責任があるという。

(47)8 ザウーツェスの娘のゾエと、彼女に関してその父親とのあいだに起きたことについて

 父親のザウーツェスはすぐに彼女を宮廷に連れていって、皇帝と結ばせようとした。彼は多くの申し立てをおこなって、父を宮廷に呼んで彼の祈りによってこのことに承認を与えるようにと、皇帝を説得した。だが彼は悩み苦しみつつ皇帝に反対し、何も得るものがないまま使者たちを送り返した。バシロパトルは彼らを先に出迎えて、彼の望むことを言わせて皇帝を怒らせた。それで皇帝はすぐに彼を強引に小舟に乗せて宮廷まで連れてくるよう命じた。そのように実行されたので、いつものような皇帝からの敬意を受け取らず、また加えて出迎えも受けず、皇帝の寝室に入って皇帝にこう言った。「私に対して陛下が怒っておられることについて、私は真実を申すのをやめる気はございません。そのようなことは不信心なことであり、非常に不法なことだと言い続けます。私は私の神に、陛下が早くそのような意図から離れ去るよう、祈っております。」皇帝は彼を喜ばせ、落ち着かせようとこう言った。「お聞きなさい、父よ。そして不可思議なことを申されますな。ご存知のように私の后はこの世を去りました。なので、朕も全ての人と同じように使徒たちの声に従って、再婚しなければならないのです。つまりちょうどまさにこの同じ時に、彼女〜ゾエのことを言っているのです〜も、同じような境遇となり、自由の身となったのです。これは法が指し示すものであり、また使徒たちの命じるものです。あなたは何を、これに優る掟と考えるのですか?」だが彼はなお、そのようなことは不法で誤ったことであることを証し続けた。「他の女性を召し出すのであれば、私ヘ反対いたしませんし、悪しき点を探す必要もございません。ですがこのようなことを行えば、彼女について言われていたことは全て真実だったのだと、みなが考えることでしょう。」そしてこう言うと立ち上がって退出した。こうしたことに皇帝は苦しみ、すぐにバシロパトルを呼び寄せた。彼に対して大きな怒りを持って、すぐに父を、皇帝の父親であるバシレイオスの聖ディオメデス聖堂*9に幽閉するよう命じた。これはすぐに実行された。
(49) かくして、我らの父は2年のあいだこの聖堂にあって、彼の愛する静寂の中に身を置いていた。そして彼に対して後悔の念を持って皇帝が彼のところに使者を送った時も、使者たちと話をする価値はないとして返答もせず、なお不法で間違ったことと証していることを示し続けた。それを聞いて皇帝は一層取り乱した。そしてある日、彼のプロトベスティアリオスを送って、彼の兄弟である総主教ステファノスの邸宅に父を移すよう命じ、そしてもし望むなら彼の弟子たちも招くようせがんだ。…
(亡失)
…そして誰が私を見張るよう命じたのですか?」彼はこう答えた。「私が思うには、陛下の妻方の親族からです。」皇帝は彼に向かってこう言った。「聖なる父よ、全ての人々はまさに地上のものであり、怒りにとらわれてしまうものなのです。しかるに朕の后をあなたは疎ましく思い、また彼女の一族に対しても常に怒りを示しておられたが、それらはあなたから明らかになったことです。それゆえ、もし彼女に対して優しく、穏やかに接してくれるのであれば、彼女の一族もすぐに朕の治世の守り手となってくれるでしょうに。」父はこう応じた。「陛下、私は陛下の身の安全を考え、また信心深いキリスト教徒の人々のことを気にかけて、卑しきこの私に知らされたことを明らかにしているのです。陛下はその結果をご覧になることでしょう。」
 ザウーツェスが没してまだ6ヶ月経たず、なお聖アントニオス=カレアス*10が総主教だった時に、ゾエが恐ろしい病と目まいに襲われ、この世を去った。その時彼女の父の邸宅から、飲み物の給仕をしていた卑しき少年が脱走した。彼は立場は宦官で、アガレノイの地の出身であり、サモナスと呼ばれていた。彼は宮廷に飛び込んで皇帝を探し求め、見るなりこう言った。「もし今日のうちに私の主人の一族を抑え込んでしまわなければ、陛下、宮廷だけでなく陛下のお命までもが失われてしまいます。」彼らについてや、宮殿から他の誰が彼らに協力しているかを彼は言い立てた。(51)彼らのうちの何人かを捕らえて、処罰を行わないという保証を皇帝が行って暴露させ、サモナスが語ったことが全て真実であることが明らかになった。また彼から、彼らのところにたくさんの武器があることも知らされた。このことゆえに彼はすぐにクビクラリオスに任じられ、陰謀を企てた者たちの財産の1/3が彼に注ぎ込まれた。そしてすぐに彼をニプシスティアリオスとした。それから皇帝は我らの父のところに謝りに訪れ、こう叫んだ。「聖なる父よ、朕の不注意と不信の念ゆえにあなたを誤解していたことを許して下さい!」そして涙を流して相まみえ、許しを乞うた。彼は優しく穏やかに、皇帝にふさわしく語りかけ、許しを与えて送り出した。だが皇帝はこう言った。「朕とともに宮廷に来てもらわねば、朕には十分ではありません。」それで彼は皇帝とともに参内し、3日間そこで過ごした。皇帝は彼に、銀の聖器と教会で着用する非常に白い衣装、そして華やかで銀や金で飾られた素晴らしい書物を与えた。それは皇帝自らが書いたものであるといい、彼の苦労をも列挙した。「あなたからの聖性ゆえに、そしてあなたとのあいだでおとずれたことを朕がいつまでも心にとどめているゆえに、朕はこれを贈るのです。」かくして父は皇帝に別れを告げて、海を渡ってプサマティア修道院に去った。だが皇帝はそれからもしばしば不意に修道院を訪れるようになったのである。

*1 この部分、原文が若干脱落している。カッコ内は編者による推定補遺の翻訳。
*2 この部分も原文が亡失している。以下、同様の部分には(亡失)と指示をつけた。
*3 『新約聖書』「マタイによる福音書」VII-7からの引用。
*4 レオン6世とテオファノの間に産まれた娘のエウドキア。
*5 『新約聖書』「コリント人への第一の手紙」VII-4からの引用。
*6 『イリアス』VI-448を念頭に置いた表現。
*7 『新約聖書』「箴言」V-15~18からの引用。
*8 『新約聖書』「マタイによる福音書」XXIII-14からの引用。
*9 コンスタンティノープルにやって来たバシレイオス1世が到着した晩に滞在した聖堂。
*10 ステファノスの後任のコンスタンティノープル総主教。在位893-901年。

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