定年制と平均寿命
平均寿命の推移
平均寿命とは、0才時の平均余命をさします。
*は「完全生命表」による数字であり、無印は「簡易生命表」によるものです。
「完全生命表」は、5年毎の国勢調査による日本人人口(確定数)と、死亡数や出生数については人口動態調査(確定数)をもとに、5年毎に作成されます。
「簡易生命表」は、10月1日現在の推計人口と、死亡数や出生数については人口動態統計月報年計(概数)をもとに、毎年作成されます。
1891年から1936年のデータで、グラフが横ばいになっている箇所は、公表されている数字が複数年の平均値であるため、それを複数年にわたって作図していることによります。

<解説>
  明治時代・大正時代は、男性の平均寿命は43才前後でほとんど変動がないことがわかります。戦後直後の1947年で50才、1951年に60才、1971 年に70才、2013年に80才です。伸びた理由は、乳幼児の死亡率の低下、結核などへの医療の進歩、生活環境の改善、などがあげられるでしょう。乳幼児 の死亡率は、現在では3%程度ですが、大正期までは15%程度ありました。
 定年制は、明治時代(1868年~1912年)の後期に一部の大企業 で始まり、その後、広がっていきました。記録に残っている最古の定年制は、1887年に定められた東京砲兵工廠の職工規定で、55才定年制でした。民間企 業では、1902年に定められた日本郵船の社員休職規則で、こちらも55才定年制でした。上のグラフからわかるように、この時期の男性の平均寿命は43才前後で した。新生児の死亡率が15%であったとして、それを統計から除外しても、平均寿命は50才という計算になりますから、55才は平均寿命よりかなり長いも のでした。定年制が実際に適用されたのは、大企業の一部職員だけでしたが、それでもそれらの人に対しては文字通り「終身」雇用であったと言えるのかもしれ ません。
  荻原勝『定年制の歴史』(日本労働協会、1984年)によれば、当初の定年制は労働者の足止め策と表裏でした。つまり、定期職工が当時の基本的な雇用形態 であり、海軍の場合、45才が採用の上限で、年季が10年であったので、55才定年ということになるのです。そのため、戦後の1947年 に立法された労働基準法では、使用者による過度の足止め策を禁止する規定が並んでいるのです。有期労働契約の上限を1年(当時・14条)とし、賠償予定 (16条)・前借金相殺(17条)・強制貯金(18条)といった手段による足止め策を禁止しています。
 それに対して現在では、平均寿命の急伸を 背景に、定年制は強制退職の側面が強くなっています。そこで、高年齢者雇用安定法は、1985年に60才定年を努力義務とし、1994年には法改正して 60才定年を義務化する規定を設けで1998年に施行され60才定年となりました。その後、2006年には法改正して65才までの継続雇用を義務化する規 定を設けて、2013年より施行されています。しかし、新生児の死亡を除外したとしても平均寿命は、明治時代の50才から現在の80才まで30才も伸びて いるのに対し、定年年齢は、55才から65才と10才しか伸びていないのです。

戻る資料集トップサイトトップ