Classification of the Poor:

COSは各地区委員会における活動の現況を週報もしくは月報として、機関紙上で逐次報告していた。以下の表はその一つである。COSにたいする救援申請者は、いうまでもなくすべてが救援されたわけではない。救援の可否、救援の種類を決定する過程で、地区委員会は申請者にたいする調査を実施した。住所、職業、年齢、家族構成、クラブのメンバーシップ、負債の現況、健康状態など申請者本人によって提供される事実はもちろん、調査員もしくはボランティアワーカーによる雇用主、牧師、学校教師にたいする聞き取り調査が行なわれ、自助の可能性を確認するための家庭訪問が行なわれた。これらの情報は逐次、訪問票に記入され、申請から決定にいたるまでのケースが克明に記録されることになる。この表は面接や調査をもとにCOSが救援申請者をどのように分類していたのかを示すものである。

Dismissed:Not required relief818
Ineligible1.983
Undeserving1,150
Giving false addresses286
4,237
Referred to:Poor Law1,482
District Agencies1,101
Private Persons770
Charitable Institutions556
3,909
Assisted by:Grants2,446
Loans828
Employment295
Letters to hospitals358
Labour Register433
4,360
Total12,506

興味深いのは、何らかの形で救援された者ではなく、救援を拒否された者の存在である。全体の約3分の1を占めるこの集団にはいくつかのタイプが混在していた。救援を必要とせず自力で難局を克服できると判断された者とあえて救援を辞退した者がundeserving、ineligibleの項目に含まれている。COSの救援オプションは多彩だった。現金による補助給付、貸付が多かったことはその通りであるが、他に就職斡旋が行なわれるケースも多かった。また、救援にはアフターケアが伴った。COSの支援目的はあくまでも「一時的救援によって恒久的な効果をもたらすこと」にあり、その「効果」は自活・自律・独立による生活を意味していた。その意味では、アフターケアの方が重要だったといえるだろう。したがって、「一時的救援」が「恒久的効果」を生まないと想定される者は救援を拒否されることになる。詐取目的と思われる申請が完全な拒絶対象となったことはいうまでもない。しかし、そうでない場合の多くは、救貧法扶助機関への紹介手続がとられた。

救貧法扶助機関への紹介は、それほど単純ではなかった。原則として救貧法扶助は「無収入状態にある困窮者(destitute)」を扶助する制度である。COSによると、この困窮者には二つのタイプがある。一つは「自分自身に原因があって」困窮状態に陥った者であり、今一つは、疾病や老齢などによる「慢性的困窮者」である*。前者は救貧法制史のなかで伝統的に「健常で労働能力ある者(the able-bodied)」とほぼ同じだとみてよい。COSは前者の集団にたいしては、1834年の原則をほぼそのまま適用すべきだと考えていた。すなわち、抑止的救済である。当時の文脈でいえば、この原則をもっと厳格に適用することが求められた。救貧法の存在は、様々なチェック機構があるとはいえ、計画性のない生活スタイルの誘引として作用する。したがって、申請者にとってできるかぎり不快な性格をもたせることが必要であり、労働テストと救貧院へに収容は必須の規定だとみなされた。しかし、後者の集団には、この原則は適切ではない。ここから、(表には現われていないが)deserving poorというカテゴリーが生まれてくる。老齢や疾病によって慢性的に困窮状態にある者は、救貧法扶助の不愉快・不快な処遇は適切ではない。こうした集団は、チャリティによる救済が相応しい。「自分自身の欠点や計画性のなさによって困窮状態に陥った人々、また自らの機会を必ずしも十分に活用しなかったとはいえ、以前の生活状況と生活態度から判断して救貧院の生活を強いることが許されないと想定される人々」、これらにたいしては、年金その他の給付による慈善的支援が行なわれた。

*「慢性的困窮者」はCOS側からみると、ineligibleのカテゴリーに入る。必ずしもundeservingではないが、COSが提供することの難しい長期的な救援を必要とする層である。Lewisはこのカテゴリーがdeserving と undeservingの判断基準を侵食したとみる(55)。

COSは、1869年のいわゆるGoschen通達の線にそった公的扶助と民間慈善活動の分業と協力関係を体現した活動を行なったが、その分業と協力関係は必ずしも明快ではなかった。救貧法扶助は上にみたように「無収入の困窮者(destitute)」を対象とするものであるが、貧困集団は単なる収入の有無で分類されたわけではない。COSの分類の視点は二つあった。一つは、helpableの原則であり、これは「一時的救援」の「恒久的効果」を救援決定の基準とみなすものである。第二は、deservingの原則で、救援申請者の「道徳的価値」を判断基準とするものである。申請者にたいする面接、関係者からの聞き取りなどによって収集された情報は、これら二つの原則による判断を補佐するために活用された。しかし、この二つの原則は必ずしもつねに整合するわけではない。むしろ、整合しないケースの方が多かったとみたほうがよいだろう。年金その他の手段による慢性的困窮者にたいする救援は、そのことを明快に示している。過去の功績から道徳的価値をもつ、あるいは少なくとも道徳的に非難すべき点をもたないと判断された人物が、老齢や疾病によって、一時的救援が恒久的効果に繋がらないと判断されるケースは少なくないだろう。逆に、過去の功績から判断にして「道徳的に無価値(undeserving)」と判断されるにもかかわらず、一時的救援が契機となって自助・自律・独立の生活を営む可能性をもつ集団も存在する。

全体としてみると、COSのねらいは、pauperismの増大を抑止することにあった。これは、(通常考えられているように)救貧法扶助の抑止効果を厳格にすれば達成できるものではなかった。一般に「貧困層(the poor)」と呼ばれる集団が、公的扶助への依存へ「転落」することを抑止するためには、依存的困窮者(pauper)とそれ以外の貧困層の境界線を明確にし、前者を可能なかぎり限定する必要があった。しかし、依存的困窮への「転落」から救援すべきであると想定された集団はきわめて多彩である。そこには「救援効果が期待でき(helpable)」かつ「道徳的に価値のある(deserving)」層だけなく、「救援効果が期待できない(helpable)」が「道徳的に価値のある」層、逆に「救援効果が期待できる」かもしれないが「道徳的に価値のない(undeserving)」層が、様々な困窮要因を抱えて存在していったといってよい。理論的にいえば、COSの原則は、道徳的判断基準(deserving-undeserving)」と功利的判断基準(helpable-unhelpable)」の折衷であり、訪問活動を中心としたパーソナルな関係構築をめざすケースワークは、両者を架橋するインプレメーテーションのテクニックであったとみなしうる

この種の活動は普遍的でも客観的でもありえない。ここから、COSの掲げたフィランスロピの科学の「非科学性」を指摘することは容易である。しかし、彼らのケースワークへのこだわりは、少なくとも民間慈善団体による救援活動が普遍的でも客観的でもありえないことを彼らが確信していたことを意味する。救援は個別的でしかありえない。彼らにとって普遍的な救援策は「無差別的」なものでしかなく、無差別的救援は事態をいっそう悪化させるとみていた。これは彼らがキャラクターを重視していたことの当然の帰結である。しかし、このことはCOSがすべての困窮の要因をキャラクターの結果、個人の道徳的失敗に還元していたことを意味しない。→COSと失業・不定期雇用問題。

*"undeserving"は1886年に"not likely to benefit"に置き換えられ、さらに1888年には"not assisted"に置き換えられた。これはCOSによる判断基準の矛盾への一つの対応とみなしうるが、undeservingとnot assistedの観念そのものは活動の当初から存在していたことに注意すべきである。undeservingからnot assistedへの判断基準を変更したのではない。この基準はまた、稀少資源の公正な配分基準を希求する一つの試みとして解釈することもできる。COSのチャリティが選択的で恣意的であるとの指摘は、的外れである。COSは政府ではないのであり、民間慈善団体のオーガナイザーであったにすぎない。COSが行なったことは、民間企業の投資戦略とほぼ同じである。ただし、期待される収益は強い社会性をもっていた。無差別的慈善支援は、戦略不在であるがゆえに批判の対象となった。しかし、社会から批判を浴びたのはCOSでもあった。戦略的慈善という観念は、慈善にたいする通念とはやや落差があったからである。

COSの救援活動は一つの葛藤であったといってもよい。deservingであるにもかかわらず、ineligibleとして救援対象にならない層が確かに存在していた。しかし、こうした事態にたいして、COSの活動家がまったく無感覚であったのではない。1884年のCharity Organisation ReporterでH. Barnettは、ineligibleと判断された申請者が必ずしも、すべての慈善的努力の価値がないことを意味しない点を強調し、COSはもっと幅広い活動の視野が必要だと指摘している。undeservingと判断された申請者は、概して放置されるのが常であった。これについてOctavia Hillは次のように述べている。

A man comes up ad the Committee deciedes to do nothing, he ought to sava, an elder lad ought to go to work, he ought to send some child to a hospital. Nothing to be done! No nothing by the Committtee perhaps, nothing definite at a given time by the visitor, but refusal can hardly be a help to the man unless it is again and again gently explained, unless advice is given, information procured [Octavia Hill to Rev.Fermantle, 1 November 1874, Coll.Misc.512, BPLES, LSE; Lewis 56].

Undeservingなキャラクターにたいする救援は、恒久的効果をもたない。しかし、これを放置する(申請者が救貧法扶助を求めなければ結果的にそうなる)ことが、必ずしも何らかの援助につながるわけではない。この事実をCOSは知らなかったわけではないし、それに何の矛盾も感じなかったわけでもない。そして、そうした葛藤の根源が、民間慈善活動の資源の限界にあることは共通認識であった。