球は投げられた・長野県知事の「脱『記者クラブ』宣言」

 その日、皇太子妃雅子さんの「懐妊」報道で、新聞やテレビではあまり大きく報じられなかったが、五月十五日、田中康夫長野県知事が「脱・記者クラブ」宣言を発表した。「脱・ダム」宣言では大きく報じたメディアだが、こと自分たちのこととなると報道量は極端に減る。二十二日には「県政記者クラブ」が知事に抗議書を提出するなど、取材と報道のあり方をめぐって緊張関係が続いている。
 田中知事の「脱『記者クラブ』宣言」のポイントはこうだ。第一に記者クラブを県主催の会見とする。第二に記者クラブが使っていた記者室を撤去し仮称「プレスセンター」として開放すること。つまり加盟社だけのものだった記者会見を広く一般にも開放する。第三に会見内容はすべてホームページ上に掲載する、というものだ。
 一方、記者会は、あくまでも記者クラブ主催の会見を行うべきだと「主催権」を主張した。基本的にこれは「公的機関の記者会見は、原則としてクラブ側が主催する」という日本新聞協会の見解(九七年)に拠っている。記者クラブは日本新聞協会に「加盟」できない(しない)メディア、ジャーナリストは対象外となる。フリーのジャーナリストや機関紙記者を受け入れない身内意識が働くことになる。
 記者クラブが主催する会見にクラブ員以外を同席させるか否かはクラブ員の判断ということになり、クラブ員がイエスと言わなければ、会見に同席することは難しい。結果的に加盟社以外のメディアや取材者(知事は「表現者」と表現する)は同席できないケースが一般的となる。これが記者クラブの閉鎖性として指摘されている。さらに権力との馴れ合い、広報機関化、情報の寡占化・独占化という問題も指摘されている。そして特定の新聞・通信・放送会社は私企業にすぎないのにほとんどの記者クラブで使われている記者室の経費(室料、機器使用料など)が公費で賄われていることへの疑問である。
 さて、このやりとりは、田中知事が言うようにすべてホームページで見ることができる。たとえば、五月十五日の「『脱・記者クラブ』宣言」(http://www.pref.nagano.jp/hisyo/press/kisya.htm)とその会見(http://www.pref.nagano.jp/hisyo/press/20010515.htm)、および二十二日に行われた「長野県政記者クラブからの申し入れ」の会見(http://www.pref.nagano.jp/hisyo/press/20010522.htm)はテキスト化されている。また、ビデオジャーナリストの神保哲夫氏が運営する『ビデオニュース・ドットコム』(http://www.videonews.com)では、十五日の記者会見の模様がそのまま映像化されており、その場の雰囲気がわかって面白い。いまでは、私たちはインターネットを通じて長野県知事の会見模様をそっくりそのまま文字あるいは映像で見ることができるようになった。長野県政は「ガラス張り」状態になりつつある。同時に記者がどのような質問をし、知事とどのようなやりとりをしたのか、取材者が何を聞いているのかを私たちも知ることになる。
 「脱・記者クラブ」宣言を受けて行われた二十二日の会見で知事は、十五日の会見に出席した全国紙が長野県版で一行も報じていないことこそ情報操作の一つではないか、また事前に会見に参加を申し出ていた機関紙記者(具体的には「聖教新聞」「公明新聞」を挙げた)に対して、「(知事として)就任以来も会見に関して前日以前に申し出があってもそれを受け入れるということを結果として(記者クラブが)拒んで」きた点について指摘した。つまり、会見に他の「表現者」を排除している事実、記者クラブの閉鎖性と表現者としてのありようを問うているのがわかる。 それに対して共同通信社の記者はこう応じている。「政党機関誌とか宗教系の機関誌とかに関しては、議論がございまして、この前もですね、私が幹事社の時に、赤旗の方が記者会見に同席したいということがあったんでございますが、その時もですね、全社が少なくとも反対というわけではなく、個人個人では皆さん比較的賛成だと、入れてもいいんだと、そういう意見でございましてね、その中で原理原則を主張する人もいますので、まだ、まとまらなくってですね、あくまで今回は申し訳ないですが、記者会見に同席できないと」いうことになったという。しかし、なぜ政党機関紙や宗教機関紙の記者を同席できないのかといった明確な根拠を示し得ておらず、逆に未だに「開かれた記者クラブ」を提案できない加盟社の姿が読み取れる。そして「記者クラブもですね、スピードが確かに無いとおっしゃいますけれども、スピードを持って変革をすれば、記者クラブ主催という形も考え得るということ」なのかと知事に尋ねると、知事は「仮定の話ですが、全ての表現者の方が、ご希望なさる方がご出席いただけるということが確実に、また全ての方がご出席になされそしてまた全ての方がご発言いただける」なら「私はそれでも構いません」と応えている。
 つまり、知事の論点ははっきりしている。知事はどちらが主催するにせよ、会見には誰もが参加でき、誰もがその内容を発信できるようにできればよいと言っているのだ。「ガラス張り」にせよと知事は言っている。なんとも逆説的としか言いようがない。自らの権益を守るためではなく、権力を監視し対峙するという一点で協力する場をつくらならなければならない記者クラブが「守り」の状態になっている。「脱・記者クラブ」宣言という球をどう受けとめ「攻め」ることができるか。企業・組織の枠を超えたありようを含めてひとりの「表現者」として、そしてジャーナリストとしての力量と真価が問われている。

メディア時評『ダイヤモンドセールスマネジャー』2001.8(p.68-69)