1・はじめに

私たちの班は、三重県出身者が1人しかおらず、「三重のお宝」について考えたとき、県外の人でも思いつくようなポピュラーなものが中心にあがりました。県外でも認知されているということは、それだけの理由があるだろうし、それだけ強いお宝性を持っているのではと考え、いくつかある候補の中から伊賀忍者を題材に選びました。

2.忍者について

*忍者とは

忍者とは、忍術を駆使する者のことである。忍者は戦国時代の合戦において全国各地で活躍した。記録上は、東海地方や甲信越地方など合戦の多い地域で多く見られる。
忍者ないし忍者行動は命令者があって初めて成立する。その内容は、敵と目される相手の情報、秘密を探り、流言を撒いて混乱させ、屋敷や城に潜入し、目的物を奪取したり、放火したり、ときには暗殺したりすることである。このような内容は人間社会の発生とともにある暗い一面であり、江戸時代に伊賀者、甲賀者が廃れていってもいわゆる忍者や忍術は生きている。 また、「忍術は偸盗術なり」という率直な表現がある。忍術伝書にも盗賊を意味する語句を使用したものが少なくない。では両者の違いは何なのかというと、命令者のあるなしが一番大きな違いである。ある目的をもって隠密行動を行なう、これが忍者である。ただ、忍者が忍者たる所以は、その技術が職能にまで高められ、彼ら一族一党が職能集団として形づくられるところにある。その典型が、伊賀・甲賀なのである。忍術は技術としては盗みの術に近く、賤しい行動であるが、だからこそ、“正心”(万川集海)、すなわち忍者の倫理・道徳、節操を強調し、大切にしてきた。
また、伊賀流と甲賀流については、テレビや映画、漫画などで敵対しているように描かれることが多く、そのように思っている人も多いかもしれないが、実際に敵対したという事実は少ない。地理的に隣接しており、昔から親類関係が多く、交流があった様子が窺える。戦国時代でも、伊賀と甲賀の境界で野寄合という会議の場が設けられ、同盟を結んでいた。

*忍者が廃れていった理由

 大阪夏の陣が終わり、徳川幕府の勢力は安定し、政権が確立されると、忍者の仕事は失われていった。忍び本来の任務は、泰平の世には必要ないからである。そのため徳川家はじめ、諸大名家に、何らかの縁故のある者や、その家に功績があった忍びの者たちは、家臣として召抱えられたが、その他の忍びは警護や護衛等体制下の末端の仕事を受け持った人たちがほとんどであった。
 火術の腕や技術を認められて、鉄砲組や、玉薬方に召抱えられた者たちは、よほど恵まれた人たちで、食禄のもらえる忍びの者たちは、本人も家族も生活の心配はなかったが、それは本当にきわめてわずかな人たちで、多くの忍びの者たちは、本来の仕事がないので、生活は徐々に逼迫して食べていけなくなっていった。
 そんな中、寛永14年(1637)島原の乱が起き、忍びの者たちが再び活躍する場がおとずれたものの、たいした活躍も出来ず忍びの復活とはいかなかった。結局、幕府からの恩賞もなく、在郷の忍びに対する扶助もまったくなかった。また、徳川家に謀反の疑いをかけられるのを恐れ、諸大名たちが忍びを手放していったということも忍びが廃れていった理由の一つである。
 明治になると、幕府に抱えられていたお庭番(隠密)や、諸藩に抱えられていた忍びの者や火術家、在郷の忍びの者など、皆一様に扶持(食禄)を失い、職を離れることとなっていった。
 しかし、忍びの者たちは、一様に各々特殊な研究・技術・才能に秀でた人たちで、その才能を生かし、種々な職種に転職していった。その職種を以下に紹介する。

     薬師や薬学博士
     花火師
     猟銃製造、火薬販売業
     造園師・庭師・植木職・花屋
     絵師・友禅
     軍隊の密偵・警察(捕亡方)
     軽業曲芸団やサーカス団などの演芸の世界
     香具師・大道芸など
     組紐の製作と全国的行商
     見世物芸人

 忍びは前述したような職業に移り変わっていき、その姿を消していった。その中でも軍隊の密偵や警察という職業は忍びの仕事と内容は変わらず、呼び名が変わっただけであるといってもよい。
また、忍びの技術や知識は形を変え、現代の陸上自衛隊のレンジャーなどにも生かされている。

*忍者のイメージ

現代のテレビや映画の忍者で煙玉や宝録(手投げ弾)を、懐から取り出し、地面目掛けて投げつけるなどのシーンが描かれているが、これは大きな間違いである。忍者が使った火薬は、黒色火薬で、投げつけたり、打っても発火するものではない。火ダネを必ず必要としたのである。テレビ等で描かれている触発火薬(雷汞)が開発されたのは幕末近くであり、忍者の活躍した時代は、まだ開発前だった。忍び刀についても同じことが言え、テレビ等でつくられたイメージ像では長寸で反りの少ない、大きな角鍔の付いた、忍び刀を、柄を右肩に出して斜めに背負うといった感じであろうが、本来の忍びは長寸の刀は使わない。これは邪魔になるためである。さらに、行動時に転がる、狭い場所をくぐるといった動きをするため、刀を背負うことはなく、腰にさしておき、前方や後方に必要に応じて場所を変えていた。また、水に潜って竹筒等で呼吸をすることで有名な水遁の術も水を利用して隠れたり、逃げたりすることなのであるが、お湯をかけて逃げるということもこの術に含まれる。金属性の物を利用して隠れたり、逃げる術を金遁の術というが、鐘をたたいて敵の気をそらしたり、刀剣類で戦う他、お金で逃がしてもらうこともこの術に含まれる。この様に現在のイメージにある幻術のような忍術は本来の『忍術』とはかけ離れたものである。
 しかし、現代にはそのかけ離れたイメージ、つまり、幻術使いやスーパーマンのような忍者のイメージが定着している。テレビや漫画で使われるあっと驚くような忍術を見て人々は興奮し惹きつけられる。そして、「忍者」は今や、全世界で日本をイメージする国際語となっている。

3.インタビュー

忍者屋敷

(中野さん)

・忍者の魅力について

  役に立っていても、自分を名乗らない所。今は英雄(ヒーロー)的な扱いだが、影に消えていった所ではないでしょうか。

・伊賀上野の人たちにとって忍者とは…?
 上野の人たちは忍者屋敷にはあまり、来ない。そこに忍者(忍者屋敷)があることが当たり前になっているからですかね。

(安田さん)

・伊賀上野の人たちにとっての忍者とは…? 

  忍者発祥の地ではあるが、だからといってそこの人たちが全ての事を知っているわけではない。むしろ他の所の人たちと同じで、イメージ(虚像)としての忍者のイメージを持っている人の方が多いぐらいではないか。 ただ、忍者を切り口に伊賀上野を有名に、PRしていこうという思いはあると思う。

 
↓安田さん、忍者屋敷のお姉さん、中野さん







お茶屋 むらい萬香園

村井さん−親子四代で忍者の格好をして働いている。おじいさんは忍者学校の師範であった。忍者の格好をして、町案内をしていた事がうけ、忍者フェスタの先駆けとなったらしい

・伊賀上野について

忍者のみというわけではないが、伊賀上野は奈良、大阪、京都等からの文化が織り交ざって成り立っている町である。特に昔は、土地・気候がよく、作物が豊かにとれたため、渡来人等が住みつき、たまたまその土地にあった火薬の材料を使ったりすることで、忍術が発展していった。

・忍者のお宝性とは…?

 影に隠れている所ではないでしょうか。ずばり見えていたらおもしろくない。見えるようで見えない所がお宝性ではないだろうか。

・観光で「忍者」を使うことについて

 忍者フェスタの時は人がいっぱいで大変だった。忍者を使うことで町を起こせるのならどんどん使っていけばよいのではないか。NINJA」はもう国際語であるし、忍者を知らない人はいない。今は忍者がよいイメージで定着しているので三重だけでなく日本の観光としても利用していくべきであると思う。


  ↑村井さんと知人   


  ↑菱茶(上)と巻き菱(下)

黒井宏光氏

黒井さん−最後の忍者といわれる川上氏にお話を伺おうとしたが、遠方にいたため実現出来なかったが、運良くそのお弟子さんである黒井宏光氏にお話を伺うことが出来た。

忍者になろうと思ったきっかけは? 

 大学3年の時に忍術研究会というサークルを作ったのがきっかけ。その後、大学を卒業してから川上さんと出会い、本格的に忍術を習い始めた。

普段、お仕事は何をなさっているのですか?

  忍者ショー、忍者教室、忍者のお土産作り、新聞の記事や本を書いたりなど、忍者関係全ての仕事をしています。

忍者、忍術の魅力とは?

  忍者とは、その実体がよくわからないところが魅力だと思う。(忍者についての文献は、江戸時代に入り、忍者の仕事がなくなってきた頃に書かれた。そのため、昔の忍者は、忍術を全て頭で覚えなければならなかったので、記憶術から学んだ。その記憶術は、現代の記憶術と共通する部分も多く、映像をイメージしたり、覚えたいことを他のものに置き換えて覚える方法だった。)

忍者のルーツについて

  忍者のルーツははっきりしていません。紀元前に秦の舒服という人が始皇帝に命じられて不老不死の薬草を伊賀に取りに来たが、この人物が忍者のルーツではないかという説もあります。この人物は渡来人であるが、渡来人は薬草の他にも製薬の技術や機織りや金属の練成の技術も伝えました。このように、伊賀・甲賀では薬草が豊富だが、それは今シオノギ製薬の研究所が甲賀にあることからも窺えます。忍者のルーツは中国であるという説があるが、そうではなく、昔から外来のものをよく吸収してきた日本人が、渡来人の技術などを吸収し、消化していったものであり、忍術は伊賀・甲賀独自のものです。

忍術の発達について

 伊賀で忍術が発達した理由として、亡命者が多かったこと修験道の行場が近かったこと、昔琵琶湖が伊賀にあった名残で土地が肥沃で、米がよくとれたこと、そして、豊かで住みつきやすい場所であるが故に、地域内での小競り合いが多かったこと、都に近かったため、忍者としての仕事の機会が多かったことがあげられます。

呪術について

 
数多くある忍術の中でも、その約六割を占めるものは呪術でした。忍者は、呪術を用いることによって自己暗示をかけ、自分の持っている潜在能力を極限まで高め任務を遂行しました。興味深いことに実戦的な術が求められる戦乱の世に、かえって忍者は呪術を重要視して用いました。このことからも、呪術は実際に効果があったということがわかります。

現代の生活に活かされている忍術は?

  人を騙したり、毒殺したりする方法は、川上先生を最後にもう伝えられていません。自然界にあるもので、簡単に毒を作ることが出来ます。実際に川上先生は毒ガスの調合法なども知っています。しかし、このような知識には治す薬と殺す薬があり、全て両面性があります。一方、サバイバル的な知識は、今でも、山中を移動するときなどには使えます。

忍者の後継者は?

  形としての忍術は今でも残っているが、本当に忍術を習得するには子供の頃からやらなければなりません。今でも、忍術を真剣にやっている川上先生の弟子は、私以外にも3、4人いるが、人を騙したり、毒殺したりする方法まで知っている本当の忍者は川上先生で最後になると思います。川上先生自身も「そのような忍者は自分で最後でいい。」とおっしゃっているのでその後を継いでいく人はいないのではないだろうか。

忍者はこれからどうなっていくのか?

  忍者はこれからも残していくべき文化遺産です。忍術に関しても中には現代では役に立たないものもあるが、勿論役立つものもたくさんあります。また、映画やマンガなどにより忍者のイメージは非常によく、これを観光に利用しない手はないと思います。

忍者としての心得とは?

  “正心”と呼ばれる忍者としての一番大事な心得があります。昔の忍者は始めに起請文を書かされ、国のために忍術を使い、私利私欲のためには決して使わないということを誓いました。このような心得があったからこそ、伊賀忍者は他国の大名に雇われることはあったが、伊賀の国の領土を拡大するということはなかったのではないか。

 伊賀と甲賀の違いは?

  伊賀と甲賀は、基本的にはほとんど違いはありません。戦後まで、伊賀−甲賀間の境界すら動いていたほどである。忍術においても、両者にさほどの違いはなく、戦国時代も同盟を結んでいました。違いといえば、それぞれの土地から受けた影響くらいである。(伊賀流は、高野山真言宗の影響を武術の面では柳生の影響を受けています。また、伊勢の海女さんの影響もある。これに対し、甲賀流は比叡山の影響を受け、また、琵琶湖の素潜りの技術の影響も受けている。)一般的には、伊賀流は少人数で行動し、忍びこむ技術に長けているのに対し、甲賀流は大人数での戦闘に秀でていたと言われています。

忍者フェスタなどで忍者が町起こしに利用されていることについてどう思いますか?
 
 アメリカでは、ハロウィンの時に忍者のコスチュームをする人がいるほど、外国でも忍者は有名であるが、中身までは正しく伝わっていません。忍者は今や国際語となっているので、活用法は難しいがもっと活用して世界や日本全国に広めるべきだと思います。



←黒井さん





4.黒井さんお勧め忍者修行☆

忍者の鍛錬方法は、筋を鍛えるためのものであり、筋肉をつけるためのものではありません。肥大した筋肉は忍び込むのに邪魔になるし、体格が良すぎると敵に疑われてしまうからです。だから、細くなりたいけど筋肉はあまりつけたくないという女性には、お勧めです♪

*内腿を鍛える…武芸をたしなむ者にとって、内腿の筋肉はとても大切。ここが鍛えられていないと、修行を怠っていると思われてしまうそうです。



*指を鍛える…天井から指二本でぶら下がったり、指で体を支えなければいけないことの多い忍者にとって、指の筋肉は必須!!

足を肩幅に開いて、内股にする。

そのまま中腰になり、指を図のように動かす。










階段を左図のような動きをしながら昇る。

*バランス感覚を鍛えてつまづきにくく。
*腕立てでは足の指を動かす!これで、踏ん張りがきくようになるはず。
*胡桃を手のひらでまわして握力を鍛える。同時にツボも刺激して健康に!?


  忍者は、いざというとき活躍できるように、日頃から健康に気を使っていました。中国の知識を取り入れて行なわれていた忍者の健康法を、導引術といいます。

*耳…耳が硬くなってきたら老化の始まり!よくもんであげましょう。耳をたたんで、後ろを指ではじくと頭がすっきりするそうです。(天鼓)試験前にいかが?

*手や足にはたくさんツボがあるので、とても大切です。

足の親指を回すと内臓にいいそうです。

手の小指の第一関節を強く押さえると、心筋梗塞など心臓の疾患の予防になるそうです。とくに、心臓に近い左手は良く効くそうです。

*黒酢、黒豆、しいたけ、おおえのき…など、黒い食べ物がいい!

なぜなら鉄分が豊富に含まれているから。鉄分の不足しがちな現代人は、黒い食物をとりましょう。ちなみに、黒ゴマはすりつぶさないと、栄養が吸収されにくいですよ。

*ゴマ…白ゴマは肺、黒ゴマは肝臓によいそうです。

5.伊賀の地域性

テキスト ボックス: ・	盆地(霧が多く、隠れ家的場所)
・	山に囲まれているため川もあり、水資源が豊富
・	昔琵琶湖があったため、土地が肥沃
・	土地が豊かで住みつきやすい













テキスト ボックス: 渡来人や政治的な亡命者が住みついたテキスト ボックス: 土地内で結束
・	外敵に立ち向かう
・	内での小競り合い
・	リーダーがおらず共和制











テキスト ボックス: 忍術の発達






6.まとめ

 忍者(NINJA)はもはや国際語となっていて、世界に通用する日本の伝統的な文化である。そのため、観光などに利用することで、世界中の人々に日本の伝統的な文化や国柄を知ってもらう“きっかけとしての存在”となっており、また、もっとうまく利用することでこれからさらに“きっかけ”として重要な存在になっていく可能性を秘めている。その忍者を誕生させ、育てていったのは紛れもなく伊賀の土地の良さ、土地内でのつながりの深さという伊賀の地域性である。
 テレビや漫画ではヒーロー的な存在として描かれている忍者だが、その実態、真実はあまり知られていない。そのような、有名なヒーローであるにも関わらず、多くの謎に包まれているからこそ、忍者に私たちは心惹かれ、興味を持つのである。忍者に興味を持ち、忍者についてもっと知りたいと思う気持ちこそがきっかけとなり、私たちが日本の歴史や先人が伝える知恵と教訓を学ぶことになるのではないだろうか。実際、私たちも伊賀忍者に興味を持ち、調べていくうちに、伊賀の地域性や歴史、そして先人の知恵に触れることが出来た。
 このように、忍者は子供、大人を問わず昔の文化や、歴史の世界にいざなってくれる。そのような“きっかけとなる存在”が三重から生まれ、三重で育ち、現在も三重に生き続けているということは、三重の人々の暮らしや三重の土地が生んだ、三重にしかないお宝なのではないだろうか。

7.忍者のルポ作りを終えて   

岡田愛弓

 私たちは伊賀忍者をテーマに選んだものの、お宝の方向性が定まらず、中間発表の度に振り出しに戻り、右往左往していました。やっとお宝性が見えてきたのは、73日に伊賀へ行って、いろんな方にお話を聞かせていただいたときでした。話を聞いていく中で、備わっているものを最大限に利用する忍術の性格や、忍者を育てた伊賀という土地のよさや、観光としての忍者の可能性など、お宝につながりそうな輪郭がうっすら見えてきたのです。その、うっすら見えてきたお宝性について話し合っているときに閃いたのが、「きっかけとしての忍者」でした。これが本当にお宝性といえるのかどうかはまだ自信がない部分もありますが、ついに見えたお宝性に興奮して、思わず橋本君とハイタッチをしてしまったくらい()、その時は感動がありました。
 取り組みを終えて思ったのは、情報に流されてはいけないということです。私たちは、本ばかり調べ、本の情報に振り回されて、三重のお宝という大きなテーマを見失っていました。勿論そこで得た知識は大きかったのですが、情報を鵜呑みにせず、他の情報と比較して検討すること、目的のために必要な情報を取捨選択することの大切さと、難しさを知りました。また、私たちは2回伊賀へ行きましたが、1回目に行った時は、NINJAフェスタが行われていることを聞き、下調べもろくにせず、お宝の方向性も定まらないまま慌てていったので、普通に観光を楽しんだだけという感じになってしまいました。2回目に行った時は、本やインターネットで知識を得、自分たちも忍者のお宝性について様々に考えた後だったので、得るものは大きかったように思います。目的意識をしっかりもつことは、本当に大事なことだと実感しました。あと、反省としては、もっと早い段階で伊賀へ行って、もっと多くの人から話しを聞けば、もっと突き詰めて考えることができたのではないかと思います。
 また、忍者については、今まで持っていたイメージと実際の忍者の違いを感じました。忍術は、本当に合理的なもので、現代に生きる私たちが見ても驚き感心するようなことがたくさんありました。今でこそ科学的な証明がされていることだけど、昔の人はそれを経験的に学び、伝えてきたのだと思うと、本当にすごい。まとめの部分でも述べましたが、忍者を調べていくことで、昔の人の知恵や、歴史、伊賀という土地のことなど、様々なものに触れられました。黒井さんも村井さんも、ずばり忍者のお宝性について尋ねると、忍者の良く分からないところがお宝ではないかとおっしゃっていました。人間は、わからないことがあると、知りたいという欲求が生まれるものです。私たちが忍者を知りたいと思ったように、他の県の人、他の国の人が忍者に興味を持ち、その興味が広がっていったらいいなと思います。
 最後になりましたが、奈良県からいらして、長い間お話を聞かせてくださった黒井さん、お仕事中にもかかわらず、私たちの質問に答えてくださった忍者屋敷の方々、伊賀について様々なお話を聞かせてくださった村井さん、本当にありがとうございました!!

立田健二

はじめに、三重のお宝というテーマで伊賀忍者のお宝性を探ることになった時は、「伊賀忍者は格好良く、知名度もあり、お宝性も簡単に見つかるだろう。」と思っていました。しかし、私の予想に反して、多くの苦難が待ち受けていました。忍者は本来、極秘に任務を行う者であり、その歴史や実態は明確ではありません。忍者や忍術について書かれた本も、筆者によって書かれている内容がまちまちであったり、調べることに関しては本当に苦労しました。また、忘れてはならないのが、今回のルポを作成するにあたって私たちのインタビューに答えてくださった方々の存在です。インタビューさせていただいた方たちは、突然の申し出にも関わらず、みなさん快く承諾してくださり人のやさしさを身にしみて感じました。インタビューさせていただいた方々や、協力していただいた方々には心から感謝しています。今回のルポを作ることで、仲間と協力し、調べたいものに対して深く追求できたことは、僕にとってすばらしい経験になったと思います。

橋本峰和

今回のルポを終えて一番に感じたことは、今までの調べ学習との差でした。今までこういったことを行うにしても、本などで調べるだけで、実際に現地に赴いたり特定の人物にアポをとって取材させてもらうということは今回が初めての経験でした。さらに、一つのことについてこんなにも時間をかけて深く、真剣に考えるということも新たな試みでした。
 やり始めた時は、正直こんなに苦しむとは思ってもみませんでした。誰もが知っている忍者だからこそ単純明快なお宝性が簡単に見つかると思っていました。しかし、三重につながるお宝性はなかなか見つけることが出来ませんでした。また、忍者自体がその名の通り、忍びの者であるため、その資料も曖昧なものが多く、本によって書かれていることも異なり、大変苦労しました。また、現代において忍者が活躍しているわけでもないので、なおのことこの先に残すべきお宝なのかという疑問すら出てきました。
 そんな中で、一筋の光を見せてくれたのは、伊賀上野での人々との出会いでした。一回目に訪れた時には特に何も考えずに行ったため、観光とNINJAフェスタの雰囲気だけ味わって帰ってきただけという印象が強かったのですが、二回目に訪れた時にはあらかじめ黒井さんにアポをとり、その他話を聞くというある程度の目的を持って行ったことで様々な収穫を得ることが出来たように思います。黒井さんには貴重な時間を割いて伊賀に出てきてもらい、私達がする質問に丁寧に答えていただき本当に感謝しています。また、黒井さん以外の方々は全て突然の訪問と取材だったにも関わらず、私達のために時間を割いてくれ、取材に応じてくれました。本当にありがとうございました。この場を借りてお礼させていただきます。こうした人々との出会いと協力があったからこそ、今回私達の班の「忍者」というテーマは三重のお宝性に行き着くことが出来たのだと思います。
 このルポを通して、なかなか見出せないものに真剣に取り組み、真剣に考えることの大切さを教えてもらったような気がします。このひたむきな姿勢と探究心こそ現代の人々が忘れてしまった大切なものなのではないでしょうか。そういった意味で今回学んだことをこの先の勉強に活かして行けたら良いと思います。