1.FDの考え方<BR>  相互研修型FDを組織するということ



1−1 FD(Faculty Development)の「義務化」とその背景
・法律的根拠
 これまで大学設置基準に「大学は、当該大学の授業の内容及び方法の改善を図るための組織的な研修及び研究の実施に努めなければならない。」(第二十五条の二)とされていたものが、2008年度から「大学は、当該大学の授業の内容及び方法の改善を図るための組織的な研修及び研究の実施するものとする。」と変更された。FDが「努力義務」から「義務」になった。

・背景的根拠
 背景としては、高等教育のいわゆるユニバーサル化にともない多様な学力の学生が入学してくること、大学においても社会に対するアカウンタビリティが求められるようになってきたこと、日本の高等教育が世界的な市場と競争に否応なくさらされるなかで学士の「質の保証」が課題となったこと、少子化と大学の増加によって大学間の競争が激化したことなどが考えられる。

1−2 FDの内容は?
 法律的には「授業の内容及び方法の改善を図るための組織的な研修及び研究」を「FD義務化」と呼んでいる。しかし、例えば、絹川(1999)は、FDの例として、教員の教育技法(学習理論、授業法、講義法、討論法、学業評価法、教育機器利用法、メディア・リテラシー習熟度)を改善するための支援プログラム以外にも、大学の理念・目標を紹介するワークショップ、ベテラン教員による新任教員への指導、カリキュラム改善プロジェクトへの助成、教育制度の理解(学校教育法、大学設置基準、学則、学習規則、単位制度、学習指導制度)、アセスメント(学生による授業評価、同僚教員による教授法評価、教員の諸活動の定期的評価)、教育優秀教員の表彰、教員の研究支援、大学の管理運営と教授会権限の関係についての理解、研究と教育の調和を図る学内組織の構築の研究、大学教員の倫理規定と社会的責任の周知、自己点検・評価活動とその利用といったことをあげている。しかしFDといった場合、我が国では、狭義のFD、すなわち、教育活動についての教授団の発達を指すことが多くなった。

1−3 FDはだれが実施するのか?
 もちろん大学の構成員すべてがFDの当事者であるが、FDを推進する組織として、各大学ではFDにかかわる部局が開設されてきている。例えば、1996年4月に国立11大学を会員校として「全国大学教育研究センター等協議会」が成立したが、2007年12月時点では、国立30大学と1研究所(独立行政法人)が加盟している。これらのセンターはミッションが様々で、FDだけではなく、例えば、教養教育の企画実施機能を備えているセンター、生涯教育の企画実施機能を備えているセンター等が存在する。しかしながら、全学FDの機能を期待されているセンターがほとんどである(広島大学高等教育研究開発センターのように全学FDの実施機関ではないセンターも存在する)。

1−4 FDプログラムの内容は?
 「全学FDセンター」が提供するFDには、ある程度の「典型的なFDプログラム」がみられるようになってきた。機能によって分類してみると、例えば、@大学教員初任者を対象として、基本的な教授技術を習得させるのを目的としたFD、AFDリーダー層を対象として各自の部局でFD活動をおこなう技量を身につけるFD、B一般教員を対象として教授技術(IT機器使用等)を習得するFD、CFDとは何かについての講演会があげられる。中でも近年、大学教員初任者を対象として、基本的な教授技術を習得させるのを目的としたFD活動が活発になされるようになってきており、その中身は講演やグループディスカッションがほとんどである(田口・西森・神藤・中村・中原,2006)。

1−5 FD活動に思想はあるのか?
(1)FDの類型と背景思想
 各大学で実施されているFDプログラムは、形式から見ると、基本的には、知識を多く持っている人が、そうではない人に「啓蒙」するという形で行われていることが多い。いわば啓蒙型FDであると言える。



 啓蒙型FDか相互研修型FDかという図式はこれまで議論されてきた。例えば、田中(2006a)は、図1のようなFDの類型化を行っている。このうち、T型(制度化/伝達講習)については「標準的なプログラムを設定し、多くの人々を集め、広く浅く効率的に啓蒙するのに適切である」とし、V型(自己組織化/相互研修)については「少人数の仲間が相互研修を通じて、じっくりと深く互いに自己開発をするのに、適切である」としている。さらに「相反するT型とV型は力動的に連関し、互いの間を循環しつつ発展する」としている。
 田中は複数の論考においては図1を用いてFDのなされ型について論じているが(例えば田中(2003))、田中(2006b))、それらにおいては、T型とV型の「力動的な連関」を中心として議論がなされている。このことは、FDが「FD講演会」というおきまりの形で実施されている一方で、個人的なつながりでFDを実施している集団が散在しているという、FDという名が知られはじめた段階でのFD事情を考えれば、当然であろう。

(2)啓蒙型FDと相互研修型FD
 しかし、一方、田中は、U型やW型についてはさほど言及をしていない。以下では、U型、W型も含めて考え、特にU型がT型、V型、W型が持つ短所を克服する可能性をもつことを示したい。
まずT型とW型である。啓蒙型FDといえども、執行部主導によるトップダウンによってなされるとは限らず、例えば、ある学科が自らのメンバーに足りない事柄を教えてもらうために専門家を招聘するといった形の啓蒙ボトムアップ型のFDが存在する。前者がT型、後者がW型である。それぞれを<啓蒙トップダウン型FD>、<啓蒙ボトムアップ型FD>と呼ぶことにする。
 ところで、啓蒙型が一概に悪いとは言えないのは、<啓蒙ボトムアップ型FD>のように、自らの現場の要求からボトムアップ的に「啓蒙」をお願いし知識を得るというタイプのFDが意義のあるものとなるからだけではない。もともと興味を持たない事柄についても、「啓蒙」されることによって、教員は刺激を得ることがあるからである。田口・神藤(2008)は、ある大学教員初任者のケースを検討し、「今回のケースでは自ら新たな期待(課題)を見いだして現状をその期待に一致させる努力を表明しているが、いずれ現状に満足する状況も十分考えられる。その場合に必要なサポートは新たな期待や目標を作ることのできる場の提供であろう。(改行)たとえば、授業参観を例にすると現状に問題を感じている教員に対しては具体的な処方箋が、現状に満足している教員に対しては新たな「期待」や「目標」が得られるものでなければならない。今後は「不安」のサポートと「期待」のサポートの両面からサポートの場を考えて行く必要があるだろう」としている。
 さて、啓蒙型FDとは異なった形である、相互研修型FDと呼ぶべきFD活動も各大学で続けられてきている。相互研修型FDとは、教員同士が自主的に行うFDであり、田中(2003)によると、「FD活動は、このような個別的な日常的教育活動を前提にして、自律的な実践者どうしが協働することでなければならない。「啓蒙活動」ではなく「相互研修」である」とされる。
相互研修型FDと言えば、例えば、学科の上司や同僚、他大学の知り合い等と教材研究を行うといったことがまず思い浮かぶであろう。これがV型である。「FD」という概念がなかった時代にも行われていたであろう、自生的なFDである。これを<相互研修自生型FD>と呼ぶことにする。

(3)相互研修型を組織化する
 しかしながら、相互研修自生型FDだけでは、学部あるいは大学全体のFDへと広がっていくことがないので、FD委員会やFDセンターが相互研修自生型FDを支援したり、複数の相互研修自生型FDを行っている共同体(以下「FDコミュニティ」と呼ぶ)同士の情報交換の場を設定したりするというFDのあり方が考えられる。これを<相互研修コーディネート型FD>と呼ぶことにする。田中の図式で言うとU型であると考えられる。
 これらをまとめてみると下の表のようになる。それぞれの型のFDには、利点と欠点がある。
 啓蒙トップダウン型FDは、効率的に多くの教員にFDとはどういうものか、教育上重要なことは何なのかを伝達することが可能であるので、我が国にFDが導入されたころからからよく行われている。しかし、参加者は、トップダウンで「参加させられている」ことを感じ、「こんな時間があったら研究させてほしい」と反発する人も多くなる。また、自分が求めているFDプログラムではないにもかかわらず、出席を強要されるゆえに、あるいは無理に「動員」されるゆえ、活動への参加を回避しようと理由を作って欠席する教員もいる。出席した場合も、講演内容に強い興味のあるのでなければ、「得るところはなにもなかった」という感想を持つ教員も少なくないことになる。本来は教員自身のニーズからはじめるべきFDがトップダウンによってなされた場合、一般教員は「蚊帳の外」という感情を持つことになる。



 例えば、小松(2007)「大学の惨状とそれを取り巻く歴史的構造」と題した論考を書いているが、その中で「学生によるマークシート方式の制度的な授業評価」等と並んで、「FD(教員研修に代表されるような授業内容や方法などの改善のための組織的な取り組み)」をあげ、それらについて「学生を甘やかしながら、入学時にすでに希薄化しているその主体性と創意工夫能力をさらに奪う愚行ではないのか」と述べている。
 しかし、もしそう考えるなら、FDの中で「学生を甘やかしながら、入学時にすでに希薄化しているその主体性と創意工夫能力をさらに奪う」ことのない教育方法を提案していくべきなのである。そのような発想が出てこないのは、FDにトップダウンのイメージがつきまとっているからであろう。また、陰での「悪口」、「風評」というのもFDにはつきまとう。これもFDにそのようなイメージがつきまとっていることが影響しているのであろう。
 相互研修自生型FDでは、個人が実際に直面する問題に沿ったFD活動が可能である。また、手軽に行えるという利点もある。しかし、自覚的な教員がコミュニティを作って行うFDであるので、自覚的な教員のみの活動にとどまってしまい、FDに参加するべき教員がまったく巻き込まれないままになる。またこのタイプのFDは、強力なリーダーがいないと持続せず、そうでないと消滅の危機にさらされる。また、他学部・他大学など、他の状況を知ることがないという点で閉鎖的になり、さらに、組織へのFD義務化(「授業の内容及び方法の改善を図るための組織的な研修および研究」)に対応できない。
 啓蒙ボトムアップ型FDは、FDコミュニティから自主的に出てきた要求に基づき、実施されるFD活動であり、FDコミュニティが直面する問題について示唆を得ることができる。しかし、基本的には先に示した相互研修自生型FDに似た利点と欠点を持つ。ただし、「他学部・他大学など、他の状況を知ることがないという点で閉鎖的になる」という欠点はなくなる。
 以上のような各型のFDの欠点を解消するのが、相互研修コーディネート型FDである。すなわち、実際直面する問題に沿ったFDが可能であり、また、学部間、FDコミュニティ間の学び合いが可能となる。さらに、組織へのFD義務化(「授業の内容及び方法の改善を図るための組織的な研修および研究」)に対応できる。しかし、このタイプのFDは、機能させるにはかなりのエネルギーが必要となる。各FDコミュニティは意識的に相互研修を行う必要があるし、全学のFD委員会やFDセンターには、それを刺激し支援し続ける力量が必要となる。したがって、全学のFD委員会やFDセンターの役割が重要なものとなってくる。
 田中(2006a)は「全国的なレベルで見ると、さまざまなFDプロジェクトは、トップダウンの啓蒙的制度化型からボトムアップの相互研修自己組織化型への巨大な移行過程のうちにあるといえる。どんな整備された制度であろうとも、それを下から支える集団的力量なしには、十分に機能することはできない。制度はたんなる枠組みであるに過ぎず、成員の力量の自己組織化という中身があってはじめて実質的に機能しうるのである」と述べている。このような「成員の力量の自己組織化という中身」を「制度」として支える、という困難な仕事をしなければならないのが、全学FDセンターや全学FD委員会である。

引用文献
絹川正吉:FDとは何か 大学セミナー・ハウス(編):大学力を創る:FDハンドブック 東信堂,15−18,1999年
絹川正吉:大学教育の思想−学士課程教育のデザイン 東信堂,2006年
有本章:大学教授職とFD 東信堂,2005年
田口真奈・西森年寿・神藤貴昭・中村晃・中原淳:高等教育機関における初任者を対象としたの現状と課題 日本教育工学雑誌, 30(1), 19-28,2006年
田中毎実:大学教育研究の現在−臨床的大学教育研究の立場から− 京都大学高等教育研究,12,129−151,2006年a
田中毎実:ファカルティ・ディベロップメント−大学教育主体相互形成論 京都大学高等教育研究開発推進センター編:大学教育学 培風館,87−106,2003年
田中毎実:FDの現在と課題 大学教育学会誌 28(1), 36-39,2006年b
田口真奈・神藤貴昭:大学教員初任者の初年時の不安と期待に関するケーススタディ 日本教育工学会誌,31(Suppl.),153-156,2008年
小松美彦:大学の惨状とそれを取り巻く歴史的構造 科学,524-525,2007年