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『ひでえぜ 今日は!』 リチャード・ライト 著 古川博巳 絹笠清二訳

 公民権運動以前のアメリカ黒人作家で最も影響力のあったリチャード・ライト。その最

高傑作は『アメリカの息子』(1940年)であり、伝記的作品『ブラック・ボーイ』(

1945)もその鮮烈な迫力で読者の心をとらえた。『ひでえぜ 今日は!』はそのライ

トの最初の長編小説であったがその出版はライトの死後の1963年であり、1993年

に無削除版がだされた。本書はその本邦初訳である。

 今回翻訳で読んでみて驚いたのはその新鮮さであった。書かれた年代の古さ、時代状況

の違いを越えて物語のおもしろさがそのまま心に生き生きと伝わってくる。あっというま

に読み終えてしまった。意外でさえあった。これはどういうことなのかと考えてみた。

 主人公ジェイクはシカゴ郵便局に努める黒人男性でありその妻リルとジェイクの三人の

仲間が主な登場人物となっている。おそらくこの小説のいちばんの面白さははジェイクを

中心とする黒人男性たちの性格・心理描写にあるのであろう。ジェイクは享楽的、刹那的

で無責任、自己中的で責任転化の名人である。妻を妊娠させると子供を育てるのが面倒な

のでだまして避妊させ、それがもとで妻が病気になるとろくに金もいれず治療費も払わず、

自分は先のことも考えず友達との遊興に散財し、妻が医療費の支払いを求めると暴力を振

るうのである。このような性格・心理は時代を越えて今のアメリカでも日本でもありふれ

ている。この小説はそのような人間類型が現実の前に、妻を巻き込みながら破綻してゆく

過程を一日の出来事として描いている。このような人間類型は人種とは関係がない。どの

人種にも、とりわけ社会の底辺層にみられるタイプなのである。貧困の重圧と希望を未来

にみいだすことのできない状況とそのような人間的な弱さが結びつくと泥沼の悪循環が待

ち構えているのだ。読みながらふと思ったのは現在の都市の黒人ゲットーにはこのような

タイプの黒人が大量に生み出されているのでは、ということである。このような人間類型

を生み出す社会状況が最もひどい状態で存在するからである。でもそれは「黒人性」とは

関係がない。そういう区別をしながら読んでゆくとこの小説は現代の両極に分解しつつあ

る黒人の貧困と希望の欠如の極に住む人々の意識への洞察ともなっていると思われるので

ある。ここにこの小説の現代性を見ることもできよう。

 人種問題自身も大きな比重を占めている。南部ミッシッシピーでの白人からのひどい扱

いにたいし、四人は共通に怒りを露にするし、シカゴ郵便局の白人の同僚には心を許そう

とは決してしない。ガーベイによってはじめられたアフリカ帰還運動にはその非現実性を

馬鹿にしながらも職場での黒人差別にぶつかると、「もしかしたら彼らがいっていること

は深いところでは真実なのかもしれない」と思ったりするのである。ストリートでは今の

アフロセントリズムを彷彿とさせる薬草売りのアフリカの知恵に関する大演説に聞き入る

し、他方、共産党の黒人には大きな反発を感じるのである。ジェイクをとらえているのは

界隈のボス的な黒人の生き方である。ようするに当時の黒人をとりまくさまざまな運動や

イデオロギー状況のなかで息をしている普通の黒人の姿をライトは意識的に描いているの

である。

加藤恒彦(立命館大学教授)

『読書新聞』