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教養

                                    加藤恒彦

 最近のことである。ある先生の講義への学生の授業評価がすこぶる悪いのを知った。

「何をいっているかわからない」というのである。不思議なのはその先生の教員の間での

学者としてまた大学人としての評価はすこぶる高ことである。何が問題なのかつかめない

以上安易にその先生に問題をぶつけるのもはばかられ、とはいえ問題を解決するためにこ

そそのようなアンケートもおこなっている以上放置しておくのは無責任である。そうこう

悶々としているうちにある学生と飲むことになった。問題意識のあるちかごろめずらしい

学生である。その学生が今の問題を向こうから切り出したのだ。それを聞いてやっと合点

がいった。先生は学生が当然知っていると思って説明抜きで色々な歴史的出来事について

語り自分の論理を構築しているのだけれど、聞いている学生のほとんどは知らないのでち

んぷんかんぷんだったのである。その学生は歴史や政治に高校の頃から関心があったので

わかるのだが、その他の多くの学生にはわからなかったのである。何故そんなことになる

のか。わたしが勤めている大学では実に多様な入試形態をとっているので、共通の教養を

学生に求めることができないのである。

 これは実は多くの教員が共通に現在ぶつかっている問題である。今の学生には基礎学力

がかけているという指摘がよくされるのだが、その実態がこういうことなのである。

これは現在の学生の学力が一般的に低いという問題ではない。学生の学力あるいは教養に

個人によってアンバランスがあるということである。英語がすごくできても世界史につい

ては基本的なことさえ知らないということが起きるのである。ある分野の教員にとって基

礎的と思えることがかなりの学生にとっては説明が必要なのである。

 このへんに現代の日本における「教養」をめぐるひとつの重要な論点があるとわたしは

思う。こういう問題の把握から大学における教育の改革が現在少しづつ行なわれようとし

ている。

 ところでこのことに関連してひとつ私自身ひっかかっている問題がある。冷戦体制の崩

壊によって今何を現代史、ひいては歴史として教えるのか問題になっているのではないか

ということである。冷戦のさなかに生きていた世代にとって冷戦の歴史を知ることは自分

の生き方を決定するほどの重要さをもっていた。60年代の末に学生時代を過ごしたわた

しにとってヴェトナム戦争にたいしてどういう態度をとるのかは自分自身の生き方を決め

ることであったといっても過言ではなかった。何故ならその背後に「社会主義」対「帝国

主義」の体制的対立を見ていたからである。アメリカの敗北は民族自決権のために闘った

ヴェトナム人民の勝利だというだけでなく「社会主義」の勝利という意味でもあった。だ

からこそヴェトナム戦争は世界中を巻き込み、人々の生き方に問いを発したのである。だ

が今の時点でヴェトナム戦争の教訓は違った角度から問題にする必要があろる。20世紀

後半の世界から何を教訓とし若い世代に歴史的「教養」として伝えてゆくのかが今問われ

ているのである。

 冒頭で紹介した学生との会話のなかで「では今の世界史や日本史を学んでいない学生の

頭のなかはどうなっているんだろう」というわたしの問いに対し「彼らのなかには過去が

欠落していて現在だけで、悪くすると未来も存在しない」という声がかえって北。もちろ

ん個人史としての歴史はあるのだが個を越えた大きな世界についての物語が欠落している

という意味である。これってどういうことだろうと考えさせられた。

 自分の生育の歴史を越えた歴史意識としての「教養」は市民社会の一員としてのこれか

らの日本人には大変必要なものである。市民社会がすでにあるというのではない。それを

形成する担い手としてのこれからの日本人にとって必要だという意味である。個人史しか

もたない個人は日本の近代化の歴史過程のなかに含まれている到達点とこれからの課題と

いう意識がおそらくは希薄であり、ましてや世界のなかの日本、そしてその役割などとい

う意識ももちようがないからである。世界史の現在までの大きな流れと現在の問題を意識

のなかに取り込んでいる個人かどうかで大きな違いがある。すくなくともそういう論理で

わたしたちは現代的教養の必要を合理化している。それは大学の存立意義の大きな部分を

占めている。

 でも大学をでて就職し、「会社員」になる諸個人にとって世界市民というような大きな

話はどういう意味をもつのだろうか。これは一部の知識人や官僚、政治家が考えることで

あって庶民には別世界の話ではないのか。家族を守り生き抜くことにあくせくするする日

常にある人々にとってどれだけの意味をもってくるのか。さきほどの学生は、わたしが

「今の学生のなかには勉強することへの意欲をそがれているのもいる」というと「そうい

う学生でも別の場面では驚くほど生き生きと活動しているものもいる」といい「今の大学

には学生が興味をもつものがあまりなくて、外にそれを求めるのではないですか」といわ

れてドキっとした。その学生の場合、NGOなどの諸活動であった。でもそれに関しては

わたしにも同じ問題意識がありそういう活動を取り込んだ新しい教学組織を作業に取り組

んできたのであった。でもそういう類のことがたくさんあるのではないかと漠然と思って

いたのでドキっとしたのであった。

 そう考えると今の大学が教えている教養のかなりの部分は自分たちの世代が教養だとし

て学んできたものである。でもそれが今では無用の長物となりつつあるのかもしれない。

ロシア、フランス、イギリスの文学を明治いらの日本人は切実に新鮮に受け入れ学んでき

た。それは単なる知識としてではなる現在を生きるうえでの切実な関心に基づいていた。

それが当時の「教養」だったのである。もっと具体的にいえばトルストイやツルゲーネフ

、ロマンロランは同時代人だったのである。社会主義運動がめばつつあった日本にあって

外国の文学は時代を深く生きる指標となったのである。そしてそれが60年代まではつづ

いた。冷戦構造の持続による社会主義勢力と資本主義勢力の世界的な対立がそれをささえ

たのである。

 しかし国内的には「豊かな日本」の到来とともにうちから次第に風化していった。社会

主義運動の基盤は全体としての貧しさのなかでの極端な貧富の差を物質的な基盤とし、平

等で個人と社会全体の調和をめざす理想をかかげ、適者生存の激しい競争社会のなかで

ひたすら利潤追求をめざす資本主義を批判したのである。しかし欧米の資本主義とは異なる「日本型資本主義」の「成功」のなかで相対的に貧富の差が少なく、終身雇用のもとで比較的人を大切にする資本主義が70年代かから80年代にかけて生まれてきたのである。もちろん問題はいくらもある。でも相対的にもっとも安全で社会矛盾の少ない社会が生まれてきたことは本当であろう。ここに現状維持的思想が国民のなかに生まれてきたのである。少なくともラディカルな変革を望む人はそう多くない。

 このような日本社会の変化がわたしたちの世代が「教養」だとしてきたものも過去の遺物にしてしまったのであろうか?とすればそれにかわる「良質」の教養とは何なのか?

 しかし、新しい「教養」といえども歴史の否定の上になりたつとは思えない。冷戦体制の時代とは別の問題意識から見なおした歴史が必要なのかも知れない。それは日本史的に言えば今日の日本社会の成立をもたらした歴史的要因と今後の課題を見通せる視点にたった歴史ではなかろうか。世界の資本主義はそれぞれ独自な発展の歴史をもっておりそれ特有のメリットとデメリットをもっている。日本の場合のそれを自覚的化することが今後の日本づくりにもつながるのではないか。

 今日アメリカ流の市場の論理を日本の社会のあらゆる側面に適用しようという流れがある。しかしアメリカに成立成立したのは所得の上位1%が国の所得の60%を受け取る社会であり今日の「繁栄」のもとでの中産階級、下層階級の間での実質所得の減少である。それは弱者と強者の優劣が苛酷・非情に結果としてあらわれる社会であり資本の論理をコントロールするメカニズムが国家や政党、市民団体の運動を媒介にして働くことなしには国を無茶苦茶にする可能性をもっている。大統領選挙に投票しない50%近い人々の間には社会につらくあたられた性で社会にたいし何の関心も責任感ももてない人々がたくさん入る。投票した人々のなかにも社会的地位の下落に怒りキリスト教的原理主義の立場から共和党を支持した人々もたくさんいる。国民のほとんどが銃の規制を望んでも全米ライフル協会のために何もできないのも実態である。金を背景にした利益団体が利己的としかいいようのない権力を行使しているのである。

日本にもっと競争や自己責任の観点を導入することは必要であろうが、問題はこれまでの成果をもたらした「日本的なもの」の上にたってどこまでそうするのかというバランス感覚であろう。それは世界のなかの日本をその良さと悪さをにおいて評価できる幅広い視野でありそれことまさに現代的な「教養」として今求められているもののひとつではではないか。