2001年11月30日(金)はお休みしました。また、休んでしまったこの日をもって、ひらがな形式の日記はすべて休止しました。
2001年11月29日(木)
●このあきはほんとうにわらってしまうほどいそがしくてこのけいしきとはオサラバしてあたらしいシステムででなおしたいとおもっているにっきの、そのあたらしいシステムについてかんがえる(だいたいプランはできているが)じかんてきよゆうがない。というわけで「こんげついっぱい」とはかいたが[11月27日(火)をさんしょう]こんなかんじであと一しゅうかんほどはグチがつづくとおもっていただいていい。
●――とかかきながらこんやはしかしどうりょうのTせんせいをせんじつのおれい[11月9日(金)をさんしょう]ということでしょくじにおさそいした。ばしょはとうしょ二つのせんたくしがあってひとつめはだいがくからもあるいて十ぷんほどの「権太呂」(京都市北区金閣;こっちだとアルコールものめてゆっくりできる)、いまひとつはおなじみの「つる喜」(大津市坂本;みちがこんでいたらおうふくだけで三じかんはみておかねばならないうえにうんてんしゃがアルコールをのめないのでひつぜんてきにあいてもそれをえんりょすることになる)[いちばんちかいところでは11月26日(月)bをさんしょう]だったのだがとうしょはゆうこくにふりだしたあめのこともあってぜんしゃにおちつきそうになったもののあめだからといってクルマをだしたら「どうせだから」ということでドライヴもかねてこうしゃをえらぶことになった。ちなみに「つる喜」はちかくの日吉大社がこうようのシーズンということでやかんのライトアップをしているいまだけ20:00までえいぎょうしているので(11月20日からあす30日まで;ふだんは18:00でおしまい)このようなじゅぎょうのあとのドライヴがかのうとなったのだがいずれにしてもしんぱいされたみちがさほどこんざつしていなかったこともあってしょくじのじかんをふくめても二じかんはんでかえってくることができた(そのあと京都にもどってきて馬代通りにめんした「Roy’s
Garden」[むかしnikoさんともはいった「らいきゃくよう」きっさてんだ]でコーヒーでものもうとおもったがちゅうしゃじょうがいっぱいだたのでTせんせいのごじたくちかくまでアッシーしてさしあげた)。ソバはもちろんうまかった(ぼくは「おおもり」二まいにくわえて「きつねソバ」をはんぶんたべた;その「きつね」ののこりのはんぶんはTせんせいのだがかのじょもそれにくわえて「おおもり」を一まいたべている)。――と、まあ、いそがしいなかでもそこそこ「こうむいがい」のかつどう(笑)もてんかいしてはいる。[26:55]
2001年11月28日(水)はお休みしました。
2001年11月27日(火)
●あさがあけていっきにきぶんがもりさがったので(よくあるパターンだ)さくやぶん(とくにb)をさくじょしようとおもいいたったが「だつじ」がみつかったのでむしろさくじょしないでじゅぎょうしゅうりょうごのていせいがてらここにそのことをめいきするハメになっている。いたってふけんこうで、ほんとうにここをどうにかするひつようをあらためてかんじる。このスタイルはこんげついっぱいとしたい。[12:30]
2001年11月26日(月)b
●かいてみればかけるものだ(苦笑)――というわけですこしきぶんがもちなおしたので立響定期[したのaをさんしょう]でのできごとについてかいておこう。メインプログラムのチャイコフスキー《悲愴》の第三がくしょうがおわった(つまり第四がくしょうをのこした)ところで「はくしゅ」がおこった。それもたくさん、ほとんどかいじょうぜんたいに。そのきょくのあそこでの「もりあがり」かたはいかにもラストっぽいし(それともうひとつのげんいんは第一がくしょうの「かんきゅう」のてんかんのはげしさがそこを二がくしょうぶんとききあやまらせるてんにある)かりにもクラシック・ファンをじしょうするものとしてははずかしいがそれでも「かんよう」をもってうけいれるべきげんじつであるのだとかんがえるそれくらいのふところのひろさはもっているつもりだ、そういったアマチュアなかんきゃくのげんどうについては。だがゆるしがたいのはぜんはん二きょくめのおなじチャイコフスキーのめずらしいくみきょく《ハムレット》でとってもオーボエがじょうずだったのにしきしゃがかれをひとりたたせてかいじょうのかっさいをそこにあつめさせるよゆうもあたえないかたちで、つまり一どのカーテンコール(とよぶんだろうなカーテンはなくても)もなしにはくしゅがストップしたのである。くだらないえんそうにたいしてもはくしゅをせよとはぼくはいわない。だがあのひ立響のセンターライン(オーボエ、クラリネット、フルートの各しゅせきそうしゃ、そしてティンパニ)のねつえんはぜっさんするにあたいするものだった(げんがっきはあいかわらずていちょうだった)。がくしょうのきれめがわからないにしてもそうであればこそすなおにねつえんにかんのうせよ、このアマチュアいぜんのものたちよ。
●そのえんそうかいのまえに母子をつれて「つる喜」のソバをたべにいった(ということは子もこのえんそうかいをきいている;どうろもみせもこんでいたのでさいしょのプログラム[ボロディン]はききのがした)。そのいみでかぞく三にんはそこそこなかよくやっているというべきだが(苦笑;でもさっきしたで「わたくしごと」とかいたからね)それにしても父といえばそのソバ屋に二日まえにいっていたのである[LaVie日記の11月21日(水)laをさんしょう]。「お父ちゃんはおとといいったからほかのおみせにしよう」となぜ子に(そしてその母に)いえなかった? その21日(水)laにもかいたとおり「ぬけがけ」がバレたときの母子のいかりがよそうされたのだからである。
●だがいずれにしてもソバはまたしてもうまかった。むかし「ふぞろいの林檎たち」というドラマがあってそれがえんで明石屋さんまと大竹しのぶがけっこんしたわけだがまさに「て」できった(おなじ「て」で「うつ」ことよりもじゅうようなようそであるとさいきんおもえる)がゆえの「ふぞろい」のソバたちのしょっかんがじつにここちよいゆうぐれのひとときをつくってくれた(ヘンなひょうげんだ)――そう、しんじがたいことに子もふつうの一にんまえをたいらげたうえに「お父ちゃんのはおおい[おおもりだもんね]からずるい」というめでかれはこっちをにらんでいた。だがこっちは「てうち/てぎり」のおいしいソバは十八でじょうきょうしてはじめてしったのである。「すえおそろしい」ガキんちょであるといわねばならない。
●しかしネぼくは「ぜんそく」もちで(そんなにひどくないのにちょっとおおげさだ)かれにサッカーをおしえてやれるわけでもないし(とかくのは子のともだちがすでにお父さんのえいきょうでサッカーがとてもじょうずだからだ)こうやってはやくからうまいもの(母がつくるのとはまったくちがった)をくわせてそのようなものにたいするかんせい(みかく)やバッハやベートーベンやチャイコフスキーをきかせてそういうものにこころをふるわせるかんせい(ちょうかく)をみにつけさせることしかできないのである。ああ、つまらない「あきらめ」でありまた「けつい」だ。
●――と、れんきゅうちゅう(そしてにっきをやすんでいるさいちゅう)のそこそこここにかきうるわだいはこれだけだ。そうだそんなせいかつをおくっているということだ。[24:50;翌日一文字追加]
2001年11月26日(月)a
●きのうの(「お休み」をつげることわりのなかの)ようびひょうきがまちがえていた(月ようびになっていた;いまなおした)。それでそのていせいのめいきのためにこんやはキィをたたきはじめた。けんこうてきでないパターンだ(苦笑)。
●モバイルマシンのりべんせいについてひごろかいているにんげんだからりょこうにいってましたといういいわけもつうじない(じっさい「お休み」のこくちだけはこうしんしている)。だが「こうむ」(三れんきゅうだったのにどういうことだ)はそこそここなしているし23日(金・祝)にはけんこうのためにクルマを琵琶湖岸まではしらせて立命館大学交響楽団のていきえんそうかいをききにいきもした(よゆうがあればそこでおこったいきどおるべきできごとについてもかきたいところだ)とはいえこのところの「ほうわじょうたい」にちかいたぼうに「わたくしごと」(いまはそのしょうさいにはふれえない)やそつぎょうろんぶんのしどうのピーク(月、水、金は三十ぷん×五、六にんをそれぞれこなす)がくわわってほんとうにくびもまわらないじょうたいである。あすもまた二げんめのじゅぎょうのあと三つのかいぎ(火ようびにしてはすくないほうだ)をこなす――。わっ、やっぱりおそれていたようにただのグチになっている。すこしラクになってポジティヴなきぶんにならないうちは「あくじゅんかん」かな、やはり。[22:30]
2001年11月22日(木)から25日(日)の間はお休みしました。
2001年11月21日(水)
●きのうのつまらないしゃしん(とかくとさつえいしておくってくださった鶴岡せんせいにもうしわけないがわがじゅぎょうふうけいという「ないよう」のてんでそういっている)でもアップするのにたっぷりとじかんがかかったのできょうのしゃしん(笑)はだいがくからアップした[LaVie日記のほうです]。ピントもあっていないしこれもじゅうぶんにつまらないのだけれど。
●あす。二げんめの「表象批判II」ではひさびさにシェーンベルクの《浄められた夜》をとりあげる。十二音おんがくをそうしするこのさっきょくかが十九せいきまつにてがけたこの、いっしゅの「わかがき」のさくひんについてはしょちゅうげんきゅうはするのだけれどじっさいにそのえんそうを「きく」のみならず「みる」こともするのはこの立命ではちゃくにんしたさいしょのとし(1998年、「美学および芸術学」)いらいのことではないかな(「ひさびさ」の句のゆえんだ)。ちなみにそのときにさくせいしたしりょうプリントもあるし――とかくとたぼうにかまけてつい「つかいまわし」のてにでたとおもわれかねない。が、はんぶんあたっている。
●だがこうやってじゅぎょうふたんのけいげんをはかったところでじぶんほんらいのしごとにそそぐじかんてきよゆうはいまだはっせいしない。というわけでセゾンのきかくによるあの「たいだん」[VAIO日記の9月30日(日)vaをさんしょう]のテープおこしげんこう(ことしじゅうにあるてんらんかいカタログにしゅうろくされるはずだ)のちょしゃこうせいはあすまでにへんそうするはずだったしめきりをなんとか一にちのばしてもらうことになった(23日[金・祝]の17:00があたらしいしめきりだ)。24、25のりょうじつもさるニュースレターのへんしゅうさぎょうのためにとうこうしなければならないし…というわけですでにしてくらいれんきゅう/しゅうまつとなることがよけんされてしまっている。[24:00]
2001年11月20日(火)
●さくやグチったしごとはとりあえず17:00のじてんで「ぎょうしゃ」(「へんしゅうしゃ」とかけないところがつらい)にげんこうをてわたしてきょうのところはぶじにのりきった。つかれたのでゆうしょくごすぐにねようとおもった(にっきもやすむとよこくしていることだし)が鶴岡真弓せんせいからとどいたメールにせんじつモグりこんで[11月9日(金)をさんしょう]「とうさつ」(笑)されたぼくのじゅぎょうふうけいのしゃしんがてんぷされていたのでここにけいしゅつしてからねようとおもいたった。スクリーンとプラズマ・ディスプレイ(ちなみにぜんしゃにはティツィアーノの《聖愛と俗愛》のぜんたいぞうをこていでうつしておいてこうしゃでは「がそうえつらんソフト」でズームするのだがこのしゃしんではともにぜんたいぞうになっている)しかうつっていないこのしゃしんをどうしろとかのじょがいうのかかいもくけんとうもつかないけれどもがくせいたちがわがレクチャーにめをむけ/みみをかたむけているくらやみをこのようなかくどでみることはぼくじしんはできない。よくたえているね(笑)。[22:00]
2001年11月19日(月)
●やはり二日れんぞくではやすめない(このにっきのことです[笑])というへんなぎむかんがあってそのことのゆえにかく。いや、こんなばしょだからこそかかねばならない――とぉってもくだらない「ざつむ」でくびがまわらないほどいそがしい。あしたのひるまでの「かだい」もやまほどあるのだがほんとうにつまらない。ピンチだ。
●そのはんどうというわけではないがいくつか(ちいさいものからおおきなものまで)かいものをしていてそいつをここでこくはくしたいきもちにかられる。だがそのうちのどの一つもせつめいにはまる一じかんほどはさいていひつようなほどで、そうするととうぜんうえにかいたしごとのしんちょくにえいきょうがでる。ここはぐっとこらえて(このFIVAをとじて)Valuestarにむかうことになる。(ちなみにあしたはまたおやすみすることになるとおもいます。)[23:58]
2001年11月18日(日)はお休みしました。
2001年11月17日(土)
●ほんとうは「お休みしました」とかきたいじかんなのだけれど(でも「きのう」もにたようなじかんだったじゃないか)「あす」になるとよいんがうすれるので。七五三[11月4日(日)もさんしょう]のおいわいのしょくじを「しまだ」(嵐電・妙心寺駅近く、ステーキ)で。このところウチでにくりょうりをたべるときには「おいしいおにくはいつたべにいくの?」というわ、ほいくしょのおくりむかえのときには「しまだのおじちゃんのおにくたべたいなぁ」とじてんしゃのこうぶざせきでつぶやくわで、父母はじつはかなりのプレッシャーをうけていたのでなんとかこんやのしょくじでまんぞくさせ(つぎは12月のたんじょうびにと子はじぶんでいっている)われわれもまたプレッシャーからかいほうされたというわけだがそれにしてもこんやはひさびさにワイン(ハーフのかる〜いのではなくフルボディ/フルボトル[ちょっとあまったのでもってかえってきた]のカベルネ・ソーヴィニヨン)をのんでなによりもそのおいしいおさけのちからでやすらぐことができた。おもいかえせばふゆからはるにかけての、いそがしいとはいえじゅぎょうふたんからはかいほうされていたじきにはあれほどあびるように(三日で二本/ほぼひとりで)のんでいたにもかかわらず(もっといえば東京にすんでいたころは銀座や池袋でのんでもちかてつでスッと十五ふんできたくできたのでラクちんだったな)このあき(京都もすでに四ねんめだ)はまったくそういったよゆうすらない。そのいみでもこのあきはじつにふけんこうだ。
●ふけんこうといえばわが黒ヴィッツもこのところは上新電機京都1ばん館にかいものにいくときつかうていどで(笑)9月の十二ヶ月てんけん[9月18日(火)aをさんしょう]いらいたった一どしかガソリンをいれていない。せんしゃをするにもいちばんいいきせつなのに――「きょう」(とさすがにかいておこう)はそのげんきがない。
●そのげんきをねこそぎうばってしまった、いつものしゅうよりもよけいにかせられたこうむとしてのAOにゅうし。がくぶとしてかくほしたいかずにはすこしたりなかったとはいえないよう(じゅけんせいの「しつ」)はさくねんどよりもあがっている。これでむくわれたのだといいきかせなければならない。[29:40]
2001年11月16日(金)
●きょう(とひづけをかえずにかくのだが)はゆうこくにどうりょうの江川ひかりせんせい(トルコ史)とそのお子さん(琢くん、一さい四かげつ)をまねいて「克」(竜安寺道商店街北端、お好み焼き)でしょくじをした(うちも母子つきで)。「克」のお子さん(なまえをきくのをわすれた)が琢くんとおなじ「たくじしせつ」(「トマト」)にかよっている「ごえん」(そしてわがやはいぜんからこのお好み焼きやさんをりようしていた)でいぜんからけいかくしていたのだがこの子たちがなんねんかしてわが御室保育所ににゅうえんするかのうせいがある(というのも「トマト」は二さいじまでしかあずかってくれないからだ)とするならばリクルートてきいみあいがあったこともひていはできない(笑)。
●それにしても江川せんせいはクルマだから「のめない」のにこっちはのんだ、のんだ。そんなわけできたくごははやばやと「かみん」じょうたいに。じっさいこの「かみん」がとつぜんおもいもかけずに「えいみん」になってしまうのではないかとおもわれるくらいにこんしゅうはたぼうだったのだがところがこれで一しゅうかんがおわりとおもいきやじつはあす(あと四、五じかんご)もまたあさからゆうがたまでAOにゅうしで「でずっぱり」なのである。とんでもないじょうたいである。
●ならばそのようなグチしかかけないにっきなぞやすんじまえばいいんじゃないか。そのとおりだ。だからたしかにコレをかいかく(どのように[笑]?)するつもりなのではある。このかいかくじたいがおもにになるのもバカげているからマイペースでかんがえているがしかしキリのいいところで12月にはいったらあたらしいカタチにいこうしていたい。
●でもいまはまだこのようなばしょだからこれまでの「ろせん」にそっていくつかのわだい(とくにきのう・おととい「ほうこく」しそこねていること)については――(1)「ロアン・リンユイ」[8月6日(月)aをさんしょう]のDVD(Pioneer)がでたので上新電機京都1ばん館でこうにゅう(14日[水];ただしそこでかいている「はずかしいこと」はべつにあってちかぢか[はやければあす]こくはくするはずだ)。ちなみにおなじマギー・チャンがしゅつえんする、ぜんじつその香港盤DVDをらくさつ・にゅうしゅした「花様年華」は国内盤が12月21日だかにでるようだ(VHSはさらに一かげつもはやいということなのでまもなくレンタルビデオやのたなをかざるのであろう)。まけおしみにきこえようがどうかその国内盤DVDはぐれつな「ふきかえ」をふくむがゆえの「モノラル」おんせい[11月13日(火)をさんしょう]でありますように(笑)。ついでながらかくとチャンがしゅえんの「堕ちていく女」というさくひんもすでにDVD化されているが(かのじょが「堕ちていく」なんてたえられない(笑)からというのではなく)こうにゅうはしていない。それをいうならば「いますぐ抱きしめたい」や「欲望の翼」もどうようである。どうやらじょゆう(あるいはひとりのじょせい)としてのチャン(Cheung)よりもあの「花様年華」のなかのストイックなチャン(Zeung;だっけツヅリは?)夫人の「イメージ」をだいじにしたいんだろうな(ウブだな[笑])とじこぶんせきをあらたにするしだい[うえとおなじ8月6日(月)aをさんしょう]。
●(2)そのための「じゅんびがいつごろおわるかわからない」とそのぜんやにかいた木ようび(15日)の「表象批判II」について。このひのわだいは黛敏郎のドリカム批判(1993年)をきっかけとして「かようきょく」から「てんのうせい」までじゅうおうにろんじる「ていばん」(とはいえ「過去の日記」のきょねんのぶんではとくにふれていないが)のないようだったのだがことしはこれまでのけいしきをおおはばにヴァージョンアップしてそのひはんのなかでげんきゅうされるすべてのきょくをPCにとりこんで(MP3)それをきょうしつでさいせい・ちょうしゅ(「object
lesson[実物レッスン]」をもじって「object listen」とぼくはよんでいる)した。ドリカム(「晴れたらいいね」と「決戦は金曜日」;ともに「めいきょく」とよぶにふさわしい)のほかではかぐや姫の「神田川」、サザンの「勝手にシンドバッド」、北原白秋作詞/山田耕作作曲「からたちの花」(うたはテノールの畑儀文)など。そこに「ひかくさくれい」としておなじ北原/山田コンビの「赤とんぼ」とあのねのねの「赤とんぼの唄」、黛じしんの「弦楽四重奏のための序曲」などをくわえてそれはそれはしゅっぴがかさむ(そしてへんしゅうがたいへんな)じゅぎょうとなった。だがしんどいがとてもたのしくもあった。「ストレスの〈げんいん〉とその〈かいしょうしゅだん〉がことしはおなじなんやね」というぶんせき[11月14日(水)をさんしょう]をめいげんとせねばならないゆえんである。
●というわけできょうはたっぷり一じかんちかく「かく」のにかかってしまいました。そろそろいまのんでいるビールをあけて二、三じかんねむりたいとおもいます。[28:47]
2001年11月15日(木)はお休みしました。
2001年11月14日(水)
●かえすがえすもさくやのメールははずかしい。だがじつはきょうはそれにまけないくらいはずかしいことをしてしまった。こういうせいかくだからそれもとうぜんこのばしょでこくはくしたいところなのだがあいにくこんやはこれからはじめるあすのじゅぎょう(「表象批判II」)のためのじょうたいなので(そんなに「こって」るの?→うん、ていばんのアノないようをマルチメディアっぽくおもいっきりヴァージョンアップするのである→でもねむいなぁ)それは「て」がすいたよるのたのしみ(笑)のためにとっておきたい。ちなみにこうやってクタクタになってじゅぎょうのそざいをさくせいすることしのわがすがた(というのもきほんてきにあさめざめてからじゅぎょうのないようをこうそうするようなスタイルでこれまでやってきたのだから)をみて細君はさっき「ストレスの〈げんいん〉とその〈かいしょうしゅだん〉がことしはおなじなんやね」ときわめてクールにのたまったのだった。くやしいが「けいがん」であるとみとめねばならない。[24:05]
2001年11月13日(火)
●とちゅうでおりてしまったオークション[さくじつぶんをさんしょう]の「そのプロセスで(ちょっと「ヨソみ」をしたらついつい)」にゅうさつ/らくさつしてしまったさるDVDソフトについては「(ここにかくことがはずかしい)」とかいた[11月11日(日)をさんしょう]のではあったけれどもはずかしいことをいっぱいかきつけてきたこのばしょでそもそもそのようなかくしだてをしてもしかたがない(笑)。すでによそうしていたむきもあるかもしれないがそのえいがソフトはほかならぬ「花様年華」[その名をはじめてだしてげんきゅうしたのはなつかしのVAIO日記(笑)の5月12日(土)vbにおいてである]のそれなのであってしかしまだ国内盤がでていないがゆえにおもわずてをのばしてしまったその香港盤(リージョンフリー)はこころなしかどうようのソフトよりも「がしつ」がおちるようなきがしないでもない(まさか海賊盤じゃないだろうね)。いや、そのようなふまんぞく(うたがい)があろうがなかろうがにほんごの「じまく」のついた国内盤がでたひにはまたそれをこうにゅうしてしまうにきまっているのだがそうしてなかには「じまく」ばかりか「ふきかえ」なんかもおこなってしまったがゆえに(そうやってふようなトラックをもうけてしまったがゆえに)おんせいがモノラルになってしまわざるをえないもの(じっさいおなじマギー・チャンがしゅえんのめいさく「ラブソング」の国内盤はそのようなもののじつれいである[これまたVAIO日記の6月17日(日)vaをさんしょう])とくらべるといまてもとにあるあやしいもののほうはまぎれもないステレオである(だって「あのふたり」がさいしょにレストランでしょくじをするおかしくてしかたのないばめんではリアルに左右からだんじょのこえがわかれてきこえてくる)。いや、そのようにいいわけめかしてメリットをのべたてるまでもなくすでにイギリス(amazon.co.uk)からゆにゅうしたPALけいしきのVHSソフト(ただしそれでは国産ビデオデッキではさいせいできないのでだいがく[教育システム研究課]でさいせいかのうなNTSCけいしきにへんかんしてもらった[笑][8月17日(金)cをさんしょう])もあるこのさくひんはこのにっきのさくしゃにとってはあらゆるものがコレクター・アイテムてきないみをもつというべきである。うん、ここまでかくとほんとうにはずかしいがなつばであればすっかりひがのぼっているこんなじかんにこれだけかいたのだから(笑)アップはしておく。
●――と、こんなわだいでじしんをもりたてなければならないほどに「がくえんせいかつ」のじゅぎょういがいのぶぶん(いつも「ざつむ」とよんでいるやつだ)はぼんようなひょうげんをゆるすならば「ながいトンネル」にはいってしまったかのようだ。そう、まったく「こうみょう」がみえない。[29:25]
2001年11月12日(月)
●みめい。AirH"のカードによるつうしんのふつう[さくやぶんのラストをさんしょう]はBIGLOBE
かDDIポケットのいずれかにもんだいがあったようだがはんぜんとしない(ぜんしゃの「しょうがいじょうほう」コーナーにはまだAirH"用のがないしこうしゃには「しょうがいじょうほう」のコーナーがそもそもそんざいしない;いじょうはひさびさにりつめいのサーバにpppでアクセスしてブラウザしたけっかわかったことである)。りようしゃがきゅうぞうしているつうしんシステムだからたいおうもたいへんなのだろうけどしっかりしてもらいたい(とりあえず「しょうがいじょうほう」でそれにふれてほしい)ものだ。
●ごぜん。じじょうがあってきゅうきょシグマリオンII[11月10日(土)をさんしょう]をこうにゅうした。ついでにアルカリかんでんち二こで二十五じかんもくどうする(そのかわりがめんはモノクロだ)モバイルギアのめいきMC/R330をめぐるオークションもおりることにした。このたびのニューCEマシンにもさすがにそれほどのりべんせいはそなわってはいないがカラーのがめんとキーボードがついていて五百グラムしょうしょうのおもさでしかも8〜10月のあいだにせいぞうされたしょきロットのマシンは(PHSカードは「じしゃせい」のP-in
m@sterしかつかえないというNTT docomo のしゅちょうにはんして)わがAirH"もつかえる(まだプロテクトがかかっていない)ことがさるBBSのログからはんめいしたのだからである。そうしてこうにゅうしてセッティングしてみると――うん、たしかにメールそうじゅしんにもブラウザにももんだいなくつかえる。
しかもこのつうしんのじげんでの「おそさ」のことはでんげんオンして0.5びょうでぶんしょうがうちはじめられる「はやさ」がおぎなってあまりある。キーボードのちいささだけがなれないうちはたいへんだろうがこれからはこれをしゅとしてきっさてんへのもちこみようとして(笑)。
●だがこうしてCEマシンがひびのつうしんのためのメインマシンとしてのちいをしめるとなるとCassiopeia FIVA(OSはwindows me)はじゅぎょうでのしようをそのちゅうしんてきなしごとのひとつとするセミ・モバイルマシンとなり、ひいてはCEマシンではあつかえないhtmlけいしきは(わがにっきのシステムから「てったい」しないまでも)ひんぱんにこうしんするのではない「わきやく」てきなものとならざるをえない。――と、ようやくわがにっきの「こうぞうかいかく」のほうこうせいがみえてきたカナ(と、それをにっきでかたるおめでたさカナ)。[23:27]
2001年11月11日(日)
●ほいくしょまつり。バザーにだしたてづくりの「ふくろう」[LaVie日記の11月5日(月)laをさんしょう]はかいもどした(笑)。二こセットで三百えんのねだんがついていたのはまあまんぞくであるが(だっててあみのマフラーなんかでも五百えんていどなのだからである)すでにせいさくしゃのあいだでわいてしまっていたひそかなあいちゃくがそれをわがやの「しょっきだな」にひきもどすことをしいたのである。ちなみにこのおなじモノをらいねんもしゅっぴんするというてはなくはない。もちろんまたかいもどすのだが(笑)せいさくについやされる「ろうく」をおもうとありえるせんりゃくであるとはおもう。
●さるCEマシンをめぐるYahooオークションのせりあい[さくやぶんをさんしょう]はあと三十七じかんほどのしょうぶだがそのプロセスで(ちょっと「ヨソみ」をしたらついつい)つまらない(ここにかくことがはずかしい)DVDをにゅうさつ/らくさつしてしまった。あすさっそくゆうびんきょくでにゅうきんをすませて一しゅうかんほどでしょうひんがとどくようだがそれまでにこころのせいりがついたらほうこくできるかも。
●それにしてもいくつかのWEBサイトでべんきょうしたところではIBMやPhilipsがCEマシンからてったいするなどそのOSをめぐるじょうきょうはかなりあやういようだ(NECや日立も二ねんまえからしょうひんのラインナップにおおきなへんかがない)。かくいうぼくも山形から京都にうつるぜんごの二、三ねんのあいだそれをちゅうしんてきにりようしていたもののそのごはふつうのWindowsユーザになってしまっていたのだがたんじゅんににゅうりょく(とシンプルなつうしんのための)マシンとしてかんがえるならばなおそのOSをとうさいしたミニマシンはおおいにゆうようであるといわねばならない。というわけでPCビンボーのそしりをかくごでAirH"がつかえるものとしてはいちばんシンプルなシステムこうせいをとる「その」マシンをぜひ、とこんやも。
●あす。じゆうにすごせる「けんきゅうび」のはずだがながらくじったいがそれからかけはなれている月ようび。さるニュースレターのげんこうしっぴつ/せいりとがくせいのそつろんしどう(げんじてんではゆうこくに三けんがよてい)で一にちがつぶれる。めでたい。[24:45;AirH"がつながらないのであとでアップ]
2001年11月10日(土)
●「モダニズム日記[試験運用中]」をいったんリセット。「第2室」[本日付]でうたったようなシステムをかんべんなかたちでなかなかこうちくできないがゆえ。となるとやっぱりcgiのべんきょうをしなければならないのかしらん。
●さて、うえとかんれんするのかしないのか――htmlファイルのアップができない(たぶん)ということではかんれんしないのだがcgiによる「とうこう」けいしきにならもちろんたいおうかのうということでかんれんしてくるのがCEマシンで[11月3日(土・祝)をさんしょう]いろいろとちょうさしてみるとNTT docomoがだしているシグマリオンIIがおおきさといいかかくといいベストにちかいできあがりとなっている。ところがそれだとサポートされるPHSのつうしんカードはdocomoのP-in
M@sterだけで(ふところがちいさいゾ、NTT docomo!)わがAir H"のけいやくはムダになってしまう。というわけでセカンドバイのマシンをぶっしょくするもげんこうきしゅにはみあたらないのでいまやアウトレットせんもんのオンラインショップでもはんばいしていない「一ねんおち」のさるマシンをYahoo!のオークションでせりおとそうか、などと。
●あす。「ほいくしょまつり」となづけられたわが御室保育所のバザー。といっても父(おやたち;というかきかたはジェンダーろんてきにマズいが)にとってはちょっとした「えんかい」のようであることはひていできない[ぜんそくにくるしんだきょねんのあきのおなじ「まつり」のひのことは11月19日(日)aをさんしょう]。というわけでさいわいおてんきもいいみたいだしことしはのんびりビールでものんでヘラヘラと。[28:25]
2001年11月9日(金)
●やっぱり「よって」いるとしかおもえないふざけたやすみかたをしたつぎのひにはやはりおなじちょうし(なんだとおもわれるかたち)でやすむわけにはいかない。というわけでせいかくにはひづけがかわって五じかんほどもたとうしているのだが(ようは「かみん」がながびいただけなのだが)「きょう」のうちに――。
●せんじつ(10月31日[水])に山形の元どうりょう長坂一郎氏およびかれのいんそつがくせいと河原町でのんだ[2日おくれのかんたんなほうこくが11月2日(金)aにある]ときには五にんのそうがくが一万六千えんちょっとだったのに(体育会系のコンパでもよくつかわれるらしいすごくゆうめいな「静(しずか)」というウルサイみせ[笑])きのうはたった二人で二万七千えんほどもかかった。まあしかしそれはすこしもたかくかんじられない「ないよう」だったからいいのだがどういうわけだかきのう(上七軒の芸者さんなんかもりようする白梅町は「越後」での「えん」ようすはひるまアップしたLaVie日記でふれている)は鶴岡真弓せんせいがぼくの「いろう」(9月のシンポジウムのけん[あんまりふれていないが9月4日(火)aにだんぺんてきなげんきゅうがある]などをさしてのことである)ということでぜんぶをもってくださることになった。もちろんもうしわけないがそのぶんのうめあわせというかたちで(?)かのじょをきょうのぼくのじゅぎょう「西洋美術史II」におまねきした(ほんとにこられるとはおもわなかった[笑])。かくてケルトけんきゅうの第一人者をまえにしたからきゅうきょへんこうしたのではなくせんしゅうからじゅこうせいにはよこくしてあったぼくの若桑マニエリスム論へのひはんをかのじょがたのしんだかどうかはさておきどうりょうのきびしいしせんにさらされたじゅぎょうのしんこうがいつもにもましてまたハイテンションになったことはひていできない。だがこうやってじゅぎょうという「とじた」せかいからたしょうともいつだつしたかたちでなしたこうさつのことはなんらかのかたちできちんとぶんしょうかしなければともおもう。やはりプレッシャーはだいじであるとかいておきたい。
●あす(といってももうすぐその「ちょうかん」もとどく)はまずはほいくしょでのうちの子の一さいうえのクラス(「ぞう組」)にいるヒロくん(六さい)を7:00におむかえするところからはじまる。というのもかれのおかあさんである「ひもだY」さん(!;かのじょのこともうえの二せんせいとどうようにきょうはじつめいでひょうきしようかとおもったがここはなおハンドルネームで)がおしごとではやくからいえをあけねばならないのでほいくしょにおくりとどけるまでのわずかのじかんおあずかりするということなのだがいずれにしてもその「ニュース」をきいてうちの子はほいくしょのなかのいいおにいちゃんといっしょにあさごはんがたべられるというのでおおよろこび。かくてしゅうまつでれいぞうこのなかがカラッポにちかいわがやはきゅうきょホットケーキをこしらえるなどしてかれのかんたいのしるしとするであろう。――とかきながら父はいまごろ「やしょく」をつまみながらビールをのんでいるのだからかれをちゃんとむかえられるのかどうかはなはだあやしいのだが。[29:00]
2001年11月8日(木)は、この夜、あまりに激しくかつ楽しく呑んだため疲労困憊状態 にあるので、日記はお休みします(って、それだけで日記の本文としてもいい文言をもって休業の宣言とするのは初めての展開ですね[笑]。→だったらほんとうはあんまり酔っていないんじゃないの[自己批判]?)。[23:37]
2001年11月7日(水)
●きのうかきわすれたことだが(きのうの時事=ロイター電でしった)『美術という物語』(The Story of Art, 1950;邦訳『美術の歩み』)のちょしゃとしてなだかいE・H・ゴンブリッチが3日(イギリス時間)九十二さいでなくなった。ひとりのしてんでびじゅつの「つうし(survey)」をかききるといういまではかんがえられないことをなしえたこうふくな(そしてもちろんそれにふさわしいのうりょくをもった)にんげんの「死」。あさってのこうぎ「西洋美術史II」ではとうぜんそのことにふれるししけんうんようちゅうのモダニスト日記(仮称)でもきちんとふれたいところなのだがとくにこうしゃはいつこうかいにふみきれるかわからないので(まだシステム[そんなりっぱなものか?]がじゅうぶんねられていない)このばしょでせめて一にちおくれのうちにチラと。
●で、つづいてはいきなりひきんなわだい。あけがたニゴがしんしつでまた「おもらし」をした。きょねんはそれでくろうしたそのクセがなおったとおもってことしはいっしょにねることをゆるしたのに[10月7日(日)aをさんしょう]このけっていはさっそくてっかいされることになった。かわいそうなのはセリでニゴだけひとりでLDKでねるのはかわいそうだからとかのじょもおいだされることになった(あいかわらずマリだけはとくべつである)。いや、なにか「あくい」があってしたのではなくあんまりきもちよくてついヤッてしまったんだろうとおもうとニゴもかわいそうなのだがこういうことがあるたびにフトン・カバーをはがしてせんたくしてウモウのはいったなかみはクリーニングにだして(四、五千えんもかかる)というのではかいぬしはたまったものではない。だからしばらくはガマンしたまえ。(だがいつ/どのようにして「ふっき」きょかのけつだんをくだすのだろう。)
●さてここからがきょうのはなし。だがすべてのしんこうはきのうかいたとおり。
●あす。ひるはいつもどおりの二つのじゅぎょう(「表象批判II」とゼミ[「第2室」のじょうれんのくずさんがパワーポイントをもちいてはっぴょうする])のあいだにとあるじゅうだいなかいぎがひらかれる。おおいなる「きづかれ」がよそうされる。しかしよるはどうりょうの鶴岡真弓せんせい[ケルトけんきゅうの第一人者だ]とひさびさにゆうしょくをともにする(とうぜんのむ)。そういえばこのあいだ(たぶん5日[月]だったはずだ)あさのワイドショーでエンヤのしんきょくのわだいがとりあげられているなとおもったらとつぜんかのじょのインタヴューにがめんがきりかわった(しゅざいばしょも三つとなりのけんきゅうしつだった)。ビデオにとらなきゃ!と、べつにおもわなくてもいいようなこと(笑)をとっさにおもいたってテープ(土ようびの「ウルトラマンコスモス」のろくがをしたあとの)をまわしたっけ。せっかくだからこれもあさっての「西洋美術史II」のネタとしようっと。[23:50]
2001年11月6日(火)
●日ようびのよるから月ようびのあさにかけてほとんどねむらずこなさねばならないしごと(あの「ふくろう」[きのうのLaVie日記をさんしょう]のことじゃないよアレもすこしはじかんをくったけど)があったおかげで一しゅうかんのはじめからもうリズムがくるっている。きょうも一にちじゅうねむかった(もちろんじゅぎょうとかいぎ三つはちゃんとこなしていますので)。あすいこうのことをかんがえるのもしんどい。
●でもあすのことを。ごご。だいがくいんせいの「しゅうしろんぶん」のとちゅうせいかはっぴょうがよるまでロングランで。そうだそのまえにごぜんちゅうには「沙羅」(北区小松原)でかみのけをきる。さらにそのまえには1月に某カルチャーセンターで一かい「たんぱつ」でたんとうするこうぎのレジュメそうふのしごとがある(こんばんじゅうにやればいいのだがやるきがおこらない)。ホラかんがえたらますますしんどくなってきた。
●そんなかんじでさいきんはほいくしょのおむかえも子の母にまかせきりなのだがきょうはゆうこくちょっとしたじけんがあったようだ。だいじにだいじに「そだて」ていた「ドロだんご」(ドロでもってぴかぴかのおダンゴをつくる)を子が母にみせようとしてついそれ(かんせいじょうたいにちかづいていたらしい)をこわしてしまった。どうやらそのこうけいをひもだYさんはもくげきされたようだがとにかくそのあと子はショックで「じぼうじき」といっていいほどなきじゃくり/あれくるった(らしい)。そのはげしいかなしみ/いかりがすこしおちついたころに父はきたくしたのだがつくられた(うまれた)ものはいつかはこわれなければならない(死ななければならない)のだとマーラー(第二交響曲)みたいなことをいってもまったくかれにはつうじないわけで、けれどもだいすきなニゴが死んだら(じっさいこんなげんきなやつでもあと十すうねんもしたら死んじまうのだけれど)もとにもどらないけど「ドロだんご」なんかいつでもつくりなおせるやろというとニゴが死んだんじゃなくてよかったといってきげんをなおした。一ねんはんまえに逝ったタマのその死[2000年4月17日(月)bおよびタマのページ(たまにはみてやってね)をさんしょう]がこの子が五さいちょくぜんのいまこのじきのことであればずいぶんちがったものとしてとらえられたことであったろう。[24:25]
2001年11月5日(月)はコチラはお休みしました。
2001年11月4日(日)
●ひる。七五三というのは「かぞえどし」でいわうものだそうだ。北野天満宮のうけつけで「もうしこみようし」にきにゅうするときにきづいた。じっさいあたらしくなった本殿で「ごきとう」をうけているまわりのおとこの子たちも御室保育所だったら「うさぎ」組(三さいじクラス)くらいのおおきさだった。だがまわりより一さいおおきいぶんあんなにながいあいだの(といってもほんの二十ぷんほどだったが)せいざにもなんとかたえることができたのだし、ま、いいよね(こんどからきをつけるからさ;ちなみに父の「やくどし」[四十二さい]はらいねんか?)。
●ごご。ごきとうのあとはとりいまえの「とようけ茶屋」(ゆどうふ)にむかうもあいかわらずの「ちょうだのれつ」だったのですぐちかくの「たわらや」(うどん)へ。「うどんかいせき」ででてくるうどんはさすがにびみであったがちいさなおわんのかやくごはんと「にもの」のこざらだけで\1470はさすがにわりだかかんがある(\800くらいでいい)。ということでしゃしんのけいさいはおあずけ。
●よる。あすのあさ京都をたつ義母(ほいくしょに孫をおくりとどけてくれるそうだ)をかこんだゆうしょくとかんだん。とうぜんしごとはすすまない(苦笑)。じゅんばんにおふろにはいっているあいだにこのにっきをうっているがみんなねしずまったらあすまでのざつようをしゅくしゅくと。[22:12;24:05一部字句修正]
2001年11月3日(土・祝)
●PCといえばきほんてきにデスクトップよりもノートがたが「すき」でげんざいもこうしゃをこのFIVA(「こがた」だけどメインマシン)、Biblo(MF7/700;けんきゅうしつよう)、VAIO(505V;バックアップ&MP3さいせいマシン)と三だいもしようしている「み」ではあるがこのごにおよんでなおCEマシンのかんべんさ(レジュームきのうにおいてはぜったいにwindowsマシンはかつことができない)をさいにんしきしている。もちろんポケットワードといったソフトはつかいものにならないがあつかいたいぶんしょをてきとうなみじかさのテキスト・ファイル(あるおおきさいじょうになるとこれもよみこめないからだ)にしてエディタでかこうすることにかけてはいちばんりべんせいにおいてすぐれる。というわけで四ねんまえに京都にきてさいしょにかったNECのモバイルギアのしょだいCEマシンがほんじつ「きせきのふっかつ」をとげてさっそくせんじつの鈴木一誌氏のこうえん[10月17日(水)aをさんしょう]のテープおこしげんこうのチェックようにかつやくしはじめた。――と、それがじぶんのぶんしょうのためにおもいたったことでないことだけがかなしいがいずれにしても(鈴木氏もじつはそのためにおまねきした「新構想大学院」なるものにまつわっても)こんごどうようのかたちでしょりしなければならない「じむてき」ぶんしょがかなりのりょうにおよぶ。じゅうようなふっかつげきであったといわねばならない。
●さてそうしてふっかつしたCEマシンをパチパチとうつ父のかたわらで母子と富山からやってきた祖母がなごやかにかいわをかわすこうけいがきょうはみられた。さいわいあすはてんきがかいふくするようなよほうがでているので北野天満宮への七五三もうではとうしょのよていどおりにじっこうされるよてい。というわけでおまいりのあとはしょうめんのとりいまえの「とようけ茶屋」でとうふりょうりでも。[26:03;翌朝一字修正]
2001年11月2日(金)c
●[削除しました。]
●[削除しました。]
●[削除しました。][25:40;翌日削除措置]
2001年11月2日(金)b
●したのaへのほそく。「そのパターンがきょうもまたはんぷくされた」とかいたが二日つづけてのんではいない(そんなことをしたら死んじゃう)。それとじゅぎょうはあいかわらずそこそこパワフルにやっている(きょうのマニエリスム論も若桑みどりよりもおもしろかったはずだ)。そりゃそうだプロやねんからね。
●七五三はあめになりそうだ(あさってのはなし)。そんなことよりもあす義母がくるまえに(京都駅にむかえにいくまえに)へやのそうじをしなければならない。みだれたへやもいやだがそうじはもっとくつうだ。
●どうやらほんとうに「すいみんしょうがい」らしい。めのしたにクマがいるのにねむれない。[25:23]
2001年11月2日(金)a
●いまはそのしょうさいについてかくきりょくもたいりょくもないがとにかくたぼうな二日かんをすごした。30日(水)のしんやおそくまでN氏(およびかれがいんそつする三めいのがくせい)と河原町でのんできたくしたあとわずかのすいみんをとっただけで木ようびのげきむ(かこのどこかでそのことはふれたはずだが)にとつにゅうして、ところがそのパターンがきょうもまたはんぷくされたのである。いや、しゅうあけにひきつがれるちょっとしたこうむがなお二つもあって(しゅうまつなんかあったものか!?)しかもあすは富山から義母が孫の七五三のためにじょうらくまでする。とんでもないといいたいがいずれにしても月があらたまったところでかどうさせるつもりでいたあたらしいにっきのこころみもすこしさきおくりせざるをえない(だれもどくしゃがいない「しこうきかん」に一しゅうかんもかきついでいたのに[苦笑])。過去の日記のページのせいりはそのほしょうてきこういである。[23:35]
2001年11月1日(木)はお休みしました。