犯罪学の課題、対象と体系


1 犯罪学とは何か

われわれの住む世界では、残念なことではあるが、犯罪はきわめてありふれた現象である。新聞やテレビのニュースに一件の犯罪も登場しないような日はなく、犯罪を扱った小説や映画を除外すると書店も映画館も空っぽになってしまうことが目に見えている。そして、犯罪を研究対象とする犯罪学についても、それと意識しないまま、われわれはすでに多くの局面でそれと遭遇している。
 例えば、近年目立つこととなった「17歳の犯罪」や「精神障害者の犯罪」。新聞やテレビは「きれる」少年少女について書き立て、あるいは少年法や刑法そのものの限界についてさまざまに論評している。そのとき、刑法の立場から問題となるのは、その行為が傷害致死罪(刑法205条)か殺人罪(同199条)か、犯人の責任能力(同39条・41条)の有無、あるいは刑罰──たとえば、死刑の存廃論──といった点に過ぎない。だが、それを越えて、なぜそのような犯罪が「流行」するのか、なぜ青少年あるいは精神障害者の犯罪なのか、なぜ女性や子供が被害者となることが多いのか、これらの犯罪をどのように予防することが可能なのか── これらの点に注目されるときには、実は、すでに犯罪学が問題になっているのである。

 人の生命、身体、自由、名誉、財産を奪い、傷つけ、あるいは社会と国家の利益と秩序を侵害する行為である犯罪に対しては、直接それを阻止するだけでなく、その原因を考え、その対策を検討する必要があることは自明である。この、犯罪現象の全体と個々の特徴を正確に認識し、その原因と対策を考察する科学は「犯罪学」と呼ばれる。そしてこの「犯罪学」が具体的にどのような内容をもつものであるかは、たとえばそれが大学法学部で通常講義される「刑法学」や社会学の一領域である「社会病理学」とどう異なるのかという問題に答えることを通じて、明らかとなる。そしてそれは、後に理解されるであろうように、かなり重要な問題なのである。


2 犯罪学の対象

ところで、犯罪学の対象とする「犯罪」は、刑法学の対象と同じであろうか。
 これはかなり困難な問題であり、本講全体を通じて解答が与えられるはずであるが、さしあたっては、両者は異なるという認識から出発すべきであろう。刑法学が個別の犯罪行為の構成要件該当性とその評価、その行為者の責任といった問題に自らの関心を限定するのに対して、犯罪学の対象は個別的な犯罪行為ではなく、社会的な平面で現象として捉えられた犯罪である。
 個々人が実行した犯罪という事実は、その陥った問題状況を徴表し、その解決に向けての治癒ないし教育その他の援助の必要性を示すとともに、その刑事責任との関わりで、あるいはその被害の回復との関わりで、法律的な検討を要請するにすぎない。
 大量現象としての犯罪の原因を究明し、それを防遏することを目的とする犯罪学における対象の捉え方は、それとは異なって来ざるをえないのである。

この点は、犯罪学のあり方にも関係する。たとえば、従来多くの犯罪学教科書において論じられてきたような、個人の遺伝的負因や精神的疾病などと彼の犯罪行動との関連づけは、はたして意義のある検討課題だったであろうか。それは、ある個人の犯罪行動を説明することに役立つかも知れないが、それ以上の意義は持たないのではないか。他の非犯罪者には存在せず、犯罪者にのみ存在するような個体的資質が特定されることは、今後もありそうにないが、もしある疾病等が「原因」と確認されたとしても、そこに必要なのは治療その他の援助措置だけである。あるいは、限られた場合に、刑事裁判において行為者の責任の軽重との関係で問題となるにすぎない。何らかの生物学的負因が一定数の「犯罪」に共通に関連して見られたとしても、それを「原因」と捉えた途端に、それは犯罪あるいは刑罰の領域から滑り落ちていき、一般市民の病気の治療と同一のレヴェルで、本来そうあるべき、社会(福祉)政策の領域における課題として位置づけ直されるのである。生物学的、精神医学的などの方法による犯罪研究が、人間理解一般にかかわる資料を提供することを超えて、特殊 に犯罪現象の克服に向けられた積極的な(そして市民の自由と基本権に抵触しない)結論をもたらすことは、これからもないであろう。

それにもかかわらず、今日なお多くの犯罪学者が犯罪者の個体的要因に拘泥する理由の一つは、おそらく、個別的な犯罪行為なしに全体的な犯罪現象はなく、この個別的で具体的な犯罪行為は特定の人格の、特定の環境の下での行為であるという、率直な理解ではないかと思われる。だが、個々の具体的犯罪行為の算術的な総和が犯罪現象というわけではなく、犯罪現象の克服のために採られる方法は個別犯罪の予防に尽きるわけでもない。

  ここであえて平易な「犯罪現象」という語を用いた概念は、本来は「犯罪性」と表記されるべきものである。
 多くの言語において、個別的な行為あるいは事実である犯罪とは区別された、同種または異種の犯罪群を内容とする社会 的現象としての犯罪という概念に対応する語が存在している。それは、ドイツ語のKriminalit?t、英語のCriminality、そしてロシ ア語のprestupnost'、といった語であるが、わが国においては、おそらく、これらには「犯罪性」との訳語を用いるべきであろう。
ただし、すぐに気づかれるように、いずれの場合もこれらの語は必ずしも一義的には用いられていない。たとえば、犯罪たること の特徴づけという意義で、また個々の犯罪群を示すためにも用いられ(累犯犯罪性とか女性犯罪性といった風に)、そして特 に、この語は個人の犯罪的性格、人格傾向を示すものとしても用いられている。これらの事情に留意しつつも、たとえば「犯罪現象」という語によって「犯罪性」の本質的内容を表現することは困難である。
 犯罪を単独の、個別的行為とし、犯罪性をそれら行為の集まり、つまりは統計的総体とみる立場は、それと意識されることなく 多くの犯罪学者の問に広がっているが、これは犯罪学研究とりわけ有効な対策の研究にとっては不正確な捉え方と言わねば ならない。そもそも、実行された犯罪の総和が犯罪性だというのであれば、その抑制手段としては刑罰の総和以外の何がありう るであろうか。静的な個別的犯罪の総和を超えて、各カテゴリーごとの差異とそのダイナミズム、発展予測といったものをも含め た、「空間と時間とにおいて発展しつつあるプロセス」(クドリャフツェフ)として、犯罪性は捉えられねばならず、そのとき初め て、社会的なレヴェルでのその防止手段の構造が浮かび上がって来るのである。犯罪学が対象とするのは、このような意味での 「犯罪性」であるとされなくてはならない。

諭理的なレヴェルでこれを見れば、おそらくは、実行された犯罪の総体と個々の犯罪は全体とその部分として相関し、犯罪 性と個々の犯罪は一般的なものと個別的なものとの相互関係として弁証法的に理解されるべきであろう。一般的なものは個別 的なものの中に、個別的なものを通してのみ、存在するのである。
 と同時に、予め断わっておかなくてはならないが、そのように捉える場合にも個々の犯罪および犯罪者の犯罪学的研究の重要性を否定しているわけではない、ということである。犯罪現象の実体の把握は、当然に、犯罪行為、犯罪者人格と社会的諸条件との相互作用の具体的な検討を通じてしか為しえない。だが、それはあくまでも、対象に到達するための手段あるいは経路として、である。

 対象としての犯罪現象を個々の犯罪の総和に還元することはできず、それは独自の内容と法則性をそなえた存在として検討されねばならない。そしてこのことが、とりわけ刑法学から、独立した科学としての犯罪学の成立可能性を支えるのである。

3 犯罪学の意味と科学におけるその位置

3-1 犯罪現象に関連する諸科学と犯罪学

犯罪は人間が実行し、個々の市民あるいは社会全体に損失をもたらす行為であると、一応は言えよう。そのために、人間と社会に関係するすべての科学が犯罪には関心を持っている。なかでも、心理学や社会学において犯罪の占める位置は大きく、「犯罪心理学」あるいは「犯罪社会学」といった名称の科学の独立性が主張されることもある。
 独立した科学として「犯罪学」が主張されるときには、暗黙のうちに、関係し隣接しあう諸科学の交錯領域に犯罪学は位置付けられることが多い。そして、その方法としては、社会学的方法や心理学的方法など、関連諸科学の方法がそのままに混在的に用いられることとなる。

 なお、ここにおいて犯罪学とは、犯罪の原因と対策に関する科学の意であり、ドイツ語Kriminologieあるいは英語 criminologyなどの訳語である。

ドイツではv. Lisztの分類以来、次のように説明されている。
 刑法学や刑事訴訟法学とともにGesamtstrafwissenschaft(「全刑法学」)の一構成部分である広義のKriminologieは、狭義の Kriminologie、KriminalpolitikおよびKriminalistikの3つを含む概念である。

    Kriminologie ─┬ Kriminologie (犯罪学)
             ├ Kriminalpolitik (刑事政策)
              └ Kriminalistik (犯罪捜査学)


これに対しアメリカでは、criminologyは犯罪の原因と対策に関わるきわめて広い範囲のものを含む科学と理解されてきた。

これらの場合において、広義のKriminologieあるいはcriminologyにどのような訳語をあてるかは、なお異論が残っている。

このような犯罪学について、わが国では永らく「刑事学」という呼び方が用いられてきた。これは、牧野英一がフランス語のsciences penalesに対する訳語として作り出した(1909)ものであるが、やがて東京と京都の帝国大学法学部の講座名称として採用され、逐次他の大学に広がり、また教科書の名称などにも広がったのである。

大学における講座ないし講義科目の名称としては、また、「刑事政策」も用いられているが、これはかつての高等文官試験、戦後の司法試験の試験科目として「刑事政策」が存在したことによるものである。

 広義の、犯罪にかかわる実証科学として、「犯罪学」との語が採用されるべきであろう。

3-2 刑法学と犯罪学

 犯罪学が他にも、心理学、社会学、医学・生物学、精神医学、教育学、統計学、経済学など、多くの科学分野と関係を持ち、いわば、それらとの隣接領域に位置していることは明かである。
だが、特に、刑法学と犯罪学との関係という問題は重要である。
 刑法学・刑事訴訟法学と犯罪学との関係は、時として次のような図式で説明される。

    犯罪学・刑事政策学  ── 実在科学
    刑法学・刑事訴訟法学 ── 規範科学

 犯罪学の対象とする犯罪の大部分は、刑法上の犯罪である――その意味で、犯罪学は特殊な実証科学であるとされる――が、犯罪現象の動態の把握、原因研究、予防法研究などは犯罪学に固有の対象である。
犯罪学よりすれば、刑法的諸制度(成文刑法典から刑罰・保安処分に至るまでの)も一つの犯罪予防・被害回復手段にすぎないということになる。

 犯罪学と刑法学とは、その課題と方法において、相異なる。
 
                    課  題    方  法  
犯罪学 犯罪の本質、原因、対策手段の解明 実証科学的方法
刑法学 いかなる行為を制定法上の犯罪と認定し、妥当な刑罰を科すべきか、の確定 規範論理学的方法

 両者が並行して進められることによって、全体としての犯罪との闘争は前進する。その意味で、両者の相互依存、相互豊富化という性格づけが可能である。

 だが、それだけには留まらないところに問題がある。
 多くの論者によって、刑法学と犯罪学とは二律背反の関係にあることが指摘されてきた。すねわち、刑事責任の概念抜きに刑法学は存在しえないが、その刑事責任の前提は意思の自由であるとされて来たが、しかし、その他方において犯罪学の確信は犯罪行為の法則性=意思の非自由性にある。犯罪行為には原因ないし関係要因が存在し、この両者の法則的な相互関係を明らかにすることは可能、ということから出発せねばならない。
 したがって、犯罪学の発展は刑法学の根幹を揺るがすものである――はず―― にもかかわらず、現実には並立状態にある。とりわけわが国では、多くの犯罪学者は同時に刑法学者でもある。なぜ、このようなことが起きるのであろうか。
 その理由は、おそらく、1)刑事責任論における規範的責任論の優勢、2)犯罪学の未発達、の両方であろう。しかし、その詳細はここでは省略せざるをえない。

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