法律相談部に将来はあるか


 自身、法律相談部のOBであり、その活動に今日でも懐かしさをおぼえるにもかかわらず、学生による法律相談活動は間もなくその使命を終え、無くなるのではないか、と私は思う。理由は簡単で、法学教育、とりわけ法曹養成を目指すそれのあり方が大きく変わるからである。
 誰もが知っているとおり、わが国では来年四月の法科大学院制度発足に向けた準備が急ピッチで進められている。それ自体はこの間の司法改革の大きな流れの中に位置づけられるものであるが、深いところで、日本社会全体の変動によって迫られた変化であると思われる。つまり、一方では、政治・行政改革や「規制緩和」政策が進むことによって、わが国は「自立した主体」からなる成熟した社会へと変質すると説かれ、他方で、急激な国際化やボーダレス化にともない日本の国家・社会・企業・市民等の様々な活動は、地域や国家の枠を越えるものとなってきているが、これらの変動は──究極的には──日本社会における「法的需要」を急速に増大させることになると予想され、それに応える法曹養成制度が求められたということであろう。そのような動きに、大学法学部はいかに応えるかが問われているのである。
 新しい世代の法曹には、幅広い教養と人間的な感性を基礎として、各法領域の法的知識を駆使する能力が求められることは明らかであるが、先に述べたように、たとえば国際的視野を持ち、先端的な法分野・複合的法分野に有能な法曹も求められるとなると、これをどこで、どのように教育するかは大問題である。
 結局、新たに登場する法科大学院が多様な科目を揃え、教員その他の教育条件を充実させて、広範囲に及ぶ需要に応えるしかないということになろう。大量の法曹(その大部分は弁護士)が毎年供給されるとなると、弁護士間の競争関係も厳しいものとなり、何らかの専門を持つ弁護士しか生き残らないということになるかもしれない。そのような「専門」を法科大学院でどのように身に付けさせうるかも大きな問題であり、そもそも法科大学院修了後の「新司法試験」のあり方ひとつでそれも無駄になりかねない、などの意見もなお強い。だが、ここで問題となるのは、むしろ、そのときの大学法学部の意味づけであろう。
 しかし、結論的には、法科大学院の登場後も法学部の役割は無くならないというのが大かたの見方である。これまで法学部教育の内容をゆがめてきた司法試験の意義の誇張とそのための教育の過大負担から解放されて、むしろ法学部教育は本来の、市民的法的常識を育成することをその課題とすることができる、とさえ主張される。法学部は幅広い教養を基礎として、社会の法的構造、人びとの法的関係についての基本的な知識を与え、法的なものの考え方を訓練することを主眼とするようになる、と私も予想する。その中から、より高度の知識を求め、法的な紛争の解決を自らの専門職とすることを決意する者だけが、法科大学院へと進み、広義の法曹を目指すことになる、と。
 したがって、学部段階での法学教育は今日のそれとは相当に違ったものとならざるをえない。たしかに、その具体的な内容は、未だ細部にわたって明らかとはいえない。しかし、そこに学生の法律相談活動のようなものが組み込まれる余地が無いことは明白である。たとえそれを試みるような学生たちがいたとしても、法科大学院が存在する社会において一般市民がそのような活動に今日と変わらぬ信頼を寄せ、その活動に期待するとは思われない。今日の学生法律相談活動については、おそらく、各法科大学院が教育システムの一環として開設を予定している「クリニック」にその場所を譲ることとなるであろう。

                                 [京都大学法律相談部同窓会誌『法苑』2003年号]

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