さまざまな偶然の重なりで,大学の教員となり,刑罰とか犯罪学といった科目の研究と教育に従事するようになって,いつの間にか30年も経ってしまった。それなりに経験をつみ,またそれなりの成果も挙げてきたつもりだが,ここに来て多くの事情が一変し,新たな部署での力仕事が課せられることとなった。言うまでもなく,司法改革を支える新たな法曹の養成に向けた法科大学院制度の発足である。

 90年代の後半にこの構想が徐々に形を成し,日本型ロースクールとしての法科大学院制度が具体化されるまでの過程に,多少の関わりをもつ中で,理想と現実,議論と妥協の双方を味わったが,その結果として,私の勤務する大学も法科大学院の開設に名乗りを上げ,文科省の設置認可を得て,20044月に第一期生を受け入れたのである。

 それなりに覚悟はしていたのだが,実際はその何倍もの忙しさである。一週間のルーティンは授業中心に回っており,週あたり数コマの講義と演習の指導ではあっても,そのための準備には,やはり,週の半分は費やすことを余儀なくされている。それ以外に,学生との面談や同僚たちとの教科研究会など,慌しく追い回され,週末になるとほっとする,その間もなく,また次の週に向けての授業準備が気にかかるという具合だ。自分の研究テーマを追いかけて,研究会に出たり研究論文を書いたりする気力も萎えそうになる。ともかく,以前の法学部教員時代には考えられなかった事態である。
 授業の後などにロースクールの学生と話していて印象的なのは,彼らが異口同音に,今までの人生のどの時間よりも充実した,勉強中心の生活を送っているという満足感を語り,そして同時に,「この調子で勉強していけば新しい司法試験に合格するのだろうか」という不安感をこぼすことだ。そのような彼らの気持ちの揺らぎは当然だろう。ロースクールの教育は手探りのままに突っ走っているが,新司法試験の内容や水準については,まだ十分に明らかとは言えないのだから。
 本来,司法試験も司法研修所も廃止すべきだったのだ。各ロースクールの設置,その教育課程の構成と内容についての実質的で公正なコントロールを条件として,ロースクールでの学習についての修了認定が同時に法曹資格の獲得となるような制度こそが,当然あるべきロースクール=法曹養成制度だ。それを,法務省や最高裁の権益や思惑やら何やらに文科省の無責任・無能さが加わった挙句の,なんとも言いようのない,不思議な「法科大学院」の乱立となり,「自己責任」でのロースクール選びが学生に強要され,そしてロースクールには経営手腕の発揮と「閉鎖の自由」が認められるという,情けない結末となった次第は周知のことだろう。
 それでも,希望をもって難関試験に合格し,貴重な数年間の時間と高い学費とを支払って,現に勉強している5千数百人(一学年)の学生が日本全国におり,わがロースクールにも多くの優秀な学生が集まっている以上は,教師たるもの勝手な放言をしているわけにはいかない。せっせと教材作りに工夫を凝らし,教室では最大限の効果を心がけて教育にあたり,学生が求めれば補講や答案の添削にも,ネットを通じての質問にも力を尽くして応じている── むしろ,学生諸君が抜け穴のない檻に落とされたと同様に,あるいはそれよりはるかに過酷な坩堝に,われわれ教員も一緒に落とされたのかもしれない。


                                       徳島県立城南高等学校昭和41卒業生同窓会記念誌『我ら団塊1年生』

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