井戸田先生のこと

                      上田   ェ (立命館大学名誉教授)

 

 大学院法学研究科に進学した1970年の春に,初めて参加した刑法読書会でお見掛けした井戸田先生は,見るからに精悍な風貌で,大学院生の報告にもざっくばらんに質問され,明瞭な言葉で参加者の議論に加わっておられた。強い頭髪の一房が白くなっておられたことが印象的だった。席上,新参の大学院生として自己紹介をした際に,私がソビエト刑法に関心があると話したのを聞かれて,隣に座っておられた中山先生に「あんたにも子分ができたな」とからかっておられたことを思い出す。

 その7年後,諸般の事情で京都大学の助手を辞めざるをえなくなった私は,立命館大学法学部に移ることとなったが,その際も先生は,広小路学舎の存心館の研究室に私を呼んで,さまざまな学内事情や処遇の条件などについて話された後で,「どう,来てもらえるかな?」と私の心もちを気遣っていただいた。ご配慮に感激したことだった。

 先生は立命館大学法学部に教員として着任された際の経過から,学生部長や学部長・理事といった重要な役職にある時も,大学の了承の下に弁護士としての実務を継続しておられた。一時期,喉の調子が悪いとお話だったこともあったが,それ以外は概してお元気で,ビールを愛飲された。当時私は京阪線の樟葉に住んでいたことから,宇治に帰られる先生と途中までご一緒することが多くあり,かなり頻繁に三条京阪駅のスタンドでビールのジョッキを傾け,種々のお話をうかがい,またお教えいただく機会があった。とくに記憶に残っているのは,次のことだ。

 知られるとおり,先生の刑事訴訟法理論の大きな特徴は独特の「捜査の構造」論にあるのだが,それがいかに刑事実務に合致した理論なのかということを,具体的な事例を挙げながら説明された。学界での賛同者は少なかったが,私などには,先生の議論にはソビエトをはじめ東欧諸国の刑事訴訟法に特徴的な「検事監督」制度に共通する諸点がうかがわれ,むしろ説得的なものがあった。このこととの関連では,先生が立命館大学とソ連科学アカデミーの「国家と法」研究所との協議か何かの関係でモスクワに出張された際に著者から献呈され持ち帰られたサヴィツキー教授の『検事監督の理論』を,先生のご依頼で一読し,紹介論文を作成してお渡ししたこともあった(紹介:サヴィツキー「刑事裁判手続における検事監督の理論・概説」,立命館法学144号)。手早い作業に喜んではいただいたが,しかし内容についてご自身の理論との付会を求めることは特にはなされなかったように思う。

 中山先生に続いて井戸田先生も亡くなられた今は静かに先生方の御魂の安からんことを祈りたい。

 

                  (『井戸田侃 先生 追悼文集』 201712)




戻る