川口先生のこと



 私は法学部2回生の学生で、教養部の先生の研究室の少し痛んだ椅子に座り、先生が紅茶を入れてくれながら、問題点の説明をしてくれている―― もう四半世紀も昔の光景を思い出す。法律相談部から末川杯争奪討論集会に出場することとなり、未成年の子供の通信の秘密と親権、青少年保護育成条例といった論点について、先生のアドバイスを求めて厚かましくもおしかけて行ったのだった。せっかくの先生のご助力にもかかわらず、私の基礎知識の不足や発表・討論技術の稚拙さから、討論集会での成績はさんざんだったが、先生の、タバコを口のはしにくわえたまま、ティーバッグをスプーンに巻き付けて手際よく絞られる癖が不思議に印象に残った。
 その後の大学紛争の時期やそれに引き続いた法学部の中山先生に対する不当な人身攻撃事件などの中で、ときおり先生とお会いすることとなったが、いつの時も、先生は常に最も正当な、ときとして困難な、正面からの論理構築と行動とを主張され、少なくともご自身は、それを貫かれた。
 82年春の知事選にむかう事実の経過を、私は当時留学中のモスクワで、ため息をつきながら見つめていた。数日遅れで入ってくる日本の新聞を、Y紙の支局で見せてもらいながら、先生が結局は出馬を余儀なくされるであろうと予想し、先生の憲法学研究者としての心情を忖度し、一種悲痛な想いが拭いきれなかった。数年を経た夏の一夕、河原町のビル屋上のビアガーデンで、中村さんと3人でジョッキを傾けたことがあったが、話題がそのことに及んだ時も、やはり、先生は多くを語られなかった。
 まったく予想だにしなかった先生の早すぎる死。私には、まだ多くの、先生に話していただきたかったことが残ったような気がする。

   
 『川口是先生追悼文集』



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