【末川先生生誕110年記念講演会への挨拶】
                                                  

2002.10.19.

立命館大学法学部長として一言ご挨拶を申し上げます。

 本日、ここに多数の方々をお迎えして、末川 博 先生の生誕110周年を記念して講演会が開かれるにあたり、この会を主催された『河上肇記念会』に心からの敬意を表しますとともに、お礼を申し上げたいと存じます。──と申しますのは、末川先生は私ども立命館大学法学部の名誉教授であり、また大学の名誉総長でありますとともに、あるいはそれ以前に、今日の立命館大学をまさにその手で作られた方でありまして、先生の生誕を記念する取り組みはむしろわれわれが率先して主催するべきだったという想いからであります。

 ところで、末川先生は1977年の2月にお亡くなりになっており、私はその年の10月に立命館大学法学部の教員となりましたので、残念ながら先生とは入れ違いになってしまいました。私が直接に先生のお姿を見、お話をうかがったのは、むしろ立命館大学研心館4階教室で開かれた「全京都学生集会」であったり、円山公園野外音楽堂での蜷川知事の再選を目指す決起集会であったりででありました。小柄な先生が背筋をまっすぐに、力強く、しかし淡々とお話された姿がまなかいに残っております。京都大学法学部の学生でありました私には、後に先生と同じ大学の法学部に籍を置くことになろうとは思いもかけないことでありました。

 さて、立命館大学全体とともに立命館大学法学部も既に一昨年、創立100年周年を迎えました。この100年の歴史における大きな転換点であり、立命館大学法学部の第2の誕生日であったのは、申すまでもなく1945年11月、末川先生を学長としてお迎えしたときであります。
 当時のわが国は15年戦争の結末として迎えた経済の崩壊と文化の混乱の中にあり、また法制度と行政機構の民主的な再建に向けた激動の中にありました。
 53歳という若さで立命館大学の再建の指揮を執られた末川先生は、同時に、民法学と法律学全般のあり方についても、また国家と社会を取り巻く重要な諸問題についても、積極的な発言と行動を繰り広げられました。その一々をここで申し上げることは控えますが、今日、先生の足跡をふりかえるとき、そのいずれもが、歴史的を大きく見通した、的確なものであったことに驚かざるをえません。
 ご承知の方も多いと思いますが、今日、わが国の大学法学部には、この間、司法改革とロースクール問題をめぐって急激な変動が進行中です。それは、法律の世界に関する限りでは、まさに「百年に一度」の改革といってよいものです。つまり、一方で、政治・行政改革や「規制緩和」政策が進むことによって、わが国は「自立した主体」からなる成熟した社会へと変質すると説かれ、他方で、急激な国際化やボーダレス化にともない日本の国家・社会・企業・市民等の様々な活動は、地域や国家の枠を越えるものとなってきています。これらの変動は──究極的には──日本社会を今日とは全く異なった「法化社会」へと変え、「法的需要」を急速に増大させることになる、と一致して予想されており、これに応えることが全ての大学法学部に求められています。さしあたって先行している法曹養成制度の改革に向けては、私どももすでに、日本型ロースクールである法科大学院について具体的な設置構想を公表しており、また法学部教学全体の改編と既設の大学院法学研究科の在り方をめぐって、大掛かりな論議を進めています。
 そして、時としてわれわれが思いますのは、もし末川先生が今おいでであれば、このような事態をどのように考えられ、どう行動されえるであろうか、ということです。われわれは、もちろん、先生のような慧眼も、決断力も持ち合わせません。が、先生の残されたものを大切に、精一杯の努力を重ねて行きたいと考えております。

 本日は、末川先生のご業績を思い返し、諸先生方のご講演をうかがうことのできる、貴重な機会を提供していただいたことで、「河上肇記念会」に感謝し、また立命館大学法学部を代表しましての私にこのような機会を与えていただいたことにお礼を申し上げて、簡単ではありますが、ご挨拶とさせていただきます。
どうもありがとうございました。


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