インターネット上のわいせつ画像の諸問題


                              
■問題状況
  インターネットの影の部分として常に引き合いに出されるのが、いわゆるインターネット犯罪である。コンピュータ・ネットワークがもたらす特有の「人格の解放・拡大感」に伴う諸々のルール違反(例えば、名誉毀損や危険・違法な情報の流布、護るべき個人情報の露呈=被害受容性の跳ね上がり)やネットワーク上での取り引きおよび決済に関わる多くのトラブル(とくに、カード決済のはらむ諸問題)、そして電子情報の盗取や破壊など、当面は伝統的な対犯罪闘争の延長上で対処可能な問題群を越えて、コンピュータ・ネットワークが国境を越えることによって、別種の問題が登場している。それは、ポルノグラフィーや賭博など、国ごとに文化的背景が異なり、現状において規制の原則が異なる領域での犯罪が、インターネットを介して実行されるような場合である。ここでは、インターネット上のわいせつ画像に関わる諸問題について、いくつかの検討を行いたい。
  前提として明らかにしておきたいのは、インターネット(とりわけWWW上のHomePage)のような公開性の高い場所にわいせつ画像を公然と掲示することの違法性である。わが国の刑法175条がわいせつな図画その他の物を頒布、販売、公然陳列あるいは販売目的所持を処罰しているのは、それがわが国の良き性風俗を侵害すると考えられたがゆえにであるが、そのような理由付けに同意せぬ場合でも、同様の行為を違法とすることは可能である。それは、おそらく、わいせつな図画その他の物に嫌悪感を覚える人の感情の保護、そして青少年の健全育成に向けての教育的配慮を根拠として、それらに必要な範囲に限定して、ということとなろう。

■問題の範囲
  インターネット上のわいせつ画像が抱える刑法的な問題は、<1> 画像ファイル自体を「図画その他の物」とすることに関わる問題、<2> いわゆる「マスク付き画像」の問題、<3> 外国に置かれたサーバ上でのわいせつ画像の掲出がわが刑法により処罰可能かという問題、<4> いわゆる「リンクをはる」行為の性格に関わる問題、<5> その他があり、それぞれに刑法上の基本概念あるいは基本原理に立ち戻っての検討が必要となる。

■何がわいせつな「図画その他の物」か
  典型的な事例は、WWWのHomePageにわいせつな画像を見本として掲出し、わいせつな画像ファイルを会費その他の名目での金銭と引き換えに送付するような場合である。
  このとき、HomePageの性格からして「公然性」の要件は問題ないであろうから、そこにわいせつな画像を掲出する行為は刑法175条の「公然陳列」にあたるかに見える。事態としては、デジタルデータとしての画像ファイルをいずれかのプロバイダー等が提供するハードディスク上に置いたに過ぎず、ただ一定のプログラム(WWWブラウザ)を用いればそれが画像として視認可能であるということなのであるが。すでにわいせつな内容のビデオカセットを、その外観は何らわいせつでないにもかかわらず、わいせつ物であるというのが判例・学説の対応なのであるから、ここでのわいせつ物はハードディスクだということになろう。問題は、それが一般人の感覚にマッチするものであるかどうかである。
  また、考えておかなくてはならないのは、わいせつな画像そのものは受信者の、例えば下宿の一室のパソコン画面にしか存在しないということである(発信者のハードディスクに存在するのはバイナリーな画像データだけ)。インターネットを経由してパケット送信された画像データは一旦受信者のパソコンのキャッシュメモリに貯えられ、これを受信者のWWWブラウザが展開して画像がディスプレイに表示されるのである。このことは、画像ファイルをFTP転送で交付する場合と同じ構造であり、であれば、陳列とされる行為と頒布・販売行為との間にさして違いがないことをどう理解すべきだろうか。その際、やり取りされているのはデータそのものであり、その画像への復元手順は必ずしも自動的でなく、相当に複雑なこともある。それは、いわば、材料の提供を受けた受信者が自分自身の行為としてわいせつな画像を作り出していると考えられないであろうか。

■いわゆる「マスク付き画像」の問題
  ことの是非は別として、いわゆるアダルトビデオやビニ本などが、性器部分などにマスク処理をして公然と市販されているところから、インターネット上のわいせつ画像についてもマスク付きで掲出されることが多い。問題は、画像ファイルに対しマスク処理を施すためのソフトが同時にマスクを外すためにも使用でき、しかもその入手が容易だということから生じる。
  従来の判例・学説の流れからすると、比較的簡単な操作でわいせつ性が顕現するものはわいせつな「図画その他の物」であるとされることとなる。したがって、マスク付き画像がわいせつな「図画その他の物」であるか否かは、そのマスクを外すことが簡単に可能であるかどうかにかかっていることとなるが、「基準となる人的範囲はインターネットでアダルトページにアクセスする者」としても、その操作は「誰にでも、その場で、直ちに、容易にできる」(岡山地判平成9.12.15)という程に簡単な作業ではないように思われる。
  ただ、実際に問題になったケースでは、マスクの種類が比較的単純な「FLマスク」と呼ばれるものであったばかりか、マスク付き画像と並べてマスク処理ソフトが提供されたり、その所在や使用法が解説されていたため、やはり「容易にできる」と判断されたもののようである。

■外国に置かれたサーバ上でのわいせつ画像の掲出がわが刑法により処罰可能か
  インターネット上の情報の流れに国境はない。では、外国に設置されているサーバーにホームページを開設し(あるいは開設されたそれを利用して)、そこに日本からわいせつな画像をアップロードして「陳列」した場合、わが刑法175条を適用して行為者を処罰することが可能か。これもすでに実例があり、本年3月20日、山形地裁は有罪判決を下している。
  刑法は強姦罪や強制わいせつ罪については国民の国外犯として、日本国民が外国で行った行為であっても処罰することとしている(刑法3条)。しかし、国民の国外犯のリストにわいせつ図画公然陳列罪(刑法175条)は含まれていない。そこで、この種の行為を処罰するためには、犯罪の「実行行為の一部」が日本で行われたとか、離隔犯論における到達主義から日本での受信・再生・閲覧時に実行行為があったとするなどの、かなり苦しい理論構成が必要となる。加えて、ここでも基本的な問題が残っている──国外のサーバーに送られ、そこに保存され閲覧に供されているものは一定のバイナリーデータに過ぎず、それ自体は「わいせつ」との一般の語義にそぐわず、また「図画その他の物」でもない(従来の判例の流れからすれば、わいせつ物はこの場合外国にあるサーバー機のハードディスクとなるが、これまた妥当な結論であろうか)。

■求められているものは何か
  インターネット上のわいせつ画像に関わる刑法的な問題としては、上記のものだけでなく、たとえばいわゆる「リンクをはる」行為の刑法的評価、サーバー機設置者あるいはプロバイダーの刑事責任などもあるが、ここでは触れる余裕がない。
  いずれにせよ、根底に横たわる難問は、コンピュータ情報を刑法上のどのような存在として捉えうるかである。それは「文書」、「図画」あるいは「物」なのであろうか。本稿でも触れた数々の難点をおしてでも、現行刑法でインターネット上のわいせつ画像を処罰対象としうるというとき、そこにはやはり「罪刑法定主義の感覚」が問われざるをえないであろう。
  そして、より根本的な問題は、全世界で、インターネットを通じて文化の全領域での圧倒的な相互浸透が進行している今日、外国で公然と陳列されている画像あるいは適法に実行されている行為を、わが国の法律によって犯罪と宣言することがいつまで続けられるか、またそのことにどれほどの意味があるか、ということである。

立命館大学法友会誌『ほうゆう』 No 61


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