犯罪現象の国際化と刑事立法


 国境を越えた犯罪者集団の活躍や犯罪者の国外逃亡、またナショナリズムの暴走によって引き起こされる国際的なテロ犯罪あるいは多数の国家を敵とする海賊行為など、犯罪の国際化ないし国際犯罪の問題は以前から存在した。が、それらはあくまでも「よその出来事」であり、わが国ではさして深刻なそれと受け取られてこなかったのが実状である。わが国における外国人の犯罪は、戦後、増減を繰り返しながらも長期的には減少傾向にあったし、国外における日本人の犯罪も、出国者の増加に比べ安定した状況が続いていたのである。
  ところが、九〇年台に入って、状況には顕著な変化が生じた。
  まず、わが国における外国人の犯罪は一九九一年以降明確に増加傾向に転じている。その規定要因となっているのは、来日外国人および不法滞在者による犯罪の増加である。さまざまの名目で来日して各種の労働に従事する外国人の増加、法務省が把握しているだけでも三〇万人近い不法残留者、組織的な「密航」事件の続発等々の他方で、来日外国人の刑法犯検挙件数は九六年には八〇年の約二三倍、一万九、五一三件にまで達している。
  犯罪の内容も、爆薬や武器を用いての集団強盗事件や集団スリ事件、パチンコ店を対象とした改造ロムの製作・取り付けや売買、変造プリペイドカード取引き、麻薬・覚醒剤の所持・販売、売春などと、多様化している。その中でわが国の暴力団との連携が見られ、また大都市だけでなく中小の地方都市への問題の拡散も生じている。
  ところで、近時その重要性があらためて強調されているのは、それらとは質的に異なる、新たな段階での犯罪の国際化の問題である。経済活動の巨大化と交通機関・情報伝達手段の飛躍的発達によりもたらされた、国家の枠を超えての「人、物、金」の激しい移動が欲望の対象の拡大と人々の間のコンフリクトの激化を引き起こし、また新たな犯罪要因を生み出すという、ボーダーレス社会における犯罪現象の国際化──  問題は世界的な規模のそれであり、たとえば先日のバーミンガム・サミットで、麻薬、国際組織犯罪、銃器密輸、マネーロンダリングやコンピュータ犯罪の対策についての各国の協力が合意されたことが、それを裏付けている。
  では、このような犯罪現象の国際化に刑事司法はいかに対応すべきなのであろうか。
  国境を越える犯罪に対して個別の国家の刑罰権の発動を確保するための措置で、現在すでに実現しているものとしては、国際刑事警察機構の活動および個々の場合になされる国際司法共助による協力しかない。
 この内、国際司法共助に関しては、わが国の場合、犯罪人引渡し条約を締結しているのはアメリカ合衆国との間だけであり、それ以外の外国国家の要請に対しては、一定の要件の下で個別に応えるものとされているが、犯罪現象の国際化の現状から見てその立ち後れは明白である。また、たとえば、わが国の国際捜査共助法は抽象的な双罰性を絶対の要件とし、共助犯罪にかかる行為が日本国内において行われたとした場合に日本国の法令により罪にあたることを共助の条件としている(第二条)が、諸外国と相互に文化と法制のありようを尊重する立場からは、このような点についての見直しも課題となろう。
  わが国を含め多くの国々において、現在の制度枠組みが予定しているのは、実際には、比較的重大な犯罪についての国外犯あるいは国外に逃亡した犯罪者の処罰に限られている。国際化にともない増加する外国人による軽微な財産犯や交通事犯について、これを処罰する必要性は大きいが、しかしその出国後に通常の犯罪人引渡し手続きによって身柄の確保を行なうことは、国家にとっても犯罪者にとっても、過大な負担となることが明かである。さらには、ある種の「インターネット犯罪」(禁制品の売買、ギャンブル、わいせつ画像の陳列など)のように、それぞれの国において文化的・政治的な背景の下に処罰に差がある間隙を縫って実行される犯罪も存在する。これらの問題を解決するためには、西欧諸国の経験などを参照しつつ、代理訴追・処罰を含め、国際協力の新たな段階へと進むことが要求されていると言えようし、さらには、諸国の刑罰法規の内容を調整し、処罰対象および処罰程度を統一することをめざす必要があると思われる。そしてその先には、すでに存在する国際条約(たとえば、人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約、麻薬に関する単一条約、航空機の不法な奪取の防止に関する条約、など)の延長上に、将来における単一の世界刑法と世界刑事裁判所という理想が掲げられるべきなのであろう。

[受験新報  1998年8月号 巻頭言]


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