アメリカン大学およUBC訪問旅行記録


                                     1998.03.04 - 12.

3月4日
 学外交流審査委員会を中途で抜け出し、総長の「お気をつけて」との言葉を背に、タクシーに乗ろうと急いでいると久*さんからの電話。彼を待って、一緒に京都駅へ。京都駅で大*、生*、大**、徳*と待ち合わせ、「はるか」で関西空港へ。それから後は、前回と同じ。ただ一つ違っていたのは、United Airlineが、エコノミーがいっぱいだとかでわれわれにBuisinessクラスを割り振ってくれたことぐらいのもの。おかげで、ゆっくりと来れたが、しかし、機中で明日の報告原稿に手を入れていたのでは、落ち着かないことは言うまでもない。いくらPaperを用意しようが、英語での報告など自分の任とは思われない。息子の入試結果の発表を控えていることもあって、気が進まないと繰り返し言いながら、とうとう来てしまった。
 今回はGeorgetownのHoliday Innだが、前回と同じく、やたらと広い部屋だ。ここで4泊の予定。乾燥しているのか、静電気の衝撃にたびたび見舞われる。一階のレストランで全員そろってビール。市*君が現われ、変りない様子でこちらでのエピソードなど。明日は彼も参加するとのこと。
 Compuserve経由でNIftyに繋いでみようかと思うが、その前に明日の報告準備だ。

3月5日
 途中、4時半頃に一度目が覚めたが、最終的には7時に起床。車の音が耳について、気にならなくもない。空は曇っている。ちょっと早いかと思いながらレストランへ出かけると、大**さんがすでに食事中だった。今朝はBuffetで8.7ドル──10ドル紙幣で釣りがもらえないように、よく考えている。
9時に階下で待っていると、市*君が奥さんを伴って現われ、彼の車とタクシーに分乗してWCLへ。ところどころの風景に記憶を呼び覚まされるが、やはり、Washingtonは緑の季節の方が美しい。
予定より多少早く着いたこともあって、目的の人々は誰もいず、図書館を見学したりして時間をつぶす羽目になった。検索システムが改善され、端末も以前来た時の安っぽいCompacから黒斑のDellに変わっていた。9時前に3階のDeanの会議室へ。
 結局、Kittrie、Popper、RobbinsそれにIzzoを相手に始めることとし、用意した原稿を読み上げることになった。時間を気にしながら、所々はしょったにもかかわらず、40分ほどもかかることとなったが、考えてみると、こんな風に読み上げる試験を受けるのは大学の1・2回生の頃以来のことだ。自分でも嫌になるほどの、へたくそな苦行だった。いくつかの質問があり、内容についてはそれなりに評価されたのではないか。
 Izzo氏がRobbins氏と話しているなと思うと、後の報告は明日、もっと多くの聴衆がある状態の下でやらないか、との提案で、当方に異存はなくそういうことに。
 おかげで、午後は中途半端な時間ができてしまい、大**さんの先導で、大学のメインキャンパスからFrendship Heightsのshopping mallへと。重たい鞄──その原因は使われなかった原稿のコピーが大部分──に疲れ切って、5時にWCLに返り、簡単なレセプションに参加。Dean Grossmanも帰って来て、「普段はちゃんと英語の発音ができるのだが、昨夜は寝ていないので」などとあいさつしていた。
 夕食は大**、生*、徳*との4人で近所のイタリアレストランへ(大*・久*は昨夜に続いてホテルのレストランで飲み続けるとのこと)。ワインとシーフードに十分に堪能して一人当たり25ドル。
部屋でCompuserve経由でNIftyに繋ぐことに成功。妻と薬**君に簡単なメッセージを送っておいた。

3月6日
 今朝もよく晴れて、暖かそうだと思いながら、7時前に起床。昨日同様に、たっぷりの朝食をとり、部屋に帰って妻に電話。Niftyへのメールは読んだとのことで、元気そうな様子。子供たちも変りはないと。
 市*君の車とに分乗してWCLへ。久*さんの要求で銀行に両替に行くと言う市*・久*を残して(久*さんが持たされてきたVISAカードは期限切れで使えず)、先に3階に上がり、雑談。
 今日もKittrie、Wilson、Robbinsが相手で、途中にBradlowが参加。久*報告に相当時間を要し、徳*君の報告はまさに骨組みだけのものに。質疑応答では、主要にはWilsonが日本の刑事司法システム、とくに捜査段階での弁護人参加の問題と有罪率の高さに関わって質問、Kittrieが電話盗聴問題など。相当に白熱した。
 昼になり、食券をもらって6階の食堂へ。なかなか実質的で味も悪くない昼食をとりながら、周囲を見回すと、やはりこのLaw Shcoolの学費が高い(セメスターあたりで12,000ドル)だけのことはある、と大*さんが言う──確かに、有色人口は圧倒的に少なく、典型的なWASPと言う感じが支配している。
 生*さん以下を市*君の車での市内観光に送り出して、大**・大*両氏との三人で秋以降の継続方法についてDinerstein、Bradlowと検討。可能なテーマ、可能な時期について今後も連絡を取りながらつめていくしかないが、概して乗り気の様子で、このプロジェクトの先行きは暗くないとの印象。しかし、いつの間にか「事務局は上田」などということになってしまったようで、気分が重いのも半分。
 その後は三人でデュポン・サークルあたりを歩き、コシュートの記念プレートとリンカーンが借用した彼の言葉を背景に写真を撮り、本屋を覗き、その奥のカフェテラスでマルガリータ(驚いたことにピッチャーで出てきた──3人で1.5リットル?)を飲み、ホテルへ。ホテルで一休みして、6時に階下に集合して、近くの Japan Inn で造りと酒、寿司といった豪勢な食事をして各自80ドルを払い、帰りにスーパーマーケットによってホテルに帰りついたのが22時前。

3月7日
 頭が痛く、気分がさえないままに、7時過ぎに起床──まだうす曇りだが、予報では今日から明日にかけて天候は悪くなるとのこと。
 誰だかの墓参りに行くという大**・大*を残して、市*君の車で出発。Washington National Cathedoral を再訪し、今度は7階の展望ギャラリーまで上がって街を見た。あいにくの曇り空で、眺望がいま一つなのが残念だったが。そこからAU近くのTenry Town駅に行き、車を捨てて地下鉄でSumisoonianのアメリカ史博物館へ。たくさんの子供連れがあふれる中、地下の食堂で昼食をとり、suvenir shopで長*先生に南北戦争関連のビデオを土産に買い、展示のいくつかを見たのだが、不思議と気分が乗らない。頭の痛いこともあって、一人で先に帰ってきた──タクシーで5.50。メーターはなかったが、地域のいくつを通過するかで料金が決まるシステムらしい。
 気がついてみると、今回はまだ1本のフイルムを使い切っていない。前回の旅行に比べいかにも遅いペースで、関心の低下がうかがわれるというものだ。
 部屋で寝転がっているうちに約束の6時になり、階下に降りて近くの中華料理店へ。昨夜とは打って変わって、庶民的な感じの店で、生*説によれば「北京亭」に似ていると。味も値段もよく似たものか──ビールを含めて一人20ドル。大*、生*、大**、久*と揃えば、あの程度の言葉だけの応酬で済めば上々というところだろう。久*・生*両氏は明日5時に出発の予定で、この次は日本でということになる。
 われわれも、明日は8時15分にタクシーを予約した。

3月8日
 昨夜来の雨が続いてはいるが、生*さんが心配したthunderstormというほどのものではない。6時半に起き出し、7時に食事をとり、8時15分に出発。Washington National Airportは新しくなっていて、見違えた。空港で市*君に電話、お世話になったお礼を。そこからChicagoまで約2時間、1時間半の乗り継ぎ時間(スタンドでマルガリータ)を挟んでVancouver行きのUA機に乗り込んだが、シカゴから帰国するらしい団体旅行の一行に取り囲まれるような席となり、5時間ほどの飛行中引きも切らさぬ話し声と哄笑とに安眠を妨げられた。参った参った、というところ。入国審査で、入国目的をSightseeingと答えたところ、滞在先を尋ねられ、面倒だとUBCの名を挙げたところ、目的とそぐわないではないか、と一遍に不審な人物とされてしまった。大*さんもとばっちりをくらい、さらに彼のパスポートはドイツで発行されているときて。結局、大**さんが持っていたUBCとの連絡FAXの写しを提示して、疑いは晴れ、解放された。
 それにつけても、久*・生*両先生は無事帰国しただろうか。
 Vancouverも雨だ。しかもタクシーの中で聞いた予報では、明日も明後日も雨とのこと。ついていない。空港から市中までの道路沿いには広々とした野原と整備された住居が並び、多くの街路に桜の並木が花開いていて、それが雨にけぶって印象的な風景だった。中国人の店らしい漢字の看板が目立つ。
 ホテルはWaterfront Centre Hotel──なかなかの高級ホテルだ。12階の1220号室はにぎやかな交差点に面した一面が大きなガラス窓になっており、凝った造りの大きなビルの屋根の上や谷間をカモメらしい鳥が乱れ飛んでいる。まさに大都市のwaterfrontだ。
 6時に階下に降りて、夕食をどうしようと相談し、ホテルのフロントの女性の勧めで下町中心部に近いAlberni通りの上海飯店をめざして、小雨の中を歩いて、いくつかの角を曲がって交差点で信号待ちをしていて、横を見ると慈*さんがいた。──こんな偶然もあるものなのだ、衣笠のキャンパスでもほとんど会わない顔ぶれが、こんなところで、こんな形で、揃うとは。先ほど、飛行機の中で、慈*さんが来ていることは話題になったが、今回は連絡は取らないでおこうと話し合ったばかりだというのに。
 一緒に上海飯店へ入り、今日はきちんとした中華料理。ビールと祥興酒を含めて一人40カナダ・ドル。食卓での話題についてはここには書かない。慈*さんは金曜日までここに滞在する予定とのこと。
 9時過ぎにはもう部屋に帰っていて、入浴と洗髪、洗濯をすませて、これを書いている。あとは妻にメールを送って、明日に備えなくては。

3月9日
 うす暗がりの中で目が覚めてしまい、もう眠れない。時計を見ると6時前なのに──昨夜妻へのメールに書いたように、いまさらに何をすることもできないのだが、いろいろと考えられて。
 ロビーに降りてHeronsという洒落た名前のレストランで朝食。大*さんが先客然と座り、新聞を読んでいた。前のテラスの向こうには入江があり、遥か遠方では水上飛行機が着水している。どんよりとした空から落ちる雨の中をカモメが群れ飛ぶ。ビュッフェスタイルで18.5ドル──こんなものか。
 9時20分頃にタクシーでUBCへ。地図でも見た通り、まさに広大な敷地の自然公園の中に位置する大学だ。思わず、「こんな俗世離れした環境の大学では、猥雑なコンフリクトを扱う社会科学など展開されるべくもないのではないか」と思ってみる。 構内のいたるところに桜や石楠花が咲き、植木は丁寧に刈り込まれ、芝生も申し分なし。そこかしこに庭仕事担当のバンが走っている。
 UBC-Ritsumeikan Houseで、朝*さんとGreenholz氏が待っていた。これはさまざまのいきさつと思惑を背景に、立命が費用を負担し、将来的にはUBCの財産となる約束で作られた豪勢な寮で、実物を見ても、聞きしに勝るものだ。現在は朝*さんが引率して5期生90名とヨーロッパからの留学生を含むUBC学生100名ほどが住んでいる。朝*さんは、疲れ切った感じで、ぼそぼそと近況を話すが、そもそも彼が今のような立場を望み、周囲の全ての者が首をかしげる中で、あえてやって来たのだったことを思い出す必要がある。
 雨が上がり、陽が射し始めたのでGreenholz氏の案内で広い構内を歩く。北西の海に近いゾーン、2階建てのあまり大きくない建物に「Faculty of Law」とあり、まさしく法学部だ。外壁にかの”fiat justitia, pereat mundus”の一文が刻まれている──大したものだ。
 Deanのofficeで案内を請うているところへ現れた男性に紹介され、Salzberg氏と名刺を交換、次いでDeanのBlom教授と挨拶、懇談した。Blom教授は血色のよい60歳ぐらいの紳士で、国際私法が専門。気さくにわれわれの注文を聞き、自分でコーヒーを配ってくれた。懇談は主要には大**・Salzbergの間で。これまでの両大学全体の良好な関係の上に、学部間の協力関係を更に発展させたいということ、その基礎には何よりも両学部の教員間での交流があるべきだということ、AUとの共同関係の現状についての紹介、そして今回の国際共同研究の意図と具体的な計画を説明、一方UBCの方では、学部長は一般的に賛意を表明しただけだが、Salzberg氏はより積極的に具体的な研究会の用意をしていた。──明日朝9時半から午後3時まで、当方の3人の報告に加えて、例のPrefontaine教授がカナダの犯罪動向について、またBurns教授が国際的な法執行におけるカナダの役割について、それぞれ報告してくれるとのこと。
 法学部の図書室を見学。3階構造となっており、階ごとに下から単行書、定期刊行物、判例となっている。印象的ないくつかの点。まず、アジア法関連の蔵書の充実ぶり。中国法関係など、立命より多いだろう。日本の基本的な資料も揃っている。もう一つは、Salzberg氏がこぼすには、本の値段が高く経費が賄えない、したがって単行書が買えないとの周知のなげき。どことも事情はよく似ているのだ。
 昼食は中心部の学生食堂とスタッフのための食堂のコンプレクスで。にゅう麺風のラーメン。慈*、*橋先生も一緒。Greenholtz氏のおごりで。
 大学のブックストアを覗き、各領域の法関係の基本的な幾冊かを共通の資料として購入。重いので、*谷君の方から大学の法学部共研に送ってもらうこととし、われわれはRitsumei Houseに戻り、再び朝*さん。朝*さんのofficeから、動きの悪いMacのEudraを使って薬**君宛てのE-mail。トイレにコンドームの自動販売機が備えられていたのが印象に残った(1ドル)。
 徳*君と二人、トロリーバスでホテル近くのHastingsまで。1.50ドルで3時間有効の乗り換え券をもらうシステム。電気自動車特有の静かな走行に、「日本でもできないんでしょうか」と徳*君が聞く──皮肉なものだ。
 夜は慈*さんにも声をかけて、近くのシーフードレストランへ。山*君というOGが一緒。堀*ゼミの出身で、オレゴン大学を終えてUBCのLLMコースに通っているとのこと。最近の学生を見ていると、概して女性の方がactiveだということの、これはまた一例。
 レストランはVancouver Trade and Convention Centre の海辺に面した2階にあり、対岸の無数の光の夜景が信じられないほどに美しい。

 待ち切れなくなり、まだ京都は4時過ぎだと知りながら電話。息子が出て、「通っていました」と、芸のないばかばかしい表現で。一度に気が抜けた。後ほど妻が帰った頃に電話することにして、一たんは切ったが、例によって親子げんかの途中らしい。

 4時ごろ、起き出して妻に電話。お互いに「ほっとしたね」と。彼女は明日早朝には東京に行くとのこと。ごくろうさま、だ。

3月10日
 これでやっと、終わった──概してうまく終わったと言えるだろう。あとは帰りの飛行機がきちんと飛んでくれることを期待するだけだ。
 朝食は昨日と同じ。曇ってはいるが今日は雨も上がり、海は鈍い灰色に、対岸の山に雪、それを背景にカモメが飛ぶ。
 十分な準備とはとても言えないが、朝9時過ぎにはもう出発。UBCへの道も雨が降っていない状態でよく見ると、そこかしこに売り家の看板が出ている。ここでも、景気は悪いのだ。だが、大*さんがいうように、ここに住んだところで、歳がいけば家族や周囲に迷惑をかけることになってしまうだけのことかもしれない。Faculty of Lawの建物で山*さんが待っていて、一緒にInternational Centre for Criminal Law Reform and Criminal Justice Policyの建物へ。粗削りの木材で外壁を作った平屋の建物で、誰かが言ったように、建築費用を惜しんだバラック風の造り、ただし、 内部はそれなりに小奇麗に作られてはいる。ここでも、トイレにはコンドームの自動販売機が。
 中央部の小会議室とでもいうような部屋に案内され、Marcia Kranと自己紹介する女性(アジア法センター、刑法が専門)に迎えられ、次いで所長のPrefontaine教授が現れた。髪をきれいに撫で付けた小柄な人物で、誰だかに似ているのだが、誰だったか思い出せない。他にSanders(九大を含むアジアのいくつかの大学と共同研究の経験あり)、Bryden、Castle(corruptionがテーマ)、Yang(南京出身、産大の藤*君と一緒にケンブリッジの研究所に滞在とのこと)といったメンバー。
 Salzburg氏の作ったスケジュールに従い、定刻9時30分から徳*君の報告開始。次いでPrefontaine教授がカナダの犯罪状況について話し、途中で現れたBurns教授がこれを補う形で犯罪との闘争について説明。全体として、カナダの犯罪情勢は比較的安定しており、強力な銃規制や近年の自動車窃盗の増加など、わが国と似た問題状況がうかがわれて興味深かった。
 昼食を法学部の会議室で──ダンボールの箱で届けられたプラスティック容器のご飯とおかず、まさに大学での会議弁当そのもの! さらには、全員が格別の反応を示すでなくそれなりに器用に箸を使い、弁当を食べはじめる(corruptionが専門というCastle氏に尋ねると、自分のフィアンセの以前のボーイフレンドが中国人だったから、との返答に困る説明)。今回はSalzberg氏の工夫なのだろうが、普段からこの種の食事に慣れている感じ。隣に座ったYang氏がいろいろと話し掛けてくる。
 ここにはEricson教授も参加。

 午後はブロム学部長も姿を見せ、久*報告を大**さんが要約報告、とくに関心を呼んだのは有罪率の異常な高さだった。
 そして最後に、最近のわが国の犯罪現象について報告。質問があったのは、わが国における少年非行の状況について──さすがにSalzbergは日本の状況に通じており、一般的な軽犯罪化(遊び型)と凶悪な犯罪との二極分化、それぞれの原因などについて質問。また統計をどう読むか、など。
 あとは、今後の共同研究の推進について相談。原則的な考え方に賛成を得、具体化は今後の連絡で、との結論。おそらくは学部から1名、センターから2名ぐらいの派遣になるのではないか。AUとの相談が先行するだろうが。

 午後から降り始めた雨の中を、最後の夕食はHotel Vancouverの向かい2階の中華料理店で。大*・大**さんのいろいろな話。
 ホテルに帰りついて、明日朝5時のタクシーとモーニングコール(4時半)を依頼。これですべて終わったはず。


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