香港出張 
                                         2003.03.07〜11.

2003.03.07
 とりあえずは、着いた。出発前に調べた予報は当たらず、天気はどうやらもっている。曇っているようで、生暖かい──気温は20度位のものか。
 着陸の前に飛行機の窓から見えた夜景の見事さにも増して、空港からのマイクロバスが通り過ぎていく周囲の夜景はなかなかのものだったが、明日からの調査の日程を考えると、観光気分には少し遠い。一行は8人。
 飛行機の中からずっとI先生が心配していた両替の点は、香港JTBからやってきた中国人ガイドの言うがままに、1万円を620HK$というレートで交換。
 近所のスーパーマーケット(夜中にもかかわらず大勢の客で混雑していた)に出かけ、水を買ってきて、あとは部屋の電話線を引き抜き、ThinkPadに繋いでメールを確認。入っていたのはつまらない事務連絡のみ。妻にメール。

2003.03.08
 朝寝坊して8時に朝食のために地階のThe Cafeに降りていくと、Hz君がもう座っていた。変わり映えのしないバイキング風の朝食風景。途中からHr君、Mkさん等も。
 9時半から研究会──岡山大学のS氏(元・香港警察職員の院生)を講師として──のはずが、I先生が彼を連れて銀行へ(またしても「両替問題」!)行ってしまっており、結局は10時過ぎからに延期。会議室はHotel7階の立派なBoad Roomで窓の下にはVictoria公園が広がっている。S氏の話しは随所に実務の経験が入っており、面白い。先に読んだ彼の論文の印象とはかなり違った。日本の警察活動を見ての感想として話された、警察官の出身民族・階層の多様化の必要性の指摘は重要(いわゆる外国人犯罪への効果的対応は同じ「外国人」の警察官に任せる:かつてカナダでは、香港移民の犯罪多発に悩んだ結果、警察官の専門職移民を実施したことがある)。
 昼ご飯を食べるために街に出て、Great George St.を西に歩き、香港そごうの前あたりでMz君が消え、それらしきレストランの前で意見が割れてわれわれはかなり大衆的な食堂に入り、35HK$で海鮮ソースをかけたパスタとお茶。
 そのあと、ぶらぶらと歩いて結局はCentral Plazaまで。高層の建物の間の幹線道路と小公園、ヨットハーバー。巨大なビルディングの内装も驚くばかりに豪華にできている。だが、目を転じれば、細い横道には覆いかぶさるように汚れたアパートがひしめき、水溜りの目立つ通路の上に、乱雑な看板や洗濯物が張り出している。この、何とも了解不能な凄まじいばかりの落差よ。
 結局はタクシーでホテルに帰りつき、夕方まで解散。当方はホテルとなりの香港西武デパートへ──トイザラスが入っていることに気づき、「バイオリン」を探しに。しかし、ただっ広い売り場に商品と客は溢れているのに、目指すものは無し。
 夕方6時にLという友人を伴ってS氏が戻り、3台のタクシーに分乗し揃って九龍側の警察クラブを目指し出発(タクシー運賃の怪:I、Mz、上田の乗ったタクシーだけが10分も早く着き、しかし他の車の2倍の料金を請求された)。
 警察クラブ自体はさして変わり映えのしない普通の共済施設の観。それでも、われわれの座ったレストランには200人ほども収容したのではないだろうか。週末の夜とあって、家族サービスに腐心している警察官の親子連れで溢れていたし、1階のパブでは、午前のS氏の話を裏付けるかのように、明らかに欧米系の顔立ちの警察官が数人でビールを飲んでいた。L氏の話自体はさほどの有益さは無かったが、警察組織がかくも豪勢なクラブを持ち、一家意識を刺激しようとしてるという事実は興味深かった。
 妻からのメールでは、自宅のADSLが不調でメールの送受信ができないという。何と、間の悪いときに。対処法を簡単にメールしたが。

2003.03.09
 窓の外は薄暗いが、雨にはなっていないようだと思いながら起き出し、朝食に。今日は私が最初だったが、昨日と同じく、Mk、Hzと現れ、今日の予定を打ち合わせながら。
 今日は日曜日とあって訪問等の予定が無く、11時ごろから九龍方面に出かけ、いわゆる電脳街に行くことにしたのだが、それなら、とHr、Hz両君が一緒に行くことになり、あとで聞かされたところではMk、Ys、Iも一緒にということで、結局は地下鉄での大移動ということに。
 今日はVictoria公園一帯が明らかにここ香港の住人とは違う集団で溢れている。付近の商店や路上で、母音の多いかしましいおしゃべりが響き、公衆電話には行列が出来ている── おそらくは、工場労働者やお手伝いさんとして香港に出稼ぎに来ている東南アジア各国の出身者が休日に集まって、情報交換とおしゃべりに興じているのだろうと、これは推測だが、おそらくは間違っていないだろう。地下鉄はきわめて快適で、乗車券の販売機も乗り換えシステムもよく出来ている。銅鑼湾駅から乗って、金鐘で乗り換え、深水捗(本当は土偏)まで。ガイドブックで見たパソコン・ショップの集積したビルに入ってみたが、それなりに多数のパーツ屋やソフト屋が並んではいるが、さほどのことはないという感じ。地下鉄駅周辺の露天群も、もう、ありふれた感じがする。
 中環まで戻って、どこかで食事をしようといろいろと探した末に、Prince's Bldg.の中の食堂でKyusyu Ramenと称するものにありついた。鮭の刺身つきで40HK$。周辺の公園は驚くほどの混雑で──例によって東南アジア系の女性たちを中心とする集団──、なんだか知れないコンサート風の催しも。
 食後、一応は解散することにして私はMkさんとケーブルカーでVictoria Peakまで登ることに。曇っていたのが、そして多少寒かったのが残念だが、これは絶景。急勾配を一気に上るケーブルカーも良かった。
 夕方からは、Mz君のリクエストで決まった二階建てバスとクルージングのOptional Tourに。息詰まるような排気ガスに閉口しながら、Nathan Roadを走る途中から雨になり、買い物のために女人街で降ろされた頃には本降りに。思わず20HK$で傘を買い、あとは雨のために客の少ない露天街を往復しただけ。クルージングはまずまず、食事も悪くはなかった。
 午後11時近くになってHotelへ。ただ、疲れた。

2003.03.10
 今日も曇りだが、昨日よりは好転した様子。
 昨日と同様の朝食の後、独立汚職調査委員会に聞き取りに行くというS氏と10時にロビーで待ち合わせ、一緒に出発──私は上環の林奇苑茶行なる茶舗をめざして。
 確かに、微妙な性格の国家機関を訪問するのだから事前の了解が必要で、それも6ヶ月前にというのも、この警察国家たる香港では止むを得ないことかもしれないが、それなら、出発前にそのことを明らかにしておくべきではないか。ここまでつれてきて、S氏が代表として聞き取ってくるのを建物の近くで待っていよう、などという提案はとても正気の沙汰とは考えられない。ある種屈辱的にさえ感じる。
 娘に頼まれていた茶は入手:店主が最高級という鉄観音茶で150gが240HK$。地下鉄駅の周辺を除けば、昔ながらの(だろうと思う)普通の商店が並び、人々が普通に生活しているという感じの一帯だ。地下鉄で待ち合わせの油麻地に行き、Hz君と会い、暫らく待って現れた一行のうちHr・Mz両君とともにホテルに帰ってきた。Law Farm訪問のために着替えなくてはならない。途中、Mz君と話していて、帰ってから始まるさまざまな作業のこと、とくにLaw Schoolの準備のことに、お互い、今から気分が重くなったことだった。
 3時半に約束の中環駅で他のメンバーと落ち合い、Law Farmへ。Maples & Calderという名称のFarmでA.W.弁護士と面談。Ogさんの紹介だったが、予想以上に日本語を話し、非常に丁寧に対応してくれた。現在はCayman島の弁護士資格で仕事をしているのだが、日本やドイツで勉強したことも、イギリスでバリスターとして法廷に立ったこともあるとのこと。Cayman島の利用の仕組み、香港の実情など、有益な情報を得たし、今後のわれわれとのコンタクトについても快諾してくれ、この出会いは収穫だった。──何に比べてか。もちろん、独立汚職調査委員会の調査に比べてだ。I先生は「貴重な資料の提供を受けた」と強調してはいるが。「暗黒街」探訪も、女人街でのポルノ類や偽ブランド品の実際の販売方法を見た程度だったらしい。
 昨日の東南アジアからの出稼ぎ者にしても、W.氏のような人物にしても、つまりは勉強も仕事も、生きることも、もうとっくに国境を越えて日常的に行われていることなのだという証拠のような気がする。外国に出て、そこでごく当たり前に暮らしている日本人に特に強い印象を受けるのも同じ理由だろう──われわれの意識だけが、まだ変わっていないのではないか。
 19時にホテルのロビーで残留組からS氏を除いた5人が落ち合い、近所のレストランへ:上品な店で、思いがけないことにNo alcoholを言い渡され、結局はそのあとでホテルのバーに腰を落ち着ける羽目に。
 これで必要なことは済ませ、後は明日の午後に空港に向かうだけだ。


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