ウクライナの矯正施設訪問記録


1991年8月28日・キエフ市近郊 ベレザニ の矯正労働コロニー(厳格レジーム)を訪問。副所長 スピリン 内務少佐の説明および施設案内を受ける。
スヴェトロフ教授(ウクライナ科学アカデミー国家と法研究所)、メレンチェフ教授(ウクライナ共和国内務省)が同行。
以下はそのメモ。


[副所長説明]
 1942年設置、現在は厳格レジームの施設であり、再犯者を中心に収容(前科11・2犯の受刑者もいる)。強・窃盗など財産犯が中心。現在の受刑者総数200名、刑期は1〜15年、平均5年程度。
 施設の全職員数は413名、その内看守は160名。職員の多くは隣接する職員住宅に居住している。
 受刑者は作業班別に編成され、機械製作および農業労働に従事、一日平均12.5ルーブリの賃金を支給されている(そこから、食費、衣服費、損害賠償支出などが控除されるが、最低限10%は保障されている)。教科教育が必要な者(50人)のために、11年制の中学校――9月1日まで休暇中――もある。クラブ活動を奨励しており、図書館も一応充実している。
 規律は厳格、軍隊式のもの。
 外部交通については、月1回4時間までの面会、3ヶ月に1回の長期(宿泊)面会が認められる。小包の受領は月1回だが、手紙の発受は制限が無い。
 タバコは自由、施設内の売店で買える。もちろんアルコールはだめ。書籍、新聞雑誌も自由に購読でき、それらは賃金から支払われる。
 食事については、カロリーもビタミン等も栄養上の基準を満たしており、問題はない。減食罰等は現在はない。
 レジーム違反については、平均して被収容者1000人につき 370の違反があり、その内容としては、不就労・怠業を筆頭に、定められた場所以外でのタバコ、ばくち、アルコール飲用など。逃走も、たとえば2ヶ月まえに2名が逃走し、1名は間もなく逮捕された。
 施設がかかえる問題:全国的な問題と同じであると思われるが、市場経済への移行にともなう経済的な問題が最大のもの。また、他の共和国に属する受刑者の受け入れ方も。


[施設の見学]
*居室(寝室):大きなホール様の部屋に70人程度の鉄製ベッドが並ぶ。それぞれ氏名と作業班の名称が表示されており、それなりに清潔な寝具が畳まれている。ベッド脇に小さな整理箱。同様の部屋が他に2つあるとのこと。
 多人数を一ヶ所に収容して、保安上問題はないのかと質問したが、全くないとの返事。
 隣に洗濯室、散髪室、浴室、手洗いなど。

*文化室:大型のテレビに向い30程の固定椅子。壁には政治的なスローガンやウクライナ共和国の主権宣言、刑法規定の抜粋など。

*屋外通路の両側壁に掲示板:生産計画達成度グラフ、各作業班間の競争項目など。

*ホール:独立した一階建て建物になっており、400席の本格的なもの。受刑者が建設したとのこと。教育的な講演会等に使う以外、休日には映画を上映するそうで、看板が「本日の上映は **** 」と。

*学校:独立した2階建てのいかにも学校らしい建物だが、夏休み中ということで、入らず。

*食堂:殺風景なホール。長いテーブルと長椅子、テーブル中央に塩入れの窪み。数名の食事係が不熱心そうに働いている。昼食に向け各テーブルに準備されているカーシャ、スープ、パンを見てみたが、あまり熱くない。とても美味とは思われず。

*工場:100人ぐらいの受刑者が、旋盤を使いながら、金属加工作業中。相当に高度な技術を要するのではないか。案内の看守の説明では、受刑者は3ヶ月の教育期間を経て工場に配属されるとのこと。長期受刑者には複数の技能を学び、資格をえて出て行くこともある、と。庭には出来上がった農業用機械が数十台並べられていた。
 受刑者の服装は、黒い作業服――上着とズボン。町なかで見たとしても、格別に奇妙な風体ではない。短髪――まる刈りではないが、5pぐらいが限度で、釈放3ヶ月前からのばし始めるとのこと。
 挨拶が不自然に良いのはわが国とも共通。

*病院:ベッド数20、平均7名の在床者。専任の医者1名。必要に応じ部外の医師の来診も。診察室内に格子が組まれ、格子越しに診察・注射等が可能なよう工夫されている。「過去の人質事件の被害者は必ず医者」だそうだ。

*面会室:20程のガラス張りの小室が二列に並び、中央に通路。そこを看守が通る。向かい合った小室に受刑者と面会者とがそれぞれ入り、電話を使って会話。しかし一つの小室に一家らしい数人の集団が入ったりして、結局は電話抜きに、叫びあっている。騒がしい。

*家族用長期面会室:10平方メートル程の部屋が8室。室内には、ベッドが2つ、テーブル、椅子、小さな冷蔵庫、物入れ程度。入口に近いテーブルで妻らしい女性が料理中。
 中央のホールではテレビが大きな音でアニメーション映画。周囲に10人ほどの大人と子供。騒がしく遊んでいる子供たち、肩を寄せあう若い男女等。薄暗く暑気がこもっている.... 憂鬱な光景。

 学校を左に見ながら、出口へ。両側が高い壁、有刺鉄線。「もし大規模な騒擾事件が生じても、ここを通らねば外へは出られない。しかし、正面には管理棟があり、そこからの銃弾を逃れられないだろう。ここはいわば《銃殺回廊》なのだ」そうだ。
 域外に出ると、「空気までが新鮮だ」と副所長。


 コロニー正面の庭には色とりどりのケイトウなどの植えられた花壇が整備され、レーニンの胸像が立っている。隣接する職員居住区へ。職員の家族らしい女性たちが住宅の菜園で草とりをしている向こうで、受刑者の一隊が現在も新しい建物を建設中。食堂で昼食をご馳走になる。前菜、ボルシチに始まるボリュームたっぷりの食事、副所長とスヴェトロフ教授の連発するアネクドートに耐えながら、ウオトカを2本。

 矯正施設の参観は前回の留学の際も今回も、モスクワで科学アカデミーの国家と法研究所を通じ連邦内務省に申請したが、いずれも実現せず。ウクライナ訪問の際にもその実現を期待していなかったため、同共和国の矯正労働法典も手許になく、質問内容についても準備不足を痛感した。


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