モスクワからキエフへ


 「キエフへは出張?」と尋ねながら、ナターリヤおばさんは小さなコニャックの瓶を掲げて見せ、一口飲んだ。
 私はまさしくキエフへの出張の途中で、ここは夜行列車のコンパートメントの一つ。発車まぎわになって飛び込んで来た老婦人が、自分はジャーナリストだと自己紹介し、さっさと着替えてから、私がつけている記録の日本語をのぞき込んだあとの話だ。ノートを閉じ、私も鞄の中から一瓶取り出し、つきあうことにする。
 話は当然に先週一週間の「クーデター」騒ぎのことになる。と、彼女は「自分は共産党員だ」とことわったうえで、この間の事態について、全ては上層部の行動であり、自分たちには関係も責任もないことだと言い切った。しかし、それら上層部を選出し、また支持してきたのはあなた方ではないか、と私が言うと、彼女は、「百余の民族が混在するロシア帝国はなぜよく治まっていたか、それはまさに強大な権力が存在したからだ」と話し始めた。要するに、皇帝の権力が衰え、ロシアが混乱した時にこれに代わって権力を握った共産党は、どうあっても強大な権力を自らに体現しなければならなかったのであり、それはまた、党自体の集権的な構造をも要求した、というのだ。この種の説明は以前にも聞いたことがあるが、最近の事件の経過と重ね、あらためて強い印象を受けた。
 ウクライナ共和国の首都キエフは、9年前の雪解けの風景とは大きくかわり、街中に緑が溢れていた。駅のホームで待っていてくれたスヴェトロフ教授と再会を祝し、彼の車でホテル《モスクワ》へ。教授の話しでは、ここでも商品の不足は日常生活に影響を及ぼしているそうだが、モスクワに比べると、街を行く人々の様子にも、どことなくゆとりのようなものが感じられる。――ホテルの下の広場に立つ巨大なレーニン像には多くの落書き、その前で旗を掲げた人々の集会が間断なく開かれてはいたが。
 記憶にあったままのウクライナ科学アカデミー国家と法研究所を訪問。前回と同じ部屋で、スヴェトロフ教授およびチャングーリ教授と懇談。現在研究所が進めているプロジェクトの一つである刑事裁判への公衆参加に関する国際共同研究に加わるよう求められた。最近の共和国の主権再確立の動きともかかわって、刑事法領域でも旺盛な立法活動が開始されており、研究所の果たすべき役割も大きくなってきているとのこと。モスクワの研究所の沈滞した空気とは好対照で、最近の連邦制解体への動きの具体的なあらわれを見たおもいがした。
 翌日には、思いがけず与えられた機会を生かして、共和国内務省で簡単な講演をし、郊外の矯正労働コロニー(刑務所)を訪問するなど、このキエフ出張は今回の留学期間中で最も成果のあがったものの一つだった。

               * UNITAS[立命館大学広報課]236号 に公表。


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