ソウル出張記
                                1999.04.29.〜05.02.

4月29日
 疲れた疲れた── 朝6時過ぎに起きだし、京都駅で一行とおちあって関空へ。2時間あまりで着いたソウルの金浦空港には、韓先生の助手という青年が迎えに来ていた。
 マイクロバスでそのまま市内ヘ。モスクワともニューヨークとも似ているようで違う。これはやはり東洋の風景なのだと感じる。が、ハングルの文字通りの氾濫──漢字はほとんど見られず、英語の使用も極端に少ないのではないか。
 現代史研究所の前のなんとも知れない一部屋に上がり、昼食。Sさんの話では、一般のサラリーマンなどが摂る典型的な昼ご飯とのことだが、やたらと漬物類の皿が並び、金属の器にもった白飯と味噌汁のようなものだけ。金属の平べったい箸にも抵抗があった。
 近くの憲法裁判所を参観。新しい建物の裁判所に着くなりそのまま傍聴に入り、50人ほどの若い聴衆とともに判決公判(らしきもの)を傍聴。壇上には9人の裁判官が座り、淡々と判決を言渡していた。
 6・7人の研究官と懇談。いずれも若く、気鋭の判・検事といった感じだが、中央大学と一橋大学にそれぞれ留学経験ある人もいた。そのあと、長官の金容俊氏と懇談。
 Sさんの案内で市内の『市民参与連帯』本部を訪問。
 現代史研究所訪問、徐所長から挨拶と研究所の活動についての説明。
 『里内山』での会食。韓国側は多数の弁護士が加わって、活気があった。
 先ほども見かけた韓氏と短い会話──私の何かを読んだことがある、とのことだが、彼の英語は本当にわからない。私の英語が拙劣だという以前の問題のような気がする。
 10時前に宿舎のソウル大学の湖岩教授会館へ。
 妻に電話しようとしたが、うまく行かず。通信の方も、そもそもInfonetに接続できず、断念。どうも室内の電話が方式が違う気がする。不思議だ。

 名刺を整理:(略)

4月30日
 今朝も快晴。部屋の中は床暖房で暖いが、屋外は10度ぐらいのものか。7時過ぎに起きだし、食事をとって学内の「法学部百周年会館」へ。
 二三百人は入れそうな大きいホールだが、出席している学生は50人程度のもの。韓先生が壇上に一人ひとり呼び上げレポートを返していた。
 日韓双方のレポートが印刷されて製本されていたのには驚いた。

 私の報告に対する質問など。
 ポルノグラフィー類はむしろ日本から入ってくる、これの取り締まりは困難。日韓間で対策を協議するなどの対応が必要ではないか。
 少年の犯罪が多いのは、彼らが稚拙で犯罪の痕跡を隠すなどの点で大人に負けているから、統計上多くなるということなのではないか。
 「定住外国人」の犯罪が増えているということをどう考えるか。──これについては、私の説明部分を誤訳していることが明らかになった:「来日外国人」とは、「定住外国人」に対する呼称であり、後者の.... 一応は、研究の必要性にもかかわらず、わが国ではほとんど研究されていない、50年代末の宮内先生を例外として、などと説明はしたが。会場内に、緊張が走ったように感じたのは私だけではなかったと思う。

 喫茶店で妻に電話。娘が出て、「お母さんはホテルに打ち合わせにいっている」と。風邪の具合がよくなさそうだ。
 部屋に帰って、今度はNiftyへの接続もうまく行った。


5月1日
 例によって、レストランで American Breakfast 5000w. を摂り、マイクロバスで天安の少年教導所へ。1時間半の高速道路沿いは田園風景の間に建設の続く高層住宅群が
 天安少年矯導所では、職員の一団とスカウト隊が待ち構えており、ブラスバンドの音楽とスカウト隊の歓迎のアーチで迎えられた。
 金次勝所長から、リーフレットに即して説明があり、質疑応答。
 グラウンドには先ほどのブラスバンド、スカウト隊、農楽隊が整列して待っており演奏と農楽演舞を参観した──よく記録映画で見る光景そのままに、屋根つきの参観台上でソファーに座って。
 土ぼこりの中での熱演で、技術的にはなかなかのものだったが、とくにブラスバンドの少年達の暗い表情が印象的だった。
 「作業を一切免除して練習させているだけのことはあるでしょう?」と金所長。
 施設内の参観で印象的だったのは、優良囚に使用を認めるという電話機、食堂──200席で6交代、セルフ方式、この日の昼食メニューはハヤシライス──、舎房、図書室。同行の韓教授が寄付したという本を見せられ、手早く相談して10万ウオンを一行からと寄付することに。

 近くの Halfway-House、天安開放矯導所でも所長以下の歓迎を受けた。二ヶ月プログラムの収容、外部通勤が主──マイクロバスでいくつかの事業所にかよう──、庭に設けられた電話BOX、食堂、職員不在時に使われる無人販売のケース(タオル、ノート、飴玉、飲料、「銀丹」)。姜大声所長はなかなか温厚そうな人物に見えるが、職員の目つきは時に刺すように鋭いのが気になる。

 「民家」という名のレストランで昼食:焼肉。

 独立記念館を訪問。同行の韓教授なども初めてということで、それまでいろいろとS氏が解説していたこの巨大施設の持つ複雑な意味合いがうかがわれることだった。晴れた5月の空の下で訪れるには不似合いかぎりない場所だ。巨大な門内の彫刻も、むしろモスクワでよく見た群集風景風で、ちぐはぐな感じ。展示の内容も偏っており、巨大な見世物風の── それでも、多くの参観者が押し寄せている。

 水原の町。旧城壁を歩き、山上の砦跡まで。大きな街だという実感。城壁の上から火事を発見したが、なかなか消防車も来ず、煙に混じって赤い炎さえ見え、しばらくたって煙が白くなった頃になってサイレンが聞こえ、消防車が到着するのが見えた。
 ここでもまた、特産のカルビ焼肉が食べたいとのO先生の提案で、ファミリーレストラン風の、しかし豪華な店に入り、夕食。


5月2日
 結局、O・Nを除くメンバーはホテルのレストランで、S氏を尋ねてきた二人を交えて朝食を摂り、8時に南大門市場に向け出発。
 ロッテ・デパートの免税売り場。
 空港。


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