児童虐待 −再統合を目的とした親子分離に向けて−

二〇〇二年十月十五日

大阪市立大学第一部社会保障ゼミ

 

<1 日本とイギリスにおける制度の違い>

 

まず初めに、児童虐待が起きた時の、日本の現行法上における処遇までの流れを簡単に説明することにする。

 日本において児童虐待について取り扱っているのは、ご存知の通り児童相談所であるが、児童相談所が児童虐待を取り扱うには、相談と通告という二つの方法がある。

 相談とは、虐待を受けている児童・虐待を行った保護者・又はその家族が直接児童相談所に相談をする行為を指し、通告とは近隣の住民や警察・学校の教職員・医師・弁護士などが、虐待の疑いがあることを児童相談所に文書・又は口頭で伝える行為を指す。因みに児童福祉法25条、児童虐待防止法5条の双方に罰則規定は無い。

 児童相談所に相談・又は通告がなされた後、児童相談所は緊急受理会議を開いて方針を確認した上で48時間以内に安全確認調査を行い、調査の結果虐待の事実が認められた・若しくは虐待の事実が疑われる時には継続調査が実行される。

 そして、調査において児童の身柄を保護する必要があると判断された場合には児童相談所への一時保護が行われる。

 虐待の事実についての調査や医師や児童福祉司といった専門家による関係者の診断が行われた後に、児童相談所々長や担当者が集まって判定会議が催され、更にその結果を踏まえて問題の家族において「子供の最善の利益」を達成するための具体的な処遇を決定する、処遇指針が出される。

 処遇指針には在宅指導と親子分離の二種類があり、更に親子分離は同意分離と法的分離の二つに分かれている。実際にはより厳しい親権喪失宣告の請求及び保全処分という処遇もあるが、平成12年度における請求件数は8件、その内認容件数が0件と、現状では殆ど利用されていない。

 在宅指導と親子分離の違いは、虐待を受けた児童を実家で援助するか、施設や里親に委託した上で援助するかの違いであり、同意分離と法的分離の違いは、児童を施設や里親に分離する際に保護者の許可を得たか得ていないかという違いである。同意分離の根拠は児童福祉法27条で、法的分離の根拠は同法28条である。

 此処で注目しておきたいのは、日本では親子は分離させるべきでないという「親子不分離の原則」が重視されており、親子分離は実質的に親権の喪失に当たるという事である。つまり、分離された親子の再統合は予定されていない。

 この点について、イギリスの制度を簡単に見てみると、イギリスでは地方当局(日本における児童相談所に相当する施設)が子供保護プランという、虐待防止と親子再統合の為の具体的な計画を作成し、このプランを裁判所が認定しない限り親子分離命令は受理されない。つまりイギリスでは「再統合を目的とした親子分離」が可能だと考えられている、と言える。

 此処で考えなければならないのは、何故「再統合を目的とした親子分離」を行うのか、言い換えれば「再統合を目的とした親子分離」の有効性とは何か、という事である。その事を理解するために必要になるのが今から説明する「家族療法」という治療法である。

 

<2 家族療法>

 

家族療法とは、元々アルコール中毒者の治療から生まれた治療法である。

以前は「社会的落伍者のみがアルコール中毒者になる」と一般的に考えられていた。しかしアルコール中毒の研究が進むに従って、アルコール中毒者の家庭そのものに問題があるのではないか、という事が判ってきた。

 夫がアルコール中毒になり、妻がアルコールの害を指摘しても飲酒を止めない、という例を見てみると、今までは夫自身に問題があるのだ、という考え方が一般的であった。しかし現在では、より問題なのは妻の指摘という問題解決の手段が効果を持たない事、つまり、妻と夫の二人を個人の単なる集合ではなく、一つの家族というシステムと考えた場合に、夫の飲酒という家族システムに変化を与える行為(これをストレッサーと言う)、このストレッサーを解消するための手段である妻の指摘がその効果を無くし、家族間のストレスが減少しない事が問題であるとされている。

 そこで登場したのが家族療法という治療法である。つまり家族療法とは、ストレスを発生させる構成員だけでなく家族全員に治療を施す、具体的には家族全員に個別的なカウンセリングを施す事によって、家族に備わっているストレッサー解消効果を取り戻すことを重視した治療法である。

 夫が妻と子供に暴力を振るい、妻は夫の暴力を止める事が出来ない、という事例を挙げて見ると、夫には彼の行為が虐待である事を理解させ、かつ妻と子供には、若し夫が暴力を振るった時の適切な対処法を教えておけば虐待は防止できるはずだ、というのが家族療法の考え方である。

 しかし、実際に家族療法を行う為には大きな問題がある。これはカウンセリング一般に言える事だが、当事者に自発性がないとその効果が見込めないのである。上記の例で言うと、在宅指導で家族療法が行われたとしても、もし夫が「これは教育だ」と思っていたなら、夫による虐待は無くならないであろう。

 「再統合の為の親子分離」の必要性を述べる理由は此処にある。つまり、いったん親子分離をしてしまうことによって、子供の安全を確保すると共に、虐待を行う保護者、この場合は夫であるが、彼に「子供と一緒に暮らす」という目標を設定させ、治療への自発性を生み出させる。この二つが家族療法を成功させる鍵になっているのである。

 しかし「再統合の為の親子分離」を実施するためには、一旦分離した児童の受入先である。そして受入先として最も理想的であると考えられるのが「里親制度」である。

 

<3 里親制度>

 

 里親は施設入所に代わる、虐待を受けた子供のケアの手段として今注目されるべき制度と言える。

 一口に「里親」と言っても、様々な種類の形式がある。現在日本の里親は大別して3種類ある。里親の一般的イメージである、養子縁組を前提とした「養子縁組里親」、将来実親の下に帰ることを前提とした「養育里親」、長期休暇や週末などの短期間里親の下へ預ける「週末里親」「季節里親」である。前二者は児童福祉法上で定められた「児童福祉法上の里親」で、後者は「ボランティア里親」と呼ばれている。基本的に児童福祉法上の里親には行政から資金面での援助があるが、ボランティア里親はその名のとおり、原則として無償である。

 「再統合のための親子分離」というテーマから、以下の文章では「養子縁組里親」を除いた、養子縁組を目的としない里親制度、主として養育里親制度について検討する。

「再統合のための親子分離」を実施する為には、現状のように児童を施設で養育するのではなく、里親制度によって養育する事が望ましい。その理由は三点である。

一点目は、虐待で傷ついた心のケアをするためには、子どもにとって最も望ましい環境を整え、大人が子供と1:1で丁寧に世話をすることが最も望ましいと考えるからである。人が健全に育つ上で、幼少期に「自分だけが愛されている」という経験をすることは非常に大切であり、児童は虐待によって両親の愛情を一身に受けて育つ事がかなわない状態に追い込まれているのだから、預け先は預けられた子供に対して出来る限りの愛情を込めた養育が可能な環境でなければならない。

二点目は施設における養育において、大人一人が面倒を見なければならない子供の人数が多すぎる事である。日本においては、保育士等の専門家一人について面倒を見なければならない子供の数が平均約6名となっており、十分なケアを行うことが出来ない。

三つ目は、二点目と矛盾するようであるが、子供が接する大人の数が多すぎるという事である。保育士など子供の面倒を見てくれる大人は、公共施設に勤務している以上、異動、転勤などでどんどん入れ替わってしまい、せっかく親しくなった大人とすぐに別れなければならなくなる事、また、昼間と夜とでは交代制を採っているため、一日のうちで世話をしてくれる大人がころころ変わってしまう。

以上の三点から、「再統合のための親子分離」を実施する為には、里親制度の活性化を図る必要がある。

しかし、里親制度は上記の様に一応法定されてはいるものの、わが国では欧米先進諸国に比べ、ほとんど運用されていないのが現状である。

 欧米諸国では児童相談所に委託された児童の受け入れ先は「施設」;「里親」が1:9という比率なのに対して、日本の場合「施設」9に対し「里親」は1である。

また、里親の登録者数は1950年代をピークにどんどん減少し、いまやピーク時の半分もいない。

その原因として最も大きなものがアナウンス不足である。里親制度の普及が図られていないために、日本では「他人の子どもを育てる」という意識が非常に希薄になってしまっているのである。

また、里親についての研究が進んでいないために専門的知識を有する人材に乏しいことも問題である。自分の子供を養育する事と里親になる事は同じでは無い。つまり里親になろうとする一般人をどうサポートしていくかというのが問題になるが、残念ながら現状ではそのノウハウが未発達であると言える。

 虐待を受けた子どもはその心の傷の深さゆえに、様々な問題行動を起こすことが多いと言われている。そのような子どもに接したことのない里親は非常にストレスを感じ、ひどい時には里親が預かっている子を虐待したり、里親自身がノイローゼになる場合もある。このように、善意の里親が背負う重大なリスクに対し、現在はそれを軽減する充実したフォロー体制が十分に形成されていない。

 その解決策の例として紹介するのが、東京都の取り組みと、今年10月からスタートする「専門里親」である。

まず東京都の取り組みをみてみましょう。東京都では自主的にガイドラインを定めて里親制度の運用に努めており、特に里親の負担を軽減する為のシステムを充実させている。

 具体的には委託児童間、里親間での交流のための「懇親会」を主催する、児童相談センターには「養育家庭担当者」を、そして養育家庭相互の交流を目的とした「養育家庭支援センター」を設置する、と言った事が挙げられる。

また、「レスパイト制度」といって、万が一、里親が養育に疲れを感じた時には、一時的に里子をセンターで預かり、里親さんを育児から解放することも出来る。里親をサポートする体制を強化する事により、里親の増員が可能になり、里親による虐待を防ぐ事が可能になっているのである。

 次に専門里親を紹介する。専門里親適格者には児童福祉司経験者や教育関係者、すでに里親の経験のある人などが想定され、虐待された子どものケアについて、研修を受けたうえで、養育にあたる。高度の専門性から、里親手当ても通常の養育里親の約3倍を2年間支給される。

専門里親と言っても、里親一人が児童福祉を全面的に背負い込むのではなく、その子の養育に必要な要素の一部をお手伝いするという考え方で運用されます。つまり、児童相談所や学童保育など、ほかの児童福祉機関と綿密なコミュニケーションとパートナーシップのもと、十分なケアを行う制度となる予定です。

 以上のように少しずつではありますが、里親制度を運用する動きは高まっている。しかし、里親制度の更なる活性化には、より積極的な行政の関わりが必要不可欠である。その意味で、東京都の取り組みは一つのモデルケースといえる。今後、全国規模での行政の積極的関与が望まれます。

 

<4 まとめ>

 

以上、「再統合を目的とした親子分離」について述べてきたが、これは虐待をした親への懲罰的な意味ではなく、むしろ関係修復への一つの方法として提案するものである。

 虐待する親と虐待される子どもがいると、これまでは「子どもの心の傷を癒す」事を重視してきた。しかし、虐待を受けた児童のケアと平行して、原因を作ってしまった親のケアを行わない限り虐待は続くであろう。それを解決するのが「家族療法」である。

 また、「親子の再統合が為されるまでの単なる受け皿」という役割だけでなく、子供に理想の家族を提供する事による、児童のケアを兼ねた制度、それが「里親制度」である。

 ここ数年、少年による非行事件が毎日のように報道されているが、非行を起こす少年の多くに虐待の影があると言われている。また、「虐待は連鎖する」と言われるように、幼少期に負った傷は一刻も早く治療せねばならない。

 そのためにも、今回我々が提案した二つの方法が日本国内の多くの地で採用され、虐待件数が一件でも減ることを願って止まない。

 

以上