静岡大学報告まとめ

−「生活保護にいう『自立』に向けた就労指導とは何か」−

平成14年10月15日 静岡大学社会保障法ゼミ

 

 

 静岡大学の報告テーマは、「生活保護にいう自立に向けた就労指導とは何か」である。近年の不況による企業の倒産、失業者の増加、厳しい雇用状況が重なって、生活保護申請者や受給者が職につくことは非常に高いハードルになっている。生活保護に関するさまざまな事例を検討し、問題点を抽出するという作業を行なう過程で、今、このテーマを検討しておく必要性を痛切に感じた。他方で、静岡大学内に、事件の訴訟代理人として関係している教授がおり、いろいろと話を聞く機会があったことで、生活保護の問題をさらに自分たちの身近にある問題として感じ、考えることができた。生活保護受給に課されている高いハードルを少しでも低くし、必要な給付を受けられるようにするために、就労指導という生活保護法上の制度をどう改善したら良いのかを検討した。そして、その検討をふまえて、自分たちの提言としてまとめた。

 本報告の論点は、

・「生活保護にいう自立とは何か」  

・「自立のためのあるべき就労指導とは何か」

である。       

 生活保護法は、要保護者の最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的としている(第1条)。そして、就労指導は、自立の具体的手段として位置付けられる。この就労指導のありかたを考えるためには、まず、助長しようとする「自立」の意味や位置付けが重要である。つまり、「自立」という言葉の内容を確認してはじめて、自立に向けた就労指導を考えることができる。そこに、「自立」とはいったい何なのかを考える意義がある。

 では、生活保護にいう「自立」とは何か―――静岡大学では、「精神的に他への依存心がなく、自分の意思で生活保護を受けないように努力すること」を自立の根本にすえて考えてみた。というのは、生活保護に頼らず前向きに生活する姿勢は、他のあらゆる面での自立の土台となると考えるからである。自立の概念図−レジュメ参照−は、精神的自立が他のあらゆる自立の土台になっていることを示す。しかし、この図に異論があった人は多く、分科会でいちばん意見が集中した。出た意見としては、精神障害者についてどう考えるかなどがあり、自立を考えるうえで避けて通れない問題であると感じた。他にも、生活保護を受ける人はみな依存心があり努力していないのではないか、といったような人間像を固定−しばしば偏見となって−してしまいやすいなど問題点は多い。改めて自立の概念を練り直す必要がある。

 次に、自立に向けたあるべき就労指導とは何かについて考えてみたい。これを考えるにあたって、静岡の事件をみておくことにする。生活保護を受けていた路上生活者が、自立のための就労指導を受けて求職活動を行った。しかし、結果として職に就く事はできなかった。しかし、行政庁は、職につくことができなかったのは本人の努力不足であると判断して、保護廃止処分をしたという事件である。ここで問題になるのが、生活保護法4条の補足性の原理である。この原理は、被保護者が、自ら保有するすべての資産を用い、さらに、働くためおよび生活するためのすべての能力を活用しなければならない、というものである。しかし、本事件のように、就労に至らなかったという結果を、稼働能力があるにもかかわらず、それを充分に活用していないからだと判断されることが、しばしばある。近年の厳しい雇用状況下で、就労の場がなく、働きたくても働けないという「現実」は軽視されてしまっている。

 では、被保護者にとって好ましい就労指導とはどのようなものなのだろうか。私たちは、「要保護者の健康状態・資格・技能などの実情を考慮し、かつ自立を助長する就労指導」であると考えた。そして、このような就労指導を達成するために、まず、要保護者の健康状態・技能・資格を考慮した適職選択権が認められるよう制度化することがある。また、生業扶助のおもに技能習得費を拡充することにより、保護受給者の長期的な自立を図ることがある。さらに、保護受給者と直接向かい合うケースワーカーの人的補充や資質の向上が必要不可欠である。

 このように就労指導を改善することで、就労に至らない被保護者が減少することにつながると私たちは考える。そして、現在の厳しい雇用状況下にあって就労に至らなかった被保護者にも、必要な給付が行き届くようになる。

 

--------------------

静岡大学の分科会のまとめ

 

<論点>

静岡大学が論点として取り上げたのは以下の2点である。

・「生活保護にいう自立とは何か」

・「自立に向けた『就労指導』とは何か」

 

<質問・意見>

この論点に対して、分科会では多くの意見及び質問が出された。そして、これらを内容別で大きく分類すると、2つに分類することができる。

1.静岡大学が提示した「自立の概念図」の妥当性。

質問:@「身体的障害を持っている人には身体的自立は必要ないのではないか」

A「精神的障害者に対して、静岡大学が提示した自立の概念図では対応できないのではないか」

2.生活保護費受給者本人の就労に対する「やる気」に関して、判断する側の基準。

質問:B「働く意思がない被保護者に対しては保護を打ち切るべきであるのか」

 

<質問に対する静岡大学の考え>

@の質問に対して、身体に障害を持っているからといって身体的な部分の自立という「概念」が必要ないとは言えないと考える。なぜなら、車椅子や義足などを使用することによって障害を持たない人と同じ活動をすることができる人もいるからである。

Aの質問に対して、静岡大学が考えた「自立の概念図」では対応できるとも対応できないとも言えない。なぜなら、私たちは就労することが可能な人ということに固執していたため、精神的な障害者は想定外のことであったからである。よって、これからの改善点において精神的障害者についての自立というものが、私たちの提示した概念図でも対応出来るのか、新たな概念図を構築する必要があるのか検討していきたい。

Bの質問に対して、生活保護制度上ではこのような意識の人がいたら、能力活用の原則により生活保護が打ち切られると考えられる。しかし、「働く意思」に関して判断することは、その人の内面的部分であるから、誰がどのように判断するのか難しい。だから、就労することが可能な被保護者に対しては、「働く意思」を被保護者に持たせられるように働きかける対策が必要になってくると思われる。そのために、ケースワーカーの資質の向上が重要となるのではないかと考える。また、現状として1人のケースワーカーが何人もの人を受け持っていることから、ケースワーカーを補充して1人の人に多く時間をかけられるようにすることが必要ではないかと考える。

 

<最後に>

分科会では静岡大学が考えていた以上に「自立」に対しての質問及び意見が殺到した。これは一人一人が「自立」に関して何らかの意見を持っていたからであると考えられる。そして、個々の自立の概念が異なったものであり、それぞれの自立に対する強い思い入れがあったからこそ、分科会の中で自立の概念が一定のものとして定まらなかったのではないかと考えられる。

分科会を経て、私たちが考えた自立の概念は精神的判断が困難な障害者や痴呆のお年寄りのことを考えていなかったことが浮き彫りとなった。私たちは、分科会で出された質問及び意見を今後の取り組みの参考にして、さらに「自立の概念図」の考察を進めていきたい。また、今回は十分には議論できなかった『自立に向けた就労指導とは何か』については、この合同ゼミ、中でも分科会に参加した各大学の人たちにも、是非考えてもらいたい。

生活保護を題材とした静岡大学の分科会に多くの人が聴きに来ていたことにとても驚いた。その背景には、近年の経済不況による雇用の悪化の中、駅周辺の路上生活者の急増を目の当たりにし、生活保護制度を身近なものとして感じているような状況があるのではないか。