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今月のことば

2019年5月 ものがたりの発生

 この春に出版した『ものがたりの発生-私のめばえ(やまだようこ著作集第3巻)』は、さいわいなことに好評のうちに迎えられました。
 『ことばの前のことば-うたうコミュニケーション(やまだようこ著作集第1巻)』『ことばのはじまり-意味と表象(やまだようこ著作集第2巻)』と合わせて「ことばが生まれるすじみち」シリーズの最終巻です。
 このシリーズ全体の「ことばとは何か」という大きなテーマは、乳児のことばの発生や自己(私)の発生においても、ナラティヴ研究においても、深いところで通底していると考えられます。
 ひとりの子どもが生きている文脈(コンテクスト)を大事にすること、文脈のなかで子どもの行動を生き生きと描くこと、当事者にしかわからない経験を生かすこと、ものがたりは完成形ではなくたえざる語り直しのプロセスであることなど、この本から意味ある何かをくみ取っていただけたら仕合わせに思います。
 この本で息たえだえになりながら、ようやくまとめたのは、まさに切れ切れの断片(ことの端(は))を集めた、つぎはぎだらけの拙い日曜(ブリコ)大工(ラー)仕事(ジュ)(レヴィ=ストロース)にすぎません。つまり、昔に観察して記述した子どもの日誌の断片、バラバラのテクストを組み替えて、現在の関心事から、いくらかの荒い筋書き(プロット)を、プロの仕事としてではなく、日曜大工仕事のように描いてみる仕事をしたのでした。できるだけ「データをして語りしめる」という質的研究の神髄は大切にしたいと思いました。
 「ことばが生まれるすじみち」というテーマ、道のない原野にすじみちをつける作業は、起源から到達点までを貫くただ一本の正しい道をつくる作業とは、まったく異なっていることが今では、はっきりわかるようになりました。
 ナラティヴ論からみれば、正しいものがたりは一つではなく、いくつもあります。道のつくり方は、いろいろ多様であってよいのです。けもの道も「みち」であり、多くの人が通る大きな広い道だけが正しいというわけではありません。
 この本でいう「すじみち」とは、多様な可能性をもつ錯綜した網を織る「ものがたり」のなかの、ひとつのものの見方にすぎません。このワークによって、私なりの「ものの見方」を、ささやかながら自分にできる範囲で描いてみたいと夢想したのです。
 この本が、いつかどこかで、はっと目覚めるような「読み手」に出会って、その出会いから新しい何かが共同生成されてくることを祈っています。それは、めったに起こらないかもしれないけれど、奇跡のような生成プロセスになるはずです。「ものがたり」は、古典に限らず、どのような本でも読み手との共同作業によって新しいいのちが息づいてくるものだからです。

 古典とは古きものを窮めてしかも新しくなるテクスト群なのだ。新しくするもの、それは常に「読み」の操作である。幾世紀もの文化的生の集積をこめた意味構造のコスモスが、様々に、大胆に、「読み」解かれ、組み変えられていくのである。(井筒俊彦 『新日本古典文学大系』岩波書店 宣伝文より)

写真 ものがたりの発生-私のめばえ



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