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今月のことば

2016年12月 高野山の奥の院

 高野山に登る機会がありました。雨が降り、風が吹き、寒い、寒い、凍えるような日でした。高野山の冬の寒さが身をもって実感できる日でした。12月のそんな日は、観光に訪れる人も少なく、静寂があたりを支配していました。京都の都からはるか遠く、てくてく歩き、高みをめざして登り、ようやくたどり着く聖なる場所だったころの雰囲気が漂っていました。
 ここのところ、日本の仏教の二人の偉大な先達、同じ年に遣唐使として唐に渡り、仏典を持ち帰った空海と最澄の違いについて考えています。高野山に金剛峯寺を建てた空海、弘法大師は、「お大師さん」といわれ、今も慕われています。「同行二人」の四国遍路をはじめとして、いたるところに「お大師さん」が現れるという伝説を生んできました。命日には、東寺の「弘法さん」の市も開かれ、今も庶民と共に生きています。
 比叡山に延暦寺を建てた最澄、伝教大師は、空海のように、庶民に親しまれるもの語りや不思議な奇跡や伝説を生み出すカリスマではなかったようです。そのかわりに、日本的な仏教というべき浄土教や浄土真宗などをつくった、法然や親鸞など多くの弟子を育てました。どちらも凄いリーダーだったわけです。
 高野山で瞑想法の阿字観を体験しました。禅の座禅では、すべてを空っぽにして「無」になるのに対して、阿字観ではイマジネーションを大切にして、野や山のなかにいたり、空を飛んだりするイメージを想い描く空想力を磨くとのことでした。心身をリラックスさせながら「今、ここ」への冴えた集中力を高める瞑想は、「マインドフルネス」と呼ばれて、海外で大変注目され、研究されるようになりました。
 高野山奥の院の高く繁った杉木立のなかの細い道には、敵も味方もいり交じり、時代も宗派もさまざまな多くの苔むした墓標がつづいています。ここに、キリスト教やイスラム教の墓標も入ることがあるだろうかと夢想しながら、高い杉木立の上に浮かぶ天を見上げながら歩きました。

写真 高野山奥の院の杉木立



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