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今月のことば

2017年6月 ビジュアル・ナラティヴ

 私が今、もっとも関心をもっているのがビジュアル・ナラティヴです。ナラティヴ(もの語り)とは、広義の言語によって語る行為と語られたものをさします。広義の言語のなかには「ビジュアル」も含まれます。しかし、視覚的イメージによって語る行為は、狭義の言語によって語る行為とは大きく異なります。
 たとえば言語は時間系列から自由になれません。音声で語るにしても、文字を書いて語るにしても、時間順序があってことばとして成り立ちます。特に欧米の言語ではそうです。たとえば、"I love you"という短い文章でも、「主語→述語→目的語」という順序を逆転することはできません。"You love me"だと意味がまったく違ってしまうし、"I you love"だと意味が成り立ちません。
 狭義の言語は、かたい概念がもつ既成のイメージや価値観を再生産しやすく、おもに論理構造で構築されます。「白」の反対語は「黒」と決まっています。黒っぽい色を勝手に「シロ」と呼ぶことはできませんし、白は「潔白」「白無垢」「白鳥」、黒は「腹黒い」「喪服」「黒鳥」など、常識的な価値概念から抜け出ることも難しいです。
 ビジュアルな表現は、イメージからイメージとして感性が伝わるので、より自由度が高くなるように思われます。大空を羽ばたくぴかぴか光ったカラスの濡れ羽色は、ゴミ漁りをするカラスから、一気に高貴な神話と伝説を伝える賢い黒い鳥の、もうひとつのイメージを浮かび上がらせます。この世のはじまりにして終わりの「黒」、そう、老子が「玄のまた玄」と言ったのも黒色でした。
 6月にシアトルで開催された国際学会「グラフィック・メディスン(医学)」も、ビジュアルな表現で、価値観の逆転や多様な価値観を提示するこころみであふれていました。お腹が割れて臓器が天に向かって飛び出していたり、精神を病む身体が虹色に包まれていたり、身体中が機器とむすばれたコードにつながれていて「もはや私の身体ではない」と叫んでいたり、生まれた性を受け入れられない思春期の女性の乳房が血を出していたり・・・。「病い」の当事者の表現の多彩なこと、「病い」とはこんなにも豊富で多彩な経験をもたらす、貴重な経験なのだと改めて認識させられました。
 この学会では、医師や看護師や教育者など、ケアに携わる医療者のほうが患者よりも劣勢になったりします。昨年イギリスで開催されたときに親しくなったカナダで地域医療をしている女性医師から、彼女が描いたイラスト・ブックをもらいました。彼女は新しい絵も発表しており、そこには、「栄養こそ医療」というスローガンのもとで、患者に食事をすすめる医師の姿が描かれていました。指示に従わずに頑固に食事をしない患者に「そんなに自分で自分をコントロールできるのなら、もう退院してもいいわね」とつぶやく医師と、「患者にはかなわないね」といわんばかりに、病院の外でしょんぼりする「アライグマ」が印象的に描かれていました。苦い経験でも、ユーモアをもって外在化できること、これがビジュアル・ナラティヴの利点でしょう。
 「精神の病い」を体験した当事者である夫と、家族である妻が、それぞれ「病い」の体験プロセスや人間関係の変化を描いたイラストも興味深いものでした。当事者でないとわからない多様な経験を多様なままに微妙なニュアンスも含めて表現ででき、他者の気持ちを共感的に了解しやすくなること、それもビジュアル・ナラティヴのもつ大きな利点でしょう。

(写真上 妻が描いた「精神の病い」になった夫の絵)
(写真下 夫が描いた「精神の病い」になった自分の絵)
(夫婦ともにイラストレーター、Graphic Medicineの研究発表より)



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