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今月のことば

2018年2月 おらおらでひとりいぐも――かさねる時と声

 芥川賞を受賞した63歳の新人、若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』を読みました。東北弁の「ひとりごと」の題もすてきですが、ひさしぶりに小説を読むよろこびを満喫しました。繰り返し読んでみたいと思う小説は少ないけれど、この小説は読みやすくて、読み直すたびに、新しい発見があっておもしろい。
 私とは生きてきた時代や、老いの心境が近くて共感しやすい。でも、単なる老いの文学ではありません。これは、ひとり語りを多声的に描いたロシアの文豪ドストエフスキーの『地下室の手記』に匹敵するものでしょう。旧来の西欧哲学の基本「個人」や「自己」という概念に挑戦する野心的な作品です。
 バフチンの多声対話(ポリフォニー)論や、同一性をもつ単一の主体としての「自己」概念を批判する複数形の「もの語り的自己(ナラティヴ・セルブズ)」論、それらの理論を作者は知っているのか、そうでないのかわかりませんけれど。
 桃子さんが東北弁でかさねる多数の「もうひとりの自分」との対話は、絶妙です。なかなかどうして、たいしたものです。読んだ人にも、いつのまにか桃子さんの口調がうつって、桃子さんと対話するようになります。

 だいじょうぶだ、おめには、おらがついでっから。おめとおらは最後まで一緒だがら
 あいやぁ、そういうおめは誰なのよ
 決まってっぺら、おらだば、おめだ。おめでば。おらだ。
(『おらおらでひとりいぐも』河出書房新社 3頁)

 あらゆる内的なものは自足することなく、外部に向けられ、対話化される。いかなる内的経験も境界にあらわれ、他者と出会う。この緊張にみちた出会いの中に、内的経験の全本質が存する。これは(外面的でも、物質的でもなく、内面的な)社会性の最高段階である。この点でドストエーフスキイは、あらゆる退廃主義的・観念論的(個人主義的)文化(--それは出口なき孤独に至る――)に対立する。(バフチン『ことば・対話・テキスト』250頁 新時代社)

 70年の時空を超えて、何ども「おらの眼(まなぐ)は開いだるか」と聞く白内障になったばっちゃまの声が聞こえてきます。子どものときには、わからなかったことが、今になってわかるのです。そのばっちゃまが、今では桃子さんと道連れになる「同行者」になります。

 同じだな、この先何如になるべか、不安はおらばり、つまりおらばかりでねのす。同じだ。たいていのことは繰り返すんだな。ばっちゃまとおらは七十年隔てた道連れだな。(『おらおらでひとりいぐも』12頁)

 ナラティヴ(もの語り)とは、ブルーナーがいうように「意味づける行為」です。私が『喪失の語り』で展開してきた論理を、桃子さんは伴侶の死の経験から導き出します。「耐えがたく苦しいことが身の内に起こったとき、その苦しみに意味を見出したい。」「意味さえあれば、我慢もできる」

 周造はおらを独り生がせるために死んだ、はがらいなんだ。周造のはがらい。それがら、その向こうに透かしてみえる大っきなもののはがらい。それが周造の死を受け入れるためにおらが見つけた、意味だのす。(『おらおらでひとりいぐも』137頁)

 『おらおらでひとりいぐも』で桃子さんがたどり着いた境地は、エリクソンが「老年期」に記したことばと何と似ていることでしょうか。本の帯には「青春小説」の対極「幻冬小説の誕生」とありました。幻冬小説とは。「歳をとるのも悪くない、と思える小説」のことだそうです。
 桃子さんと共に私もこれから新しい「老いの哲学」をつくりあげていきたいものです。気づいてみれば、それも先人がすでに記していたもの語りの「語り直し」かもしれないのですが、使い古されたことばの重みも自分の痛みをともなう経験を通さないと分かってきません。時空を超えて、ここに今いる人ともいない人とも、そして想像上の自己とも他者とも声をかさね、語り直し、語り直しながら生きること、桃子さん、すてきな人生がまだまだ待っていますね。

 老いとその先にあるものは、いかな桃子さんであっても全く未知の領分、そして知らないことが分かるのが一番おもしろいことなのであり。これを十分に探究しつつ味わい尽くすのが、この先最も興味津々なことなのだ。(『おらおらでひとりいぐも』146-147頁)

 しかし、われわれは、長く生きるほどに、何とわずかなことしか知らないのか、を教えられる。・・・成長して年を重ねるということは面白い冒険であり、まさに驚きに満ちている。(エリクソン『老年期』みすず書房362頁)

(写真)玄冬に花ひらく白梅



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