学術と政治(4)
有識者懇談会「最終報告書」の問題性をめぐって
兵藤友博
通常国会に日本学術会議「法人化」法案が上程され、審議されている。この法案が
可決されれば、同会議が75年保持してきた独立性・自律性が毀損され、日本の学術体制
は取り返しの付かない事態を迎えることになる。
1)「最終報告書」のタイトルは適正なのか
アカデミーの目指す方向とは 昨年末まとめられた「日本学術会議の在り方に関する有
識者懇談会」の「最終報告書」のタイトルは「世界最高のナショナルアカデミーを目指
して」である。議事録には「法人化によってより良い役割発揮が達成されて、国民の理
解と支持を得ながら伸びやかに発展していく、そういう学術会議の輝かしい未来の姿が
感じられるようなタイトルにしたいということです。これで成功しているかどうかは分
かりませんけれども」と記されている。「より良い役割発揮」というのは学術会議が
2021年春の総会で発した「報告書」の核となる趣旨を表したものである。しかし、この
4年間の学術会議「改革」をめぐる「政策討議」「有識者懇談会」の議論は同会議の意
とは行き違ったままで、成功しているとは言い難い。
思うに、何をもって「世界最高」というのか明示されていないが、大学ランキングのよ
うな相対評価でナショナルアカデミーのランキング付けでもするのだろうか。それこそ
笑いものである。「世界最高」などと形容することは、真理性と国際性を旨とする学術
の世界にはなじまない。
2)「あるものの探求」と「あるべきものの探求」が企図すること
さて、「最終報告書」の「使命・目的等」の項には、「国から独立した組織として発
展していく学術会議の将来を展望するとき、学術会議には、狭義の『科学』にとどまら
ず、『あるものの探求』と『あるべきものの探求』を両輪としつつ、哲学や倫理などの
視点も交えて学術の在り方を問い直し、学術の方向性や社会との関係も含めてその統合
を志向するような俯瞰的な議論」が求められるという。「国から独立」というのはいわ
ゆる独立性のことを指しているのではなく、法人化によって国(政府)の機関ではなく
なることを指している。
「社会のための科学」の強調
ところで、上記の「『あるものの探求』と『あるべきも
のの探求』を両輪としつつ、哲学や倫理などの視点も交えて…その統合を志向するよう
な俯瞰的な議論」とは何か。調べてみたところ、有識者懇談会の岸輝雄座長が当時メン
バーであった日本学術会議・科学者コミュニティと知の統合委員会の対外報告「提言:知の
統合―社会のための科学に向けて」(2007.3.22)に、「あるもの」「あるべき」は、
「存在」「当為」に対応し、前者は「認識科学」、後者は「設計科学」によって探究さ
れるとの趣旨が記されている。当時の学術会議においてこうした理解は「ほぼ定着して
」いたとされる(注1)。
この時期、中央教育審議会答申「我が国の高等教育の将来像」(2005.1.28)が提言
され、「社会貢献の役割を、いわば大学の『第三の使命』としてとらえていくべき時代」
であると記した。次いで、第3期科学技術基本計画で「イノベーター日本」なるキャッチ
フレーズでイノベーション政策がとられ、社会のための科学が強調される時期に当たる。
societyの意味
それ以前、前記の対外報告とは別に日本学術会議の「学術の在り方
常置委員会」が、「社会のための科学を」を意識した報告「新しい学術の在り方―真の
science for societyを求めて―」(2005.8.29)をまとめている。そこには「科学者
は何よりも『普遍的人類価値』―さらには『地球上の生体系全体の価値』―や『科学的
真理』を追究するものであり、時に『国益』と『普遍的人類的価値』や『科学的真理』
とは相容れない場合も存在する……science for societyにおけるsocietyは、狭く
一国のことではなく、人類全体のsocietyの意味に解さねばならない」との意が記され
ている。
前者の対外報告では、「あるべき」という社会的効果を意識した科学の在り方を強調さ
れているのに対して、後者では、一国ではなく人類全体なのだという社会の枠組みをどう
捉えるかにあるとの見地が指摘されている。
学術と社会の関係をどう考えるか
そのことはともかくとして、最終報告書には、日本
学術会議は「法人化」によって「新たな学術会議」に生まれ変わるのだとの方向性が示
されている。これは筆者の仮説的な推測ではあるが、学術会議は「あるものの探求」と
「あるべきものの探求」との連携促進によって、後述するような「社会のための科学」
という「科学の使命」を果たすことにあるというのだろうか。それにしても、この整理
はどう学術とその社会との関係を包摂しえているのだろうか。たとえば、2023年12月18
日の有識者懇談会の「中間報告」には、1999年のブダペスト宣言「科学と科学的知識の
利用に関する世界宣言」(ユネスコと国際科学会議の共催)に関わって次のような趣旨
のことが記されている。
「Science for Scienceは『知識のための科学』を意味すると考えられる。しかし、ブ
タペスト宣言は、その表題にあるように、科学と科学知識の『利用』に関する宣言であ
り、科学の使命を述べているわけではない。むしろ本懇談会では、ブダペスト宣言の掲
げる『社会における科学と社会のための科学』をどのように推進するかについて、学術
会議がより積極的な役割を果たすべきという意見が多く聞かれた。」とある。
ここには、科学と科学知識の利用ではなく「科学の使命」なのだとの見地が示され、同
宣言の「社会における科学と社会のための科学」を推進することが学術会議の役割とし
て整理されている。そして、この役割の整理に関わって、2024年7月29日の有識者懇談
会の「これまでの議論と今後の検討(未定稿)」において、先に紹介した「最終報告書
」の記載に通ずる、「Science for science(あるものの探求)、Science for society
(あるべきものの探求)を両輪とし、その統合を志向する俯瞰的な議論」するとのフレ
ーズが登場する。
はたして懇談会の議論は整合しているのだろうか
というのもブダペスト宣言が引き合いにされているが、いささかブダベスト宣言の内
容の理解が表層に陥っている感がする。懇談会では、「知識のための科学」、「社会の
ための科学」などのフレーズが注目されているが、実は通常話題となる論点は、少なく
とも「知識のための科学:進歩のための知識」、「平和のための科学」、「発展のため
の科学」、「社会における科学と社会のための科学」である。しかも、これらの論点が
包摂している内容は、知識や科学、進歩、平和、発展、社会のカテゴリーにとどまらな
い。生命維持システム、倫理的規制、人の権利と尊厳、全地球的価値、等々の見地を内
包している。にもかかわらず、「最終報告書」は「知識のための科学」と「社会のため
の科学」に注目し、「あるものの探求」と「あるべきものの探求」の二つに焦点化する。
「最終報告書」は、二つの探求を両輪としつつとはしているが、学術会議は「あるべ
きものの探求」としての社会還元のための探求に力点を置くべきだということを言いた
いのだろう。このことは、以下に示す、この間の政府の基本政策の移り変わりを反映し
たものといえる。
注1.「ほぼ定着して」いたと評されているのは、次の報告書によるところと判断される。
参考:日本学術会議 運営審議会附置新しい学術体系委員会「新しい学術の体系 --- 社会のための学術と文理の融合 ---」
⇒>
3)「科学や学術の営み」と「活動や運営」との区別、その狙い
日本学術会議は2021年4月、「日本学術会議のより良い役割発揮に向けて」を公表し、
ナショナルアカデミーの5要件を整理し、自主改革の姿勢に取り組むことにした。一方、
内閣府の総合科学技術・イノベーション会議有識者議員懇談会「日本学術会議の在り方
に関する政策討議」は、2022年1月「取りまとめ」を発し、「法人化」と「国の機関」
との両論を記した。そして、その年12月「日本学術会議の在り方についての方針」、
それに続く「(具体化検討案)」がまとめられた。そこには「日本学術会議を国の機関
として存置」するとし、「法人化」については「改正法の施行後3年及び6年を目途とし
て、…最適の設置形態となるよう所要の措置を講ずる」と含みをもつ記載を示していた。
日本学術会議は、この含みのある改革方向について異議を示してもいたが、2023年4月、
勧告「日本学術会議のあり方の見直しについて」と声明「『説明』ではなく『対話』を、
『拙速な法改正』ではなく『開かれた協議の場』を」公表した。だが、政府は学術会議の
提案のその真意を受けとめることなく、「国の機関として存置」することを反故にして
「法人化」にすげ替えた。すなわち経済財政諮問会議(閣議決定)で、日本学術会議の
「法人化」を目指す有識者懇談会を発足させた(参照、本HPの「学術と政治(5)日本学術
会議「法人化」問題の経緯と本質とは」)。二者択一どころか「国の機関」では限界があり
「法人化」が望ましいとの論理立てで、学術会議に迫り、その途上からガバナンス統制の
議論を仕立てた。政治の側の政治的都合に対する思量を確認できるものの、学術と社会に
関する思慮はなされた形跡は見られない。
こうした思量は、次のような趣旨の方針:第5回有識者懇談会の提示資料「法人
化の場合の基本的な考え方 (2023年11月9日)」に見出すことができる。その有識
者懇談会で笹川大臣官房総合政策推進室室長が、組織形態を機能や役割との関連で見ると、
「科学や学術が独立と自律を旨とする営みである」ことから、科学者で構成される学術会議
は「独立して職務を行っている」のだけれども、「活動や運営に関する独立性の制度的な担
保を徹底する…、政府、社会、国民とのコミュニケーションの結節点とか対話という役割に
ふさわしい組織形態は何かと考えたときに、学術会議は政府から独立した法人とする(と)、
…柔軟な組織運営も可能になる…独立性・自律性の担保というものを徹底して、活動の自由度
をとことん高め」られるのだと発言している。
ここには独立性・自律性の問題は、「科学や学術の営み」と「活動や運営」とで区別し、
法人化することで柔軟な組織運営が可能となり、活動の自由度も高められるのだとされている。
最終報告書の文面はこの「科学・学術」と「活動・運営」を対比的に整理する考え方を踏襲し
ている。思うに、こうした区別をしておいて「科学や学術の営み」は別次元の事柄だと切り離
して、学術会議を法人化することで「国の機関」という行政府の制約から外せば、その「活動
や運営」は自由になるから独立性・自律性が確保されるのだとの見地が示されている。
この見地は、現行の日本学術会議法が示している「独立して職務を行う」という真意を理解
しない、妥当性をもつものではない。というのも、科学・学術は二重に規定される、すなわち
科学・学術はその対象としての自然・社会から規定されるのだが、この「科学や学術の営み」
の対象的規定性は「活動や運営」という社会的部面からもその影響を受け規定される。従って
「科学や学術の営み」と「活動や運営」とを単純に区別できるものではない。ではあるが、
その根底にはこのようにひとまず区別しておけば、「活動や運営」に行政(政府)がガバナンス
統制を介して関与してもかまわないとの意が見える。
第11回有識者懇談会では組織制度WG主査の五十嵐仁一(元ENEOS総研株式会社代表取締役)が、
「活動・運営の高い独立性を前提とした上で、科学の進歩と社会の変化が日本学術会議の活動・
運営に自律的に反映されるとともに、国民の理解・信頼の確保に必要な高い透明性と自律的な組
織に必要なガバナンスが担保されるよう」という、政府の方針を踏まえて議論を進めていると発
言している。筆者は基本的には当該有識者懇談会の審議に準ずるのが筋だと考えるが、政府の方針、
意向に従って進めていると発言している。そしてなお「組織のガバナンスや透明性はどのような
組織にも必要ですが、学術会議は特別な地位、つまり我が国を学術的に内外に代表する立場、政府
に対する勧告権などを認められている組織です。より高い透明性と自律的な組織に必要なガバナン
スが求められます。」とまで述べている。
ここで「高い独立性を前提」といっているのは、学術会議を構成するメンバー(科学者)がそれ
ぞれ担っている「活動・運営」のことで、「日本学術会議の活動・運営」とは区別できる別次元の
ものであるとして、それはそれで科学者は努めるべきで、それを前提として学術会議の「活動・運
営」に携わればよいのだとの見地に立つものといえる。また、学術会議が「特別な地位」にあるこ
ととガバナンスの必要性とは等価ではない。
一般にリソースといえば、人材や研究成果・蓄積、施設・設備、資金があげられる。これらは
研究環境・条件を規定するが、目下の学術会議の法人化改編は法制の改編であるが、関連政策・
研究制度・組織の改編は研究の自由、研究意欲を含む学術研究の気風に大きな影響をもたらすも
のである。しかし、有識者懇談会は上述のような認識をもって学術会議のガバナンス統制、その
法制的措置を是としている。
4)学術の公共性を活かす学術体制が求められている――何のためのガバナンスか
ガバナンスとはギリシア語の舵取りの意kubernan、ラテン語のgubernareに由来する。有識者懇談
会の最終報告書には、ガバナンスが重ねて書き込まれている。「法人形態」の項で「我が国におい
ては、国による財政的支援とガバナンスへのコミットメントとはトレードオフの関係にあることも、
ヒアリング等を通じて明らかになっており、問題はない」、「会長等」(資質)の項で「組織マネ
ジメント及びガバナンスに係る能力・経験(学術的機関の指導的地位における活動実績)」、また
「活動・運営の評価等」の項では「評価・監事は学術会議の活動(提言など)の学術的な価値を判
断するものではなく、使命・目的(に)沿って活動 していることを国民に説明するためのガバナン
スの設計方法の問題であるから、委員や監事の主務大臣任命と矛盾するものではない」、さらに
「監事」の項では「監事と運営助言委員会との適切な連携を図ることで、全体として適切かつ良好な
ガバナンスの維持・向上が期待できるのではないかとも考えられる」と記されている。ガバナンスと
いう言葉をかざしているが運営統制に問題はないとの論調である。
しかし、ガバナンス論は注意を要する。ガバナンスといっても、市民社会のアクターの多元性による
分権化を意図した、政策ネットワークの役割に注目した社会中心的なガバナンスのようなものもあれ
ば、一方で 国家は経済的場面や社会的場面でただ単に結果を引き出すことを優先し舵取りできるよ
うな指向性を持てる。すなわち、国家中心的な旧然としたガバナンスとして理解するものもある。
ここでのガバナンス論は後者に分類されるものである。組織内部的舵取りなのか、組織外部的舵取り
なのかで、指示系統は大きく異なる。外部関与の統制が仕込まれ、権力による組織内部に対するヒエ
ラルキー的統制となれば、意味合いは異なる。
確かにガバナンスは組織体の自律的なアクター間の調整のことともいわれるが、外部からの関与で
組織内のアクターの調整やアクター間の評価をするというのでは、ガバナンス概念のすり替えである。
なお、有識者懇談会の「最終報告書」の場合に注意を要するのは、たとえば「国民から負託される
使命・目的に沿って自律的に活動・運営し、国民から求められる機能・役割を発揮すること」との
フレーズに見られるように、国民の負託、信頼、理解、支持等を名分に、すなわち公共性の装いをま
とわせて忍び込ませる。この場合の「国民の理解・信頼」は、察するにその実は政府との課題意識の
共有などのことを指しているのと思われるが、具体的にどういうものか、示されていない。
参考1.有識者懇談会の各回議事録における「ガバナンス」というワードの出現頻度は下記の通り(第○回開催期日/回数)である。
第1回230829/1回、第2回230906/0回、第3回230925/0回、第4回231102/1回、
第5回231109/1回、第6回231120/1回、第7回231130/6回、第8回231213/1回、第9回231218/2回、
第10回231221/3回、第11回240607/9回、第12回240729/9回、第13回241129/6回、第14回241213/3回、第15回241218/1回
参考2.有識者懇談会・組織制度WGの各回議事要旨における「ガバナンス」というワードの出現頻度は下記の通り(第○回開催期日/回数)である。
第1回240415/4回、第2回240208/5回、第3回240522/5回、
第4回240527/19回、第5回240624/16回、第6回240711/12回、第7回240722/5回、第8回241016/24回、第9回241105/22回、第10回241205/8回
5)日本学術会議「改編」への焦点化と学術への政治介入
安倍政権下の第5期科学技術基本計画(2016〜2020年度)以降、基本計画の中に日本学
術会議の役割が書き込まれるようになった。日本学術会議は、総合科学技術・イノベー
ション会議と連携して、「科学技術イノベーションに関連する様々な制度の改革や整備
の調整等についてスピード感を持って推進する」、上述までの文脈に即して言えば、認
識科学を束ね、設計科学としての「政策のための科学」を政府省庁と連携すること、そ
してまた第6期科学技術・イノベーション基本計画(2021〜2025年度)には、「日本学術
会議に関する我が国の科学者の代表機関としてより良い役割を発揮するための今後の具
体的な改革の進捗を踏まえた上で、日本学術会議に求められる役割等に応じた新たな連
携関係を構築する」のだと、組織制度における改編を狙った記載へと転じている。
すでにその前年2020年12月9日の例の自由民主党政務調査会・内閣第2部会・政策決定
におけるアカデミアの役割に関する検討PT「日本学術会議の改革に向けた提言」には、
日本学術会議の設置形態について「独立した法人格を有する組織とすべきである」が記さ
れており、第6期基本計画の「新たな連携関係」の構築は、この自由民主党のPTの提言を
反映したものである。
というのも、「日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会」設置に際して.その趣旨
として「日本学術会議が、学術の進歩に寄与するとともに、国民から理解され信頼される
存在であり続けるという観点から、『経済財政運営と改革の基本方針 2023』(令和5年
6月16日閣議決定)を踏まえ、日本学術会議に求められる機能及びそれにふさわしい組織
形態の在り方について検討するため」としている。ここには「経済財政運営と改革の基本
方針 2023」を踏まえてとされている。
有識者懇談会は手順を踏んで「法人化」を提言しているというのだろうが、これ自体も
内閣総理大臣を議長とする経済財政諮問会議の施策の方向性に沿い、基本的に自由民主党
のPT の提言内容を取り込んだものである。前述のように、これは政府・政権党にとって
都合のよい組織へと変質させるものである。これを学術への政治介入と言わないで何を政
治介入というのだろうか。
今次の「最終報告書」に記される「あるものの探求」と「あるべきものの探求」は、哲学風の印象を放っているが、
「科学の使命」を対比的二分法に集束させた「法人化ありき」のポリティカルなレトリッ
ク的表現に見える。「最終報告書」は、学術会議との協議も終息していないが、法人化に
よって変質し大変な事態が到来することへのおそれをしらないもので、その問題点を大いに
指摘すべきである(参照:拙著、学術と政治(5) 日本学術会議「法人化」問題の経緯と
本質とは)。
先に触れたブダペスト宣言は《科学者共同体と政策決定者の民主的な議論を通じて一般
社会の科学に対する信用と支援を強化する》ことの必要性を説いている。留意すべきこと
は、学術的真理性は、政治的都合によるのではなく、学術の側の意、すなわち独立性を尊
重して成立するものである。にもかかわらず、有識者懇談会の審議及び策定された法案が示
すように、学術の側の意を理解しようとしない政策決定者は何としても科学者共同体を統
制せんとしている。
閣議決定された「日本学術会議法案」は、会員選考や運営などに対して干渉、統制する
条項を配置し、報告と罰則規定を設けて、科学者の代表機関たるナショナルアカデミーの
根幹を揺るがす、問題性が指摘されている。これは外部の関与によるナショナルアカデ
ミーの組織統制を法制化によって合理化し、科学者共同体の言論、活動の独立性、自律性
を損なうものである。このようにして「学問の自由」を毀損する法規制は、未来世界を拓
く学術と学術体制のパフォーマンスに取り返しの付かない歪みをもたらす(注2)。
なお、それらの事態にとどまらず、次代を担う研究者養成から学生を遠ざけ(注3)、
そしてまた、科学的知性の国外流出を促しかねないものとなりかねないともいえる。「法案」
の採否は国会審議によるが、その帰趨は科学者社会のみならず市民社会の意、マスコミを
含む世論の動向にかかっている。
参考、日本学術会議は、総合的な提言として「日本の展望―学術からの提言2010」や「未
来からの問い 日本学術会議100年を構想する」(2020)などを発している。
注2.実は、このような学術を抑制する政府の政策は今回が初めてではない。中央教育審議会が答申「我が国の高等教育の将来像」
で「大学の第3の使命」として「社会貢献」を説いたのは2005年のことであるが、これが実質的に本格化したのは
2010年代である。第4期科学技術基本計画で「科学技術イノベーション政策が説かれ、文部科学省は2014年、
「人材育成・イノベーションの拠点として、教育研究機能を最大限に発揮していくため
には、学長のリーダーシップの下で、戦略的に大学を運営できるガバナンス体制を構築すること
が重要である」として、組織機構の改編を「通知」した。さらに、2015年には改正・学校教育法・国立大学法人法
を定め、「学長の求めに応じ意見を述べることができる」と教授会の役割を狭め、学長の意思
決定にゆだねる「集権的ガバナンス」を強めることを策した。法律が民主主義運営に規制をかける
事態が展開された。そして一方で、経済界は、大学に対して営利事業を旨とする企業と並ぶ産業体となることを
提言し、企業経営を学び、産学連携どころではなく産に対して学の従順を説くようになった。大学運営は
大学経営となった。
注3.参考情報:学位取得者の国際比較(出所:科学技術指標2024)
⇒>
が示すように、日本の人口100万人当たりの博士号取得者数は相対的に低位にあり、
ことに21世紀に入って博士号取得者数の推移は漸減、横ばい状態となり厳しい事態が続いている。
その転機は2007年前後である。ちなみに、博士課程入学者数は2004年頃より漸減しているのだが、
学校教育法が見直され、助教授が准教授に名称変更、加えて任期を定められた「助教」職が
制度化されたのは2007年である。
これはなお検証を要するが、博士課程の学費・生活費の捻出をどう賄うかということもあるけれども、この
制度変更は学生の将来不安の要因となり、博士号取得者数の前記に指摘した厳しい事態を払拭できていない
ことを示している。参考に下記情報を掲げておく。文部科学省の調査
⇒>
によれば、近年の学部卒の就職率は70%台後半(自営業主等、無期雇用労働者、雇用契約期間が一年以上
かつフルタイム勤務相当の有期雇用労働者及び進学者のうち就職している者を含む)に対して、博士後期課
程修了者の就職率は70%程度(前記の学部卒と同じ)、進学でも就職でもない進路未定とみられる者21%前後
(進学準備中の者、就職準備中の者、家事の手伝いなどを含む)とのことである。
また、日本の大学に見られる次のような事情に留意することも欠かせない。日本の大学のS(学部所属学生数)/T(当該学部所属教員数)
比率は大きく、学びに対する指導のきめ細かさが薄れるのだが、このS/T比率を下げれば、博士等の学位を取得した者たちの
ポストを確保でき、学生の学びの質も向上する。
(2025年2月5日記、2月15日加筆、4月25日注加筆、5月28日更新、10月25日3)4)加筆)
○参考ページ:学術と政治(2) 日本学術会議の「独立性」を掘り崩し、学術の国策化を狙う「法改正」に反対の意を示そう>
⇒>
○参考ページ:学術と政治(5) 日本学術会議「法人化」問題の経緯と本質とは>
⇒>
>