立命館法学 2000年1号(269号)


◇学位論文審査要旨◇

蛯  原  健  介

「法律による憲法の具体化と合憲性審査
−フランスにおける憲法院と政治部門の相互作用−」

審査委員

上田 寛
中島 茂樹(主査)
山下 健次





  論文内容の概要


1  学位請求論文の構成と問題意識

  申請者から提出された審査対象論文は、「法律による憲法の具体化と合憲性審査−フランスにおける憲法院と政治部門の相互作用−」と題する、これまで発表した四本の論文に序論と結論をつけた四〇〇頁を越えるものであり、従来の慣例に従った形式的基準を満たしていることを確認できる。
  申請者がこの論文で憲法の具体化と合憲性審査のあり方に着目したのは、従来、わが国の違憲審査研究においては、いかなる基準でかつどのような方法で司法審査を行うかという訴訟技術上の問題に議論が集中する傾向がみられ、合憲性審査に対する政治部門の立法的対応の問題を含む、違憲審査機関と政治部門の相互作用の問題については、十分に検討されてこなかったということにある。また、研究対象としてフランス憲法に着目したのは、従来違憲審査制の導入に極めて消極的であったフランスにおいて、一九七〇年代以降、憲法院が人権保障活動を展開し、政治部門の立法を積極的にコントロールしてきた結果、政治部門による豊富な対応事例がみられ、その研究がわが国の問題状況を考えるうえで多くの示唆を与えるという理由に基づいている。
  論文の構成としては、まず第一章「法律による憲法の具体化と合憲性審査−フランスにおける憲法院と政治部門の相互作用−」において、フランス憲法院判例にたいする政治部門の対応を概観し、対応の実態を分析するとともに、対応のあり方をめぐる学説の議論を検討する。つぎに第二章「憲法院判例における合憲解釈と政治部門の対応−憲法院と政治部門の相互作用の視点から−」において、憲法院と政治部門の対応のあり方が問題となる留保条件付合憲判決について検討する。さらに第三章「フランス行政裁判における憲法院判例の影響」において、憲法院判例にたいする行政裁判所の対応を分析する。そして第四章「合憲性審査と立法的対応に関する一考察−違憲判決と『メッセージ』型合憲判決にたいする対応」において、わが国における司法と政治部門の相互作用の問題を考察する。最後に、結論として、現代国家における違憲審査機関と政治部門の相互作用のあり方につき、「フランス法研究を通して明らかにされる現代国家の普遍的課題」を提示し、あわせて今後検討すべき研究課題にも言及している。

2  論文の要旨

  (1)  序論では、論文の基本的な視点と問題意識を明らかにしている。わが国の違憲審査制をめぐる問題状況につき、申請者は次のようにいう。司法と政治部門の相互作用のあり方として、憲法判断をおこなう司法−とりわけ最高裁判所−が政治部門の立法のコメントロールに消極的であるという現状認識から、政治部門にたいする司法の「対抗関係」の確立が繰り返し強調されてきた。しかし、立法府など政治部門の積極的対応を通しての人権保障という観点から見た場合、最高裁判所の憲法判断がかならずしも「最後のことば」とはいえない以上、そのような意味での「対抗関係」が実現しさえすれば直ちに問題が解決されるということにはならない。かりに司法が政治部門の立法を積極的にコントロールしても、政治部門が司法の判断を無視して、法改正など必要な応諾措置をとらなかったり、あるいは、その判断に反発して、さまざまな「対抗措置」−憲法改正、裁判官の再任拒否等々−に訴える可能性も否定できない。したがって、司法の積極的コントロールによって実現される「法律にたいする人権保障」は、それだけでは完全な問題解決にいたりえない場合もあり、そのような意味で決定的な限界をともなっているといえる。かくして、かつての夜警国家とは異なり、現代国家における憲法の具体化が、違憲立法の排除だけでなく、立法府や行政府など政治部門の積極的行為によって果たされることを考えてみても、司法の憲法判断にたいして政治部門がいかに対応するか、いいかえれば、司法の判断を受けて、政治部門が「法律による人権保障」をいかに実現していくかの問題を見落とすわけにはいかない、と。

  (2)  第一章「法律による具体化と合憲性審査−フランスにおける憲法院と政治部門の相互作用−」では、法律の審署に先立って憲法判断を行うという意味でまさしく立法過程のなかに置かれた憲法審査機関であるフランスの憲法院に対し、政治部門がいかに対応しているかを分析するとともに、憲法院と政治部門の相互作用をめぐるフランスの議論を参考にしながら、相互作用のあり方についての検討がなされる。
  (2ー1)  まず、大革命以降、人権保障のあり方として、議会における「法律による人権保障」が主流をなしていたフランスでも、一九七〇年代に憲法院の合憲性審査が活性化して以来、それを通した「法律に対する人権保障」の定着がみられることを確認し、現在では、このような憲法院の活動についての好意的評価が一般的であることが指摘される。しかし、そこでも「法律に対する保障」が「法律による保障」にとってかわり、憲法具体化における政治部門の役割が軽視されているわけではなく、「法律による保障」も新たな現代的相貌をもって現れていることが注目されるとする。
  (2ー2)  つぎに、憲法院判例を詳細に分析しながら、これに対する政治部門の直接的・間接的対応の実態を究明し、立法府などの政治部門が必要な立法的対応を直接的・積極的に実現していることが指摘される。加えて、憲法院判決に先行する立法過程においても、法律が憲法院に提訴され、違憲と判断されないように、政治部門がいわば間接的対応をこころみていること、また、憲法院のコントロールが及びえない問題についても、政治部門が憲法的価値の積極的解明に努め、合理的な立法政策を通じて「法律による人権保障」の実現をはかる場合があることが明らかにされている。
  (2ー3)  さらに、フランスの論者が憲法院と政治部門の相互作用の実態をいかに把握・評価し、そのあり方についていかなる理論を構築しているかの考察にすすむ。そして、代表的な見解は、憲法院と政治部門の相互作用につき、一方では、憲法院が政治部門の立法を厳格かつ積極的にコントロールする必要性を認めながらも、他方では、憲法の具体化のためには、憲法院と政治部門の「対抗関係」を超えて展開される両者の「協働関係」によって憲法的価値がよりよく実現されると主張していることが指摘される(なお、憲法院と政治部門の相互作用をめぐる議論の一部については、申請者が立命館法学二四六号に公表した「フランスにおける『法治国家』論と憲法院」でも紹介がなされている)。
  (2ー4)  以上のような検討をふまえ、相互作用のあり方についてわが国の場合も視野に入れて次のような一定の結論的命題を導く。第一に、違憲審査機関が積極的なコントロールをおこない、違憲判決を下した場合、政治部門は違憲とされた法律をすみやかに改廃することが求められる。わが国においては、政治部門は違憲判決を下した場合だけでなく、下級審で違憲判決が出されたとき、さらには反対意見が付されたときなども、政治部門は、法改正を検討する必要がある。第二に、違憲審査機関が消極的なコントロールにとどまり、合憲判決を下した場合についても、政治部門は対応措置の検討を求められることが少なくない。とりわけ、何らかの立法的対応の必要性を検討し、問題解決に取り組むことが求められる。また、合憲と判断されたものの、法文の不明確性のゆえに留保条件や解釈が付されたときには、政治部門は、憲法の観点から法文の明確化に努めなければならず、さらに、立法に際しては、違憲の疑いをできるだけ少なくするよう求められる。このような相互作用のあり方は、フランスのみならず、現代国家に普遍的に要請されるであろう、と申請者は結論づける。そのうえ、申請者は、次の課題として、わが国の違憲審査制について何が示唆されるかにつき、わが国でも、憲法の具体化を志向する司法と政治部門の「協働関係」の確立が課題となっていること、そのために、いわゆる「メッセージ判決」の評価や、立法裁量論の批判的検討に取り組む必要がある、という指摘がなされる。

  (3)  第二章「憲法院判例における合憲解釈と政治部門の対応−憲法院と政治部門の相互作用の視点から−」では、近年憲法院が多用している合憲解釈付判決における解釈の技術および政治部門の対応について検討がなされる。これは、第一章がフランスにおける憲法院と政治部門の相互作用の問題をいわば総論的に論じ、その主たる分析対象も全部違憲判決・一部違憲判決に対する政治部門の対応状況であって、合憲解釈付判決に対する対応問題は概略的に論じるにとどまっていたので、あらためてこの問題にたいする詳細な検討を試みたものである。
  (3ー1)  まず、合憲解釈をめぐるフランスの代表的な学説(ルイ・ファヴォール、ドミニク・ルソーなど)を取りあげ、合憲解釈の意義と類型化に関する見解を紹介し、また、ティエリー・ディマンノ『フランスおよびイタリアにおける憲法裁判官と解釈付判決の手法』(一九九七年)を手がかりにして、合憲解釈の量的統計分析および質的統計分析が試みられる。その結果、提訴権者の拡大が実現された一九七〇年代後半以降、公法の領域を中心に、合憲解釈の手法が憲法院判例において質的にも量的にもきわめて重要な位置を占めるにいたり、解釈の内容も多岐にわたることが明らかにされる。
  (3ー2)  つぎに、当該法律の規範的効力を制限する「限定解釈」(さらに「無効化解釈」、「中和解釈」に細分される)、当該法律に新たな規範内容を付け加える「建設的解釈」(さらに「付加的建設的解釈」、「代替的建設的解釈」に細分される)、行政機関などの法適用機関に差し向けられる「指令解釈」(さらに「抽象的指令解釈」、「具体的指令解釈」に細分される)という合憲解釈の三類型にそくして、各々の具体例を検討し、いかなる法律の規定にいかなる内容の合憲解釈が加えられているかを分析している。そのうえで、合憲解釈の利用範囲に関するフランスの議論状況(とりわけイタリアと比較しつつ合憲解釈の限界の問題を論じるディマンノの見解)を概観し、また、法適用レベル・立法レベルにおいて合憲解釈が実際的効果をもたらしうることが指摘される。
  (3ー3)  さらに、合憲解釈に対する立法府・行政府など政治部門の対応が問題となった事例(たとえば、一九八二年の国有化法判決、一九八五年の土地整備判決、一九八六年の民営化判決など)を取りあげ、対応の実態を検証し、対応措置が不十分なものにとどまる場合もあることが明らかにされる。さらに、憲法院と政治部門の「協働関係」の観点から政治部門による対応の必要性を強調するギョーム・ドラゴの学説を参考にしながら、対応のあり方とその限界について検討がなされている。なお、政治部門が合憲解釈にしたがった法適用・法改正をおこなっているかをコントロールするのは一般の裁判機関の役割となるが、この点については、次章で詳しく分析されることになる。
  (3ー4)  以上のような検討をふまえ、申請者は、合憲解釈にたいする政治部門の対応のあり方につき、トラゴのように憲法の具体化を志向する憲法院と政治部門の「協働関係」を要請する立場からすれば、たとえ現行制度上、憲法院が合憲解釈にたいする政治部門の対応について直接的にサンクションすることが不可能であるにしても、政治部門は、憲法院が示した解釈にしたがって憲法に適合する法適用に努めるとともに、必要な場合には、解釈の対象となった規定を再検討し、憲法に照らして修正することを望まれると指摘する。また、ディマンノが、合憲解釈の意義を、立法者にたいする批判、立法者の「手落ち」の埋め合わせ、さらには、憲法に適合する法適用の保障にみいだし、その限りで合憲解釈に積極的評価を与えていたことを考えあわせれば、かかる機能が本来の効果を発揮するためには、合憲解釈を差し向けられた政治部門が、必要な対応措置をとらなければならないことは明らかであるとする。いずれにしても、政治部門は、合憲解釈の「合憲」という結果に安住し、対応を怠るのではなく、合憲解釈に含まれるさまざまな意味内容について検討し、その種類・性格に応じて必要な対応措置を選択し、その実現に向けて努力することを求められる。まさしくこのような政治部門の積極的対応を通じてこそ憲法的価値がよりよく具体化される。したがって、政治部門に完全な対応措置を迫り、合憲解釈に適合する法適用を強制するためには、やはり、トラゴが指摘するように、憲法院が、できる限り明確かつ具体的で規範的性格を有する合憲解釈を示すことが前提となる、と申請者は結論づける。そのうえで、申請者は、わが国における合憲解釈の問題にかんし、合憲解釈に対応する具体的対応措置がとられることが少ないという現状認識にもとづき、合憲解釈を政治部門に対応する積極的意味をもった「メッセージ」として把握すべきこと、合憲解釈から立法政策の指針を抽出することによって立法的対応を促進させるべきである、ということを具体的に提言する。

  (4)  一九七〇年代にはじまる憲法院の活性化以降、憲法院が積極的に人権保障活動を展開し、憲法判例を蓄積していくなかで、立法府・行政府といった政治部門が憲法院のコントロールに積極的に対応する傾向が広くみられるようになり、概して、憲法の具体化を志向する「協働関係」が確立されつつあることは、すでに上記の章における詳細な検討から読み取れるところである。ところで、憲法院の積極的活動が及ぼす影響は、政治部門だけに限定されないのであり、現在では、行政裁判所や司法裁判所といた一般の裁判機関も、憲法院の影響を受けざるをえない状況におかれている。そこで、第三章「フランス行政裁判における憲法院判例の影響」では、じゅうらい行政権に対するコントロールを通じて人権保障の役割を担ってきたコンセイユ・デタをはじめとする行政裁判所が、憲法院の積極的活動の下でいかなる影響を受け、憲法院判例にどのように対応しているか、についての解明がなされている。
  (4ー1)  まず、フランス行政裁判における憲法院判例の影響を検討する前提として、憲法院判例の展開が、行政法などさまざまな法領域で「憲法化」といわれる現象を生じさせたことを明らかにし、また、地理的・人的な近接関係、判決形式およびコントロール方法の側面から、憲法院と行政裁判所(とくにコンセイユ・デタ)との関係について形式的な類似性が指摘される。そして、憲法院判決の拘束力の問題を取りあげ、フランスの近時の学説では、ハンス・ケルゼンやシャルル・アイゼンマンの理論が再評価され、これに依拠して判決の拘束力が説明されていることを指摘したうえで、さらに、ルイ・ファヴォール、テイエリー・ルヌーの研究を手がかりにして、判決の拘束力について定める憲法六二条の規定を解釈しつつ、拘束力が発生する要件および拘束力の範囲についての検討がなされる。その結果、最近では、審査に付された法律の同一規定だけでなく、類似する目的を有する規定についても拘束力が判例上認められるにいたったこと、判決主文だけでなく判決理由についても拘束力が生じうること、さらには、合憲解釈も判決主文をみちびくのに必要な判決理由として拘束力が生じうるとする学説が主張されていることが明らかにされる。
  (4ー2)  つぎに、行政裁判所による対応の実態についての具体例にそくした検討がおこなわれる。そして、とりわけ一九六〇年代には、憲法院と行政裁判所の判例上の不一致が指摘されていたものの、その後の憲法院判例の展開にともなって、七〇年代後半から政府委員の論告のなかに憲法院判例に対する積極的対応がみられはじめた(たとえば、一九八四年一〇月五日判決におけるドゥロン論告、一九八五年五月二〇日判決におけるルー論告など)、また八〇年代半ばになると、行政裁判所の判決自体が積極的に対応するようになったこと(たとえば、一九八五年のウテル社事件判決、一九八六年の南物産業・商業銀行判決、パリ市事件判決など)が明らかにされる。さらに、その後、公職就任の平等原理、大学教授の独立性、私学助成、放送などさまざまな領域において、行政裁判所による積極的対応が確認されるにいたり、このような対応の傾向が一般化したとする。
  (4ー3)  以上のような検討をふまえ、申請者は、以前は憲法院と行政裁判所の判例上の不一致が指摘されていたが、一九七〇年代以降における憲法院判例の展開にともなって、一九七〇年代後半から論告のなかに憲法院判例にたいする積極的対応がみられはじめ、その後、一九八〇年代半ばには行政裁判所の判決自体が積極的に対応するようになったこと、さらに一九八〇年代後半以降、その傾向が一層顕著になるとともに、さまざまな領域に広がったことが明らかになった、と主張する。かくして、フランスの行政裁判所は、伝統的に違憲審査権を拒否してきたとはいえ、憲法院判例の影響力が増大しつつある現在では、憲法院判例に照らして行政行為を審査することを余儀なくされており、また、実際に憲法院判例を考慮に入れて判断を下す傾向にあるとされ、それはまさしく、憲法院の影響の下で、フランスの行政裁判所が、行政行為のコントロールを通じて憲法の具体化に寄与する機関となったからである、と指摘し、そのうえで、憲法院が合憲解釈の手法を用いることを念頭に置きながら、「コンセイユ・デタや破棄院による法律・条約の事後的な合憲性審査は、フランスの違憲審査制の論理と実践に取り込まれている。……憲法院は法律の合憲性を事前に審査し、コンセイユ・デタと破棄院は事後的な審査をおこなうといえる」と明言する論者があらわれているのも決して驚くべきことではない、と結論づけている。

  (5)  第四章「合憲性審査と立法的対応に関する一考察−違憲判決と『メッセージ』型合憲判決にたいする対応」では、現代国家における憲法の具体化は、かつての消極国家とは異なり、立法府・行政府など政治部門の積極的行為によって実現されること、違憲審査機関の憲法判断による違憲立法の排除によって問題解決が図られる場合であっても、その判断に政治部門が積極的に対応してはじめて終局的解決にいたる場合も少なくないことを一般的前提としたうえで、これまで全面的に検討することのできなかった、わが国における違憲審査機関の憲法判断に対する政治部門の立法的対応の問題を考察している。
  (5ー1)  具体的には、刑法の尊属殺重罰規定違憲判決(一九七三年)および森林法共有林分割制限規定違憲判決(一九八七年)を受けて、立法府・行政府などの政治部門が実際とった対応についての議会議事録などの立法関係資料にもとづく実証的な検討である。前者については、目的達成手段のみを違憲と解するか、立法目的までも違憲と解するかで裁判官の意見が分かれた点に着目しつつ、一方では、最高裁判決直後に、刑法二〇〇条を適用しないで普通殺の規定を適用するにいたった行政の対応を分析し、他方では、第一三二回国会における刑法二〇〇条の全面廃止にいたる立法過程(とりわけ法務委員会における議論状況)を詳細に検討し、最高裁判決の多数意見・少数意見との関係について論じている。また、森林法違憲判決については、共有林の分割請求権を認める条件をめぐっていくつかの意見が裁判官から出されたが、ここでは、森林法改正の立法過程を分析したうえで、実際にとられた立法的対応がそのような意見に照らして適切であったのか、またたんなる条文の全面削除だけで問題が完全に解決されうるのか、という問題を提起している。
  (5ー2)  申請者は、わが国の憲法判例を詳細にみてみると、立法政策に属する事柄であることを理由に合憲判決が下された場合であっても、司法が、政治部門によって解決されるべき問題が存在することを認識しつつ、政治部門に対して何らかの立法的対応を示唆することが少なくないという。そこで、第二章では、このような「メッセージ」型合憲判決およびその対応問題を取りあげている。そして、「メッセージ」型合憲判決をめぐる積極的評価(山下健次教授、戸波江二教授など)・消極的評価(奥平康弘教授、小林武教授など)の議論を整理し、その問題点や意義を確認するとともに、違憲の疑いのある立法の排除を要請ないし含意する「メッセージ」型合憲判決(国籍法父系優先主義規定判決、税関検閲訴訟判決、非嫡出子相続分差別規定決定)および積極的立法措置を要請する「メッセージ」型合憲判決(台湾人元日本兵戦死傷者補償判決、少年保護事件補償判決、定住外国人地方選挙権判決等々)を分析し、政治部門に向けられた「メッセージ」の趣旨を明らかにしながら、各判決に対する政治部門の立法的対応の現状と問題を検討している。
  (5ー3)  以上のような分析を通じて、申請者は、最高裁判所が、憲法判断については積極的であるものの、違憲判決についてはきわめて消極的であり、「立法の放任」とでもいうべき状況にあるところから、まずは最高裁判所をはじめとして司法が政治部門の立法を厳格かつ積極的にコントロールし、「法律にたいする人権保障」に取り組むことが求められるとする。そして、厳格なコントロールをおこなってもなお立法の裁量にゆだねられるような領域に解決すべき問題が含まれるとき、政治部門にたいして立法的対応を迫る「メッセージ」が出されることが望ましい。厳格にコントロールをおこなえば違憲の結果をみちびくことができるにもかかわらず、あえて「メッセージ」型合憲判決という方法に「逃げる」のであれば、政治部門にたいするインパクトは著しく弱まることになる。このような場合には、政治部門はますます「合憲」という結果に安住し、対応を放置するおそれがある。そして、わが国における「メッセージ」型合憲判決をみてみると、実際には、「メッセージ」というよりは「リップ・サービス」として受けとめられかねないものが数多く見受けられる。したがって、「メッセージ」型合憲判決から政治部門の積極的対応を引き出すためにも、より厳しい内容をともない、政治部門に対応を強く迫る「メッセージ」が付されることが望ましい。もちろん、厳格な審査をおこなえば違憲の結果にいたりうる場合には、裁判所は、「メッセージ」型合憲判決ではなく、遠慮なく違憲判決を選択すべきであろう、と結論づける。
  (5ー4)  そのうえで、憲法の具体化を志向する司法と政治部門の「協働関係」確立のための制度設計ないし提言として、イギリスにおける委任立法両院合同委員会(Joint Committee on Statutory Instruments)や下院委任立法常任委員会(Standing Committee on Statutory Instruments)(委任立法の内容が法律の授権範囲を逸脱していないか、あるいは委任立法が遅滞なく制定されたかどうかを監視する機関)のごとき、判決にたいする立法的対応を検討するための委員会を国会に設置することが有効であると指摘する。けだし、国会は、みずからが可決した法律が、司法によって違憲と判断されたり、何らかの問題点を指摘された場合、立法者として一定の対応を求められるのであるが、このような場合において、問題となった法律をすみやかに再検討し、必要があれば改正法案を起草する機関、あるいは立法的対応の進捗状況を監視する機関が国会に設置されることが望まれており、そして、そのような機関が期待された役割を果たすようになり、立法的対応のシステムが構築されれば、憲法の具体化を志向する「協働関係」が次第に確立されていくことになるからであると、申請者は主張する。

  (6)  審査対象論文は、最後に総括的結論として、「フランス法研究を通して明らかにされる現代国家の普遍的課題」につき、わが国の裁判所ならびに政治部門の課題に即して、以下の点を指摘する。@「違憲判断消極主義」ないし「立法の放任」状態にあるとして批判にさらされているわが国の裁判所、とくに最高裁判所が、司法権の範囲内で、政治部門の立法を適切にコントロールすることを求められる。A違憲判決が下された場合には、政治部門は、違憲とされた規定をたんに削除するだけでよいのか、あるいはさらに進んで、何らかの積極的立法措置が必要であるかを検討し、すみやかに対応措置を実現することが求められる。また、違憲条項の削除についても、尊属殺重罰規定の事例のように、部分的な必要最小限の削除にとどめるか、全面的な削除に踏み切るかの選択が問題となり、慎重な検討を要請される。B合憲判決が下された場合における政治部門の対応については、裁判所は、解決されるべき問題が存在するにもかかわらず、司法権の限界にとどまらなければならないがゆえに、違憲とまでは宣言できないことも考えられるところから、そのような場合には、政治部門が、積極的に問題解決に取り組むことが要請される。わが国では、とりわけ「メッセージ」型合憲判決に政治部門がいかに対応するかが重要であり、政治部門は、合憲の結果に安住するのではなく、裁判所からの「メッセージ」を受けて、積極的立法措置を実現し、問題解決をはかることを求められるのであり、このような意味での「協働関係」が確立されてこそ、憲法的価値がよりよく具体化されることになる。

  論文審査の結果


1  本論文審査にあたっては、一九九九年一二月二日午後三時三〇分から六時三〇分まで、修学館第三研究会室で博士学位審査公開研究会を開催した。審査委員三名のほか、本学客員教授および憲法、行政法から四名の法学部教員、そして法学研究科の一〇名の院生が参加した。まず、論文の全体的な構成や執筆の意図にかんして報告があり、質疑応答を行った。ついで、各章の報告とそれに対する質疑を行い、最後に今後の研究計画について論議を行った。全体として活発な議論が行われ、司法をめぐるもろもろの問題点や論文の意義が明らかにされた。

2  審査対象論文は、違憲審査の基準・方法に関する議論に傾斜しがちであったわが国の違憲審査研究に新たな領域を切り開き、従来違憲審査との関係がさほど明確に意識されることのなかった立法政策研究のあり方を考える素材を提供するとともに、違憲審査機関の憲法判断にたいする政治部門の積極的対応が、違憲審査制度の相違にかかわらず、現代国家に要請されることを明らかにした労作であるといってよい。
  第一章では、フランス憲法院が政治部門の立法を積極的にコントロールし、政治部門に判決の対応を迫る一方で、政治部門側も憲法院判決に直接的に対応して必要な法改正をおこない、さらに憲法院判決に先行する立法過程では、憲法院に提訴され違憲と判断されないように間接的対応を試みていることを明らかにし、また、憲法院と政治部門の相互作用のあり方が学説上いかに論じられているかを考察し、あるべき相互作用としての憲法の具体化を志向する「協働関係」が主張されていることを確認する。第二章は、「限定解釈」、「建設的解釈」、「指令解釈」の類型にそくしてフランスの合憲解釈を詳細に分析し、その特徴と傾向を解明したうえで、合憲解釈にたいする政治部門の対応事例とこれに関する学説の論議状況を検討する。第三章では、憲法院判例の展開が行政裁判に多大な影響を及ぼした結果として、論告や行政裁判所の判決自体のなかに積極的対応がみられるにいたったことを明らかにする。第四章では、わが国の最高裁判所が下した違憲判決に対して政治部門がいかなる対応をとっているかの分析に加え、結果的に合憲ではあるが、何らかの立法的対応を示唆する「メッセージ」型合憲判決の意義を解明し、そのような判決に対する政治部門の対応を検討する。そして最後に、結論において、「フランス法研究を通して明らかにされる現代国家の普遍的課題」として、わが国の裁判所ならびに政治部門に課せられた課題を提示している。このように、全体として見れば、「憲法の具体化と合憲性審査−現代フランスにおける憲法院と政治部門の相互作用の研究−」という表題の下に、一定のまとまりのある論文構成となっている。アメリカやドイツの憲法判例における合憲解釈の研究については一定の研究蓄積があるといってよいが、フランスの憲法判例における合憲解釈の問題につき、これを本格的に取りあげたのは、わが国では本論文が最初の業績といってよいものである。

3  とはいえ、「違憲審査機関と政治部門の相互作用のあり方」について今後研究を深めていくうえで、なおいくつかの問題点を指摘することができる。
  第一は、当該テーマについての分析視角にかかわる。すなわち、第一章での分析視角の設定につき、「本稿は、これまでわが国の憲法学が取り組んできた憲法訴訟論の射程の狭さと同時に、司法における『法律にたいする人権保障』の限界を認識しつつ、司法の憲法判断を広い意味での立法過程の一環をなすものと考え、判決にたいする政治部門の対応を中心に、司法と政治部門の相互作用を分析するものである」とするが、この場合、「司法の憲法判断を広い意味での立法過程の一環をなすもの」となにゆえに評価することが可能か、ということである。いいかえれば、現代のフランスなり、わが国なりの権力分立制度をどのように考えるのかという問題である。
  権力分立原理にはもともと。消極的な原理として国家権力の集中を排除する原理と、権力の抑制均衡の仕組みないし構造を提示するという積極的な原理が含まれている。近代憲法においては、個人の平等な権利を保障することと平等な国民一般の利益を議会に代表させることが近代国家の政治体制の課題とされた。現代の諸憲法では、権力の均衡抑制の原理は、国民主義原理を前提として、元首と議会、あるいは内閣と議会の均衡や、裁判所による違憲立法審査制度の問題として論議される。日本国憲法のもとでも、国会(立法)・裁判所(司法)・内閣(執行)相互の均衡・抑制が国家による人権侵害を防ぐ役割を果たすと一般に観念され、裁判所については、今日、抽象的な憲法の条文の解釈に基づいて、国民を代表する議会の制定法の効力を審査する違憲審査制度をいかにして正当化できるかをめぐって、激しい論議がたたかわされている。
  問題をこのようにみてくれば、審査対象論文が、「フランス法研究を通して明らかにされる現代国家の普遍的課題」として提示する「わが国の裁判所、とくに最高裁判所が、司法権の範囲内で、政治部門の立法を適切にコントロールすること」という結論についても、実は、「司法権の範囲内」とはそもそもいかなる射程を含む概念であり、また、「立法を適切にコントロールする」ということの中身が何であるかは、実はそれほど単純なことがらではない、ということが明らかになる。この点については、例えば、フランスとドイツを対象にその憲法院ないし憲法裁判所と立法者の相互作用を分析するにあたって、「政治」と「法」を概念的に区別する伝統的な三権分立的思考とは異なり、両者を公共政策形成プロセスのなかに位置づけ、新たな立憲政治モデル(「合憲性コントロールの政治化」ブロックと「立法作業の裁判化」ブロックの循環過程)によって捉えなおそうとするアレック・ストーン・スウィートの研究が注目される(Alec Stone Sweet:La politique constitutionnelle, 1999)このような問題についても検討されることになれば、論説はより説得力のあるものになると思われる。
  第二に、これは、申請論文の結論において、今後の課題として挙げられているところであるが、人権の実現・具体化といっても、いうまでもなく現代の「人権」状況はきわめて複雑である。あれこれの「人権」の本質、それぞれの内容と範囲、それらの相互関係等々についてはあらためて活発な議論が展開されている。したがって、憲法裁判的機関と政治部門との相互関係における対抗・協働関係も、いっそう複雑化することは容易に予測されるところである。それに応じて「積極的対応」という場合の「積極的」の意味もあらためて検討すべき課題となろう。さらに、少なくともあれこれの人権類型ごとに「積極的対応」の意味と実態を分析することが要請されるであろう。

4  本件審査請求者は、二〇〇〇年三月、当研究科博士課程の必要単位をすべて修得しており、また、公開研究会での質疑応答にみられるように専攻分野についての高度な研究能力とその基礎となる学識を有するものと認められる。
  審査請求論文に対する評価と合わせ、総合的に判断して、立命館大学学位規定第一八条第一項により、課程博士(法学)を授与するにふさわしいものと考える。