立命館法学 2000年2号(270号)  138頁


◇紹  介◇

ハンス・ヨアヒム・ヒルシュ
古稀祝賀論文集の紹介(二)
Festschrift fu¨r Hans Joachim Hirsch zum 70. Geburtstag, 1999.


刑  法  読  書  会
松  宮  孝  明編





目    次

  ギュンター・ヤコブス「客観的帰属論に関する覚え書き」

  ハロー・オットー「危険な製品の供給に対する刑法上の責任」 (以上二〇〇〇年一号)

 

 

 ハインツ・シュッヒ 「延命措置の限界に関する未解決の諸問題」

Heinz Scho¨ch, Offene Fragen zur Begrenzung Iebensverla¨ngernder Maβnahmen. in:Festschrift fu¨r HANS JOACHIM HIRSCH zum 70 Gebutstag. SS. 693-712.

〔紹介者のはしがき〕
  本稿は、臨死段階になく、自発呼吸のある失外套症候群(持続的植物状態、覚醒昏睡)患者に対する人工栄養・水分の中止をめぐるドイツにおける昨今の法的及び事実的状況を概観したものである。著者は、少なくとも患者の推定的意思の確認を条件に、人工栄養の補給中止が許容される場合があるが、濫用を防止するため後見裁判所の許可が適切であるとする観点に立って、現状において、これを妨げる「未解決の諸問題」を検討課題として列挙している。
  人工栄養の中止については、BGH(一九九四年)がその可能性を示唆したが、なお議論のあるところである(甲斐克則「人工栄養補給中止に関するドイツBGH刑事判決」広島法学二〇巻一号  一四九ページ以下)。
  「医師の死の看取りと期待される治療に関する連邦医師会ガイドライン草案」(一九九七年)によれば、大脳機能の脱落により不可逆的な意識喪失状態にあり、行動能力とコミュニケーション能力の回復が期待できない患者の場合も、自然栄養・水分の補給は基本看護として放棄されえないとされるが、「自然栄養」の概念が鼻腔ゾンデまたはPEGを経由した栄養補給を含むものかどうか明示しなかった。このため、一部の議論によれば、技術的な観点から、ゾンデ栄養は自然栄養(腸管内補給)として中止の対象とならない基本看護に属するが、中心静脈カテーテルを経由した点滴(腸管外補給)は人工呼吸器等と同じく中止の対象となると論じられている(H.W. Opderbecke & W. Weissaer, Ein Vorschlag fu¨r Leitlinien−Grenzen der intensivmedizinischen Behandlungspflicht. MedR 1998, SS. 395-399.)。また、類似の考えから、ゾンデ栄養は基本看護だが、生死の境界領域では人工呼吸器と同じく過剰な延命措置になるとする議論がある(P. Schmidt & B. Madea, Grenzen arztlicher Behandlungspflicht am Ende des Lebens. MedB 1998, SS. 406-409.)。さらに、それらに対する反批判もみられる(E. Ankermann, Verla¨ngerung sinnlos gewordenen Lebens? Zur rechtlichen Situation von Koma−Patienten. MedR 1998, SS. 387-392.)
  後見裁判所の許可問題に関しては、本稿以後、一九九八年七月にフランクフルト・アム・マイン高裁が、後見裁判所には被世話人の申請にもとづいて人工栄養の終結を許可できる権限があると判示し、注目を集めた。事案は、前年来、不可逆的な昏睡状態にあり、行動能力とコミュニケーション能力を完全に喪失した八五歳の女性患者が壊死のため左大腿部の切断を余儀なくされた際に、世話人たる娘が、当該手術の許可と同時に、医師の勧めにしたがって、患者の推定的意思に応じたゾンデ栄養の中止の許可を求めたものであった。高裁は、医師、親族または世話人の見方から無意味と考えられる患者の生命を終結する危険を防止するためには外部からの許可の意味をもつ司法的許可こそが濫用に対抗できるとして、これを認めた(もっとも、娘は外部からの圧力のため許可の申請を取り下げた)。民法一九〇四条は、患者の死、または、重大かつ長期にわたり健康を損なう危険のある治療行為等を実施する場合には、世話人の同意につき、後見裁判所の許可を要すると規定している。高裁は、延命措置の中止の場合にも、死の結果を伴う医療的不作為が問題であるため、規定の意味と目的に応じて、類推適用ができるとした(L.C. Nickel, Genehmigung eines Behandlungsabbruchs durch des Vormundschaftsgricht. MedR 1998, SS. 519-522.)。しかし、その後、一九九九年二月にミュンヘン地裁は同条の直接適用ないし類推適用を否定した。その理由として、規定の意味と目的が異なることに加え、立法者には上記BGH判決以来、許可問題の論議については十分に知られているが、九八年の一九〇四条の改正の際に意識的にこれが除外されたことを挙げている。さらに地裁はいう。延命措置の中止についての決定は世話人に委任される事柄でも、後見裁判所の許可を必要とする事柄でもない。なぜなら、措置の中止が患者の推定的意思に対応するものであるならば、医師と親族が刑事責任をおそれるに及ばないことはBGHの判決が十分に説明しているからであると(B−R. Kem, Vormundschafsgerichtlliche Genehmingung lebensbeendener Maβnahmen. MedR 2000. SS. 89-91.)。では、推定的意思に対する「誤った評価」の危険はどのように回避できるだろうか。シュッヒは学際的倫理委員会の勧告を後見裁判所の許可手続に加えることができるとしているが、裁判所の許可とは無関係に、延命措置の中止が問題となる全てのケースで、予防的コントロールの機関として学際委員会の設置を考慮できるという見解も示されている(L.C. Nickel, op. cit.)。以上、参考のために本稿に関連する若干の周辺状況を示した。

〔要  約〕
一  ヒルシュは、間接的臨死介助、消極的臨死介助、自殺関与の不処罰を刑法においてではなく、「医療倫理委員会ガイドライン」に「医師の手引き」として規定すべきであるという立場を明らかにした。他方、彼は臨死介助対案二一四条と同様に、一定の条件下では、延命や蘇生を続行する法的義務がなく、客観的構成要件に該当しないと考えている。

二  ヒルシュは判例の発展に期待したが、それが法的不安定性を十分に除去したかは疑問である。間接的臨死介助の不処罰(BGH, NStZ, 1997, 182)と自殺介助の不処罰(OLG Muenchen, NJW, 1987, 2940)については、基本的な方向づけができているが、消極的臨死介助の判例による法律状態は、より複雑である。
  BGH(BGHSt. 40, 1994)は、ケムプテン事件で、初めて明示的な治療放棄の意思のない消極的臨死介助ケースを扱った。
  被告人Sの母は、アルツハイマーと心停止後の蘇生による大脳障害で、二年以上人工栄養を施されていた。彼女は、通話、歩行、起立が不能であり、視覚刺激、音響刺激、圧迫刺激に対して顔面の痙攣とうめきだけで反応した。二年半の療養後、回復が期待できないとして、T医師は、Sに対して、特別食の代わりに、二、三週で死の訪れる紅茶だけの補給を提案し、この処置が法的に保護されている旨を述べた。世話人としてのSは、二カ月熟考の後、提案に同意した。Sは、以前テレビの重篤な看護例を見た母の、そのような終り方をしたくない旨の言明を推定的意思とみなした。
  ケムプテン地裁は、両名を殺人未遂とし、罰金を言渡した。BGHは、推定的同意と禁止の錯誤に関して確認させるため、上告を破棄し、地裁に差し戻した。BGHは、以前の言明は一時の気分かもしれず、文書や口頭で繰り返されていないとし、さらに、対人的接触の不可能性や、周辺の者には、その生命が無意味と思える疾患の重さも、推定的同意の想定を正当化するものではないとした。
  しかし、一般の報道は、この判決を許容される消極的臨死介助を慎重に拡大したものと評価し、学説も理由の不明瞭さにはクレームをつけたが、許容される消極的臨死介助の明瞭化を歓迎した。一方、地裁は、九五年五月一七日の判決で、禁止の錯誤問題を避け、患者の推定的同意だけを受け入れ、無罪とした。状況証拠としては、S以外に、妻、医師、看護婦、友人たちに母が伝えた終焉時の集中治療やチューブ等の拒否、長患いや絶望の不安に関する過去の言明で十分とした。地裁は、推定的意思の不足を「見込みのない予後、不可逆的な状態、回復の見通しがない」という理由で補った。
  地裁は推定的同意の強調によって開かれた余地を活用したが、BGHの見解では「個別の推定的意思の確認のための具体的状況を見出せないときのみ」十分な慎重さをもって「一般的価値観」を参照できるとしたものである。BGHの挙げた基準は、(1)予後の見込みのなさ、(2)死の接近、(3)一般的見方に従った人間らしい生命の回復の僅かな見込み、(4)年齢に条件づけられた僅かな余命、(5)苦痛を被っていること、である。
  推定的同意に伴うこれらの基準は、失外套症候群の事例で消極的臨死介助を認めるには狭すぎる。ここに、判決でも、連邦医師会ガイドラインでも、十分に解答されていない延命措置の限界に関する未解決の問題が始まる。

三  ケムプテン事件で、BGHは、死の接近した人の人工呼吸、輸血、人工栄養など、延命治療の放棄によって死の過程を延引しないことを医師会ガイドライン(一九九三年)に依拠して、刑法ドグマ的理由づけなしに正当化されるとした。法的規定はないが、これらの「一方的治療中止」は、ほぼ一致して構成要件該当性なしとされている。その理由として、「さらなる努力の無意味さ」「運命性」「死の自然性」が語られている。それは保障人的義務を否定するヒルシュの議論を超えている。エーザーは規範的要求ができないという観点で精密化を図った。治療放棄による苦痛緩和が問題であるときは、刑法三四条の緊急避難の観点も加味される。これらの理由づけは、死の過程にない失外套症候群や不可逆的意識喪失の事例でもなされてきた。ヒルシュも「意識喪失や判断能力のない患者」に延命措置の放棄を認める医師会ガイドラインに賛成している。臨死介助対案も「意識を回復しがたく喪失した患者」の治療終結に賛成している。その背景には「全ての反応能力とコミュニケーション能力の不可逆的喪失」の場合は、さらなる生命維持を要求できないという考えがある。
  ケムプテン事件で、BGHは人工栄養の中止を「本来の意味の臨死介助」から分離し、「広義の死への介助」に当たる「個々の生命維持措置の中止」とした。この中止は「一般的な決定の自由と身体的不可侵性」を表明する患者の意思がある場合のみ考慮される。BGHは、推定的意思の受け入れでは、本来の意味の臨床介助より、高い要件が設定されるべきだとした。「医師、親族または世話人が、決定無能力の患者の意思から離れ、自らの基準と考えに従って、患者の生存を無意味、生きるに値しない、または、不必要とみなし、これを終結する危険に強く警戒すべきである」。こうして、BGHは、推定的同意を不可逆的意識喪失の事例に転用し、死の過程にあること、および、合意に基づいた治療放棄との中間に位置する事例への独自の意義を残さなかった。
  判決は、明示的治療放棄とは別のグループには、次の公式が妥当とするという。「死が接近していればいるほど、予後が悪ければ悪いほど、客観的基準(例えば、年齢に条件付けられた僅かな余命)、または、一般的価値観を『よりどころ』として、推定的同意が認められる」。

四  この推定的同意に支えられた考え方を一部の学説は拒否し、他の学説は受け入れ、決定基準のより広い具体化の必要を指摘している。例えば、リリーは失外套症候群では必要な「内的利益衝突」に欠けており、また、臨死介助では手術の拡大と異なり、患者の実際の意思をあとから確認できないという。「内的利益衝突」について、リリーは刑法三四条の狭い利益概念から出発している。しかし、失外套症候群の場合にも、生命維持と遺言によって具体化される身体の不可侵性や潜在的な決定の自由の侵害との間で衝突がありうる。衝突は患者の推定的意思によって解決されるべきである。他方、メルケルは推定的同意によって「自立能力のない患者も人格の自立性の高い利益」をできるだけ守られるべきだという。しかし、これを失外套症候群に適用することには批判的である。それは決定的な評価問題を隠蔽しているのであって、むしろ刑法三四条に基づいて、客観的利益考量が必要であり、また、医療の正しい資源配分のために社会的利益に配慮する立法者の決定も必要であるという。

五  広義の消極的臨床介助は推定的同意の正当根拠においてのみ認められるというBGHの考えは多くの事例に当てはまるが、次のような問題もある。
  1  人工栄養の中止から他の生命終結措置への決定基準の転用は容易である。BGHは、医師会ガイドラインに従って、人工栄養をその他の延命措置と同視する医療倫理の支配的な見解に賛成している。BGHは、人工栄養にのみ制限せず、これらを「個々の生命維持措置の中止」と呼んでいる。
  2  メルケルのいう自立性の限界は失外套症候群にあてはまる。カレン・クインランやアンソニー・ブランドのように、推定的意思を知る手がかりのないとき、どう決定すべきだろうか。かかるケースをBGHのいう一般的価値観で判断できるかは疑わしい。主治医が推定的意思を確認する責任を引受けないときは、推定的同意の不確実な判断基準は長い人工的延命に導く。一般的価値観が適切な解決を導かないとすれば、刑法三四条、または、推定的同意と「許された危険」を結合した諸利益の客観的考量が可能か否かが吟味されねばならない。これは、患者の自立性の思想を相当修正することになる。そのような法解釈が可能か、または立法者がこれを決定すべきかは未解決である。
  3  過度の延命になる患者の治療願望や医師の治療観をどう扱うかも同意原則からは不明瞭である。限度ある資源との衝突や治療に期待のもてる他の患者との衝突が生じる。宗教的理由による延命願望、患者の以前の言明に高値をつける親族、また医療技術に限界を設定されたくない医師たちも存在する。
  4  患者の生前遺言が再評価されている。文書による意思表示は事情次第で口頭のそれより重みがある。不可逆的意識喪失では、あとからの見解変更はないからである。「親族に対する反問によって」見解の変更をうかがわせる手がかりのないとき、医師の治療の権利と義務は終わる。教会、ホスピス、養護施設によるモデル書式の普及によって、遺言の意義が高められている。しかし、臨床実践で成果があるかどうか、また、不可逆的意識喪失では、その他の場合よりも重みをもつかどうか、現状では、不明瞭である。
  5  高齢の人々が、同意無能力時に、信頼できる人に法律行為の解釈を委ねる「高齢に備えた代理権」を与える動きがある。ヘルスケア業務における代理が中心的に論議されている。他方、刑法学説の一部は個人的法益の侵害に対する同意の代理は無効だとする。他の学説は身体的不可侵性の侵害に対する同意の代理は無効だとする。さらに、他の説は生命に必要な治療の代理権を明瞭に否定している。しかし、一九九一年の世話法の導入により、刑法的同意の問題が新たな評価に向かうかもしれない。なぜなら、民法学説と判例では、民法一八九六条二項二文は、ヘルスケア業務における当事者間の任意の代理を可能にしているという見解が有力だからである。九八年六月二五日の改正世話法では、民法一九〇四条二項に従ってヘルスケア業務における代理人の決定にも、後見裁判所の許可を必要とするという見解が確認された。民法一九〇四条は、治療中止の事例で、類推適用できるというケムプテン事件のBGHの見解と関連して、代理人による同意の刑法的意義を吟味する必要が生じている。
  6  同意無能力の患者の世話人の選任は民法一八九六条一項を根拠とする。治療の同意の際の世話人の法定代理の許容性は刑法学説と判例において明らかである。それは民法一九〇四条では自明とされている。刑法学説でも、民法学説でも、それが被世話人の死をもたらすときにも、治療への同意を拒否する世話人の基本的な権利について争いはない。世話人は、決定の際に、それが患者の客観的福利に反しない限り、被世話人の願いに従わなければならない(民法一九〇一条二項)。彼は推定的意思の具体化の権限をもっている。
  この法律状態では、患者が意識喪失または決定無能力の常態にあるときは、世話人の決定が推定的同意に優先する(医師はその決定に従うことを義務づけられる)。緊急時における後見裁判所の職権による世話人の選任の提案は、医師が推定的意思を考慮する余地を与えている。
  7  延命措置の終結の際の世話人の同意に後見裁判所の許可を必要とするというBGHによる民法一九〇四条の類推適用も、明瞭化を必要とする。Argument um a majore ad minus(大から小への論証・小から大への論証)は納得させるものがある。患者の生命の危険に対して後見裁判所の許可が必要であれば、これは生命維持措置の終結時にも当てはまる。独立の裁判所が患者の推定的意思の明確化のために、治療に参加していない専門医に診断と予後を審査させる(非訟事件手続法)、親族に発言の機会を与える(同上)などの機会は、決定の客観性と受け入れ可能性を高めるだろう。主治医と親族は決定に直接関与する。とくに一般的価値観の考慮が問題であれば、世話人も大きな要求をされる。主治医と医療専門家によって、医療的観点の支配性が保障される。緊急事態では世話人の一時的選任が考慮されるなど、全ての関係者にとって、後見裁判所による許可は処罰の危険を排除する最も安全な方法である。後見裁判所の最初の判決で、ハナウ簡裁は、民法一九〇四条とドイツ法秩序に従って、裁判所には生死に関する決定の資格がないと表明した。他方、BGHの判決以来、後見裁判所が、人工栄養の中止の世話人の同意に許可を与える問題に取り組んでいると報告されている。だが、法的および事実的状況は、今日なお不明瞭である。
六  これら未解決の問題は、刑法を超えて、民法的観点、行政法的観点、および医療倫理の問題に関連する。多様な評価問題を適切に判断するために、医療専門職のガイドラインで十分かは短期の経験では不確かである。医師会の最新の草案は投げかけられた問題への解答を含んでおらず、高齢に備えた代理人の決定のための、または後見裁判所による世話人選任の提案のための、民法的に根拠のない推定的意思の医療的調査の優位を請け合っているにすぎない。
  今まで臨死介助の論議では、医師、法律家、神学者、哲学者からなる倫理委員会の関与を求める声は、官僚化と個人責任の放棄を懸念して、懐疑的に捉えられてきた。しかし、その権限が民法一九〇四条二項に従って、将来、高齢に備えた代理人の治療決定にも広げられる後見裁判所の手続では、この委員会の勧告は、外部の医師の鑑定意見(非訟事件手続法)に取って代わることができる。新たな立法提案の前に、今日の臨床実践、世話人と代理人の関与、また、後見裁判所の経験に関する基本的な在庫調べが命じられている。 (山下邦也)


 トルコの資金洗浄法について

Feridun Yenisey, Zum tu¨rkischen Geldwa¨schegesetz,
In:Thomas Weigend und Georg Ku¨pper (Hrsg.), Festschrift fu¨r Hans Joachim Hirsch zum 70:Geburtstag am 11. April 1999, Walter de Gruyter, 1999, S. 809-817

  トルコでは、組織犯罪から得られた収益の剥奪を目指して、一九九六年に新たな法律が制定された。本稿はこの新法の内容について概観するものである。
  トルコ刑法典は、@資金洗浄についての処罰規定を有しておらず、A物に対して没収(Einziehung)のみを規定しているだけで、利益等を剥奪する規定を置いていなかった。それに対し、新法は、@資金洗浄罪の構成要件を創設した。また、A収益剥奪の対象として、「ブラック・マネー(Schwarzgeld)」という概念を創設し、組織犯罪から生じた物・代替物・利益等を広範に剥奪できる旨規定している。さらに、近時、刑法典にも、一般規定として、利益剥奪を認める規定を置くことが提案されている(一九九七年トルコ刑法典草案七七条五項)。これは、没収を客体により物件没収(Einziehung)と利益没収(Verfall)の二種類に区別するドイツ法にならうものである(なお、物件没収及び利益没収は、並列関係に立つ点で、原則・補充の関係に立つ我が国の没収及び追徴と異なるものである)。
  トルコはEUへの正式加盟を目指していることもあって、収益剥奪の立法・制度についても国際的な水準に到達するよう努力している。そのため、新法は、一九八八年に採択された、麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約(いわゆる国連麻薬新条約)や、一九九〇年に締結された、犯罪収益の洗浄、捜索、押収及び没収に関するヨーロッパ評議会条約(いわゆる資金洗浄条約)などの規定を参考にしている。
  犯罪収益の剥奪が国際的な課題となってきていることを踏まえ、紹介する次第である。

1.近時、トルコにおいても組織犯罪が問題となってきている。例えば、資金洗浄、麻薬や武器や古美術品の密輸、廃棄物の不法な持ち込み、国外での労働力の不法な斡旋、黒海沿岸の旧ソ連領からの女性の密入国、さらに、競売マフィア、不動産マフィア、「取り立てマフィア」(Inkassomafia)などのマフィア形態があり、諸外国で見受けられるものも多い。「取り立てマフィア」は、債権を取り立てるだけでなく、逆に、債務者のために、民事手続を遅延させ、高度のインフレを利用して債権の実質的な価値を目減りさせることもある。
  右のような状況にもかかわらず、現行トルコ刑法典は、組織犯罪の行為類型のうち一部を処罰するにすぎず、組織犯罪を根絶するには不十分である。すなわち、脅迫(刑法一九二条)、公務員による横領及び贈収賄(二〇二条以下)、犯罪結社の設立と加入(三一三条)、爆薬の密輸(二六四条)、文書偽造(三三九条以下)、麻薬の密輸(四〇三条)を処罰しているにすぎない。一方、環境法(一九八三年法律二八六三号)が廃棄物の輸入の禁止を行うなど、特別刑法中にも組織犯罪対策の規定が存在する。しかし、他方で、武器法(一九五三年法律六一三六号)に関する改正法(一九九〇年公布)が従前よりも広い範囲で武器の携行を許すなど、組織犯罪を助長しかねないものもある。
  組織犯罪は利益志向的であるから、その撲滅のためには、犯罪により得られた利益の剥奪が有効である。そこで、以下では、トルコの収益剥奪の規定について概観することとする。
  まず、没収(三六条)が一般規定として存在する。刑法典には、物に対する没収(Einziehung)が規定されているのみであり、利益没収(Verfall)の規定を置くドイツ法とは異なっている。そして、刑法一一条は刑罰の種類を列挙しているが、没収はその中に含まれていない。そのため、没収は刑罰ではなく、処分とみなされている。三六条一項は、有罪判決の場合に、犯行の際に用いられた物及び犯行を通じて得られた物に対する押収を認めている。また、同条二項は、物の利用、製造、所有、輸送あるいは販売がそれ自体既に犯罪にあたる場合には、有罪判決の有無やその物が行為者の所有物か否かに関わらず、没収を認めている。さらに、刑法四〇八条は、麻薬に関する没収の範囲を拡大する特別規定を設け、四〇三条において列挙された麻薬の原材料をも没収できるとしている。
  一方、刑法四〇三条八項の旧規定は、麻薬犯罪の行為者が死刑判決を下された場合、その全財産が没収されうるというものであったが、全財産の押収の禁止(一九八二年憲法三八条八項)に反するとして、一九八八年六月三日の憲法裁判所の判決(1987/28E, 1988/116K)により、違憲であると判示された。
  現行刑法典によれば、没収の対象は、犯罪行為から得られた物だけであり、その代替物は含まれないとされている。それに対し、資金洗浄法及び一九九七年の刑法典草案は、その対象を拡大している。従って、トルコ法においては、近時、ドイツ法に規定されている利益没収、代替利益没収又は資産刑の機能を担いうる処罰規定が存在することとなった。それでもなお、さらなる改良に向けた立法努力が続けられるべきである。

2.資金洗浄の禁止に関する法律(Karaparanin Aklanmasinin O¨nlenmesine Dair Kanun=KPAK一九九六年一一月一三日法律四二〇八号;一九九六年一一月一九日官報二二八二二号)により、資金洗浄罪の構成要件及びドイツ法の利益没収に類似した拡大没収が規定された。本法は、国連麻薬新条約(一九八八年)、G7バーゼル基本宣言(一九八八年)、金融活動作業部会(FATF)の四〇項目の勧告(一九九〇年)、ヨーロッパ資金洗浄条約(一九九〇年)など、国連やEUをはじめとする国際基準に沿ったものである。
  まず、没収の対象となる「ブラック・マネー(Schwarzgeld)」とは、組織犯罪と関連する、本法に列挙された犯罪に由来する金銭、当該金銭の同一性を保ちつつ変形された有価証券、財産及び収益、並びに交換に由来するあらゆる種類の経済的利益及び価値を言う(KPAK二条)。基本犯としての資金洗浄罪は、二年以上五年以下の軽懲役、過重罰金並びにブラック・マネー及びそこから由来する収益の没収により処罰される(KPAK七条)。ブラック・マネーの押収が不可能な場合、裁判所は実収益を見積もり、行為者の財産からその価額を没収できる。
  そうした資金洗浄の検挙のために、金融機関は、顧客が自然人か法人かを問わず(KPAK三条九号)、口座の開設時に重大な資金洗浄の嫌疑がある場合及び二〇億TL(トルコ・リラ;二〇〇〇年五月現在、一円は約五六〇〇TL)以上の現金取引の場合には、顧客の本人確認を行わなければならない。この確認義務は本人確認に関する命令(九七/九五二三号)により発効し、同命令は、金融機関に対し本人確認と経済捜査委員会への報告を義務付けている(同命令三条三号)。同委員会は個別に審査を行う(KPAK三条九号)。金融機関は、二〇億TLを越える業務行為の場合や外国通貨による二〇億TL相当以上の支払の場合にも、顧客の本人確認を行わなければならず、その際にはその記録を五年間保存しなければならない。銀行内部の業務行為については、国家当局の業務行為と同様に例外とされている(KPAK五条)。確認の範囲についての基準及び経済捜査の場合の捜査手法は同委員会が定めることとされている(KPAK三条一一号)。
  以上のような、資金洗浄に関する訴追政策を決定し、国家機関内部での役割の分担・調整を行う、経済捜査に関する調整委員会(Mali Suclarla Mu¨cadele Koordinasyon Kurulu)が存在する。これは、財務省の政務次官を委員長とするもので、上級公務員で構成されている。組織犯罪捜査を管掌する、総合治安指令局(Generalsicherheitsdirektion)−最高警察庁−は、経済捜査については全権委員により代理されるにすぎず(命令九七/九五二二号四条)、経済捜査に直接関与するわけではない。

3.トルコの経済捜査は、警察職員ではなく、財務省の公務員が行うものとされており(KPAK三条一一号)、財務省による前審が予定されている。そのため、嫌疑に基づく告発により必ずしもトルコ刑訴法一五三条に従った捜査手続が開始されるわけではない。また、金融機関が経済捜査委員会に報告義務を負うだけで、何人も資金洗浄の疑いのある業務行為を刑事訴追機関に直接報告しなければならない義務を負わず、警察・検察をはじめとする国家機関でさえも、経済捜査委員会の委員等の請求に対して文書提出・情報提供をするだけでよいとされている。委員会以外による告発は、例外として規定されている(KPAK五条)。
  資金洗浄犯罪及び組織犯罪の捜査と訴追は、通信傍受や情報提供者及び覆面捜査官の利用等と同様、利益剥奪を目的とした暫定的な押収をなす権限とその法的根拠を要する。情報収集には通信傍受等の現代的な捜査手段が有効であるが、これまでのところ、こうした手段はトルコ刑訴法において規定されていない。
  KPAKは業務行為を総計四八時間までとどめおかせることができるとしている。資金洗浄についての重大な間接事実(ciddi emare)が存在する場合には、管轄裁判所は、刑事裁判官の請求に基づくか、弁論により、二四時間以内の押収を命じることができる。緊急時には、例外的に検察官が押収命令を発することができる。この場合、検察官は、二四時間以内に裁判官に対し命令の発付について報告しなければならず、裁判官は、その当否について二四時間以内に判断しなければならない。これが棄却された場合、検察官の命令は無効となる(KPAK九条)。
  以上のような規制に加えて、犯罪収益がさらなる収益活動へと投資され収益を生み出すことのないように法的規制を整備するべきである。また、経済捜査と組織犯罪捜査を行う主体が異なる現在の制度は改めるべきである。すなわち、特別の専門的権限の行使及び組織犯罪についての情報収集・分析を行うことで、個々の行為が資金洗浄へと至る流れを明らかにするために、総合治安指令局に中核的な捜査部隊が置かれるべきである。こうした経済捜査部隊が組織犯罪撲滅や経済犯罪撲滅のための職務権限を有するべきかについてはなお検討されなければならない。この点について、多くの国においては、資金洗浄犯罪の前提行為(Vortat)の多くは組織犯罪と密接に関連しているものと考えられているため、諸外国では組織犯罪捜査と経済捜査が結合するのが通例である。そこで、組織犯罪と経済犯罪の捜査を統一的に行う部門が警察・検察に創設されなければならない。これにより、こうした部門に資金洗浄犯罪の捜査・訴追を行わせることができる。
  他方、金融機関内で、警察の経済捜査部門への協力を行う、資金洗浄代理人(Geldwa¨schebeauftragte)を指名することになる。経済捜査においては、金融機関から電話により嫌疑の告発が行われうるようにしなければならない。告発人は、告発確認書を受け取ることになる。告発は管轄検察官に直接転送されなければならない。
  資金洗浄の発見は困難であるため、その検挙は前提行為の発見にかかっているといっても過言ではない。KPAK二条に列挙される犯罪であれば、犯行地で処罰を受けうる、外国での犯罪行為もトルコでの行為と同様に資金洗浄の前提行為として扱われることになる(刑法一〇条a)。前提行為は逐一立証されなくともよく、当該金銭が列挙された犯罪から由来するという明白な根拠が示されれば十分である。

4.没収については、二つのモデルが存在する。すなわち、刑事没収と民事没収とが並立するアメリカ型と、刑事没収のみが規定されているイギリス型がある。トルコ法はイギリス型であるドイツ法にならっている。
  現在国会で審議されている一九九七年トルコ刑法典草案は、ドイツ法同様に、物件没収と利益没収を規定している。利益没収は草案七七条五項に規定されている。

5.組織犯罪を外国で実行したトルコ人が、得られた利益をトルコに投資することは珍しいことではない。従って、利益剥奪を命じる外国判決のトルコでの執行は重要な意味を持つことになる。外国判決の執行は、コントロールド・デリバリーに基づく外国当局の請求についてと同様、アンカラ区裁の管轄である(KPAK一三条二項)。
  外国当局の請求に基づく没収は、トルコが加盟している国際条約の枠内で行われる(KPAK一三条三項)。トルコと請求国との間に条約が存在しない場合でも、後述のように、法律三〇〇二号により、多くが執行可能である。
  こうした没収は、国連麻薬新条約だけでなく、トルコが批准していない、ヨーロッパ資金洗浄条約にもならっている。トルコにとっては、刑事判決の国際的効力に関するヨーロッパ条約(一九七〇年)、刑事司法共助に関するヨーロッパ条約、同条約のための補充議定書、及び適用のための中毒薬物単独協定も大きな役割を果たしている。条約加盟国の没収の請求に基づく執行は刑事判決の国際的効力に関するヨーロッパ条約に基づき行われる。
  請求国がトルコにある財産をトルコ当局に没収させるよう望んでいる場合、没収を内容とする請求国の外国判決をトルコに送達し、当該有罪判決を受けた者のトルコ当局に存在する不動産及び銀行預金から没収されるべき金額を徴収するよう請求することになる。アンカラにある司法省は、刑事判決の国際的効力に関するヨーロッパ条約に基づく執行がなされなければならないという指示とともに、管轄の上級検察庁に資料を引き渡す。外国の没収の措置は罰金刑とみなされるため、本条約の二条に当てはまり、本条約の適用範囲内とされる。外国の裁判官の司法共助の要請に基づき、トルコにおいて、被告人名義の銀行預金及び不動産が存在するかどうかが調査される。トルコの区裁裁判官は、司法共助の方法において外国でなされた被告人の聴聞の結果に従い、上級検察庁の要請に基づいて、押収を命じる。この場合、動産同様、預金も、さしあたり確保される。
  請求国とトルコとの間にこうした条約が存在しない場合、トルコ国籍を有する者に対する外国刑事判決及び外国人に対するトルコの刑事判決の執行に関する法律(一九八四年五月八日法律三〇〇二号)により、外国刑事判決がトルコの判決に変形されることとなる。本法により、外国刑事判決の承認を限定していた行刑法一八条二項が廃止された。法律三〇〇二号は、トルコ国民に対する外国刑事判決の執行の引き受けと、有罪判決を受けた者の国籍が存する国に在留するトルコ国籍を有さない者に対するトルコの有罪判決の移管についての一般規定を有している(一条)。外国裁判所によりトルコ国籍を有する者に科された自由刑及び保安処分は、相互主義の下で、トルコの判決に変形され、トルコにおいて執行力ある判決となる。外国刑事判決の執行の引き受けは、外国当局の請求、確定判決の認証騰本の送達、有罪判決を受けた者の書面による同意が必要であり、さらに、当該行為がトルコで可罰性を有するものでなければならない。アンカラ地裁は、執行可能か否かについて、外国判決において命じられた刑の重さとその中で判示された犯罪行為の種類を斟酌し、一五日以内に判断しなければならない。外国刑事判決において有罪判決を受けた者に対して、外国判決を参考にしながら、トルコ法に従って新たな刑罰が科されるが、外国判決において命じられた刑罰よりも重くなってはならない(法律三〇〇二号六条)。

6.組織犯罪の撲滅のためには、利益剥奪の対象を薬物事犯に限定すべきではなく、包括的一般的な規定が創設されるべきである。その際、無罪推定・所有権の保障・明確性の原則といった一般に有効な法原則がないがしろにされてはならない。従って、全部剥奪を憲法違反とした憲法裁判所の判示は正しい。また、問題となっている財産価値の押収・確保の際の挙証責任の転換は許されないはずである。
  共犯証人規定の採用やKPAK二条に列挙された犯罪類型の拡大等の提案もある。贈賄や詐欺といった非職業的非組織的に行われる犯罪行為も、資金洗浄の前提行為として扱われるべきである。さらにまた、資金洗浄のために前提行為だけを実行する者も処罰されるべきである。
  組織犯罪と資金洗浄の捜査及び訴追のための刑事手続上の処分、特に、通信傍受等の現代的な捜査手段の採用が有益である。 (永田憲史)