立命館法学 2000年3・4号下巻(271・272号) 762頁




起訴後勾留中の被告人に対する余罪の取調べについて


久岡 康成


 

目    次

一  は じ め に

二  余罪の取調べを受けている被告人の状況

三  学説と判例の状況

四  検討と考察




一  は  じ  め  に


(一)  今日の刑事裁判において、多くの追起訴事件があるのはよく知られてる。次回公判期日の決定の際に検察官の意見として、追起訴見込みであるので、次回公判期日までに期間をあけてほしいという希望が公判廷で表明されることは、日常的な出来事である。また、追起訴の可能性が起訴時に既にわかっている例が少なくないことも、国選弁護人の受任の時に、追起訴見込みが判明している事例が多数あることが示している。
  追起訴事件においては、その追起訴の決定の前に、先に起訴された事件(以下便宜上被告事件と呼ぶ)の被告人に対してその追起訴見込みの事件(以下便宜上余罪と呼ぶ)についての取調べが、行われているのである。そしてこの被告人に対する余罪の取調べは、通常は余罪の嫌疑のある事件について保釈が行われることが少ないため、勾留中の被告人に対する余罪の取調べとして行われるのが普通である。またその余罪の取調べは、実際には被疑者に対すると逮捕・勾留の理由となっている被疑事件についての取調べと同様のものとなっている。
  このような勾留中の被告人に対する余罪の取調べについては、ずいぶん以前から、余罪捜査の問題の中で論議の必要が指摘され(1)、しかるべく論議はされてはきたのであるが(2)、今日までの間に必ずしも十分に問題点が認識されたということができず、実務上はさしたる抑制も行われないまま、今日に推移したといわなければならない(3)
  しかしながら、最近の刑事の実務を見ると、勾留中の被告人に対する余罪の取調べが行われている場合には、その被告人の勾留場所は、起訴後であるにもかかわらず、通例いわゆる代用監獄、警察留置場であり、この余罪取調べが行われている被告人に対しては弁護人等以外の者との接見禁止(刑訴法八一条)がなされていることも少なくない。勾留中の被告人に対する余罪の取調べの問題は、このような代用監獄の問題、接見禁止(刑訴法八一条)の問題などの、近時の刑事訴訟法上の重要問題とも関連して、その深刻性を増しているとともに、これら諸問題の重要性をも増幅している。今一度、従来の論議を整理して、勾留中の被告人に対する余罪の取調べの問題点を析出し、検討する必要があるのでなかろうか(4)
  本稿ではこのような観点から、起訴後の勾留の問題につき、起訴後の勾留自体の問題ではなく(5)、そのもとで行われている被告人に対する余罪の取調べについて、検討を試みるものである。勾留されている被告人に対する取調べの問題については、多くはまず被告事件についての取調べを論じ、その上で余罪の取調べが論じられているが、本稿では、いま現実に多く行われ、深刻な問題のなっているのはむしろ余罪の取調べの場合であると考え、あえて余罪の場合から検討した(6)

(1)  参照、久岡「余罪捜査」ジュリスト別冊第二期第一号法学教室一四二頁。「防禦権が保障されていると解し得るか」(久岡・同一四三頁)は、その始めからの疑問である。
(2)  田口守一「被告人の取調べ」編集代表井戸田侃『総合研究・被疑者取調べ』四八九頁ほか。
(3)  このような実務の状況を反映して、最近の刑事訴訟法の逐条解説書(コンメンタール)においても、刑事訴訟法一九八条(被疑者の出頭要求・取調べ)の解説として、「被告人を起訴された以外の余罪についても取り調べることができるのは当然であろう」とか(藤永幸治他編『大コンメンタール刑事訴訟法第三巻』一六八頁)、「被告人については、起訴された事実以外の余罪について本条により取り調べることができる」(伊藤栄樹他編『新版注釈刑事訴訟法第三巻』八六頁)等と扱われ、問題点の存在すること自体が、明確に指摘されていない状況になっている。
(4)  参照、久岡「追起訴予定と起訴後の余罪捜査」ジュリスト一一四八号一〇六頁。
(5)  この問題については、久岡「起訴後の勾留の性質」立命館法学二五六号九二頁以下で論じたことがある。
(6)  永野義一「起訴後の取調」河上和雄編『刑事裁判実務大系第一一巻犯罪捜査』五六〇頁によれば、最決昭和三六年一一月二一日刑集一五巻一〇号一七六四頁の趣旨にしたがい、起訴後に無制限に被告人に対し被告事件の取調べをするような事例は皆無になっている。なお参照、久岡「公訴提起後の捜査」刑事訴訟法の争点(新版)一〇二頁。


二  余罪の取調べを受けている被告人の状況


(一)  被告人に対する余罪の取調べの多用
  それでは、起訴後勾留されている被告人に対する余罪の取調べが多用されるには、どのような理由があるのであろうか。
  まず、捜査官側には、捜査の目的が、「公訴の提起、追行の準備のみであることは狭きに失し、むしろ、端的に、犯人の改善・更正を含めた真相の発見、正義の実現のためにする犯人の検挙・証拠の収集保全にある(1)」という考え方がある。ここでいう、犯人の改善・更正の中には、取調べを受けること自体が、一定の感銘力を与え、将来の訓戒的役割を果たすこと等が含まれ、正義の実現とは、犯罪によって惹起された社会人心の不安を緩和し、正義が行われたことの満足感を与えることが含まれている。したがって、取調べにより「自白を導き出すことは、犯人のためにも国民感情のうえからもむしろ必要なことであり(2)」、という考え方となるのである。そうして、この捜査、自白についての考え方は、勾留されている被告人に対する余罪捜査を含め、余罪取調べにも妥当する考え方となっているのである。現在の捜査官にとっては、勾留されている被告人に対する余罪取調べも、手を抜くことが許されない任務となっているといえるであろう。
  他方、被告人側にとっては、併合審判を受けて併合罪について一括して処断されることは(刑法四七条)、実際には被告人にとっては量刑上は利益と考えられるため、被告人によっては、併合審判、それを可能にする追起訴、そのための余罪の取調を、とりたてて拒否しない場合もでてくるのである。また被告人心理として、自ら余罪を申し立て捜査を受けることが、起訴・不起訴の決定、将来の求刑などに有利に働くのではないかと忖度するような心理も時に現れて、勾留されている被告人に対する余罪取調べが許容されることもあるのである。

(二)  被告人に対する余罪の取調べの実際
  勾留されている被告人に対する余罪の取調べでの、取調べ事項、内容は、起訴前の被疑者に対する取調べと同様である。すなわち、余罪被疑事実やその間接事実のみならず、被告人の年齢、職業などの「身上」事項や、経歴、生い立ち、事件に至る経過、事件後の行動、余罪などの起訴・不起訴、量刑等にかかわる情状、余罪被疑事実についての被疑者の弁解(アリバイ等)の確認、それへの反証の準備等、極めて多種多様な事項に及んでいる(3)
  なお、逮捕勾留されている起訴前の被疑者に対する取調べは、「右の余罪捜査取調べは任意捜査であるという考え方は、観念的にはいかにももっともらしいが、現実には合わない。たとえば、窃盗の余罪についてのいわゆるひき当たりの場合、被疑者の逃走を防ぐため、手錠、腰縄付きであちこち外部を動き回ることになるが、本人が任意でそれに応じているとはいえ、その外形は、明らかに強制的なものであるし、大体、強制といい任意といっても、取調室まで連行する形態は同一であり(4)」、というようなものである。そうして、勾留されている被告人に対する余罪の取調べの場所、時間、方法も、実際には起訴前の被疑者に対するこの取り調べと同様である。勾留されている被告人についても、実務上は、起訴前の被疑者に対する被疑事実の取調べと同様の、いわゆる取調受忍義務が認められた取調べが行われているのである(5)
  取調べられている余罪については、被告人が進んで供述したり、覚せい剤所持罪で起訴され覚せい剤自己使用罪の被疑事実で取調べを受けている場合のように、事実上被疑者に分かっている場合もあるが、他方では余罪で捜査の対象になっているが、被告人にはその内容が不明の場合もある。ことに捜査の対象になっている余罪が複数ある場合は、一つの余罪の情状の取調べと他の余罪の取調べの区別は、被告人には分からないことも少なくないと思われる。捜査の対象になっている第一の余罪についての情状についての取調べと被告人が思っていたものが、被告人の想定しない、捜査の対象になっている第二の余罪の発生時点の被告人の行動についての取調べ、いわゆるアリバイつぶしになっているようなことは、しばしば生じているものと思われる。
  余罪で捜査の対象になっているが、被告人にはその内容が不明の場合においては、単に余罪被疑事実や取調べを受けている事項が不告知であるだけでなく、捜査官側からは、そのような状況で自白がなされれば、被告人が自らすすんで自白したことになり、「秘密の暴露」のある信用性の高い自白になると考えられて、自覚的にその告知が遅くされ、あるいは余罪被疑事実を被告人に察知されないようにと思いつつ、余罪取調べがおこなわれていることもあるようである。

(三)  余罪の取調べを受けている被告人の還境
  起訴後勾留中に余罪の取調べを受けている被告人の還境として、まず勾留場所は代用監獄たる警察留置場であるのが通常である。代用監獄の利用については、起訴前の勾留中の被疑者の取り調べとの関係で論議されているが(6)、起訴後勾留中に余罪の取調べを受けている被告人の勾留場所も、通常は代用監獄たる警察留置場であり、警察官に護送されて警察署から裁判所に行き、警察署に戻ってくる。
  起訴後の勾留期間は、刑訴法で当初二ヶ月、その後一ヶ月ごとの更新できるという制度であるが、実際には、余罪の取調べを受けている被告人については、勾留の更新がなされなかったり、保釈が認められることは少なく、保釈の問題は余罪の取調べ、追起訴が完了後、通常は認否完了後の問題となっている。なお、起訴されている被告事件の公判期日は、検察官が述べる余罪捜査中、追起訴見込みという事情により、通常の期日指定よりも期間をあけて指定されることが通常である。したがって被告人は、追起訴、余罪の捜査が終了するまで、すなわち自白するまでという、事実上期限の区切りがない、不定期かつ長期の勾留に服しているのである。
  勾留されている被告人については、刑訴法三九条の定める弁護人等以外の者、すなわち家族等との接見交通権が認められているが、近時は、起訴後勾留中に余罪の取調べを受けている被告人についてはそれを制限する接見禁止決定(刑訴法八一条)がなされることが多く、むしろ通常となってきているといわれている。また、起訴されている被告事件の関係では被告人には国選弁護人依頼権が保障されているので、少なくとも国選弁護人が選任されていることになる。しかし、被告事件の関係での国選弁護人が、選任されるまでには一定の期間を要するし、選任されても起訴後勾留中に取調べを受けている余罪に関して、弁護人としていかなる責務を負い、権限を持つかは別の問題である。したがって、逆に言えば、被告人が起訴後勾留中に取調べを受けている余罪に関して、弁護人、ことに国選弁護人からいかなる援助を受けうるかについては、それに依拠できないものが残っているということになる。

(四)  余罪の取調べを受けている被告人の状況
  以上のように、起訴後勾留中に余罪の取調べを受けている被告人は、代用監獄に勾留されて、事実上は追起訴、余罪の捜査が終了するまで、すなわち自白するまでという、事実上期限の区切りがない、不定期かつ長期の勾留のもとにおかれて、家族などとの面会もなく多くの場合は実質的な弁護人の援助もなしに、孤立した拘禁状態のもとで取調べを受けているのである。しかも場合によっては、被疑事実が何かを知らないままに、自己の行動、アリバイの有無の取調べを受けさせられているのである。
  このような状況におかれた被告人の立場は、出口の見えない長く暗いトンネルの中に置かれたようなものであって、出口を与えられるためには捜査官に追随し自白もせざるを得ないような、強制的な雰囲気のもとに置かれたものである。被告人に対し余罪の取調べが、おこなわれるにはそれなりの理由があるとはいえ、その限界が論じられなければならない。

(1)  土本武司『犯罪捜査』一一頁。
(2)  土本武司・前掲書三五頁、また山崎裕人「『被疑者の取調べ』考」警察学論集三八巻八号六二頁。
(3)  被疑者の対応を含む、被疑者取調べ一般の現状については、多田辰也『被疑者取調べとその適正化』一四六頁など参照。
(4)  河上和雄「起訴後の勾留を利用する別事件の取調べの限界」同『最新刑事判例の理論と実務』二三二頁。
(5)  参照、安富潔「身柄拘束下における余罪の取調べ」法学研究六一巻二号一一九頁。
(6)  例えば参照、日本弁護士連合会編『代用監獄の廃止と刑事司法改革への提言』。


三  学説と判例の状況


(一)  学説の状況
  (1)  学説の第一は、被告人の取調べは被告事件については許されないとしつつ、余罪については、特に条件を論じることなく、「余罪との関係ではその者は被疑者であるから、これについては取調べることは許される、とする立場である(1)。完全な任意捜査であれば許されるとする立場(2)や、起訴後の勾留中の被告人に対する余罪取調べについて、格段の言及をしない立場(3)も同様の結果と運用上はなるであろう。

  (2)  学説の第二は、勾留されている被告人に対する余罪の取調べが許され、その取調べに対しても被告人は、逮捕・勾留されている被疑者と同様に、取調受忍義務を負うという見解である。捜査実務を支持する立場であり、余罪取調べの範囲について限定しない肯定説(被告人に対する余罪の取調についての非限定肯定説)である。例えば、「公訴事実以外のいわゆる余罪については、取調が可能なことは当然である。」とし(4)、「任意取調べという考え方は根拠がないといえよう(5)」とする見解である。

  (3)  学説の第三は、この非限定肯定説の対極として措定される、勾留されている被告人に対する余罪の取調べは、どのような範囲や方法においても、いっさい許されないという非限定否定説(全面禁止説)である。但し、併合審判を受けて併合罪について一括して処断されることは(刑法四七条)、実際には被告人にとっては利益と考えられるため、そのことを可能にする追起訴、そのための余罪の取調べをすべて否定することは現実的とは考えられないことになり、そのため非限定否定説はこれまで明示的にはその主張を見いだされないようである。

  (4)  学説の第四は、起訴後勾留されている被告人に対する余罪取調べについて明示的に論じ、余罪の取調べの範囲もしくは方法で限定を加える見解、限定説で、少なからず現れている。その論拠から整理すれば、次のようである。
  限定説の第一は、被告事件からのアプローチである。
  まず、被告事件の「勾留」からアプローチし、捜査官の取調べ権限の限界を論じ、起訴後勾留されている被告人に対する余罪取調べの原則禁止を説く見解がある。「元来勾留に関する事件単位の原則によれば、勾留の基礎となっていない余罪についての被疑者の取調は許されない。」のであり、「現に勾留されている被告人を余罪について取り調べることは、余罪について逮捕勾留されない限り許されない」という見解である(6)
  次に、被告事件の「起訴」からのアプローチがあるである。
  「被疑事件について身柄拘束できない場合に、被告勾留を利用した被疑者取調べがなされるとしたら問題である。いわば『別件起訴』を認めることになるからである。」という見解である(7)。なお、この見解の延長上に、被告事件を理由とする起訴後の勾留からアプローチする、余罪取調べにより違法となる起訴後勾留中の余罪の取調べは許されないという論議(令状主義潜脱説)が位置することになろう。
  さらに、被告事件の「公判」からのアプローチがある。
例えば、「起訴前に取調を行おうとすればできた余罪取調を、起訴後に行うことで、公判の当事者主義・論争主義の構造を危うくすることは許されない」とする見解である(8)
  限定説の第二は、余罪からのアプローチである。
  まず、「余罪の取調べが禁じられることはないが、そのためには身柄拘束が適法であり、かつ取調べ自体が実質上も強制されたものでないことが必要である。」とする見解がある(9)。「被告人に対する余罪の取調を在宅の被疑者の取調と同等に見」ることから出発する見解も同様である(10)。これらの見解は、余罪からのアプローチの中でも、余罪取調べの内容(実体)に着目し、取調べ自体の任意性確保を条件とする見解であり、逮捕勾留されている被疑者についての、いわゆる取調受忍義務否定論の立場に親しむこととなる(11)
  また、余罪からのアプローチの中でも、余罪取調べによる供述の自由への影響に着目する見解がある(12)。この見解からは、結局、起訴前の逮捕・勾留中の余罪の取調べと同様に、任意捜査としての余罪取調べの許容条件を考えるならば、「黙秘権の告知」、「弁護人選任権・接見交通権の告知」、「出頭義務と取調義務の不存在の告知」が、その許容条件として考えられるようである(13)。なお、この見解の延長上に、余罪取調べについて取調受忍義務を否定したうえで、起訴前の勾留下での余罪の取調べの許容条件として、「黙秘権の告知」、「黙秘権放棄供述が不利益な証拠となることの告知」、「弁護人選任権・接見交通権の告知」などを求める見解を(14)、起訴後勾留中の被告人に対する余罪の取調べに適用する論議を想定することができよう。
  さらに、余罪からのアプローチの中でも、余罪取調べの範囲ではなく、余罪取調べが行われる期間に着目する見解もある。起訴後勾留されている被告人に対する余罪取調べでは、取調の限界づけることはできないが、法が起訴前の身柄拘束期間を制限したことにかんがみ、「起訴前の身柄拘束期間の最大限度、つまり二三日間までが限度である」、という見解である(15)

(二)  判例の状況
  (1)  判例としては、まずいわゆる「帝銀事件」上告審判決がある。同判決において、最高裁は、はじめは甲事件について起訴勾留の手続をとった後、右勾留中の被告人を乙事件の被疑者として取り調べたとしても、検察官においてはじめから乙事件の取調べに利用する目的または意図をもってことさらに甲事件を起訴し、かつ不当に勾留を請求したと認められない場合には、右取調べをもって直ちに自白を強制し、不利益な供述を強要した(憲法三八条一項)ということはできないとし、また、甲事件について起訴勾留の手続きをとった後、乙事件につきさらに被告人の取り調べをしたからといって、これを違法違憲と解すべき理由はないとした(16)
  学説では、限定説の中の、被告事件の起訴からのアプローチによる、別件起訴(起訴後勾留)の視点より起訴後に勾留されている被告人に対する余罪の問題を取り扱う見解が(17)、これと同じ立場といえよう。

  (2)  昭和四七年の、いわゆる仁保事件差戻後控訴審判決は、起訴後の勾留を利用して余罪の取調べをすることは、起訴後の勾留の目的を著しく損なうことのない限り違法ではないが、余罪の取調べが、起訴後の勾留の本来の目的を著しく損なっており、起訴後の勾留がほとんど余罪の被告人取調べのための身柄拘束に転化しており、起訴後勾留の利用の限度を越え、令状主義の趣旨に反する違法な取調べにあたるとされた(18)
  学説では、限定説の中の、被告事件の起訴からのアプローチの延長上に想定される、余罪取調べにより違法となる起訴後勾留中の余罪の取調べは許されないという論議が、この判例の立場と同様な立場ということになろう。

  (3)  ついで、下級審においては、起訴後の勾留中の被告人に対する余罪の取調べについて、任意捜査と解したうえで、起訴後の余罪の取調べについて出頭・滞留義務を否定し、それぞれの捜査がこのような限界を越えているとして、結局その中で得られた自白を排除している例がある。
  すなわち、東京地裁昭和五六年一一月一八日決定は、起訴後の勾留されている被告人に対する余罪の取調べは、任意捜査であって、取調べ時間、方法などの点で在宅の被疑者のそれに準ずるべきであるとしている(19)。同様に、旭川地裁昭和五九年八月二七日決定および旭川地裁昭和六〇年三月二〇日判決は、起訴後勾留中の被告人に対する余罪の取調べは、任意捜査であって、取調べ時間、方法などの点で在宅の被疑者のそれに準ずるべきであるとしている(20)
  また、いわゆる鹿児島夫婦殺害事件差戻後控訴審判決である福岡高裁昭和六一・四・二八判決(21)は、捜査においては本件であり身柄拘束については余罪である事件についての取調べが、具体的状況のもとにおいて憲法及び刑事訴訟法の保障する令状主義を実質的に潜脱するものであるときは、その取調べは違法とされ、それによって得られた自白は違法収集証拠として証拠能力を欠くとされた、別件逮捕・勾留に関する判決であるが、勾留が起訴後の勾留に切り替わった後も、被告人に対する取調べが余罪の取調べとして行われ自白が得られていた事案である。
  これらの裁判例は、結論においては、学説のなかの、限定説の中の、余罪からのアプローチの中でも、余罪取調べの内容(実体)に着目し、取調べ自体の任意性確保を条件とする見解と同様の立場であると思われるが、立論においては、逮捕勾留されている被疑者についての、いわゆる取調受忍義務肯定論が立論の前提になっている点において、学説と異なっている。

  (4)  下級審裁判例のなかには、起訴後勾留されている被告人に対する余罪取調べの事例において、任意捜査としての余罪取調べの許容条件として、「黙秘権の告知」、「弁護人選任権・接見交通権の告知」、「出頭義務と取調義務の不存在の告知」、などを挙げる例もあったが、その判決は控訴審で破棄されている(22)
  なお、裁判例の中では、起訴後勾留されている被告人に対する余罪取調べにおいて、学説における、「起訴前の身柄拘束期間の最大限度、つまり二三日間までが限度である」、という見解(23)に相応する判例は、まだ見いだされないようである。

(1)  例えば高田草爾『平場・高田・鈴木編注解刑事訴訟法中巻四七頁』、高田草爾『刑事訴訟法(改訂版)』三一七頁。田宮裕『刑事訴訟法(新版)』一三八頁、鈴木茂嗣『刑事訴訟法(改訂版)』九五頁も、同様と思われる。
(2)  例えば、平野『刑事訴訟法』一二一頁も、完全な任意の取調であれば刑訴法一九七条一項の取調は可能とすることになろう。
(3)  例えば、井戸田侃「刑事訴訟法要説」八九頁は、「起訴後においては捜査の目的はなくなり、もはや捜査機関が弁解を聴取する必要はないし、またそれでは公判段階における当事者主義の原則と矛盾する」から、刑訴法一九八条による被告人に対する取調べは許されない、とのみ述べる。
(4)  河上和雄『捜査官のための実務刑事手続法』二七八頁。
(5)  河上和雄・前掲『最新刑事判例の理論と実務』二三三頁。
(6)  石松竹雄「被告人に対する余罪の取調と刑訴法三九条三項の指定処分」河村澄夫・古川実編刑事実務ノート第三巻五七頁以下の六六頁。なお参照、石松竹雄「令状をめぐる最近の問題」刑法雑誌一九巻三・四号二二五頁。
(7)  田口守一・前掲論文「被告人の取調べ」五〇一頁。
(8)  渥美東洋『刑事訴訟法(新版)』五六頁。この見解は、むしろ原則禁止説の域とも解される。また同様の論理は、先に松岡正章「被告人の取調べ」判例タイムズ二九六号四五頁でも示されている。
(9)  後藤昭「余罪取調」編集代表井戸田侃『総合研究・被疑者取調べ』五〇七頁の五三六頁。なお、この見解は、身柄拘束が適法であることを要する点で、被告事件の勾留からのアプローチの性格も持っていると思われる。
(10)  山本正樹「被告人に対する(余罪の)取調」近大法学三五巻三・四号八七頁。なおこの見解は、「被告人に対する余罪の取調を在宅の被疑者の取調と同等に見、身柄拘束中であるという現実を踏まえるならば、被告人の実質的防御権の保障、被告人の主体的地位と公正な裁判を受ける権利の保障に照らして、余罪の取調を考えるほかはないと思われる。そうすれば、被告人に対する余罪の取調を許容する余地はほとんどないものと考えられる」としており、起訴後勾留されている被告人に対する余罪取調べを総合的に批判することで、非限定否定説(全面禁止説)を志向しているものとも思われる。
(11)  参照、後藤昭・前掲論文「余罪取調べ」五三五頁、五三六頁。
(12)  安富潔「身柄拘束下における余罪の取調べ」法学研究六一巻二号一二一頁。
(13)  参照、安富潔・前掲論文「身柄拘束下における余罪の取調べ」一二一頁、一一九頁。但し、この論者の立場は、同・前掲論文「身柄拘束下における余罪の取調べ」一一八頁によれば、刑訴法一九八条一項但書は取調の規定であり範囲に制限なく、他方で出頭・滞留義務の根拠は身柄拘束されている状態にあり、その義務は余罪の取調中にもあるという立場である。
(14)  参照、渥美東洋・前掲書五一頁。但し、この論者は起訴後の全罪取調べについては、同・前掲書五六頁のように否定的である。
(15)  川出敏裕『別件逮捕・勾留の研究』二六〇頁。
(16)  最大判昭和三〇年四月六日刑集九巻四号六六三頁。
(17)  田口守一・前掲論文「被告人の取調べ」五〇一頁は、この視点も指摘する。
(18)  広島高判昭和四七年一二月一四日高刑集二五巻七号九九三頁。被告事件の勾留の限度(別件逮捕・勾留)の視点より起訴後に勾留されている被告人に対する余罪の取調べの問題を取り扱ったものといえる。
(19)  判例時報一〇二七号三頁、いわゆる土田邸爆破事件に関するものである。
(20)  いわゆる旭川日通営業所長殺人事件においての証拠調べ請求に対する決定と被告事件に対する判決であり、いずれも判例時報一一七一・一四八頁以下に掲載されている。
(21)  判例時報一二〇一号三頁。
(22)  いわゆる都立富士高校放火事件についての第一審証拠決定である東京地裁昭和四九年一二月九日刑裁月報六巻一二号一二七〇頁、およびそれにもとづく第一審判決である東京地判昭和五〇年三月七日判例時報七七七号二一頁と、それを破棄した東京高判昭和五三年三月二九日判例時報八九二号二九頁である。
(23)  川出敏裕・前掲書二六〇頁。


四  検討と考察


(一)  以上のような、起訴後勾留中の被告人に対する余罪の取調べについての学説と判例を振り返ると、それらの学説や判例はすべて基本的には、逮捕・勾留の制度や捜査官の取調べ権限・取調べ制度を論じる、いわば制度論的なアプローチからの議論といえる。たしかに、取調権限のような公務員の活動の根拠規定や制度を論じることは、もとより法治国家の基本であり重要な視点であるが、他方では公務員の活動は基本的人権を侵害する場合は許されないのであるから、人権保護の視点より起訴後勾留中の被告人に対する余罪の取調べを検討する必要もある。以下、人権保護の視点、人権アプローチから起訴後勾留中の被告人に対する余罪の取調べについて検討することとして、起訴後勾留中に余罪の取調べを受けている被告人について、あらためてなされている「被告人の防御権の保障という観点を第一義的に考慮する」べきであるという指摘をも参考にし(1)、防御権保障の中心である告知・聴聞の保障という視点から(2)、余罪被疑事実の不告知の問題にしぼって検討してみることにしてみたい。
  前述の起訴後勾留され余罪の取調べを受けている被告人の状況の中で論じたように、余罪被疑事実の不告知は、被告人を最も不安がらせ、困惑させ恐怖させており、このような状態におちった被告人をそのままにしておくことは、それ自体として適正手続きの保障(憲法三一条)の侵害になりかねないのであって、余罪被疑事実の告知を根拠づけ実現することが是非とも必要になっているといわなければならない。起訴前のいわゆる別件逮捕、勾留についてであるが、取調べを受ける者に対する被疑事実の不告知の問題点は、既にはやく指摘されている。「別件逮捕、勾留の方法がとられるとなると、被疑者としては防御の目標が定まらず、防御しようにも手の施しようがないのはもちろんのこと、取調官の真意をあれこれ憶測しては、絶えず不安に悩まされ、焦慮に駆られることになる」のである(3)。このような状況は、勾留期間が長期になる可能性がある起訴後勾留中に余罪の取調を受けている被告人にとっては、いっそう強く現われこそすれ弱くなるものでない(4)

(二)  黙秘権と被疑事実の告知
  黙秘権の告知に関連して、被疑事実の告知の必要性があるかについては(5)、以下のようにこれを否定する裁判例がある。
  供述述拒否権について、起訴前の被疑者について「その権利の告知は、被疑者に対し憲法上の自己不罪拒否の特権ないし刑訴法上の供述拒否権を理解させ、これを行使するうえで遺憾なからしめるための権利保障的意義を有するものであって、供述拒否権が各個の被疑事実ごとに存在するものではないから、その告知に際しては、右刑訴法の定める事項を理解させれば十分であって、被疑事実若しくはその罪名まで告知する必要はない(6)。」
  しかしながら、供述述拒否権の告知は意義は、まず「憲法上の自己不罪拒否の特権ないし刑訴法上の供述拒否権を理解させ」ることにあるが、他方では、前述のような起訴後勾留中に余罪の取調べを受けている被告人の取調べの実際から考えると、憲法上の自己不罪拒否の特権ないし刑訴法上の供述拒否権を「行使するうえで遺憾なからしめるため」には、「取調べの強制的雰囲気を除去する」こと自体が必要となり、そのためには被疑事実およびその罪名の告知が必要と考えられる。
  周知のように、アメリカ合衆国では、憲法修正五条の自己不罪拒否の特権を保障するため、「取調べの強制的雰囲気を除去する」ことの必要性があるという認識から、ミランダ警告の制度に進んだのであるが(7)、そのためにとられる措置は別論として、「取調べの強制的雰囲気を除去する」必要性は、我が国でも何ら異なっていないのである。また、起訴後勾留中に余罪の取調べを受けている被告人の取調べにおいて、その雰囲気は起訴前の取調べの場合に比し、強くこそあれ決して弱くはないのである。
  また、供述拒否権が各個の被疑事実ごとに存在するものではないとしても、その行使は各個の被疑事実ごとに判断されるものであり、その行使にとって、被疑事実およびその罪名の告知が有益かつ必要であることは言うまでもない。問題は、被疑事実も分からないのに捜査官の取調べを受けていることである。自己の供述がどのような意味を持つかも知らないで、供述すべきか否かを、自分で判断しなければならない被告人の立場である。
  なお、アメリカ合衆国におけるミランダ法則に関する判決の中には、憲法修正五条の特権放棄が有効であるための被疑事実の告知の必要性を認めなかったスプリング判決がある(8)。しかし、同判決の多数意見は、反対意見の着目した弁護人依頼権の行使のために必要があるという視点でなく、「取調べの強制的雰囲気」の除去の視点のみで判断したものである。しかも「取調べの強制的雰囲気」は、監獄(Jail)で勾留されるアメリカ合衆国より、前述のように被告人を代用監獄たる警察留置場に起訴後に勾留して余罪の取調を受けている我が国でのほうが、通常は一般的には強いと判断されるのであるから、アメリカ合衆国におけるスプリング判決の存在は、我が国で被疑事実の告知の必要性を論じることの障壁にはならない(9)

(三)  弁護人依頼権と被疑事実の告知
  憲法三四条前段は、何人も理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留又は拘禁されることがない、ことを規定している。そうして、このうちの「直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ」の趣旨にのっとり規定された、刑訴法三九条一項の身体を拘束されている被疑者・被告人の弁護人等との「接見交通権は、身体を拘束された被疑者が弁護人の援助を受けることができるための刑事手続上最も重要な基本的権利に属する」ものである(10)。すなわち、憲法三四条前段の定める弁護人依頼権は、「身体を拘束された被疑者が弁護人の援助を受ける」権利であって、身体拘束の状態にある者の権利である。したがって起訴後勾留中に余罪の取調を受けている被告人についても、当然この権利は保障されている権利である。
  他方、憲法三四条前段は、何人も理由を直ちに告げられなければならないことを定めているが、その趣旨は抑留又は拘禁されることがないことを規定するのみならず、「身体を拘束された被疑者が弁護人の援助を受ける」権利たる弁護人依頼権を、実質的に保障する点においても意義があるものと思われる。
  すなわち、身体を拘束されている被疑者にとっては、弁護人を依頼するか否か、依頼するとすればどんな弁護人を依頼するか、弁護人に何を尋ね何を相談するか等々、すべて自己の被疑事実、取調べられようとしている事項に依存しており、これらが何かが不明のままでは、「身体を拘束された被疑者が弁護人の援助を受ける」権利は、実質的には保障されず、身体を拘束された被疑者は、弁護人を依頼するか否かの判断さえ誤ってしまう危険の中に瀕しているといわなければならない。
  以上は、本稿で検討している起訴後勾留中に余罪の取調べを受けている被告人についてもまったく同様である。起訴後勾留中に余罪の取調べを受けている被告人、ことに国選弁護を受けている被告人の相当数は、取調べを受けている余罪について今の弁護人から相談・助言をもらえるであろうか、いっそ新たな弁護人を家族等から依頼してもらう必要があるのでなかろうか、そもそも何について取調べを受け、公判期日が延び勾留が更新されているのであろうかと、しばしばおこなわれている接見禁止処分のもとで、一人で悩み、困惑し、恐怖を感じているのである。このような被告人にとって、余罪たる被疑事実、取調べを受けている事項の告知は、「弁護人の援助を受ける」権利を実質的に保障してもらうための必須の事項である。被疑事実の告知を受けることが、「弁護人の援助を受ける」権利、弁護人依頼権(憲法三四条前段)の内容として保障されているものというべきである。
  なお、アメリカ合衆国においては、いわゆるチャージに関係ない犯罪(a crime unrelated to the charge)についての取調べ、供述の取得が、憲法修正六条の弁護人依頼権を侵害しないというマクニール判決があり(11)、起訴後の余罪の取調べについては弁護人依頼権が保障されないかのように見える。しかし、アメリカ合衆国の憲法修正六条の弁護人依頼権は、我が国の憲法三七条三項に対比される、「被告人(the accused)」について規定されており、公判前の刑事手続きに拡大されてきた点が積極的に評価されてはいるものの、なお弾劾的な公判手続(adversary judicial proceedings)の範囲での保障という限度に止まり、そのために犯罪ごとの(offennce−specific)保障と解されて、同判決のような判断が生まれているのである。しかしながら、我が国で論じられている弁護人依頼権は、被疑者、被告人などすべての拘禁されている者に保障される憲法三四条前段の弁護人依頼権である(12)。アメリカ合衆国におけるマクニール判決の存在は、我が国で起訴後勾留中に余罪の取調べを受けている被告人に対する弁護人依頼権を論じることの障壁にはならない(13)
(四)  起訴後勾留中に余罪の取調べを受けている被告人に対し、被疑事実を告知される権利が保障されるとするとき、それは何時告知されなければならないのであろうか。前述のような起訴後勾留中に余罪の取調べを受けている被告人の状況に照らし、「弁護人の援助を受ける権利」としての弁護人依頼権の実質的保障という見地から考えるならば、余罪被疑事件と被告人の結びつきについて捜査の目が移ったとき、いわゆる「被告人のアリバイつぶし」のようなものが始まった時期ということになろう。また、起訴後の勾留の更新、保釈の不許可、公判期日の指定等で、追起訴、余罪の取調べ又はその可能性が考慮された時も、余罪被疑事件と被告人の結びつきについて捜査の目が移ったときと解される。
  なお、実際に余罪被疑事実の告知を受ける権利が実質的に保障されていないときは、その権利の侵害が行なわれている勾留からの救済(14)や、そのもとでとられた自白の証拠能力の否定が検討されるべきである。
(五)  起訴後勾留中に余罪の取調べを受けている被告人について、余罪被疑事実の告知を受ける権利を論じ、認めることは、起訴前の逮捕・勾留中に余罪の取調べを受けている被疑者について、いわゆる別件逮捕勾留に該当する場合を含め、余罪被疑事実の告知を受ける権利を認め、その侵害の有無を論じる必要性を示している。捜査官の取調べ権限、取調べ制度論などとあわせ、別の機会に論ずることにしたい。

(1)  田口守一・前掲論文「被告人の取調べ」五〇二頁。
(2)  参照、最大判昭和三七年一一月二八日刑集一六巻一一号一五九三頁(第三者没収違憲判決)。
(3)  伊達秋雄「いわゆる『逮捕勾留の蒸し返し』の違法性について」ジュリスト二七九号四二頁。
(4)  起訴後勾留中に余罪の取調べを受けている被告人に保障される人権の見地からは、もとより憲法三一条以下に保障されている個々の人権について、その侵害の有無が検討されるべきことになるが、ここでは紙幅の関係もあり、余罪被疑事実の不告知の問題にしぼって検討してみることにする。その他の問題としては、例えば、起訴後勾留中の余罪の取調べが長期にわたって継続するような場合の、迅速な裁判を受ける権利(憲法三八条一項)の侵害の問題等があろう。
(5)  参照、久岡「黙秘権」編集代表井戸田侃『総合研究・被疑者取調べ』四〇七頁。
(6)  東京高判昭和五七年一二月九日判例時報一一〇二号一四八頁、なお参照、仙台高秋田支判昭和二九年四月二七日判決特報三六・九三。
(7)  小早川義則『ミランダと被疑者取調べ』など参照。
(8)  Colorado v. Spring, 479 U.S. 564, 107 S. Ct. 851 (1987).
(9)  スプリング判決については、小早川義則・前掲書二六四頁以下、渡辺修『被疑者取調べの法的規制』四八頁、神坂尚「尋問の対象となる被疑事実の不告知と供述拒否権放棄の有効性」」鈴木義男編『アメリカ刑事判例研究』第四巻六八頁等参照。同判決における多数意見は、ミランダ判決を、取調べ過程における強制(coercion)の、根絶のための限定的解決(Definitive Solution)と見たものと、通常は解されている。
  なお、神坂論文は最後に、「そして、我が国のように少なくとも身柄拘束の理由となった事実については取調受忍義務が肯定されている法制のもとでは、余罪の取調べに際して対象となる被疑事実を告知する必要性はむしろ大きいとも言えるのであって、」と、述べている。また、多田辰也・前掲書二七一頁も、スプリング判決に関連して、「ミランダ判決が被疑事実の告知を要求していなかったことにも関連するが、どの事件について取調べがなされるのかわからない状況で、はたして有効な権利放棄ができるのであろうか。」とする。
(10)  いわゆる杉山事件についての最判昭和四四年六月一一日民集三二巻五号八二〇頁。
(11)  McNeil v. Wisconsin, 501 U.S. 171, 111 S. Ct. 2204 (1991), なお、小早川・前掲書三二二頁参照。
(12)  なお参照、椎橋隆幸『刑事弁護・捜査の理論』四六頁。
(13)  なお、起訴後勾留中に余罪の取調べを受けている被告人の弁護人依頼権の判断を、将来の刑罰若しくは起訴という処分との関係での必要性によって判断し、あるいはそこでの被疑事実の告知を受ける権利を、将来の刑罰若しくは起訴という処分との関係で保障される告知聴聞を受ける権利、ひいては適正手続きの保障(憲法三一条)として論じることも可能と考えられるが、別の機会に譲る。
(14)  なお参照、久岡・前掲論文「起許後の勾留の性質」