立命館法学 2000年3・4号下巻(271・272号) 623頁




成年後見制度と私的自治


中井 美雄


 

一  は  じ  め  に

  わが国民法典は、二〇〇〇年四月に「能力」規定を改正し、後見・保佐・補助制度を設け、また別に、特別法によって「任意後見制度」を新設したが、これらの諸制度の創設にあたって、自己決定の尊重が強調されている(1)。自らの権利や利益は、自らの意思決定に基づいて自ら護るということが、私法の基本的な原理であるということはいうまでもない。私的自治・自己決定の尊重という観点からみて、この新しく創設された成年後見制度が、従前の制度に比べて自己決定の理念に、より適合的であるかが関心の的となる。自己決定権は、何人にも保障される基本権の一つであることは否定できない。しかし、自己決定権がすべての人に保障されるということと、個々の人々が具体的な局面に遭遇して、現実に自己決定権を行使しうるかという問題は別である。自己決定権の保障を、具体的に法制度としてどのように構築するかは重要な課題である。意思能力・行為能力を欠く人、すなわち自己決定能力の面においてハンディを背負う人々の存在することは現実である。そもそも、自己決定権の法制度による実質的保障が行為能力制度論の中核であったはずである。しかし、従前の禁治産・準禁治産制度は必ずしもその要請には忠実ではなかったとするのがこれまでの一般的な理解であった。個人は自己の生命・身体・財産に関する権利・利益を自ら守るのが私法の基本原則である、すなわち、そのことによってのみ自らの生命を維持し、生活を保持しうるというのであれば、権利・利益の擁護に関する能力の面で劣る、あるいは不十分な人に対しては、その能力を回復ないし補強する手立てが社会的にまた国家的に講じられる必要がある。それは、自己決定権を侵すことのない抑制的な、しかも実質的に自己決定能力の回復ないし補強を実現する法制度によるものでなければならない。全く純粋な意味での私的関係にのみそれを委ねることは幻想にすぎないであろう。自己決定権の保障を純粋な意味での私法的関係に委ねた場合、私的な保護が、国家法的な水準での保護システムをそのなかに構築しうるかについては疑問が多いからである。「自己決定」への放置ではなく、自己決定権の実質的保障に寄与する法制度が必要である。この観点から今次の改正をみた場合、それはどのように評価できるのであろうか。

  一九九二年に、成年者に対する「世話法」を成立させたドイツにおける議論は興味深い。ドイツにおける「世話法」による「世話」制度の導入は、ドイツの法体系に関するもっとも重要かつ根本的な改革であると位置づけられるようであるが、改革以前においては、ドイツ民法一〇四条二号にいう「自然的行為無能力」の規定(精神活動の病的障害により自由な意思決定を為すことのできない状態にある者は、行為無能力者である。但し、この状態がその性質上一時的なものでないことが必要である。行為無能力者の意思表示は無効ード民一〇五条一項。)は、一般的には問題視されてきたようである。行為者の行為の「困難性」の程度と関連する「相対的行為無能力」の承認がいわれてきた。しかし、改革後においても、行為能力と世話との関係の不透明さが指摘されている。被世話人に対する世話人の行為権限の関係は難しい問題を含んでいる。被世話人は、世話命令によってはその行為能力もしくは同意能力を失わないが、同時に法定代理人によって守られるのであるから、基本的には、両者が被世話人のために有効に行為する地位を有することになる。この「二重権能」から、財産法領域においてだけではなく、殊に、医療行為の場合にも問題が生ずることになる。ドイツ世話法の基本原則は、行為能力剥奪・制限の宣告を廃止する。世話人を選任しても、被世話人の法律取引への関与を機械的には制限しない。個々のケースにおいて制限が必要な場合にのみ、裁判所が「同意留保」を命じることができるとしているのである(2)。行為無能力者制度を通じての「国家的保護」(ドイツ民法一〇四条二号、行為無能力者の行為は無効。この二号行為無能力者は、世話法上の被世話人となりうるであろうが、病的障害が被世話人の自由な意思形成並びに意思活動を阻害しており、それが長期間ないし永続的に継続する必要がある)と世話法による「世話」制度(ここでの被世話人の行為能力の判断は、具体的事例に応じて為されなければならない)との機能的関連が問題となりうることを示している。わが国においても、法定被成年後見(成年被後見人は、精神上の障害に因り事理を弁識する能力を欠く常況にあることが要件)と任意後見(精神上の障害に因る将来の事理弁識能力の不十分な状況に対する対応)との間に、その相互関係をめぐる問題が存在すると思われ、また、任意後見制度の代理権の機能に関しても検討すべき事が残されているように思われる。法定被成年後見は家庭裁判所の審判によるものであり、被成年後見人の行為能力は禁治産制度の場合と同じく規制されている(日常生活に関する行為は除外されているが。成年後見人は法定代理人となる)。任意後見は、任意後見契約という私人間の契約を基軸とし、それに家庭裁判所の選任する任意後見監督人というバックアップを付したものである。そこには家庭裁判所という国家機関による監督下にあるものと、基本的には私人の行為に基づくものとの違いがあり、そのいずれが判断能力を欠く者の保護にとって効果的な制度であるかという評価の問題も存在するであろう。法定被成年後見と任意後見との機能的優劣あるいは相互関連の問題でもある。私的自治ー自己決定を強調するならば、後者、すなわち任意後見制度が基本となり、補助的なものとして前者、すなわち法定被成年後見制度が機能することになるはずであるが、この点は、今後の運用に待つ問題であろう。また、任意後見における将来に備えた代理権(いわば予防的機能を有する代理権)の意義・機能も検討を要する問題である。その意味では、成年後見制度は、私的自治ー自己決定権の法的保障を検討する上において有意義な手がかりを提供するものであろう。

二  無能力者保護の制度と法規定


  二〇〇〇年四月一日から施行されたいわゆる成年後見制度は、精神上の障害により判断能力が不十分であるため法律行為における意思決定が困難な人々について、その判断能力を補う制度とされている。判断能力の不十分な人々が判断をするに際して、その自己決定を補完する制度と説明されることが多い。改正前の禁治産・準禁治産制度は、二つの類型の間で大きく異なる効果が定型的に法定されている硬直な制度であるため、各人の状況に応じた弾力的な措置をとることが困難であること、心神喪失・心神耗弱という要件が重く厳格であるため、軽度の痴呆、知的障害、精神障害などに対応することが困難であること、禁治産者の行為はすべて取消の対象となるため、日常生活に必要な範囲の法律行為を必要とする痴呆性高齢者・知的障害者・精神障害者には利用が困難ということ、夫婦の場合、後見人・保佐人となりうるものは配偶者であり(旧八四〇条・八四七条)、配偶者の一方も高齢者である場合には、現実に後見人・保佐人の仕事をすることが困難であること、後見人・保佐人の数は一人であり、複数の後見人等の選任は困難であり、法人を後見人に選任することもできないこと、禁治産者という表現に対する嫌悪感や禁治産宣告の官報による公示・戸籍簿記載への抵抗感があること、鑑定人の選任の困難性、鑑定費用の問題、それにもまして禁治産者の職業上の制約やさまざまな資格取得上の特別法などによる制約があって、効果的に利用されてこなかったといわれてきた。そこで、本人の意思や自己決定権の尊重、障害のある人も家庭や地域で通常の生活ができるような社会を作ろうとするいわゆるノーマライゼーションなどの理念を十分考慮し、これらの理念と本人保護の理念との調和の観点から旧制度を抜本的に見直し、精神上の障害により判断能力が不十分であるため法律行為における意思決定が困難な人々について、その判断能力を補い、その人々の生命、身体、自由、財産等の権利を擁護するために新たな成年後見制度を設けたといわれる。この制度の具体的内容を整理するならば、以下のとおりである。

(一)  「後見」制度
  精神上の障害に因り事理を弁識する能力を欠く常況にある者に対する制度であり、家庭裁判所の後見開始の審判による(民七条)。後見開始の審判を受けた場合、本人は成年被後見人と称せられ、成年後見人が付されることになる(民八条)。成年後見人の選任は、家庭裁判所が職権で行う(民八四三条一項)。成年後見人は複数選任することが可能であり、法人もまた後見人となることができる(民八四三条三項・四項)。選任に際しては、被後見人の意見を考慮しなければならない。
  後見人は、被後見人に対する身上配慮義務を負う(民八五八条)。すなわち、後見人は、被後見人の生活、療養看護および財産の管理に関する事務を行うに当たっては、被後見人の意思を尊重し、かつ、その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならないとされている。また、後見人は、被後見人の財産を管理し、その財産に関する法律行為についての代理権を有する(民八五九条一項)。この財産管理権、代理権は包括的なものである。また、被後見人の行為についての取消権を認められている(民一二〇条一項)。
  被後見人の自治能力に関していえば、被後見人には婚姻能力は認められる(民七三八条)。すなわち、被後見人が婚姻をするについては、後見人の同意は必要ではない。また、認知能力も認められている(民七八〇条)。遺言に関していえば、事理を弁識する能力を一時回復したときにおける遺言に関しては、医師二人以上の立会いの下に為すことによってその効力が認められる。さらには、日用品の購入その他日常生活に関する行為については、これを取り消すことはできない(民九条但書)。後見人の解任について、被後見人は、解任の請求権者たりうる(民八四六条)。

(二)  「保佐」制度
  「保佐」は、保佐開始の審判によって開始する(民八七六条)。保佐は、精神上の障害に因り事理を弁識する能力が「著しく不十分な者」を対象とする(民一一条)。保佐開始の審判を受けた者には保佐人をつける(民一一条ノ二)。家庭裁判所は、職権で、保佐人を選任する。保佐人については、後見人に関する規定が準用される(民八七六条ノ二・二項)。複数の保佐人の選任も可能であり、また、法人も保佐人となりうる。選任に際しては、被保佐人の心身の状態並びに生活及び財産の状況、保佐人となる者の職業及び経歴並びに保佐人と被保佐人との利害関係の有無を考慮し、また、被保佐人の意見その他一切の事情を考慮しなければならない。保佐人は、民法一二条一項所定の被保佐人の行為に対する同意権を有する。更に、民法一二条一項所定の行為以外の行為についても同意権を付与される場合がある(民一二条二項)。保佐人に同意権を付与する審判による。保佐人は、後見人と異なって当然のごとく代理権を有するものではないが、家庭裁判所は、民法一一条所定の者又は保佐人若しくは保佐監督人の請求によって、被保佐人のために、特定の法律行為について保佐人に代理権を付与する旨の審判をすることが出来る(民八七六条ノ四・一項)。本人以外の者が、この審判の請求をする場合には、自己決定の尊重の観点から、本人の同意が必要である。保佐人に代理権を与えうることを明文で認めた点は旧来の準禁治産制度と異なる。同意権を付与された保佐人と本人の意見が食違い、本人の不利益となるおそれのない行為について保佐人が同意しない場合には、本人は、家庭裁判所の許可を得て、当該行為を行うことができる(民一二条三項)。保佐人は、同意権を有する行為、代理権を付与された行為について取消権を有する。

(三)  「補助」制度
  精神上の障害により事理を弁識する能力が「不十分な者」を対象とする保護制度である(民一四条一項)。自己決定の尊重という観点からみた場合、以下の点が特徴的といえるであろう。補助開始の審判は、本人自身に申立権が付与されているほか、配偶者・一定範囲の親族等にも申立権が認められるが、本人以外の者が申し立てる場合には本人の同意が必要である(民一四条二項)。補助人の選任にあたっては、家庭裁判所は、本人の意見を考慮しなければならない(民八七六条の七二項、八四三条四項)。また、補助人は、補助の事務を行うにあたっては、本人の意思を尊重しなければならない(民八七六条の一〇一項、八七六条の五一項)。日用品の購入その他「日常生活に関する行為」は、補助人の同意権・取消権の対象から一律に除外されている(民一六条一項・一二条一項但書)。同意権を付与された補助人と本人の意見が食違い、本人の不利益となるおそれのない行為について補助人が同意しない場合には、本人は、家庭裁判所の許可を得て、当該行為を自ら行うことができる(民一六条三項)。補助人に特定の法律行為についての代理権または同意権を与えることができるが、この場合には、本人の同意が要件となる(民一六条一項・ニ項、八七六条の九一項・ニ項、八七六条の四二項)。
  要するに、「補助」制度は、以前の禁治産・準禁治産制度の下では保護の対象とならなかった軽度の知的障害者・精神障害者などを対象とする制度であり、あくまでも本人の自己決定を最大限尊重しつつも、状況に応じた弾力的な運用を可能とする制度として構想されている。

(四)  任意後見制度
  任意後見制度とは、「任意後見契約」に基づく要保護者のための後見制度である。任意後見契約とは、委任者が、受任者に対し、自分が精神上の障害に因り事理を弁識する能力が不十分な状況になった場合の自己の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務の全部または一部を委託し、その委託に係る事務について代理権を付与する委任契約であって、「委任契約に関する法律」四条一項の規定により任意後見監督人が選任された時からその効力を生ずるものである(「任意後見契約に関する法律」二条一号、以下「任意後見法」という)。
  本人保護を、私的自治の理念、すなわち本人の意思に基づくものとして組み立てるべく構想された制度といえよう。私的自治尊重の観点から、本人が自ら締結した任意代理の委任契約を基礎としつつ、本人保護のために最小限必要な公的関与(家庭裁判所の選任する任意後見監督人の監督)を法制化することによって、本人の保護を図ろうとするものである。任意後見監督人が選任された時からその効力が生ずる。また、本人の判断能力が不十分となった時点で効力を生ずるものであるため、本人の意思をより明確にする必要もあり、その方式は、公証人の作成する公正証書によることが必要とされる(任意後見法三条)。任意後見契約の公正証書が作成されると、公証人から登記所への嘱託により、任意後見契約の登記がなされる。任意後見監督人の選任については、本人の申立て又は同意が必要である(同法四条三項)。

三  成年後見制度と私的自治


(一)  成年後見制度の立法趣旨(3)
  今次、改正の理念ないし趣旨は、以下のようにまとめることができる。改正前の禁治産・準禁治産及び後見・保佐制度は、判断能力の不十分な者の権利保護の観点から、「本人の保護」を基本理念としつつ、「取引の安全」にも配慮した制度であるが(禁治産者・準禁治産者とすることによって、取引の相手方に不測の不利益をもたらさない)、これらの制度は、定型的に法定されている硬直な制度であるため、各人の状況に応じた弾力的な措置をとることが困難であるなどの理由で、その改正の必要性がいわれ、新しい理念として、「自己決定(自律)の尊重」、「残存能力の活用」、「ノーマライゼーション」などの重要性が提唱され、これら「自己決定の尊重」の理念と「本人の保護」の理念との調和を旨として、各人の多様な判断能力及び保護の必要性に応じた柔軟かつ弾力的な措置を可能とする利用しやすい制度を制定した。ここにいう「本人の保護」とは、適切な法律行為をする判断能力が不十分な者に対して、本人に有利な権利(代理権または同意権・取消権)を付与することによって、適切な法律行為ができるように本人の能力を補充するという趣旨であり、本人から一定の能力を奪ったり、本人の能力を制限するという趣旨の概念ではない。ポジティブな権利擁護のシステムとして、成年後見制度を構築しようとするものである、と述べられている。こうした「自己決定の尊重」ひいては「私的自治」の理念がどの程度活かされているかが問題である。今後におけるこの制度の運用にあたって重要な視点を提供するものであろう。「本人の保護」という理念と「自己決定の尊重」という理念とが併置されていることは興味深いことである。「自己決定の尊重」という理念のあるところに、「本人の保護」という理念の入ることは、「自己決定」に対する一定の干渉が入ることになるからである。

(二)  制限能力者と私的自治
  改正後の民法は、「制限能力者」という概念を認めている(民一九条)。ここにいう制限能力者とは、未成年者、成年被後見人、被保佐人、民法一六条一項の審判を受けた被補助人をいう。未成年者はここでは考察外として、他の制限能力者と私的自治との関係はどのようなものであろうか。
  成年被後見人と自己決定    後見開始の審判を受けた者は成年被後見人となり、これには成年後見人が付される(民八条)。この後見の審判をするときは、家庭裁判所は、職権で、成年後見人を選任する(民八四三条一項)。後見人が選任されている場合であっても、家庭裁判所は、必要ありと認めるときは、被後見人らの請求によって、更に後見人を選任することができる(民八四三条三項)。後見人の選任に際して考慮すべき事情としては、被後見人の心身の状態並びに生活及び財産の状況、後見人となる者の職業及び経歴並びに被後見人との利害関係の有無、被後見人の意見その他一切の事情があげられている(民八四三条四項)。被後見人の意見を考慮すべき事情の中にいれている。また、後見人は、被後見人の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務を行うにあたっては、被後見人の意思を尊重し、かつ、その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない(民八五八条)。被後見人の意思の尊重をいうのは、被後見人の自己決定の尊重を示すものと考えられている。家庭裁判所は、後見開始の審判をするには、明らかにその必要がないと認められるときを除いて、本人の精神の状況について医師その他適当な者に鑑定をさせなければならないとしている(家事審判規則二四条)。改正前の「規則」旧二四条は、禁治産・準禁治産は人の行為能力を制限するものであるから、本人の能力に関する判断を信頼性の高い資料により慎重に行い、本人の利益保護を図るとしていた。新制度の下における後見開始及び保佐開始の審判は、それぞれ従来の禁治産・準禁治産の宣告に相当し、それぞれの行為能力の制限という効果は、従来と基本的には変わらないと考えられ、新制度においても同様に鑑定が必要であるとされている。家事審判規則二五条は、家庭裁判所は、後見開始の審判をするには、本人の陳述を聴かなければならないとしている。
  後見人は、被後見人の財産を管理し、その財産に関する法律行為について代理権を有する(民八五九条)。日用品の購入その他日常生活に関する行為については除かれるが、被後見人の法律行為はこれを取り消すことができる(民九条)。
  被後見人の自己決定の可能性を示すものとして、右に挙げたいくつかの規定が見られるが、被後見人の行為能力はどのようなものとして捉えられているかということになると、今次の改正の内容は必ずしも明確でないようにも思える。禁治産・準禁治産制度を廃止したのであるから、「行為無能力者」という属性的な位置づけにはならないと考えられるが、後見人の権限として、被後見人の財産に対する包括的な財産管理権と、その財産に関する法律行為についての包括的な代理権を有しており、単なる同意権の域に止まるものではない。民法九条の例外の場合を除いて、被後見人のした法律行為は取り消すことが可能である。被後見人は、取消権と代理権によって保護されることになる。その意味では、従前の禁治産者と大きく異なるところはないようにも思える。本人の状態に応じて、保佐・補助制度との間で柔軟な対応ができるということは可能であろうが、後見開始の審判があったときの本人の法的位置は、従前の禁治産者の法的位置と大きくは変わらないように思える。この点は、ドイツ民法の場合と異なる。ドイツ民法一〇四条は、行為無能力に関する規定であるが、ここで無能力とされる者は、第一に七歳未満の者、第二に精神活動の病的障害によって、自由な意思決定が出来ない状態にある者である。かつて規定されていた精神病を理由に禁治産の宣告を受けた者を行為無能力者とする規定(ドイツ民法一〇四条旧三号)は「世話法」の制定に伴って廃止された。一時的もしくは継続的に、自己の事務の全部又は一部を自ら処理できない場合には、精神病、身体障害、知的障害もしくは精神障害を理由に、成年者に対して「世話人」を置くとしたものである。この場合でも、被世話人は行為能力を失うものではない。被世話人も行為の相手方も被世話人には行為能力があることを前提にして行動をするのである。行為無能力者の行為は無効である(ド民一〇五条)。この規定と世話との関係も問題の一つであろう(4)。ただ、いずれにしても、被世話人は原則的には行為能力を有することが前提となっており、被世話人の身上もしくは財産に対する著しい危険を回避する必要がある場合に後見裁判所によって発せられる同意留保によって、被世話人の保護を図るものとしているのである。世話の必要性と補充性を考慮しつつ、具体的な場での被世話人の行為能力の有無・程度に応じた処置を講じているものとみることができる。世話の方法・内容も多様であろう。ドイツの場合、改革の中心的な基本思想は成人に対する国家的保護を個別事例において必要とされる限度に限定し、被世話人の自己決定を単に実体法的に保障するだけでなく、手続法的にも保障することにあった。行為能力の構成的な制限と結びつく禁治産、行為無能力の確認を前提とする強制看護に代えて、個々人の保護の必要に限定されたフレキシブルかつ統一的な保護制度を導入することにあった。被世話人の私的自治は、私的な準備や世話に対する法定の世話の補充性、被世話人の要望に対する世話人の拘束、また、特定の人的関連規範や被世話人との人的接触のなかで生ずる世話という原理の後見裁判所での承認を導くべきものである。ここでは、民法に定められた世話制度はあくまでもその必要性、補充性が明確であり、その意味で自己決定の理念は最大限実現されようとしているように思われる。ドイツの場合、自己決定権は憲法によって保障された基本的人権であり、その制約は憲法違反の結果をもたらすおそれがあり、法による自己決定権の制約であっても慎重な規準の設定が要請されている。被保護者の世話は、当然、保護法的並びに憲法的には、被世話人が彼の制限的自己責任の故に自らを害するおそれがある場合及びその限りにおいて、また、そのことの故に、人格や財産に対する危険を防止することが出来ない場合において、またその限りにおいて許されることになる。
  ドイツ民法一九〇一条は、世話人の義務を定めている。同条二項は、世話人は、被世話人の事務を、被世話人の福祉に適合するように行わなければならない。被世話人の能力の範囲内において、被世話人の生活を彼自身の希望や考えに従って形成する可能性も被世話人の福祉に属するとしている。また、同条三項は、世話人は、被世話人の希望がかれの福祉に反するものでない限り、また、世話人に期待し得るものである限り、被世話人の希望に沿わなければならないとしている。このことは、被世話人が、世話人の就任以前に表明した希望についても妥当するとしている。むろん、被世話人が、この希望を意識的に維持しないというのであれば別であるが。世話人が、出来る限り被世話人の希望に沿って、その世話をすることが義務とされている。一九〇二条は、世話人は、その職務権限の範囲内において、裁判上及び裁判外において、被世話人を代理すると規定している(5)
  わが国においても、今次の法定成年後見制度は、自己決定権の尊重をその基本理念の一つとしているが、後見の狙いは、被後見人の私的自治能力すなわち行為能力の回復・補強、さらには、被後見人の状態を前提に、彼の人格や財産の侵害に対する事前保護にあり、また、そのことによって、被後見人の私的自治、自己決定を保障するにある。自己決定の実質的保障により、ひいては本人の保護を図ることが、この制度の本来の狙いといえよう。後見人の代理権は包括的なものではあるが、後見人の業務執行も、被後見人の保護をその目標とするのであれば、被後見人との関係においては「忠実義務」的なものが構想されて然るべきであろう(後見人の解任規定はある−民八四六条)。また、今次の改正においては、成年後見人を複数とすることも可能であり、さらには法人も成年後見人となることができるのであるから、法定代理人となる成年後見人の選任にあたっても、このことを十分生かすべきであろう。すなわち、被後見人の事務も多様なものに亘るのであるから、事務の内容によって成年後見人を異にするなどのことがあって然るべきであろう。例えば、財産管理と医療看護の関係を分けるなどのことがあってもよいであろう。被後見人の意思の尊重が特にどの点について為されるべきか、慎重な判断が為されて然るべきである。
  成年被保佐人と自己決定    自己決定の尊重という観点からみた場合の保佐制度の整備は、以下の点にみることができる。まず、保佐人の選任にあたっては、家庭裁判所は、本人の意見を考慮しなければならない(民八七六条の二・二項、八四三条四項)。保佐人は、保佐の事務を行うにあたっては、本人の意思を尊重しなければならない(民八七六条の五・一項)。日用品の購入その他「日常生活に関する行為」については、保佐人の同意権・取消権の対象から一律に外されている(民一二条一項但書)。同意権を付与された保佐人と本人の意見が食違い、本人の不利益となるおそれのない行為について、保佐人が同意をしない場合には、本人は、家庭裁判所の許可を得て、当該行為を自ら行うことができる(民一二条三項)。保佐人に特定の法律行為についての代理権を付与する審判については、補助と同様、本人自身に申立権が付与されているほか、親族等が申し立てる場合には、本人の同意が必要とされる(民八七六条の四・一項、同二項)。保佐の場合は、基本的には、保佐人に同意権と取消権が付与され、特定の法律行為について、代理権を付与する審判が認められている。代理権の範囲は限定されるが、具体的事例に応じて、保佐人に代理権の付与を可能とし、被保佐人の保護を図っている。改正前の保佐人に比べて、取消権、代理権を明文上認めた点が特徴的である。
  被補助人と自己決定  補助開始の審判は、本人に申立権が認められるが、その他親族等が申し立てる場合には、本人の同意が要件となっている(民一四条一項、同条二項)。補助人の選任にあたっては、家庭裁判所は、本人の意見を考慮しなければならない(民八七六条の七・二項、八四三条・四項)。また、補助の事務を行うにあたっては、本人の意思を尊重しなければならない(民八七六条の一〇・一項、八七六条の五・一項)。日用品の購入その他「日常生活に関する行為」については、補助人の同意権・取消権の対象から一律に外されている(民一六条一項、一二条一項但書)。同意権を付与された補助人と本人との意見が食違い、本人の不利益となるおそれのない行為について補助人が同意しない場合には、本人は、家庭裁判所の許可を得て、当該行為を行うことができる(民一六条三項)。さらに、補助人に、特定の法律行為についての代理権を付与する審判を申し立てることができる(民八七六条の九一項)。また、補助人には、同意権を付与する審判も認められているが、この場合においても、被補助人以外の者が請求する場合には、本人の同意を必要とする(民一六条一項、三項)。この補助制度は、改正前の禁治産・準禁治産制度の下では保護の対象とならなかった軽度の知的障害者・精神障害者などを対象とする制度であり、本人の自己決定を最大限尊重し、弾力的な運用を可能とする制度として構想されたものである。
  任意後見制度と自己決定    委任者が、正常な判断能力を有するときに、自分が精神上の障害により判断能力が不十分な状況になったときに備えて、受任者に対し、その状況の下での自己の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務の全部又は一部を委託し、その委託に係る事務について代理権を付与する制度であるが、正常な判断能力を有する時点での自己の意思に基づく決定を、判断能力を失った状況の下で活かそうとするものであり、その意味では、自己決定の理念に支えられた制度といえるであろう。むしろ、自己決定の観点からみた場合、法定後見制度との相互関係の評価が大事であるように思われる。この制度では、任意後見監督人の選任が決め手になるが、任意後見監督人を選任する場合において、本人が.成年被後見人、被保佐人又は被補助人であるときは、家庭裁判所は当該本人に係る後見開始、保佐開始又は補助開始の審判を取り消さなければならないとしている(任意後見契約に関する法律四条二項)。この規定は、任意後見による保護を選択した本人の意思を尊重して、原則として任意後見を優先させるということを示すものである。しかし他方、本人が成年被後見人、被保佐人又は被補助人である場合において、当該本人に係る後見、保佐又は補助を継続することが本人の利益のため特に必要であると認められるときは、任意後見監督人を選任しないとされていること(任意後見契約に関する法律四条二号)、任意後見契約が登記されている場合には、家庭裁判所は、本人の利益のために特に必要があると認めるときに限り、後見開始の審判をすることができるとされている点(任意後見契約法十条一項)はその運用の面において十分検討される必要があろう。

四  自己決定の私法的保障−同意権・取消権・代理権の機能−

  自己決定権行使の私法制度的保障の中心的制度は「行為能力」制度である。私的自治による法律関係形成の基盤となる人的資格は行為能力者であるということであろう。したがって、今次の改正以前は、禁治産者・準禁治産者という「行為無能力者」制度を設けていた。しかし、今回の改正によってこの概念は民法上姿を消した。被後見人・被保佐人・民法一六条一項の審判を受けた被補助人並びに未成年者を「制限能力者」とよんでいるが(民一九条)、従来の「行為無能力者」とは明らかに異なった概念である。行為能力概念を前提にしながら、判断能力を欠く常態にある者、判断能力の不十分な者について後見・保佐・補助といった制度・手続を柔軟に利用することによって、それぞれの行為能力を補充・回復・実質化しようとするものである。この制度において認められる同意権・取消権・代理権は、端的にいえば、行為能力を基礎とした私的自治、自己決定を実質化する機能を有すべき制度といって差し支えないであろう。同意権・取消権・代理権は、私的自治ないし自己決定の実質化に役立つものでなければならないであろう。
  本人(被保佐人・被補助人の場合)に同意権が認められる場合がある。第一に、本人以外の者の請求により補助開始の審判を行うには、本人の同意が必要である(民一四条二項)。第二に、本人以外の者の請求により、補助人に同意権を付与する旨の審判をするには、本人の同意が必要である(民一六条二項)。第三に、本人以外の者が、保佐人・補助人に代理権を付与する旨の審判を請求する場合、本人の同意が必要である(民八七六条の四・二項、八七六条の九・二項)。したがって、保佐の場合、本人の同意がなければ保佐人に代理権が付与されることはなく、補助の場合、本人が同意権・代理権そのいずれの付与にも同意しなければ補助人に同意権・代理権のいずれも付与されることはない。補助開始の審判は、補助人に同意権を付与する審判又は代理権を付与する審判と共にこれをなすことを要するので、補助開始の審判だけをうけていながら、いずれの権限も付与しないということはできない(民一四条三項)。したがって、補助人に同意権・代理権を付与する審判が、その後すべて取り消されると(民一七条二項、八七六条の九・二項)、補助開始の審判も同時に取り消されることになる(民一七条三項)。保佐人は、特定の法律行為(民一二条一項)、審判により同意権を与えられた行為について同意権を有するが、代理権は当然の如く与えられているわけではない。ただ、被保佐人の具体的状況に応じて、特定の行為については保佐人に代理権を付与することが本人の利益になる場合も十分考えられるので、代理権の付与を本人の判断に委ねたものである。補助の場合は、補助開始の審判自体を本人のイニシァティブに委ねている制度であり(民一四条二項参照)、本人の自己決定が基本となっている制度とみてよいであろう。制限能力者(未成年者、成年被後見人、被保佐人、民法一六条一項の補助人に同意権を付与する旨の審判を受けた被補助人)は、取消権を有する(民一二〇条一項)。
  成年後見人の権限は、被後見人の財産に関する管理権とその財産に関する代理権(民八五九条一項)及び取消権である(民九条・一二〇条一項)。これらは、いずれも法定の権限であり、後見開始の審判の効果として、法律上当然に成年被後見人に付与される。その点では、禁治産者の後見人の権限と同様である。但し、今次の改正で、日用品の購入その他日常生活に関する行為については、取消の対象から除外した(民九条但書)。
  保佐人の権限には、法定の権限である民法一二条一項所定の行為に関する同意権・取消権(民一二条一項、一二〇条一項)、家庭裁判所の審判により定められた民法一二条一項所定の行為以外の行為に関する同意権・取消権(民一二条二項、一二〇条一項)、家庭裁判所の審判で定められた特定の行為に関する代理権がある(民八七六条の四・一項)。保佐人は、基本的には、民法一二条所定の重要な行為について、法律によって一律に同意権を有するものと定められているが、本人の生活状況や財産状況によっては、これだけでは不十分であるので、民法一二条一項所定の行為以外の行為についても、必要に応じて、家庭裁判所の審判によって同意権を与えうるものとし(民一二条二項)、また、特定の法律行為に関する代理権を付与することができるものとした。保佐人の同意を得ることを要する行為でその同意又はそれに代わる許可を得ないで為した行為はこれを取り消すことができる(民一二条四項)。保佐人の同意権の特徴は、保佐人の同意を要する行為について、保佐人が、被保佐人の利益を害するおそれがないにも拘らず同意をしないときには、被保佐人は、家庭裁判所に対し、同意に代わる許可を求めることができる点である(民一二条三項)。保佐人が同意権を持つということは、被保佐人が単独で行為をするならば本人の利益を害する恐れがあり、それを防ぐために同意を拒絶する可能性を残しているということであろう。どのような場合に同意を拒絶することができるかについての検討も被保佐人の自己決定の保障という観点から見た場合、重要な視点であるように思われる。民法一二条三項をみれば、その反対解釈として、被保佐人の利益を害するおそれのある場合には、同意を拒絶することが可能であるということになる。
  補助人の権限は、補助人に同意権を付与する旨の審判によって与えられた同意権であり(民一六条一項)、補助人の同意を要する行為でありながら、その同意又はこれに代わる許可を得ないでなされた行為に対する取消権である(民一六条四項、一二〇条一項)。同意を要する行為は、民法一二条一項に定められた行為の一部に限られる(民一六条一項但書)。さらには、補助人に代理権を付与する旨の審判によって、特定行為について代理権を付与されることがある(民八七六条の九)。これらの権限は、家庭裁判所が当事者の申し立ての範囲内において審判によって付与するものであり、代理権または同意権・取消権の対象となる特定の法律行為は、個々の事案によって異なる。
  以上の考察によれば、同意権・取消権並びに代理権は、制限能力者それぞれの状況に応じて、それらの者の保護制度として機能することが期待されていることが明らかである。精神上の障害に因り事理弁識能力を欠く常況にある者を対象とする成年後見人の法定の取消権並びに代理権、精神上の障害に因り事理弁識能力が著しく不十分なる者を対象とする保佐人の同意権・取消権並びに代理権、精神上の障害に因り事理弁識能力が不十分なる者を対象とする保佐人の同意権・取消権並びに代理権は、被後見人、被保佐人、被補助人のそれぞれの状況に応じて、柔軟に対応しうる構造を基本的には有していると思われる。後見の場合は、被後見人の能力の状態からして、代理権や取消権を法定しておくべしとする判断がなされ、その意味では限定的であるが、保佐の場合は、同意を要する行為を民法所定のものに限らず、それ以外の行為にも広げ、被保佐人の状況の如何によって柔軟に対応しうる余地を残している。また、その同意権を基礎に取消権をも法律上認めることとした。補助の場合も、審判による同意権又は代理権の付与を認めているが、本人の申し立てまたは、同意をその要件としており、被補助人の判断に委ねられるところは他の制度に比べて大である。それだけに、代理権の範囲についてもその明確さはより求められるであろう。
  改正前の禁治産・準禁治産制度は、判断能力の十分でない者についてその保護を図る制度であるといわれたが、現実には後見人や保佐人を付けることによって要保護者の自由な行為を規制するという印象がむしろ強かったといえるであろう。今次の改正によれば、本人の判断能力の具体的状況に応じて、同意権・代理権・取消権を駆使することによって、どの程度の保護を図ることが本人の保護にとって最適であるかという判断の幅を残しているように思われる。実体法によって、行為能力を欠く者あるいは不十分な者を治産者・準禁治産者とする属性的・固定的な判断ではなく、鑑定手続によることになるが、要保護者の具体的状況に応じて、包括的な代理権・取消権による保護の必要なもの、基本的には一定の行為についての同意権を基本とするが、幅をもたせた同意権の付与の可能性を残してその柔軟な運用を図ろうとするもの、特別な必要性のある場合にのみ同意権や代理権の付与の可能性を残すものといった保護手段の選択を可能ならしめる制度設計になっているともいえるであろう。
  任意後見制度における代理権    任意後見契約は正に任意後見人に代理権を付与する委任契約である。ただ、任意後見人が任意代理人としてその権限を行使し得るのは任意後見代理人が選任されることによってである。任意後見契約締結時には十分な判断能力を有していたが、精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分になったときに、一定の者の請求によって任意後見監督人の選任が為されるのである。本人の立場からすれば、自分の判断能力が不十分になったときになって初めて機能する代理権である。判断能力の不十分な状態の下での自己の生命・身体・財産に対する侵害、不利益に備えようとする権限の付与である。任意後見契約は、嘱託又は申請による登記を必要とするが、登記事項は、「後見登記等に関する法律」五条に列記されている。この代理権は、ドイツ世話法における「予防的代理権」を想起せしめる(6)。本人がもはや自己の事項を自ら処理できる状況にないところで機能するものであるから、予測できる自己の生活、療養看護及び財産管理の質を保障するのは、その規制を事前に設定する際の自己の判断であり、第三者に対する信頼以外にはない。代理権の内容を明確にしておく必要がある。明確化の要請が基本となる。代理権の範囲は、「後見登記法」によって登記事項となっている。対第三者との関係をも考慮に入れるならば、なお一層明確化の必要性が意識されるであろう。場合によっては、撤回条項や代理権の期限を明記しておくことも必要であろう。
  任意後見人の代理権の消滅については、「任意後見法」一一条において、登記をしなければ善意の第三者に対抗することが出来ないと規定している。取引の相手方が、任意代理人の代理権が任意後見契約の解除などによって消滅しているにもかかわらずその事実を知らずに登記を信頼して任意後見人であった者と取引をした場合には、その善意の相手方を保護する必要がある。右の一一条の規定は、右の趣旨を実現するために、任意後見人の代理権の消滅については登記を対抗要件としたものである。この規定によれば、取引の相手方は、過失の有無にかかわらず、代理権の消滅が登記されていなければ保護されることになる。代理権の消滅登記後に相手方が任意後見人であった者と善意で取引をしても、一一条によれば保護されないことになる。しかし、この場合、民法一一二条の表見代理規定との関係が問題となりうるであろう。この場合、民法一一二条の表見代理の成立を論ずる余地はありうるであろう。ただ、この代理権は、本人にとっての防衛的な代理権であることを考えると、一般的な経済取引の場合と同じ表見代理法理が通用するかについては慎重な判断を要するようにも思われる。
  法定後見と任意後見との関係    「任意後見法」一〇条一項は、任意後見契約が登記されている場合には、家庭裁判所は、本人の利益のため特に必要があると認められるときに限り、後見開始の審判をすることができると規定している。この規定は、任意後見に対する法定後見の補充性を示すものであるといわれる。原則としては、任意後見契約が登記されておれば、法定後見が開始することはない。例外的に任意後見監督人が選任された後において本人が後見の審判を受けたときは、任意後見契約は終了する。任意後見契約の法定後見に対する優先効が認められ、法定後見の原則的排除が謳われている。本人の自己決定を尊重するという理念からすればむしろ当然のことともいえるが、本人の具体的な心身の状況如何によっては、法定後見のような包括的な財産管理の必要や、代理権の拡大を必要とする場合がないとはいえないであろう。任意後見契約がある場合には基本的にはあくまでそれを尊重すべきであろうが、「本人の利益のため特に必要があると認められるとき」には、法定後見の利用可能性を留保しておく必要性は否定できないであろう。任意後見契約のままでは、本人の生命・身体・財産に関する権利や利益に対する侵害や不利益が生ずるおそれのある場合であることが必要であろう。
  自己決定権と成年後見制度との関連について、吉田教授は、以下のように述べている(7)。任意後見制度は、自己決定権の理念で根拠付けられる。法定後見の場合は、自己責任と結びつく自己決定権の考え方と、法定後見制度を通じた本人保護のためのパターナリズムに基づく介入との緊張関係が問題の根本に存在した。法定後見制度における自己決定権は、パターナリズムに基づく介入を排除する論理として機能するのである。これに対して、任意後見制度の場合は、判断能力低下前に表明された個人の意思をどのようにして尊重するかである。任意後見の場合に通常問題となるのは、適正な財産管理と身上看護を任せるといった形の、包括的な行為の委任を内容とする意思である。代理人の権限濫用に対処するための公的機関の監督が問題になるのは、このような文脈においてである。この介入は、確かに本人の保護を目的とする。しかし、それは、本人の自己決定権を制約する形でなされるパターナリズムに基づく介入ではない。それは、判断能力が低下した本人のために、その意思を補完して自己決定権を実質化するために為された介入である(自己決定見支援型の介入)。したがって、ここでは、公的機関の介入と自己決定権とは、何ら緊張関係にたつものではなく、むしろ相互補完的である。法定後見が本人保護というパターナリスティックな介入を志向するものの域に止まるか否か(法定後見の制度をみる限り、その印象は、なお強く残るが)は今後の成年後見制度の展開にまたざるを得ない面もあるかと思われるが、この制度を、自己決定権の尊重に根ざす制度として内実化するためには、自己の将来における生活、療養看護及び財産管理を自己の意思に基づくとすることが、本人の生命、身体、財産上の権利の保護にとって有意義であるとした任意後見制度の基本的理念を明確に認識する必要がある。いずれにしても、わが国の任意後見制度は、将来の自己の生活に関わる権利・利益の保護を純粋な意味での私的行為に委ねきることをしていないことだけは明確であろう。また、単に、私法的な契約によって他人に代理権を与え、それによって他人に判断を委ねきってしまうことは現実的ではないし、また、できないことでもある。本人の行為能力はなお残るのであり、何らかの公的監督の必要性もまた否定できないものである。また、任意後見制度の利用可能性は、それを利用し得る人的範囲、その契約内容の複雑性(将来の事態に備えての代理権の範囲確定自体が容易ではない。さまざまな事態を想定しなければならず、契約内容の複雑さは否定しがたい)からみてかなり限定的であるようにも思われる。任意後見制度は多分に「高齢社会」の要請に応じた制度であり、他に成年後見制度による保護を必要とする多くの人の存在することを勘案すると、この制度の内容的充実は一定の時間を要するであろう。しかし、任意後見制度の充実を考えるのであれば、現実に任意後見と法定後見との競合する場合には、安易に法定後見への傾斜を認めるべきではないであろう。任意後見法一〇条にいう「本人の利益のために特に必要があるとき」という要件の「必要性」を慎重に判断すべきであろう。

(1)  改正の趣旨については、法務省民事局参事官室「成年後見制度の改正に関する要綱試案について」判タ九六八号四一頁、岩井伸晃「成年後見制度の改正及び公正証書遺言等の方式の改正に関する平成一一年度改正民法および関連法律の概要」金法一五六五号六頁、同「成年後見制度の改正に関する要綱試案の概要」NBL六四〇号四〇頁、小林昭彦・大鷹一郎・大門匡「新しい成年後見制度」五頁以下など参照。
(2)  Volker Lipp"Freiheit und Fu¨rsorge:Der Mensch als Rechtperso"n. S, 1 以下。Palandt, BGB、五九版、七二頁以下。
(3)  前掲(1)文献参照。
(4)  前掲 Palandt, 七二頁以下。
(5)  前掲 Palandt, 一八六頁以下。
(6)  ドイツの成年後見制度においては、本人の意思(自己決定)という理念を最大限生かすために、予防的措置を制度のなかに取り入れている。その一つが、予防的代理権である。予防的代理権とは、「高齢化による痴呆、脳梗塞などの疾病、不慮の事故などにより、将来生じ得る自らの意思決定や意見表明を行うことができない状態に陥ってしまった場合に備えて付与された代理権である」。代理権授与の確実性を保障するために、公正証書作成や代理権授与者の自筆署名の認証といった公証方式を利用するのが通常である。日常行われるような事実行為まで含めて、ライフスタイル全般に関わる問題を記載することが多いといわれる。補完性の原則の帰結として、この予防的代理権が授与されている場合には、これに基づく任意後見が法定後見たる世話に優先し、原則的には世話は発動しないとする。上山泰「ドイツ成年後見制度の現代的展開とわが国新制度運用上の課題」ドイツ成年後見ハンドブック一七五頁以下。前掲リップ論文二四四頁以下参照。リップ論文は、予防的代理権(vorsorgevollmacht)による私的保護を図り、法定世話を回避することができるか否かについては、私的な保護関係が、どの程度まで、法定後見の任務を引き受けることができるかにかかっていると述べている。私的な保護は、確定的に法的世話を残らず不必要なものにするものではないとしている。代理人と監督的世話人との協同を導くとも述べている。
(7)  吉田克巳「自己決定権と公序−家族・成年後見・脳死」(瀬川信久編・私法学の再構築)二六七頁。