立命館法学 2000年3・4号下巻(271・272号) 733頁




内縁の死亡解消と財産の分配

− 判例の検討と財産分与準用論再論 −


二宮 周平


 

は じ め に

一  財産分与の準用に関する判例

二  共有法理を用いる判例

三  判例の検討−事実と論理

四  むすび−法的保護のあり方と家族観




は  じ  め  に


  最高裁は、最近の決定で、内縁の死亡解消の場合に、財産分与規定を準用することを否定した(最一小決平一二〔二〇〇〇〕・三・一〇民集五四巻三号一〇四〇頁)。これまで家裁実務では、死亡解消の場合にも財産分与を準用するものがあり(大阪家審昭五八〔一九八三〕・三・二三家月三六巻六号五一頁)、学説にも準用肯定説が多かったが(1)、この最高裁決定によって、実務上は、準用否定の前提の下に、民法一般の法理による財産の清算ないし分配が図られることになるだろう。しかし、かねてから準用肯定説を主張してきた私にとっては、否定説やこの最高裁およびその原審の論理には、なお納得しがたいものがある。
  本稿では、財産分与の準用を肯定した例、否定した例(2)、対象財産を内縁夫婦の共有と認定した例を取り上げ、どのような生活事実、財産形成の事情があれば、財産の清算や分配がなされているのか、そこで用いられた法的論理には、これまでの判例における内縁保護法理などとの整合性、解釈論としての妥当性があるのかを検討する。これらを通じて、法的保護の方法として、財産分与規定の準用の有用性と、準用がこれまでの判例法体系および現行法の解釈として成り立ちうることを、再度、主張したい。

一  財産分与の準用に関する判例


  @  財産分与の準用を肯定した例(大阪家審昭五八〔一九八三〕・三・二三家月三六巻六号五一頁)
  (事実)    申立人X女は、一九四八年七月、先妻を亡くしたA男と見合いの上、挙式、同棲するに至った。Aは医師で、一九五四年から、外科、やがて内科小児科の病院を開設し、看護婦一人または二人くらいを置いてやってきたが、Xも窓口事務を始め調剤・外科手術などの手伝いをしてきた。一九七三年一月頃、Aは病院を閉鎖し、診療所に勤務することになったが、八月頃病気になり、入院し、いったん退院したものの、七四年一一月、再入院し同月二八日死亡した。この間、Xは臨終に立ち会うほか、Aの入院中、自宅療養などにおいて、Aの身の回りの世話や食事の世話をしていた。Xは、Aが最後に入院していた際に、Aの兄の子Cに婚姻の届出を依頼したが、受理されるにいたらなかった(その理由は不明である)。
  Aの遺産は、不動産、現金、株券、証券など相当多額におよぶ。Aの相続人としては、兄、妹、甥がおり、その法定相続分は各三分の一ずつになる。相続人から遺産分割の、Xから財産分与の申立がなされた。Xは現在の家屋に引き続き居住することを求め、兄・妹は財産を指定して取得したいものはないとするが、甥は不動産を一括現金化して分割することを望んだ。
  @は、財産分与の準用を肯定する。その根拠として、a財産分与の本質が夫婦共有財産の清算性を中核とするものと解する限りでは、生前における解消と死亡による解消を区別する合理的理由に乏しいこと、b財産分与に対応すべき義務(一身専属性のあるものは除く)の相続性は認められるべきであること、c生前解消によって求め得たところのものを、終生協力関係にあった死亡の場合において失わせ、相手方の相続人にすべて取得させることは、公平の観念からも許容し難いこと、d包括財産の分配たる方法による財産分与の制度、審判手続に依らせるのが実際的であることをあげる。
  その上で@は、Xが医院の窓口業務を始め、手不足の場合には看護婦の補助をするなど協力してきたこと、同棲期間が二〇年余に及び、この間、主婦としての協力関係があったことから、Xに分与すべき財産は、その遺産の二分の一とした。またXが本件遺産である土地・家屋に約三〇年間居住して、住み慣れていること、Xが六二歳の高齢で頼るべき身寄りがないことから、不動産についてX二分の一、兄・妹・甥が各六分の一の共有取得とした。

  A  財産分与の準用を否定した例(大阪高決平四〔一九九二〕・二・二〇家月四五巻一号一二〇頁)
  (事実)    被相続人A男には、妻と二子がいたが、一九六七年頃から、Z女と関係をもち、子をもうけ、アパートを借り与えたりしていた。妻は夫Aの女性関係のことで精神的に不安定になり、一九八〇年六月、二子を連れて別居した。他方、X女には二子がいるが、夫の病死後、一品料理店を営み生計を立てていたところ、一九八〇年一〇月末頃から、Aが店の客として来るようになり、一二月末頃、Aから妻とは離婚をするので結婚してほしいと言われ、その申し出を受けて、子どもにも紹介した。一九八二年一二月、Aは妻と協議離婚し、当時の財産の三分の一相当を財産分与として妻に渡した。その後、AとZは店の二階で子どもも含めて四人で暮らすようになった。しかし、Aは一九八三年一月頃、Zとの関係も復活し、同年三月から三週間ほど、一時的に一緒に暮らしたこともある。
  一九八五年一一月に、XはAの希望で料理店をやめ、Aの建売住宅販売の仕事に協力するようになり、月一五万円の生活費を受け取るようになった。同年一二月、Xは九〇〇万円で家を購入し、うち四〇〇万円は店を売却した費用で、五〇〇万円はAの有する定期預金を担保に手形貸付を受け支払った。この家でAXは同居するようになった。AはXとの婚姻届を出すと言っていたが、Xは、AにZとの問題をはっきり処理してもらってから入籍したかったことと、母子年金を受給していたため、婚姻の届出を拒んでいた。Aは再び、一九八六年一二月から一か月間ほど、Zと一時的に一緒に住んだこともあるが、再びXの所に戻った。一九八七年七月、Aはガンのために入院したが、病院はXを配偶者として扱い、Xも泊まり込みで看病した。同年一一月、Aは死亡し、その葬儀は先妻の子が行った。
  Aの遺産は土地・建物、預金、株など約二億三千万円。なお前記の定期預金五〇〇万円は、質権実行によりXの債務に充当されている。X、Zがそれぞれ「内縁の妻」として財産分与の申立てをした。
  原審(大阪家審平三〔一九九一〕三・三・二五家月四五巻一号一二四頁)は、財産分与は婚姻中に夫婦が協力して形成した実質的夫婦共有財産の清算をはかる趣旨であり、内縁の死亡解消の場合においても、同様に実質的夫婦共有財産の清算がなされるのが相当だから、財産分与を類推適用し、生存内縁配偶者は死亡内縁配偶者の相続人を相手にして財産分与の請求をすることができるとした上で、XがAの事業にわずかではあるが協力してきたこと、Xは内縁関係を形成してゆく過程で一品料理店をやめてAの療養看護に尽くしていること、Aの死亡後警備会社で警備員として就労しているが、内縁が継続しておれば、ある程度の生活が保障されたであろうことを考慮して、Xに、Aの遺産の六分の一に相当する額を分与すべきだとした。
  しかし、Aは、財産分与の準用を否定した。その根拠として、a現行法は、内縁関係を含む婚姻中の夫婦の財産については、離婚による婚姻解消の場合には、財産分与制度によって清算し、死亡による婚姻解消の場合には、相続制度によって取得させることにしているのであって、法律婚夫婦の一方が死亡した場合には、財産分与の適用はなく、内縁夫婦の一方が死亡した場合には、相続法の適用はないと解すべきであること、b内縁の死亡解消の場合にも、財産分与を準用して、内縁の夫の遺産に対する内縁の妻の財産分与を認めることは、現行法の体系を崩すものというべきであることをあげる。すなわち、bの現行法の体系を崩すことが否定の根拠であり、その体系とは、aが指摘する生前解消は財産分与、死亡解消は相続という割り振りを意味するようである。さらにAは、AXの関係が短期間であったこと、遺産はAが単独ないし前妻と協力して取得したものであること、XはAの遺産から実質的に五〇〇万円取得していることから、XにはAの財産の分与を求める権利はないとした。

  B  財産分与の準用を否定した例(最一小決平一二〔二〇〇〇〕・三・一〇民集五四巻三号一〇四〇頁)
  (事実)    A男は、一九四七年にB女と婚姻し、Y1、Y2をもうけ、五四年には、タクシー会社を設立し、死亡するまで代表取締役として経営にあたった。Aは、一九七一年三月頃、X女と知り合い、五月頃からXのアパートに出入りするようになり、家賃等の費用として月額五万円を負担して交際を続けた。Xは夫と死別後、サウナの従業員、パート勤務、マンション管理人などとして働いていたが、AからXに渡される生活費の額はその後、増額され、一九九七年一月、A死亡当時には、月額二〇万円となった。なおAの妻Bは、一九八一年頃から筋無力症になり入院治療を続けたが、八七年八月死亡した。
  他方、Aも肺炎や気管支炎により、一九八五年一二月下旬から入退院を繰り返し、さらに八七年四月から八八年一〇月までは結核のために入退院を繰り返しており、この入院中、XはAの指示に従って材料を買い込んで病院内でAの夕食を調理した。退院後、AはY1らと同居するため自宅を新築し、週の内、一、二日はX宅で寝泊まりしていたところ、次第にX宅で過ごす時間が長くなっていたが、Aの肺気腫が改善されず、就寝中激しい咳を繰り返すため、Xはほとんど眠ることができないため、一九九〇、九一年頃からは、Aは週末は自宅に戻るようになった。その後、Aは、一九九一年には入退院院を四回、九四年から九五年にかけて入退院を五回繰り返しており、この間、Xは毎日病院で夕食を調理した。Xは自分の老後の保障がないことを考えて、Aに財産の分与もしくは婚姻の届出に応じるよう要求したが、Aは入籍には応じず、家を一軒買い与えると繰り返し述べながら、売買が成立しそうになると、しばらく考えたいと言って、契約を成立させなかった。ただし、一九九〇年か九二年にXはAから三〇〇万円の贈与を受けている。
  Aは一九九六年に入院したまま九七年一月に急死した。XはAの葬儀に親族の一員のような立場で参列、焼香した。Aの遺産総額は一億八五〇〇万円余であり、その内一億三二〇〇万円余は、タクシー会社の出資持分であり、そのすべてをY1が相続によって取得している。XはAの相続人であるY1Y2に対して、財産分与として一〇〇〇万円を支払うよう申し立てた。
  第一審(高松家審平一〇〔一九九八〕・五・一五民集五四巻三号一〇五七頁)は、B死亡後のAXの関係を内縁と認定した上で、次のような論拠で内縁の死亡解消について財産分与が準用されることを肯定した。まず@cと同様に、生前解消と死亡解消の場合の不均衡を指摘し、Aのbに対しては、「そもそも内縁の当事者は、初めから相続権を持たないのであるから、現行制度を前提とする以上、死亡による内縁消滅の場合にも離婚における財産分与規定を準用又は類推適用して内縁消滅によって不利益を被る者を保護することは、実質的な公平を図ることになりこそすれ、民法の体系を崩すことになるとは考え難い(死亡による内縁消滅の場合における生存配偶者に財産分与請求権を肯定すれば民法の体系を崩すことになるとする見解は、これを肯定すると、法律上の夫婦の死亡消滅の場合にも、相続制度とは別に、財産分与のような夫婦の財産の清算を考えざるを得なくなると主張する。しかし、現行法は、法律上の夫婦の死亡消滅の場合は、相続制度で処理するものとし、相続制度以外の清算方法は現行法の予定していないものというべきであって、わざわざそういう類推解釈等をする必要性は全くなく、そのような解釈は採るべきではない。)というべきである」として、民法の体系を崩すという理由で否定することは、形式的に過ぎると批判する。さらに@bの財産分与義務の相続性については、「被相続人が負担するべきであった財産分与義務を承継した相続人らは、その具体的な内容が金銭債務として形成された場合には、その金額を法定相続分に応じて負担するものと解するのが相当」として、法解釈として準用を肯定することができることを明確に示している。
  その上で、AXの共同生活の内容・期間、Xの年齢、職業及び状況、Aから受けた生活費・贈与額、当時の地域の世帯人員数別標準生計費の一人世帯金額(一ヶ月九万四三〇八円)などから、Xの生計費不足額は一年一〇〇万円になることなどの事情を総合的に考慮して、扶養的財産分与として一〇〇〇万円を相当と判断した。他方、清算的財産分与については、Xが療養看護に貢献したことにより維持されたAの財産としては、付き添い看護料相当分であり、これはAからの生活費援助と三〇〇万円の贈与がこれに相応するとして、認めなかった。
  これに対して、原審は次のような根拠で財産分与の準用を否定した。aAaと同じように現行法体系を捉えた上で、内縁の死亡解消は法律婚の死亡解消と同視すべきであり、離婚と同視はできないから、財産分与の準用の根拠はないこと、b民法八九〇条(配偶者相続権)、九五八条の三(相続人不存在の場合の特別縁故者への相続財産の分与)、借地借家法三六条(相続人不存在の場合の居住用建物賃借権の承継)の規定の趣旨から、現行法は、内縁の保護を法定相続人の相続権と抵触しない限度にとどめたものというべきだから、生存内縁配偶者に対し相続財産に対する清算手続に相当する財産分与を認めるべきではないこと、c生存内縁配偶者が特有財産を有していたり、死亡内縁配偶者に対して慰謝料請求権を有しているなど私法上の請求権が認められる場合には、これらの私法上の権利を行使できること、d死亡内縁配偶者は遺言や贈与をすることができたのに、それもなく死亡した以上、たとえ実質的共有財産が相続財産に帰属し、法定相続人がこれを取得することになったとしても、「法律上の夫婦となる途を選択しなかったことによって生じたやむを得ない事態」であること、e離婚後の扶養義務は、一身専属的な義務だから、死亡内縁配偶者の相続人に承継されるものとみる余地はないこと、である。
  最高裁も次のような論拠で財産分与の準用を否定した。aAaの指摘する現行法制度の体系を説明したあとで、「死亡による内縁解消のときに、相続の開始した遺産につき財産分与の法理による遺産清算の道を開くことは、相続による財産承継の構造の中に異質の契機を持ち込むもので、法の予定しないところ」であること、b死亡した内縁配偶者の扶養義務が遺産の負担となってその相続人に承継されると解する余地もないことから、生存内縁配偶者が死亡内縁配偶者の相続人に対して、清算的要素及び扶養的要素を含む財産分与請求権を有するものと解することはできないとする。bは、このように解する学説(3)に対応したものかもしれないが、民集に掲載された抗告理由ではふれらていてないことを論じている。

二  共有法理を用いる判例


  C  内縁の夫名義の不動産につき共有持分を認めた例(大阪高判昭五七〔一九八二〕・一一・三〇判タ四八九号六五頁)
  (事実)    X女は、一九二四年A男と婚姻し、Aの父母、弟BCらと同居し、二子をもうけたが、Aは三一年三月に死亡した。Xは、Aの父母およびBらの希望により、同年七月、Bと挙式の上、事実上の夫婦となった。Bは一九四七年頃、Z女と性的関係をもち、四九年一一月に子Yをもうけた。この頃から、BはXとの住居にZYも同居させ、Yの入学時期を控えた一九五五年一一月、Zの強い要望により、Zとの婚姻の届出をした。Xは一九五九、六〇年頃、Bらと別れて実家に戻ったが、六二年頃、Zと別れたBに連れ戻され、その後、一九七九年一一月、Bが死亡するまで同居生活を続けた。
  BはAの死後、家業の呉服商を継ぎ、Xも家事・育児のほかに呉服商の経営に従事し、一九七七年一一月Xが老齢と病気のため営業を廃止するまで続いた。この経営は、Bが主として仕入れと外回りを、Xが店舗内での販売を分担する方法によっていたが、Bが酒好きで女性関係もかなりあったため、Xが経営のかなりの部分を分担した時期もしばしばあり、共同経営ともいうべき実体を備えていた。この経営からの収益によって一九三八、四七、五八年にかけて本件不動産四件を購入したが、所有権名義はBにしていた。Bの死後、Bの相続人である子Yとの間で、財産の帰属をめぐって紛争が生じ、Xはこれらの物件につき二分の一の共有持分権を主張した。
  Cは、a法律婚であれ、内縁であれ「妻が家業に専従しその労働をもって夫婦の共同生活に寄与している場合とは異なり、夫婦が共同して家業を経営し、その収益から夫婦の共同生活の経済的基礎を構成する財産として不動産を購入した場合には」、その不動産は、登記名義が夫であっても、これを夫の特有財産とする旨の特段の合意がない以上、夫婦の共有財産として夫婦に帰属すること、b本件各物件は、XがBと内縁の共同生活を行う間、その家業である呉服商および古着商を互いに協力して経営し、その収益をもって購入したことが明らかあることから、特段の合意を認めることができず、BXがその共有財産として購入したものと認めるべきであること、c共有持分については、特別な証拠がない限り、民法二五〇条によって、均等の二分の一と認めるのが相当であることを根拠に、四件の不動産につき内縁の妻の二分の一の共有持分権を認めた。

  D  内縁の夫名義の預金につき準共有と推定した例(名古屋高判昭五八〔一九八三〕・六・一五判タ五〇八号一一二頁)
  (事実)    X女は、一九六三年頃、A男と知り合い、六五年八月頃(X四三歳、A七六歳)同棲生活を始めたが、Aの子らから結婚を反対されたほか、婚姻するとAの債務を負担することになると考え、婚姻届はしなかった。Aは証券会社の外務員として月収二〇万円、Xは料理店の調理師として月収三、四万円を得ており、生活費はそれぞれが自分の分を出すことにしていた。しかし、Aは一九六七年頃、脳軟化症で倒れ、七三年頃から病床につき、八〇年一〇月に死亡した。Aが病床につくようになってからは、Xが勤務を続けながら、Aの身の回りの世話をしていたが、二人の収入は、A分として家賃、老齢福祉年金、寝たきり老人手当など月額四万二五〇〇円、X分として月収八万円であり、これらの余剰をA名義で預金しており、A死亡時には一一一万円余になっていた。この預金について、Aの相続人Yは相続による取得を主張し、XはX固有の財産であると主張した。なおXには、判旨が指摘するように、別途自分名義の預金、自分名義の家屋、Aから贈与された敷地がある。
  Dは、a当該内縁夫婦は、双方の収入を合算しこれらを生活の資とし、余剰を夫名義の本件預金をしていたものと認めるのが相当であること、b本件預金中には、夫固有の収入分と妻分が混在しており、その額・割合を明らかにすることができないから、預金は内縁の夫・妻の準共有に属し、その持分は相等しいものと推定されることを根拠に、Cと同様、当該預金につき二分の一の共有持分権を認めた。

  E  内縁の夫名義の不動産につき、その出捐割合で共有と認めた例(東京地判平四〔一九九二〕・一・三一判タ七九三号二二三頁)
  (事実)    A男は一九五二年四月Z女と婚姻し、子BCをもうけたが、七六年頃、X女と性的関係を持ち、七七年三月頃には、これが妻子に発覚した。そのためZCは、五月頃に、大学生であったBの下宿先に身を寄せ、Aと別居した。これ以降、AとZBCは絶縁状態となった。一九七七年一二月、ZからAに離婚訴訟を、七九年八月には、ZBCからXに対して家庭破壊を理由とする損害賠償請求を提起した。一九八〇年六月、AZが協議離婚に合意し、AからZに相当額の不動産・金銭などを財産分与する裁判上の和解が成立した。また後者の訴訟も一九八二年五月、Xが謝罪し、和解金七〇万円を支払う裁判上の和解が成立した。
  他方、AとXの関係は継続し、一九八〇年七月から一〇月にかけてAが入院した際には、Xが付き添い看護をしており、退院後、Xはアパートを出て、本件第一建物に移り、Aと同棲するようになった。Aは裁判問題解決後の一九八二年、親戚・知人らに対して、Xを再婚相手として紹介する披露宴を開くとともに、その後は親戚の冠婚葬祭の席にもXを妻として同伴した。Aは一九八六年五月から一〇月までガンで入院、八八年一〇月一日、再入院、同月四日急死した。この間、Xは専らAの身の回りの世話など家事に専念し、Aが賃料収入・利息などを運用して蓄財した。またAXの婚姻届については、Aが病床につくようになってから、AはXとの婚姻届に署名捺印し、提出方法を詳細に指示して、Xに渡していたが、結局、提出されないままに終わった。
  ところで本件第二建物(賃貸マンション)については、Xは自己の退職金から二一五〇万円を出し、Aの手持ち資金と借入金で建設したが、所有権名義はAにしていた。A死亡後、相続人BCは、Xに対して第一建物の明渡しを請求し、XはBCに対して、財産分与または贈与を原因とする、第二建物の所有権移転手続を請求した。
  Eは、Aと同じ根拠で内縁の死亡解消に財産分与が準用されないことを示した後で、a法律婚であれ、内縁であれ「妻が家業に専念しその労働のみをもっていわゆる内助の功として夫婦の共同生活に寄与している場合とは異なり、婚姻中夫婦双方が資金を負担し、その資金によって夫婦の共同生活の経済的基礎を構成する財産として不動産を取得し」、しかもその取得につき「夫婦が一体として互いに協力・寄与したものと評価し得る場合には」、民法七六二条二項により、その不動産は、登記名義が夫であっても、これを夫の特有財産とする旨の特段の合意がない以上、夫婦の共有財産として夫婦に帰属すると解するのが相当であること、b第二建物について、AXが内縁の夫婦として共同生活を行う間、相互に資金を出し合って、老後の生活の基礎とする趣旨で建築されたことから、AXの共有財産と解することができることから、c本件建物の支払うべき総額に対するXの出した金額の割合、すなわち一億二三八〇万円に対する二一五〇万円の割合(一万分の一七三六)の共有持分があるとし、Bに対する更正登記を認めた。

三  判例の検討


  1  結論に影響している事実
  以上の判例を見ると、次のような事実が結論に影響しているように思われる。
  第一に、共同生活の長さとその実体、特に財産形成への寄与である。何らかの法的保護が図れらたのは、@CDEである。@では、共同生活は二六年に及び、内縁の妻は内縁の夫の経営する医院の窓口業務、調剤・外科手術などの手伝いをしている。Cでは、共同生活は、内縁の夫が他の女性と一時、婚姻をしていた時期を間にはさんで、前半で二八年、後半で一七年の合計四五年に及ぶ。内縁の妻は内縁の夫とともに家業の呉服商の経営に従事し、共同経営といえる実体があった。Dでは、共同生活は一五年だが、内縁の夫が病で倒れてからの一三年間は、内縁の妻の勤務による収入と内縁の夫の年金・手当・家賃収入によって生計を支えていた。Eでは、共同生活は八年弱であり、内縁の妻は内縁の夫の身の回りの世話など家事に専念していたが、不動産獲得のために自己の退職金を拠出していた。これに対して、保護を否定したAでは、共同生活は約五年で、うち二度ほど、元の女性との関係のために同居が中断している。内縁の妻は、内縁の夫の建築販売の仕事を手伝っているが、物件を見たり、住宅の内部の清掃などにとどまる。同じくBでは、内縁当事者の関係は二六年に及ぶが、同居は、内縁の夫の妻が死亡し、内縁の夫自身の入退院の繰り返し後の七、八年間であり、かつ病後の生活の平穏を保つために、内縁の夫は週末、娘の所に戻るという生活だった。内縁の妻はもっぱら、内縁の夫の看病に尽くしており、事業への協力はない。
  第二に、夫婦共同生活をしている以上、内縁当事者間で生活費の分担があることはいうまでもないが、一方から他方に対して、それ以上の何らかの経済的給付があったかどうかである。法的保護を認めた@CEでは、こうした経済的給付は何もなく、共同生活で得た財産の名義はほとんど内縁の夫名義になっており、内縁の妻に配偶者相続権がない結果として、一切の財産が内縁の夫の相続人に帰属するおそれのある事案だった。これに対して、保護を否定したAでは、内縁の夫から提供された五〇〇万円が内縁の妻の債務(住居の取得費用の一部)に充当されていたし、同じくBでは、内縁の夫から三〇〇万円の贈与があり、共同生活の継続期間とその実質、財産形成への寄与の程度から見て、この程度の財産の分配で妥当と見る意識が働いていたのかもしれない。なおDでも、内縁の夫から内縁の妻に対して、敷地の贈与があったが、内縁の夫名義の預金は内縁夫婦の共有と認定されており、対価的な経済給付の有無だけではなく、内縁の妻が生計を支えてきた共同生活の実体が尊重されている。
  第三に、当該内縁関係に対する倫理的な評価が結論に微妙に影響しているように思われる。財産分与の準用で遺産の二分の一が認められた@、当該財産に対する共有持分二分の一が認められたCDは、関係成立当初から一夫一婦的な内縁であり、継続的で安定的な共同生活だった。しかし、Aでは、共同生活は、内縁の夫の元の女性との関係で二度も中断しており、Bでは、いわば不倫関係として開始したものが、法律上の妻の死亡によって、内縁的な関係になったものであり、Eは、当該関係の開始そのものによって法律婚が解消に至っている。そのような関係だから、ABでは、一定の金額の贈与があったことをもって満足すべきという発想があったのではないか、Eでは、内縁の妻の家事への貢献を認めながら、共有持分を不動産購入に出資した金額の割合で認定することになったのではないか、もしこれが通常の内縁であったならば、違った法理で法的保護が認められはしなかったか、といった疑問が湧くのである。Aでは、内縁の妻は内縁の夫の主張を聞いて料理店をやめ、内縁の夫の不動産業を手伝っており、Bでは、内縁の妻は、病弱な内縁の夫のわがままに近い命令に素直に従い、療養監護に尽くしている。Aの原審やBの第一審が財産分与の準用を肯定した背景には、それなりの内縁の妻の家事的な労働に対する評価があったはずである。それにもかかわらずAやBの原審がこうした貢献を低く評価するのは、前述のような倫理的評価と無関係ではないように思われる。内縁の妻を共同生活のパートナーとしてではなく、あたかも使用人か手伝いのように捉えているのではないだろうか。
  以上のように事実と結論との比較からすると、安定的な同居がある程度長期間継続し、かつ、家業・事業協力や共同経営的実体があったり、内縁の妻自身が共同生活の生計維持に経済的にかかわっていたり、財産を拠出している場合には、一定の法的保護が認められており、こうした要素が乏しく、すでに何らかの経済的給付を受けている場合には、保護が認められにくいといえる。こうして見ると、いわば保護すべき関係には保護が与えられている言えるのだが、背後には、当該関係それ自体に対する倫理的評価が影響している可能性もある。もしそうだとすると、倫理的評価は、相手方に対する慰謝料請求や法律上の配偶者に対する責任の問題では考慮されるとしても(4)、生存内縁配偶者の共同生活への協力・寄与の評価については、二人で築き上げた財産を公平の視点から清算するという目的から、倫理的評価とは切り離して、価値中立的に客観的に捉えるべきではないだろうか。特にEでは、離婚の財産分与、不貞の相手方への慰謝料請求で、倫理的な問題は決着がついているのだから、なおさらである。

  2  法的論理の比較検討
  (1)  財産分与の趣旨と準用の利点    従来の判例は、財産分与の法的性質は、夫婦財産の清算と離婚後扶養であり、夫婦の実際の共同生活に着目したものだから、夫婦の実体のある内縁関係にも適用できると考え、内縁の生前解消について財産分与規定を準用して解決してきた(東京家審昭三一〔一九五六〕七・二五家月九巻一〇号三八頁、広島高決昭三八〔一九六三〕・六・一九高民集一六巻四号二六五頁ほか)。準用否定のA、B原審、Bも、生前解消に財産分与が準用されることまでは否定していない(5)。他方、死亡解消への準用を肯定する@、Aの原審、Bの第一審は、死亡解消への準用の根拠をこうした財産分与の本質に求めている。
  もし財産分与が内縁の死亡解消にも準用されるとすれば、分与請求者にCDEのような共同経営の実体、共同生活費用の負担の実体、不動産購入費用の一部負担などの事実がなく、財産形成に対する経済的な寄与や貢献がない場合、つまり家事専従で、内縁の夫に経済的に依存している普通の主婦の場合においても、死亡内縁配偶者の財産に対する清算が可能になる。また内縁の死亡解消後、病弱・高齢、その他様々な事情で内縁の妻が要保護状態に陥る場合についても、離婚後扶養に準じて保護を認めることができる。さらに財産分与であれば、死亡した当事者の財産を名義のいかんにかかわらず包括的に分配できるし、死亡解消後、住居の確保に困る生存内縁配偶者に対して、例えば、生存中という期間に限って借家権を設定することもできる(6)。家事審判手続という簡便で迅速な解決が可能になるだけでなく、審判前の保全処分をしたり、@のように遺産分割事件と併合して審理をすることができる(7)
  このような利点があるにもかかわらず、最高裁は準用を否定した。そこで、否定の判例で示された解釈論上の論点、すなわち、財産分与義務(特に扶養的財産分与)は相続人に承継されると捉えることができるかどうか、準用は現行法体系を崩すのかどうか、共有構成など民法一般の法理で解決が可能かどうか、価値判断上の論点、すなわち、法的保護が認められなくても仕方がないと見るのか、生前解消の場合と比べて不均衡だと評価するのかについて、これまでの内縁保護判例法理と対比をしながら検討したい。

  (2)  財産分与義務の相続性    B原審eは扶養義務の一身専属性を根拠に、財産分与のうち、離婚後扶養は相続人に承継されないとする。しかし、これまでの判例は財産分与義務、さらには扶養的則産分与義務についても、その相続性を認めている。
  まず妻が離婚と慰謝料の請求ならびに付帯して財産分与を申し立て裁判が係属した後で、夫が死亡した事案で、相続開始時に財産分与請求権の存否・額が確定していなくても、その後に確定すれば、死亡した夫は離婚当時において財産分与義務があることに帰着するから、この義務は相続により相続人に承継されるとする(仙台高判昭三二〔一九五七〕・一〇・一四下民集八巻一〇号一九一五頁)。また財産分与請求権が債権者代位権の対象になるかどうかが争われた事案で、最高裁は、抽象的な財産分与請求権は離婚によって当然発生し、具体的な財産分与請求権は、当事者の協議または審判によって初めて形成されるとするのだから(最判昭五五〔一九八〇〕・七・一一民集三四巻四号六二八頁)、権利に対応する義務も婚姻の解消によって発生するとすれば、離婚後、財産分与の申立てをしていなくても、義務者の死亡によって、抽象的財産分与義務は相続され、権利者はこの相続人を相手に財産分与の申立てをして、具体的な財産分与の内容を形成することができるといえる。
  それは扶養的財産分与についても同様である。例えば、離婚後夫が死亡し、妻から夫の相続人である子を相手に財産分与を申し立てていた事案で、相続財産中に存在する潜在的持分の取戻しと生活保障を図るという相続制度の趣旨は離婚の場合にも存在すること、相続人は被相続人の立場に立って財産分与の協議が可能であること、相続人の責任は相続放棄や限定承認の制度により相続財産の限度内にとどめることが可能であることなどから、扶養的財産分与義務の相続を肯定している(大分地判昭六二〔一九八七〕・七・一四判時一二六六号一〇三頁)。一身専属性からその承継が議論されうるのは、離婚後扶養に関する部分の財産分与請求権であり、権利者の側の問題であって、義務者の側の問題ではない。むしろ請求権すら相続性を肯定する立場もあるのである(8)
  問題は、内縁の死亡解消の場合に、財産分与義務はいつ発生するのかである。大津判事は、これまであまり深く詰められていなかったこの論点を指摘し、死亡した内縁配偶者にいったん発生してこれを相続人が承継するのか、それとも直接相続人に発生するのかが問題であるとし、財産分与請求権は、婚姻ないし内縁の相手方に対する対人的請求権であり、相手方の死亡前に請求権が発生しないとすれば、その相続は生じないこと、内縁配偶者の相続人というだけで、一律に法定相続分に応じた財産分与義務を直接負わせる法的根拠は見出しがたいことから、遺産分割の結果相続した遺産に対する請求という理由づけにならざるをえないと論じられる(9)
  この点で参考になる事例がある。前婚に対する協議離婚無効確認の判決確定後、夫が死亡して相続が開始し、その後に後婚に対する重婚取消しの判決が確定したため、後婚の配偶者(妻)が、死亡配偶者の相続人の一部である前婚の配偶者(妻)及びその間の子に対して財産分与の申立て(民七四九条)をした事例において、東京高裁は、死亡配偶者の相続人が相続の効果として、生存配偶者に対して財産分与義務を負うか否かについて問題がないわけではなく、この問題の検討はしばらく措き、仮にこれが肯定できるとしても、死亡配偶者の相続人が負う財産分与義務は、内容が未確定の状態にある義務だから、確定までは相続人全員に合有的に帰属し、生存配偶者は、死亡配偶者の相続人全員を相手方として財産分与の請求をなすべきだとして、相続人の一部のみを相手方としてなされた財産分与請求は不適当だとした(東京高決昭五六〔一九八一〕・九・三〇家月三五巻一号八九頁)。この事案では、後婚が取り消されたため、配偶者相続権は前婚配偶者にあり、後婚で財産形成に寄与した後婚配偶者が何の権利も得られなくなるため、財産分与の申立てをしたのであり、問題状況は、内縁の死亡解消の場合と似ている。判旨自体は、死亡配偶者の相続人が相続の効果として生存配偶者に対して財産分与義務を負うか否かについては、保留しているが、考え方としては、後婚継続中になされた後婚配偶者の財産形成への寄与・後見を評価し、その間に形成された財産で婚姻解消後の生活を一定程度保障するために、直接相続人に財産分与義務が発生すると解する可能性は示されている。
  他方、前述の最高裁判例の論理から見ると、内縁解消後に財産分与義務者の方が死亡した場合には、抽象的には扶養的部分も含めて財産分与義務が相続人に承継され、権利者である方は、相続人を相手に財産分与の申立てをして、具体的な内容を形成することができる。死亡前に申立てをしていたかどうかにかかわらない。これに対して、内縁の死亡解消には、相手方の死亡前には請求権が発生しないことを理由に、準用が否定されるとすれば、内縁解消後、一分でも後に義務者が死亡すれば、義務者の相続人に義務が承継されることとの不均衡が生じる(10)。判例・学説上争われた損害賠償請求権や慰謝料請求権の相続性と同じ問題状況である。そこでは権利者の死亡と同時に請求権が発生し、これを相続人が相続するという論理が立てられた(11)。これが解釈上可能であるとすれば、義務の相続についても同様に考え、内縁の死亡解消によって、生存内縁配偶者には財産分与請求権が、死亡内縁配偶者には死亡と同時に財産分与義務が発生し、その義務が相続人に相続されると解することができるのではないだろうか。直接財産分与義務が相続人に生じることに対する法的根拠が見出しがたいのであれば、こうした解釈も成り立つように思われる。
  またこの解釈は、Bが批判するような「死亡した内縁配偶者の扶養義務が遺産の負担となってその相続人に承継される」という解釈ではない。相続一般の法理に基づく債務の承継なのだから、Bの指摘するような「相続による財産承継の構造の中に異質の契機を持ち込むもの」ではない。
  他方、村重判事は、法律婚の死亡解消の場合には、離婚を条件とする財産分与請求権が相続権に転化・変質するのに対し、内縁の夫婦の場合には離別を条件とする財産分与請求権が死亡により条件が成就し同請求権が顕在化し成立する(12)として、財産分与義務の相続性とは別の解釈の可能性を示されている。しかし、配偶者相続権と財産分与請求権が密接に関連するとしても、相続権をこのように捉えることについて、大方の理解が得られていない現段階では、前述の解釈で乗り越える方が無難ではないだろうか。
  なお財産分与義務を相続人が承継するとする解釈は、重婚的内縁についてもあてはまる(13)。重婚的内縁で形成された財産の清算、およびもし重婚的内縁が継続していたならば得られたであろう扶養利益の保障は、法律婚の存在や法律婚破綻に対する責任などとは無関係に、価値中立的に認められるべきだからである。これは一部の判例も認める方向である。例えば、重婚的内縁を一方的に解消した内縁の夫とその相手方である女性に対する、内縁の妻からの慰謝料請求について、この内縁の妻に法律婚破綻の責任があるにもかかわらず、当該内縁関係は、少なくとも内縁夫婦間、対第三者間においては法律上有効なものと認めるとし(東京地判昭六二〔一九八七〕・三・二五判タ六四六号一六一頁)、死亡した重婚的内縁の夫の遺族年金の受給権が問題になった事案で、重婚的内縁の保護基準として、法律婚が実体を喪失しているかどうかを判断する場合に、婚姻関係の実体がなくなったことに対する当事者の有責性の有無、程度は問題にならないとして、有責性を考慮からはずすものがあるのである(東京地判昭六三〔一九八八〕・三・二八判時一二七五号四六頁)。かりにこうした清算や生活保障をしないとすれば、結果として、何ら財産の形成に協力していない法律婚配偶者や法定相続人が不当に利益を得ることになる。もちろん法律婚配偶者にも別居中であった死亡配偶者に対する扶養請求や、もし離婚していたならば得られるであろう財産分与請求権が認められる場合には、これらの利益ないし権利との調整が必要になるが、だからといって重婚的内縁の生存配偶者の財産分与請求権それ自体が否定されるものではないと考える。

  (3)  体系論    Aの指摘する「現行法の体系を崩す」という意味は、Aの判旨からは必ずしも明らかではないが、Aに影響を与えたと思われる仁平判事および山口教授の見解(14)によれば、内縁の死亡解消に財産分与を認めると、法律婚の死亡解消にもこれを認めることを肯定せざるをえなくなり、その結果、法律婚の死亡解消については相続で処理するという現行法制度の体系性を崩すことになるということではないだろうか。
  しかし、Bの第一審が指摘するように、財産分与と相続権という二つの制度の体系上の振り分けは、二つの制度が整っている場合に初めて問題になる。現行法が予定していないのは、法律上の夫婦の死亡解消の場合に財産分与を適用することだけである。そもそも相続権を否定されている内縁の場合には、二つの制度がないのだから、体系上の問題は起こりようがない。内縁に財産分与の準用を認めるのは、相続権がないことによって生じる不合理な結果を防ぎ、共同生活者の利益を守るための方法としてであって、財産分与を内縁の死亡解消に認めたからといって、当然に法律婚の死亡解消の場合にもこれを認めることにはならない。
  島津教授は、現行法の夫婦財産制と財産分与および配偶者相続権の相互関係に着目された上で、現行法上、実際には裁判所の裁量によって共有制にかなり近い運用がなされていることを考慮すれば、「財産分与と配偶者相続権とを峻別して、内縁の死亡解消の場合に本条(財産分与)の類推適用を否定することは、あまりにも形式論理に走りすぎるきらいがある。内縁の死亡解消に本条の類推適用を認め、婚姻の死亡解消の場合にその否定をすることは、解釈の問題であって、配偶者相続権の趣旨からみて合目的的に解釈すればよいことであり、したがって、本条の類推適用否定説は、十分な論拠を欠くというほかない。わが国では、昭和のはじめころから判例の積み重ねによって内縁準婚理論が形成されてきたが、この考え方を承継すれば、従来型の内縁についてはその死亡解消の場合に、本条の準用ないし類推適用を認めるべきことになる」と論じておられる(15)
  ところでCaおよびEaの論理は、用い方によっては、法律婚の場合でも、家業の収益や資金の負担から夫婦共同生活の経済的基礎を構成する財産を購入したときには、夫婦の共有財産であり、死亡解消に当たっても、相続とは別に共有財産としての共有持分権を認めることを肯定することにつながる可能性がある。かつて我妻教授が示唆されていたところであり(16)、大津判事は、相続財産について財産法上の共有関係が成立するような事案の場合には、法律婚についても相続とは別にその清算を否定する理由はなく、これを認めても現行法の体系を崩すことにはならないとするが(17)、立法者の見解によれば、現行法は、婚姻共同生活中の協力分を含めて内助の功の評価を、離婚の際の財産分与と死亡の際の配偶者相続権に委ねる趣旨だった(18)のだから、これとは別に共有持分権を認めることは、AやBの指摘する、死亡解消は相続によって財産を取得させるという現行法の体系に反する扱いになり、また相続による財産承継の構造の中に異質の契機を持ち込むものになるのではないだろうか。もし法律婚には相続制度があるから、共有持分権は配偶者相続権に吸収され、これとは別に持分権を認める必要はないが、内縁には相続制度の適用がないから、こうした共有持分権を認める解決が許されるとするのであれば、財産分与の準用についても、同様のことがいえるのではないだろうか。
  なお原審bは民法九五八条の三や借地借家法三六条をあげて、現行法は内縁の保護を「相続人の相続権と抵触しない限度にとどめたもの」と捉えているが、これらの規定は、相続人不存在の場合に限って相続財産の分与や借家権の承継を認めたにとどまり、生存内縁配偶者について相続財産に対する実質的な清算を否定する趣旨まで示唆しているわけではない。公平性の見地から、法の欠けているところを補って解釈してきたのが、これまでの判例の内縁保護法理である。例えば、内縁当事者の一方の事故死については、内縁当事者間に協力扶助義務が準用されるため、扶養請求権の侵害あるいは扶養利益の喪失として、損害賠償請求権が認められるが、死亡した内縁配偶者に相続人がいる場合には、判例は、内縁配偶者の扶助にあてられるべき部分を控除した残額が、相続人に帰属するという扱いをする(札幌高裁昭五六〔一九八一〕・二・二五判タ四五二号一五六頁など)。その結果、内縁配偶者への扶助額が大きければ、相続人に認められる金額は少なくなる。「相続人の相続権と抵触しない限度にとどめたもの」とはいえない。既存のいくつかの立法例を援用して、これを現行法の趣旨と捉え、形式的に内縁保護の可能性を否定する原審bの論理は、こうした判例法理に反するものである。

  (4)  共有構成の可能性と限界    準用を否定する判例も学説も、財産分与の準用を否定するだけであって、その他の民法一般の法理を用いることまで否定していない。実際に判例で用いられているのは、死亡内縁配偶者名義の財産を生存内縁配偶者との共有財産として扱う方法である。その解釈としては、家業の収益(C)や費用の負担(E)から夫婦共同生活の経済的基礎を構成する財産を購入したこと、あるいは双方の収入を合算して生活を営み、その余剰を預金していたこと(D)をもって、民法二五〇条の共有物として扱うか(ただし、Dは対象が債権なので準共有とする)、民法七六二条二項の共有推定を準用するかである。
  学説には、内縁の妻の家事労働などの協力によって形成された財産も共有だとする見解もある(19)。夫婦の協力によって築かれた財産を実質的な共有財産と構成することは、対第三者間では主張できないとしても、当事者間では主張できるとすれば、死亡内縁配偶者の相続人は被相続人の地位を承継するのだから、当事者として、相続人には共有を主張できると解釈されないわけではないが、判例はいまだこのような立場を取っていない。これまでの判例に従えば、対価を拠出した者に所有権の帰属を認め(最判昭三四〔一九五九〕・七・一四民集一三巻七号一〇二三頁)、不動産の購入代金が夫の給与や借入金でまかなわれている場合には、夫婦の共有財産とはならない(大阪高判昭四八〔一九七三〕・四・一〇判時七一〇号六一頁)。したがって、共有構成がとれるのは、前述のような場合に限られる。
  かつて、内縁の夫死亡後に、その相続人(兄弟姉妹)から内縁の妻に対して物品(動産)の返還請求がなされた事案で、民法七六二条二項の類推適用により、被相続人と内縁の妻との共有に属するとした上で、さらに被相続人から内縁の妻への口頭の贈与があり、かつ占有改定により履行すみであるとして、返還請求を否定し、内縁の妻に財産を保障した判決がある(福岡地判昭三〇〔一九五五〕九・二九下民集六巻九号二〇五八頁)。家財道具など日常の共同生活用の動産であれば、こうした処理が可能になる。しかし、不動産について共有推定がなされるのは、CEのようにお互いが何らかの対価を出資している場合だけであり、主婦婚型の内縁で、内縁の妻がもっぱら家事労働に従事していた場合には、たとえ民法七六二条二項を用いても、内縁の夫名義の不動産や預金などについては、共有と認定することができない。
  その代わり、主婦婚ではない場合には、当該財産の獲得・形成に生存内縁配偶者が共同経営や収入の提供などによって貢献してきた事実を証明すれば、共有が認められ、実質的な財産の清算が可能になるといえる。その際には、財産分与のように生存内縁配偶者の残した財産について包括的に分配することができないので、できるだけ広く獲得財産を捉える必要がある。例えば、共同経営の収入や出資で獲得した資産を転売して財産を増やしたり、事業を拡張して財産を拡大したような場合でも、それが「夫婦共同生活の経済的基礎を構成する財産」であるときには、CやEの判旨に従い、特有財産とする特段の合意が認められないない以上、その資産は内縁夫婦の実質的共有財産として共有持分を認めるべきであろう。
  なおB原審cは、生存内縁配偶者が特有財産を有していたり、死亡内縁配偶者に対して慰謝料請求権を有しているなど私法上の請求権が認められる場合には、これらの私法上の権利を行使できるとして、財産分与手続によらない権利行使の可能性を指摘する。しかし、生存内縁配偶者が特有財産を有している場合とは、どんなことを想定しているのだろうか。@からEの事案で、特有財産を有していたのは、Dだけである(内縁の夫から贈与された土地など)。内縁の夫名義の財産に対して何らかの権利が認められないことには、内縁の妻の財産形成への寄与や協力はまったく評価されないままに終わる。また死亡内縁配偶者に対して慰謝料請求権が認められる場合も、想定しにくい。一方の死亡まで関係を継続してきたのだから、他方が一方の不貞・暴力・虐待にも耐えてきたような場合を考えているのだろうか。しかし、これでは、平隠に一方の死亡まで共同生活を続けていた場合には、何の保護にもならない。
  いずれにせよ、こうした民法一般の法理による場合には、財産分与の準用に比べて、死亡内縁配偶者の保護が薄くなることは否めない(20)

  (5)  解釈の背景にある価値判断    準用を肯定する@、Bの第一審は、生前解消の場合に財産分与が準用されるのに、最後まで添い遂げた死亡解消の場合に準用されず、死亡内縁配偶者の相続人が財産を独占するのは不均衡であるとする。前述のように生前解消後間もなく財産分与義務者が死亡した場合との不均衡は顕著である。(4)で述べた共有構成が広く採用されるのであれば、こうした不均衡は減るかもしれないが、共有構成の短所を考えると、やはり生前解消の場合との不均衡が目立つ。
  すでに論じたように準用に解釈論上の問題点がない、あるいは克服可能であるにもかかわらず、これを否定するのは、結局は、論者の価値判断になるだろう。この価値判断を明確に示したのが、Bの原審である。それはdの理由づけ、すなわち、死亡内縁配偶者は遺言や贈与をすることができたのに、それもなく死亡した以上、たとえ実質的共有財産が相続財産に帰属し、法定相続人がこれを取得することになったとしても、「法律上の夫婦となる途を選択しなかったことによって生じたやむを得ない事態」であるとするのである。
  しかし、「法律上の夫婦となる途を選択しなかったことによって生じたやむを得ない事態」として、不利益を当事者の責めに帰すことができるだろうか。@では、内縁の妻は、婚姻の届出を内縁の夫の兄の子に依頼していた。Aでは、内縁の妻が届出を拒んでいたが、それは、内縁の夫の元の女性との問題をはっきりさせることと、母子年金の受給のためだった。Bでは、内縁の夫が届出を拒んでおり、内縁の妻の意思だけではいかんともしがたかった。Dでは、内縁の夫の子から結婚に反対されたこと、結婚すると内縁の夫の債務を負担することになると考えたことから、届出を避けている。Eでは、署名捺印した婚姻届書が内縁の妻に渡されているが、おそらく看病などに明け暮れていたためであろうか、届出されないままに終わっている。Cでは、内縁の妻は、元は内縁の夫Bの兄の法律上の妻であり、兄の死後、一家から請われてその弟であるBと一緒になったものの、Bは別の女性と関係を持ち、自分の家に同居させ、この女性の懇請で婚姻の届出をし、やがて離婚して、また内縁の妻と復縁していることから、内縁の妻としては、おそらく婚姻の届出の必要性を感じなかった(あるいは空しさを感じた)のではないかと推測される。いずれにせよ、各カップルにはそれぞれの事情があって、婚姻の届出という選択をしなかったのである。だからといって、内縁夫婦が協力して築いた財産を、何ら財産形成に寄与していない相続人に独占させてよいのだろうか(21)。遺言や贈与をしなかったことをもって、やむをえない事態と言い切ってよいのだろうか。この点の価値判断こそが、準用の否定と密接に結びついているように思われる。
  しかし、これまでの内縁保護判例は、当事者がどのような事情で婚姻の届出をしなかったかではなく、当事者がどのような共同生活を営んできたかという共同生活の実質を重視してきた。例えば、水商売の女性と無職の男性が七年の共同生活で喫茶店などを経営して蓄財していた事案で、当事者の関係を「ずるずるべったりと性関係に入り同棲生活を続けていた」もので、届出を拒んでいた男性の「婚姻意思には疑義がないではない」としながら、女性の経営への寄与の事実などから、「事実上の婚姻関係即ち内縁」と判断して夫婦財産の清算としての財産分与を認めている(岐阜家審昭五七〔一九八二〕・九・一四家月三六巻四号七八頁)。また、当事者の間に共同生活がなく、家族への紹介もないが、お互いの居所を行き来する形態をとり始めてから九年、パートナーとして安定した関係を継続してきた女性を、事実上婚姻関係と同様の事情にあった者と認定して、男性の死亡退職金の受給権者と認めている(大阪地判平三〔一九九一〕・八・二九判時一四一五号一一八頁)
  当事者が、法律婚を選択しなかったこと、あるいは選択できなかったことは、あらゆる問題について法的解決を全て放棄する意思まで含んではいない。仮に一方がお互いの協力で形成した財産を独り占めすることを望んで、婚姻の届出をしなかったとしたら、それに気がつかなかった方は無知ゆえに仕方がないとして、財産の独占を認めるのだろうか。当事者の自己責任に委ねては不公平な結果が生じるがゆえに、判例は、内縁の保護を図ってきたのではないだろうか(22)。原審dの論理は、こうした日本の判例の内縁保護法理に反するものであり、少くともこれまでの判例体系とは整合しない。

四  むすびー法的保護のあり方と家族観


  準用肯定論と否定論の対立の根底には、婚外関係にどのような保護を認めるべきか、当事者の責任をどのていど考慮するかという、価値観上の対立がある。つまり、婚姻外の関係を選択したことを当事者の自己責任として捉え、法律婚主義を尊重する視点から解決を図るのか、それともライフスタイルの自己決定を支える条件保障の視点から解決を図るのかの問題に行き着くように思われる。
  確かに婚姻届を出せば、配偶者として権利は確保できる。だが、さまざまな事情で婚姻届を出せないカップル、あるいは自分たちの意思で婚姻届を出さないカップルが、現に存在する。そうしたカップルでも、死亡解消の場合に、合理的で簡潔な法的救済を保障すべきである。当事者にとって合理的で利用しやすい解決方法を講じてこそ、初めて法的解決の保障があるといえよう。それがあって初めて、安心して自分たちにふさわしいライフスタイルを選択することができるのではないだろうか。したがって、@、Aの原審、Bの第一審のように、内縁や事実婚の死亡解消の場合にも財産分与の準用を肯定すべきであると考える。
  こうした発想に対しては、社会制度としての法律婚主義の否定に外ならないとの批判がある(23)。しかし、男女共同参画審議会の答申にあるように、個人のライフスタイルの選択に大きなかかわりをもつ制度について、個人の選択に対する中立性の観点から総合的な検討が要請される今日(24)、法律婚の尊重あるいは維持は、他のライフスタイルを抑圧する根拠とはなりえない。どのような家族形態であれ、そこに共同生活としての実態があり、生計の相互依存関係がある以上、等しく法的保護が認められるべきなのである。内縁の死亡解消に財産分与を準用することは、こうした価値中立的な保護を進めるものとして位置づけることができるのではないだろうか。

(1)  肯定説としては、青山道夫『家族法論』一一六頁(法律文化社  一九五六)、久貴忠彦「内縁解消による財産分与」法律時報三五巻一一号一〇一頁(一九六三)、人見康子「内縁夫婦の一方が死亡した場合における他方の財産分与の請求」太田武男・久貴忠彦・沼遍愛一編『家事審判事件の研究(1)』九二頁(一粒社  一九八八)、日野忠和「内縁の解消と財産分与」ケース研究二二七号一一一頁(一九九二)、村重慶一「扶養的財産分与の算定基準」判例タイムズ八〇五号三三頁(一九九三)、島津一郎・久貴忠彦編『新・民法コンメンタール11  親族(2)』五八頁〔島津一郎〕(三省堂  一九九四)など。なお私見としては、『事実婚の現代的課題』三〇八頁(日本評論社  一九九〇)、「内縁の夫の遺産に対する内縁の妻の権利」判例タイムズ七四七号一六四頁(一九九一)、「内縁の死亡解消と財産分与請求権」私法判例リマークス六号八二頁(一九九三)、『離婚判例ガイド』一六八頁(一九九四、榊原富士子と共著)、「高齢者の事実婚」大河純夫・鹿野奈穂子・二宮周平編『高齢者の生活と法』一二五頁以下(有斐閣  一九九九)、『叢書民法総合判例研究  事実婚』(一粒社  二〇〇一刊行予定)
(2)  なお大阪家審平一〔一九八九〕・七・三一家月四二巻七号四六頁も内縁の死亡解消に財産分与の準用を肯定するが、内縁の夫の死後一〇年以上経ってからの申立であったため除斥期間経過を理由に申立を却下した。事実関係が不明確なので本文での紹介・検討をさしひかえた。
(3)  浅井清信「内縁と相続権」『家族法大系(3)  婚姻』三四一頁(有斐閣  一九五九)、これを示唆に富むとして評価する我妻栄『親族法』二〇九頁(有斐閣  一九六一)。
(4)  東京地判昭六二〔一九八七〕・三・二五判タ六四六号一六一頁、東京地判昭六三〔一九八八〕・三・二八判時一二七五号四六頁など。
(5)  Bは「離別による内縁解消の場合に民法の財産分与の規定を類推適用することは、準婚的法律関係の保護に適するものとしてその合理性を承認し得るとしても」と述べている。これが確定した判例であることについては、仁平正夫「内縁の夫婦の一方が死亡した場合の財産分与請求権」家月三七巻九号一五一頁(一九八五)、二宮・前注(1)ガイド一六〇頁など参照。
(6)  例えば、子どもが満二〇歳になるまでの賃借権を財産分与として設定させた例として、浦和地判昭五九〔一九八四〕・一一・二七判タ五四八号二六〇頁などがある。また財産分与請求権を死亡解消の場合にも認め、遺産分割を請求する形で借家権を生存内縁配偶者に分与させるとする学説として、長岡敏満・民事判例研究・法学協会雑誌八五巻五号八二九−八三〇頁(一九六八)がある。
(7)  この点の長所を指摘する見解として、人見・前注(1)九二頁、村重・前注(1)三四頁、仁平・前注(5)一五六頁など。
(8)  吉本俊雄「死亡した元配偶者に対する財産分与請求」家月三六巻三号二〇六頁(一九八四)など。なお財産分与請求権の相続性に関する学説の整理として、高木積夫「財産分与請求権の相続性」判例タイムズ七四七号一五三頁参照。
(9)  大津千明「内縁の解消」村重慶一編『現代裁判法大系10  親族』一三四頁(新日本法規出版  一九九八)。
(10)  研究会で「残念事件」と対比して、死亡直前に「離別」宣言をした場合や死亡という永別の場合には財産分与準用説がより一層肯定されるべきではないか等の意見があったと報告されている(村重・前注(1)三四頁)。
(11)  財産的損害の賠償請求権について、大判大一五〔一九二六〕・二・一六民集五巻一五〇頁、慰謝料請求権について、最判昭四二〔一九六七〕・一一・一民集二一巻九号二二四九頁)。
(12)  村重・前注(1)三四頁。
(13)  判例・通説によれば、重婚的内縁の保護基準は、法律婚が事実上離婚状態にあることであり、こうした基準を満たせば、生前の重婚的内縁の解消については、財産分与の準用が認められている(広島高松江支決昭四〇〔一九六五〕・一一・一五高民集一八巻七号五二七頁など)。ただし、重婚的内縁の死亡解消に関する判例はいまだ公表されていない。
(14)  仁平・前注(5)一五六頁、山口純夫「内縁生存配偶者の財産分与請求権」判例タイムズ五四三号一三四−一三五頁(一九八五)。
(15)  島津・前注(1)五八頁。
(16)  我妻・前注(3)一〇三頁では、民法がこの点について考慮を払わなかったことを欠点として指摘した上で、現行法の解釈としても、この程度の主張はできるのではないかとされている。
(17)  大津・前注(9)一三四頁。
(18)  司法委員会において、榊原千代委員から、夫婦別産制の下では、妻の家事労働は評価されないで終わるから、何かその労働を生産に連なるものとして認めてもらえないかという質問に対して、奥野政府委員は、夫婦別れになる場合には、財産の分与によって、夫が死亡した場合には、妻が相続人になることによって、評価されていると答弁している(家庭裁判資料三四号『民法改正に関する国会資料』二六九−二七〇頁〔最高裁事務総局  一九五三〕)。最判昭三六〔一九六一〕・九・六民集一五巻八号二〇四七頁もこうした見解を支持した。
(19)  井上哲男「遺産分割における内縁配偶者の地位」判例タイムズ六八八号一三三−一三四頁(一九八九)。かつて我妻教授は、内縁の妻に相続権は認められないが、「共通財産を清算し、実質的に内縁の妻の所有に属するものはその所有とすべきである」と指摘されていた(我妻・前注(3)二〇五頁)。我妻教授は、夫婦の協力によって形成された財産は実質的な共有財産と推定するので(同一〇二−一〇三頁)、こうした解釈が可能になる。なおかつて内縁配偶者の寄与分を認める際にも、共有的発想が論じられていた(山口純夫「民法七六二条にいわゆる特有財産の意味および内縁の生存配偶者の共有持分権」判例タイムズ四九九号一四七頁〔一九八三〕参照)。その他、共有説を支持する立場として、仁平・前注(5)一五九頁など。
(20)  ただし、財産分与の準用による場合には、民法七六八条二項但書も準用されるので、内縁夫婦の一方が死亡した時から二年間に権利を行使しなければならない(大阪家審平一〔一九八九〕・七・三一前注(2)参照)。この点では他の構成が有利である。
  なおこの他に考えられうる民法一般の法理としては、次のようなものがある。まず内縁当事者間において贈与契約が存在したことを認定し、すでにそれが履行されていると認定する方法(最三小判昭三九〔一九六四〕・五・二六民集一八・四・六六七、東京高判昭四六〔一九七一〕・二・二六判時六二三・七九などでは、これによって相続人からの書面によらない贈与を理由とする贈与の取消を否定している)。しかし、少なくとも贈与意思が表明されていなければならず、そうでない場合には使うことは難しい。
  次に黙示の労働契約ないし報酬契約を擬制する方法がある。しかし、例えば、女性が自営業を共にしたり家事を負担することを、労働契約あるいは報酬契約として擬制しなければならないこと、女性が男性との共同生活で生計を維持していることを労働の報酬と見れば、清算を主張するためには、それ以上の労働をし、男性側にそれに見合う受益が存在することを証明しなればならないこと、さらにその受益の算定が困難であることが、問題となる。また不当利得返還請求と構成する立場についても、同じような問題点が指摘される。家事・育児など日常的共同生活をしていただけでは、相手方の財産の増加が不当利得とはされないだろうから、救済される事例は、一方が他方の財産の形成・維持・増加につき特別な寄与をしたような場合に限定されるだろう。
  さらに内縁当事者間に組合契約が存在すると構成する立場(島津・前注(1)五九頁)については、組合意思の問題がある。学説には、「共同生活そのものをもって共同事業を営むもの=組合とすることは無理であろうが、共同生活中に蓄積された財産に限っていえば、金銭の貯蓄↓利殖を目的とする団体(組合)が成立しているといっていえないこともない」として、これを認める立場があるが(泉久雄「内縁問題に思う」太田還暦記念『現代家族法の課題と展望』一二〇頁〔有斐閣  一九八八〕)、それがひとつの擬制であることは、提唱者自身が指摘している。仮にこうした黙示的構成をとれたとしても、組合の解散=償還に際しての労働出資の評価が難しい。相当な年月にわたる共同生活中の家事労働、生活費の分担の量と価値を事後的に調査する困難さがある。
(21)  実務家の立場から、内縁夫婦の協力によって築いた財産が、内縁の死亡解消によって相続人に独占させる不合理さについて鈍感な判決を鋭く批判するものとして、白井正明「弁護始末記−内縁の夫と一緒に築いた三億円の財産が、後に結婚した女性のものになってしまった」時の法令一五三六号三八頁以下(一九九六)参照。
(22)  二宮周平「日本民法の展開(3)判例の法形成−内縁」広中俊雄・星野英一編『民法典の百年(2)』三九三頁(有斐閣  一九九八)。
(23)  大津・前注(9)一三六頁。
(24)  答申では、所得税の配偶者控除、国民年金基礎年金の保険料控除、遺族年金の受給資格など、法律婚の専業主婦優遇政策が、問題点をとしてあげられているが、共同生活解消の場合の財産帰属のあり方なども、法律婚との格差が大きいと、法律婚への誘導効果がありすぎるものとして、中立性の原則に反すると思われる。
※ 校正段階で最決平一二につき、伊藤昌司・判タ一〇四六号八二頁(批判的コメント)、中川淳・判評五〇三号二〇七頁(最決支持)に接した。